第11話 「学園」
「ゆっくりしすぎたぁぁぁぁ!」
私、ニア・クリューエルはスカートをなびかせながら全速力で走っていた。
まずい…………このままだと遅刻だ。
頭の中に最悪な結末が予想される。
休み明けで気が緩んでいた。
のんびりと優雅な朝食に舌鼓をうっていた自分が妬ましい。
自分で言ってしまうが、これでもいいところのお嬢様である私が、新学期初日から遅刻だなんて面目丸潰れだ。
今は亡き父と母、可愛がっていた弟に顔向けできない。
クリューエル家の家主として、なんとしても新学期初日から遅刻は回避せねばならない。
どうすれば…………?
考えても仕方ない、今は全速力で走ることだけを考えよう。
本当は飛行魔法の一つでも使えれば、登校がもっと楽になるけれど、あいにく私は飛行魔法の適性を有していない。
私が有している魔法適性と言えば、炎と回復魔法だけだ。魔法が使える人の大半は、魔法適性を一つしか持っていないから、私としては二つ持っていることが喜ばしいことなのだが、今だけは飛行魔法の適性が欲しかった。
いっそ思考を停止して、遅刻してしまおうか?
走り続けると爽やかさを保てないから、どうどう遅刻で登校して、爽やかな顔して「おそようございます」と言って笑いの一つでもとってしまおうか。
…………冗談を思いつく元気があるなら、足を動かそう。
今まで遅刻はしたことはなかった。
時間ギリギリに着くことはよくあるが、それでも遅刻は一回もない。
毎回、爽やかな顔で「おはようございます」と挨拶をしていた。
でも、このままだと、今回は引きつった顔で「おはようございます」ということになるだろう。
今までに作り上げてきた私のイメージが壊れてしまう。
お淑やかなお嬢様のイメージが壊れてしまう。
「なんとかしないと……。せめて足の疲れが取れればいいんだけど。…………ふむ、妙案得たり。」
私の持つ魔法適性の中の一つ、回復を使えばいけるかもしれない。
常に回復魔法を自分の足に連続的にかけ続けて、足の疲労を無くす作戦ならいけるかもしれない。魔力の消耗が激しいが、これで全速力で走り続けることができる。
そうと決まれば、即実行あるのみ。
手のひらに回復魔法を発動する魔法陣を魔力で作り上げ、その魔法陣を足に移動させる。
こうすれば、足だけに回復魔法の効果が常時発動する仕組みになるはずだ。
基本的に回復魔法は手のひらで魔法陣ごしに、患部に触ることで効果を発揮するが、私のは裏技だ。位置決定した魔法陣を移動させる高等テクニックを使っている。まあ、高等テクニックと言っても、学校を卒業するまでの必修課題なんだけど。
これなら大丈夫! そう意気込んで走り出そうとしたら、突然に私の隣に『移動用魔法具』が止まった。
「乗ってくでしょ? クリューエルさん」
そう私に呼びかけてきたのは、私のクラスを受け持つ担任だった。
◆◇◆
「助かりました、先生。本当にありがとうございます」
「いいってことよ。でも、放課後に少しだけ書類とか運ぶの手伝ってもらおうかな」
先生の『魔法具』に乗せてもらい、なんとか遅刻せずにすんだ。
魔力を大量に消費することもなかったし、先生には感謝してもしきれない。
爽やかな顔で挨拶をすることができたから、私のイメージが崩れる心配はないし、とりあえず一安心。
今度、お菓子でも作ってお礼として持ってこよう。
「クリューエルさん、いつもより楽しそうに笑ってるけど、何かいいことでもあったの?」
先生と別れた後の教室に向かう途中で、後ろからクラスメイトに声をかけられた。
「いや、そんなことはないよ。いつもどーりだよ、いつもどーり!」
「本当に〜〜? それじゃ、また後でお話しようね」
クラスメイトは足早に駆けていく。
周りを見ると私たちの他にも、多くの人が会話に花を咲かせている。廊下には、せわしなく歩いている人や手を繋いでいるカップルの男女、バカみたいにはしゃぐ男子、その他に多くの人が見受けられる。
