宴会
震えを隠すため固く引き結ばれた唇は、開くことが難しくなっていた。時間が刻一刻と迫ってくる。
「そんなに緊張しないで。あたしにも伝染しちゃうわ。さっきも言ったけど、これは宴会よ」
そう、それは命にだってわかっている。決して堅苦しい儀式ではない。それなのに震えは止まるところを知らない。
沙紀によって、未知の衣装と髪型に変えられた彼女は、馬子にも衣装だよ、と自分で呟いた。
白いドレスめいたワンピースに、履き慣れないヒールのある靴。髪はヘアアイロンで緩くウェーブされ、長い黒髪がお洒落にまとめ上げられている。
似合っているのかも不安になりながら、彼女はガチガチのまま桜の間を出た。
廊下には二人以外誰もいない。沙紀の言った通り、人は宴会場にばかりいるようだ。
渡り廊下を渡ると、わずかに人の話し声が聞こえてきた。命は表情筋を張り付かせる。
そのまま階段を登って二階に上がれば、話し声は一層大きくなっていく。
「沙紀さん沙紀さん沙紀さんんんん…」
「大丈夫だってば。何でそんなに固まってるの」
呆れるような声も、耳に入るが脳まで追いつかない。両手で彼女の服の裾を掴む。
「沙紀!」
聞き覚えのある声だった。命が沙紀とともに振り返り、燕尾服の泰澄を見てほんの少しだけ緊張を緩めた。
彼は命に律儀にお辞儀し、二人に対して連絡事項を淡々と伝える。
「当主のご到着が遅れているようです。同時にご入場される予定でしたが、命様に先に入場していただくことになりました」
「入場…」
「ちょっと待ちなさいよ泰澄。今日は酒盛…宴会でしょう。何で当主と一緒に入場とか……あたしそんな予定、聞いてないわよ」
「宴会だ。命様のご紹介も兼ねた、な」
「あの、入場っていうのは…」
「入場というほど大袈裟なものでもありません。舞台のようなものがあるのですが、そこに座っていただくだけです。ただ、そこにはできれば、当主と一緒に座っていただきたいので、少しの間、家の者の相手をしてやってほしいのです」
つまり、本格的な入場の前に挨拶まわりをしておけばいいのか、と命は理解する。
沙紀は未だ不機嫌そうに、泰澄に言葉を投げていた。
わかりました、と命が言うと、泰澄は安心したようにありがとうございます、と頭を下げ、沙紀は案ずるように大丈夫なの、と訊ねてきた。
早く終えてしまいたくて結論を急いだ命は頷き、覚悟を決めたように、つよく頷いた。
「腹はくくったよ」
「命…」
「では、こちらへどうぞ」
新たに泰澄に先導され、宴会場へと導かれる。一歩踏みしめる度、鼓動がうるさいくらいに跳ねる。静まれ、と自分自身に言い聞かせた。
通りすがった給仕の女性が、命を見た瞬間驚いたように目を見開き、ふわりとお辞儀した。慌てて会釈を返して、沙紀に訊ねるように視線を投げると彼女は命を見返し、困ったような笑みを浮かべて前を見るよう促した。
数分も行かないうちに泰澄が立ち止まり、二人を振り返る。命に目で合図し、次の瞬間ふすまを開け放った。ざわめきが大きくなる。
「泰澄じゃねぇか! 当主はどうした、遅刻か?」
野太い声が聞こえてきた。その一言を皮切りに野次が飛び交う。陶器のひっくり返る音とざわめきとが混じり合って、酷くやかましい。
沙紀はふすまの影に隠れて縮こまる命に焦った。先ほどまでの覚悟が消え失せ、隙を見て逃亡でもしてしまいそうな勢いだ。
沙紀は唸って、半身を退けた彼女に告げた。
「命、行こう。行かなきゃ」
両肩に力強く手を乗せ、真剣な瞳で見つめてくる。命は彼女を見上げ、でも、と呟く。
「大丈夫よ。あたしも傍にいるし。いざとなったら逃げても良いから、行こう。まずは中に入らなきゃ」
「…逃げていいの?」
「うん」
命は胸を撫で下ろし、沙紀の手に自分の手のひらを重ねた。一瞬驚いた沙紀も柔らかい笑みを浮かべ、ぎゅっと握り返した。えへへと命の顔が綻ぶ。
「命様」
泰澄が急かすように呼ぶ。二人が手を繋いだまま姿をさらそうとすると、泰澄が焦って止めてきた。
「繋ぐのは…。それなら、エスコートするように重ねてくださった方が」
承知したとばかりに、沙紀が手の持ち方を変えた。彼女は微笑み、命の硬い表情を崩すかのように空いた手で頬をつねる。軽い痛みに頬をさすった。
泰澄が背中を押す。沙紀は命に対して囁いた。
「行きましょうか」
思わぬ二人がバカップル。




