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龍の花嫁  作者: おはなし
第一章 嫁入り
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桜の間

 泰澄と別れた二人は、屋敷の中に入った。靴を靴箱に入れ、板張りの廊下を歩く。


 人に会わないかと不安になる命に、沙紀は大丈夫、と囁いた。

「家の人間は、今宴会の準備で忙しいから調理場と宴会場にしかいないわ。その二つ、どちらもこの棟にはないの」


 一気に気が緩んだ命に笑い、着いたのは“桜の間”と札が掛けられた部屋だった。沙紀は無遠慮にそこの扉を開け放ち、命を中へ招いた。

「ここが命の部屋よ。当主の部屋の次に豪華」


 気が滅入る広さだった。命は感激するよりも先にふらついた。

 ゆうに二十畳もの広さをもつ部屋に、テレビ、浴室、便所が備わっていた。ガラス窓を開ければ、先ほどの庭園とは違う庭が見える。畳の匂いはまだ新しいそれで、他の物も新調された物だとわかる。命は気が引ける思いだった。


 命がへたり込む間に、沙紀は押し入れという名のクローゼットの中から、服を取り出す。

 そういえば、と思い命が訊ねる。


「沙紀さん、私移動中の服しか持っていないけど、大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。服は家で充分ってくらい用意されてるから。着回しの必要がないくらいにね」


 ――それは眩暈がする。


 確かにクローゼットの中には、命から見える限りでも多種多様な服が押し込まれている。靴や小物も入っているようだった。

「さ、沙紀さん。私、持参金も持ってなくて……」

 居住まいを正すと、涙目になりながら畳に両手を付ける。土下座の準備ができた、と頭を下げようとすると、沙紀の悲鳴のような声で止められた。

 見上げると、困ったような顔をしている沙紀と目があった。命は彼女があまりにも必死に止めろと言ってくるので、土下座姿勢を崩した。ホッとしたような沙紀は、命を見つめた。


「命、いい? これはあたしたちが勝手にやったことで、あなたが胸を痛める必要と土下座する必要はないの。持参金も要らないって言ったのは家だし、無理やり嫁に来いって言ったのも家の当主。だからあなたは何も申し訳ないと思う必要はないの。わかった?」


 狼狽えながらも命が頷くと、彼女はにっこりと笑みを浮かべて立ち上がった。


「じゃあ、着替えようか。あ、その前にお風呂ね。一緒に入る?」

 ぶんぶんと首を振ると、また笑って早く入るよう命を促した。


 バスタオルと下着類を渡され、命は押し込まれるように浴室へと入っていった。

 浴室もまた小綺麗に調えられていた。浴槽は脚を伸ばせるくらいに広く、顎まで浸かれるくらいに深い。調度品も一目で高級品とわかるものばかり。ひとしきり見回してから、彼女は熱い湯を浴びた。


 *****


 水の弾ける音を聞きながら、沙紀はずっと思案していた。命の荷物をまとめる手は、それこそ止まっていないが。


 ――あれが“神呼の姫”?


 接すれば接するほど、本当なのか疑わしくなってくる。あの弱く小さい少女が…。沙紀は初めて彼女に会ったときから、疑問に思っていた。


 ――騙されているのかしら、神楽家に。


 少なくとも、命は嘘が吐けるような子ではない。そんな疑いは、先ほどの持参金がないことについて土下座しようとした一件で、完全に取り払われた。

 何はともあれ、彼女が当主と対面すれば全てわかるのだ。今考える必要はない。


「さ、沙紀さん…、あの…。服を……」


 顔だけ脱衣室から覗かせて、控えめに要求してきた命の顔は、熱さのためか恥ずかしさのためか、見事に赤い。沙紀はにっこりと笑みを浮かべた。

「おいで。あたしが着替えさせてあげる」

 命は更に赤くなり、眉尻を頼りなく下げている。その様は素直にとても可愛らしい。辛抱強く待つと、彼女は下着姿に薄い肌着を着ただけの状態で、肩をそぼめながら出てきた。

 そして彼女の両手は、鎖骨の下あたりを隠すように交差されている。やはり、と沙紀は目を細めた。


「じゃあ、これを着るのよ」

 差し出した洋服を、命は目をぱちくりと見開きながら見た。ああ、そうね、とそれを広げながらこの家について教える。

「この屋敷は基本的に和文化に沿ってできているけど、それは前々当主の趣味によるものよ。今日、宴会が行われる部屋は洋室だし、屋敷の中の服装は必ず着物、と決まっているわけじゃないわ。使用人は着物だけどね」


 それを聞いて安心したのか、命は素直に袖を通した。ドレスめいたワンピースのそれは、沙紀の姉が命のためにデザインしたオーダーメイドだ。白い清楚なそれは、命の黒髪をよく引き立てていた。


「沙紀さんは着替えないの?」

「そうね、あたしも着替えてくるわ」


 命に何か言われる前に、さっさと部屋を出る。廊下を進んでいくと、階段を挟んで隣に沙紀の部屋がある。命の部屋が広いため、隣の部屋に行くのも距離があるのだ。

 一週間前に移ったばかりのこの部屋は、ほぼ荷物を置いて寝るだけの部屋になるだろう。これからは四六時中命の近くに居る、世話係なのだから。


 さっとシャワーで汗を流し髪を乾かして出ると、時刻は七時。もうすぐ宴会が始まる。急いである程度相応しい服を着て、桜の間へ向かう。

 ノックをして中へ入ると、彼女が何かを見ていた。うつむいているようにも見えたが、それは違うと沙紀は彼女の背中を凝視する。


 一歩近づくと、彼女が何をしているのかわかった。写真を見ていたのだ。先ほど沙紀が整理した、命の家族写真。

 神楽家当主一家全員が、笑顔でVサインを決めている。それは暖かな写真。


 沙紀は、何も声をかけることができずに、ただ小さな背中をみつめる。

 寂しく思わないはずがないのだ。あまりにも普通にしているので分かりにくいが、平気でいられるはずがない。


 神楽家がまだ十六にもならない娘を嫁に出したのは、龍ヶ峰家からの多額の寄付を寄越したからだ。財政が傾きかけていた神楽家に援助をし、元に戻ったところでこの縁談だ。神楽家に断れるはずもない。脅しにも似た求婚…。それを黙って受け入れる彼女は、とても強いと思う。

 聞いた話では、命は話を聞かされた時、当主に『ごめんなさい』と呟いて、微笑んだらしい。ここに来る道中も、決して寂しそうにはしないが、心から楽しいと笑うことはなかった。


 沙紀は思考を振り払うように首を振り、わざと足音をたてて命に近づいた。何してるの、と訊ねると、思い出にふれてるんだよ、と答えた。


「みんなと一緒にいた思い出は楽しいことばかりで、思い出すと、つらい」


 堪えるように唇を噛み、最後に一撫でしてからばっと顔を上げた。微笑む沙紀に、命は無理やり口角を上げた。ぎこちない笑みは、汚い大人たちの愛想笑いよりも綺麗だった。


「行くの?」

「その前に、髪と靴をね」


 ウインクを投げると、命は黒髪を撫でながら、不思議なものを見るように沙紀の手に持たれたヘアアイロンを眺めた。


命のお部屋は憧れです。

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