この学園は常に賑やかで、五月蝿くない時なんて一時もない。
でも、その五月蝿くて賑やかな校風に、親と弟を亡くしたばかりの頃の私は何度も救われた。
私は私の通う学校、『フィルネレス魔法学園』が大好きだ。
いろいろ考えているうちに自分のクラスに着いた私は、バッグを机の脇にあるホックにかけて、いつも通りゆっくりとお上品に着席した。
◆◇◆
『フィルネレス魔法学園』は国の中心に位置する場所にあり、様々な都市の人々が生徒として学園に通っている。
ただ、生活環境の違いなどで貴族クラスと平民クラスの二つに分けられている。
この学園の校則として、「この学園では、貴族と平民に身分の差はない」というのがあるが、守られていないのが現状だ。それでも大きな争いごとなどはあまり無く、一応この学園は平和だと思う。
「あまり」と言ったのは、プライドのかなり高い貴族の一部なんかが、平民を見下して暴言を吐いたりするのが問題になっていたり、平民に喧嘩をふっかけたりすることがあるからだ。
当然、私はそんなことはしない。
生徒数は、正確な学園内の生徒人数を測ることが面倒臭いらしく学園側は調べていない。
まあ、私の予想だと三千人はいる。
そして、そのうちの二千五百人が平民の生徒だと思う。
学園の敷地は生徒数に見合っていてかなり広く、廊下が人でいっぱいになって窮屈だ! なんて愚痴は生徒間から出たりはしない。
こうやって、学校のことを見つめ直してみると新学期が楽しみになってきた。
それに……明日からは……。
「ニアちゃ〜〜ん! いつもより笑顔だけど、さては休み中に何かあったな?」
「な、何もないって。た、ただ少しだけ、学校が始まるのが嬉しいだけよ」
突然に声をかけてきたのは、私の友達である、リリアナ・ヴィリア。
彼女の家と私の家は古くから付き合いがあり、私のことをニアと呼ぶクラスメイトは彼女ぐらいだ。
他の人にもニアって呼んでいいと言ってるのに、みんな遠慮してしまう。そもそもの話、ほとんどの人が互いを家名で呼び合っているし、家名で呼び合うのが普通なのかもしれない。
みんな、家名に強い誇りを持っているのだろう。
私も当然に家名に誇りを持っているが、私としては学園内ではクリューエル家の人としてよりも、ニアという名を持つ私を見て欲しい。
「そういえばエスペディートさん、まだ来てないね」
リリアナに言われ、私は周りを見渡す。確かに、まだ来てないみたいだ。
「ロアが今の時間帯に来てないのはいつものことでしょ」
「まあ、エスペディートさん、いつも遅刻してるもんね」
彼女が言うように、ロアはいつも遅刻してくる。
担任の先生が挨拶してる時に、眠たげな表情をしながら教室に入ってくる。もう少し早く来ればギリギリセーフなのに…………。
遅刻ばかりで卒業できるのか心配に思って、一度ロアに聞いてみたらロアが言うに、授業を免除されているらしい。だから遅刻も問題ないのだろう。
ずるいよ!
時計を見ると、そろそろ担任が朝のホームルームをしにくる時間になる。
ロアもいつものように登校してくるはずだ。
少しして、ガラガラと音を立ててドアが開き、担任の先生が入ってきた。
「はーい、出席とるから、みんな自分の席に着きなさーい!」
先生がそう言うと、教室で会話をしていた生徒は自分の席に着席する。
「それと、エスペディートさんは今日は休みね」
…………ん?
ロアが休み?
ロアが休むなんて驚きだ。授業を免除されていて、学園にくる必要もないけど、ロアはちゃんと学園には来ていた。
授業中は常に寝てるけど…………。
「エスペディートさんね、男に声を掛けられたから休みですって。ほんと…………どうしてくれようか、あの小娘! うふふ…………オシオキするのが楽しみだわァ〜」
バキッ、と音を立てて先生が持っていたペンが真ん中からへし折れた。
うわぁ…………。
にしても、ロアが男に声を掛けられて学園を休むなんて、その男はいったいどんな人だろう。
…………まさか……ね?
「はーい、始業式を始めますから、皆さんは大闘技場に移動してくださいね」
◆◇◆
「始業式、やっと終わったよー」
「仕方ないわよ。学園長の話が長いのはいつものことでしょ」
私はリリアナと学園長の話の長さについて愚痴りながら教室に向かっていた。
ほどなくして、教室に到着する。
「ねえ、ニアちゃん。今日、買い物に行かない?」
「ごめんね、リリアナ。これから学園長に用事があるんだよね。また今度、誘ってよ」
「うーん、残念。それじゃあまた明日、学校でね!」
ニコニコしながら私に手を振って、リリアナは教室をあとにする。
買い物に付き合ってあげたかったけど、学園長に大事な用事があるのは事実だし、買い物に付き合えないのは仕方ない。
私もリリアナに少し遅れて教室をあとにして、学園長の部屋に向かう。
「やあ、クリューエルさん!」
学園長の部屋に向かっている途中で、前の方から、ブロンドヘアーの男が声をかけてきた。
………………面倒くさい、と思いながらも私は返事に応える。
「こんにちは、レグザイアさん」
この男は、上流階級の貴族であるレグザイア家の次期跡取りのライゼル・レグザイア。成績優秀でスポーツ万能、更に容姿もそこそこ良く、女子生徒に人気のある人だ。変な言葉で女子生徒をたらしこむ気持ちの悪い人でもある。
「ああ、今日も貴方は美しい。その美しさは精霊王さえ凌駕していることだろう! 私の視線を独り占めするなんて、貴方は罪なお嬢様だ。私に視線を浴びせる女性は数多くいたが、私の視線を独り占めするのは貴方だけだ! ああ、美しい! なんて美しいんだ! 美しいお嬢様、どうかこの高貴な私とランチを食べに行ってはもらえないだろうか?」
気持ち悪い男は私のご機嫌を取ろうとしてか、ひたすらに褒めてきた。
ひたすらに褒めれば、私がランチの申し出に応えると思ったんだろうか?
そもそも、本物の精霊王を見たことないくせ何を言ってるのだか。
まあ、私も絵本でしか見たことがないのだけれど。
どちらにせよ………………気持ち悪い。
「ごめんなさい、レグザイアさん。これから学園長に用事があるので失礼します」
私は逃げるように、背を向けて駆け出した。
「うは! ランチの申し出を断られたのは、これで百六十五回目か…………。なかなかに、しぶといお嬢様だ。だがそれがいい! よりいっそう、欲しくなってしまう! ああ、堪らぁあん!」
後ろから聞こえてくる気持ち悪い声に、私は肩を震わせた。
レグザイアから逃げるようにして走ること数分。
学園長の部屋の前に着いた私は、扉を二回ノックする。
「入りなさい」
扉の向こうから、荘厳で威厳のある声が聞こえてくる。
失礼のないように、制服をしっかりと整えて、扉を開けて中に入った。
「失礼します」
部屋の中に入ると、学園長が椅子に腰をかけて、書類に目を通していた。
「お仕事中でしたか、申し訳ありません」
「謝らんでよい。まあ、そこの椅子に腰をかけなさい」
言われたように私は、学園長に迎え合う形で椅子に腰をかける。
「それで、あの件については大丈夫でしょうか?」
「問題はない。明日から学園の生徒として迎え入れよう」
「ありがとうございます」
仕事の邪魔をしては悪いので、用事を済ませた私は足早に部屋を出た。
「ふう」
学園長の独特な雰囲気には、いつまで経っても慣れないものだ。
割と早く用事が済んだから、もしかしたらリリアナの買い物に付き合えたかもしれない。
まあ、一度断っちゃったし、いいか。
用事が済んだことだし、家に帰ることにしよう。
先生と、書類を運ぶ手伝いをすることを約束してた気がするけど…………うん、忘れた。
レイジがお腹を空かせている頃だろうし、私もお腹が空いているから、早く帰ってお昼にしよう。
帰る途中で食材でも買うとしよう。
昼食には何を作ろうか?
今思えば、レイジの好みをまだしっかり理解してない。
まあ、これから毎日いろいろな種類の料理を作って、少しずつ理解していけばいいかな。
「昼食は何を作ろうかな〜」
結婚したことないから、夫を持つ妻の気分なんて分からないけれど、ちょっぴり今の気分は新妻ってとこかな。