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龍の花嫁  作者: おはなし
第一章 嫁入り
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思慕

1ヶ月は免れましたよ!!

「命様、お迎えに上がりました」


 空がすっかり暗くなり、今日も夕食を泰澄を含めた四人で食べ、それぞれ各部屋に戻って1時間ほど経った頃、彼は桜の間に現れ命を迎えに来た。

 沙紀は顔を歪めながらも、しぶしぶ命を送り出そうとした。その様子に命と泰澄は驚く。


「一体何の真似だ? あれほど拒否していたというのに」

「あたしが今日に限ってこうするのは、あいつにそれほどの甲斐性がないと判断したからよ」


 泰澄と正面から堂々と向き合い、自信満々に自分の見解を語る沙紀に、彼は鷹揚に頷いてみせる。


「否定はしない」

「対して命にはそういう知識が無い。安全でしょ?」

「さて、どうだろうな」


 含みを持たせたように笑う泰澄に顔を顰めて憮然とした沙紀に見送られ、ここ3日、三食と寝部屋を共にしている当主の元へ導かれる。

 渡り廊下を渡り、階段を昇り、長い廊下を歩く。今のところ彼の部屋への行き方を覚えられていない。曲がり角が多いのも難点だ。どうしてこう、複雑な造りをしているのだろう。


 泰澄はあまり喋ろうとしない命を気遣ってか、目的地までの長い距離を歩く間、よく話を振ってくれた。


「当主はどうですか?」

「どう、とは」

「そうですね、好感は持てますか」

「好きですよ」


 すぐに答えた命に泰澄は苦笑した。命は、照れるようでもなく、当然のことのように微笑み告げる。

 そういうことではないのだが、この現状を変えるべきは本人なので、彼は助言を避けた。彼女の心は、彼自身の手で得てもらわなければ困る、と。

 しかし、泰澄にも好奇心とうものは少なからずあるわけで、結局話に踏み込んでしまう。


「ちなみに、どのようなところが」

「優しいです」

「他には」

「とても力持ちで、羨ましいです。あ、あと、外国語が堪能ですごいなあと思います! こんなわたしを気遣ってくれたり、注意してくれたり…」

「……」

「あと、い、いけめんで……」


 泰澄の反応が薄いことに不安になったのか、命の足が止まる。それに気付き命を振り返り、にっこりと微笑んだ彼は「命様は悪くありませんよ」と言った。

 そしてまた当主の元へ彼女を送り届けようと歩き出すのだが、小さく呟く声を拾うものはいない。


「沙紀の言う通りだったか……」


 *****


 部屋に入ることを許された命は、当主に促されリビングに向かった。

 その当主はと言えば、扉口で泰澄に捕まって真剣に話をされている。当主も神妙な顔で聞いていたが、何の話だろうと首を傾げる。


 一人部屋とは思えない大きな部屋には何度来ても驚くが、リビングのいつもは何も無いテーブルの上に何かの資料が山積みになっていたことにも驚いた。丁寧にファイリングされた紙資料や、指南本らしきものまで。


 仕事関係だとすると見るのもはばかられて、それを意図的に避けて、ここ数日見慣れた洋室の部屋を見回した。

 やはりモノトーンな部屋には、必要最低限の家具が置いてあるだけで、殆ど物がないと言っていい。

 当主がそれでいいならいいんじゃないかと思いもするが、本当にモデルルームみたいな部屋である。しかし、あの山積みの資料が、モデルルームには不似合いだが。


 バタン、とドアの閉まる音がして、険しい顔をした当主がリビングに現れた。彼は何をするでもなく立ち尽くす命を一瞥する。そのままスルーしてソファに座ったかと思うと、命を見ていつかのように隣のスペースを叩いた。

 彼女はきょとんとしながらも、てくてくと歩いて彼の隣にちょこんと座った。最後には、これでどうだ、と自慢げに笑みを浮かべて。


「姫、学校に行きたいんだったな」

 唐突にそう尋ねてきた当主に、戸惑いながらも頷く。

「は、はい。できるなら…」

「この間渡した資料の中で、気に入ったのはあったか」


 そう言われて、先日のことを思い出した。

 そうだそうだ、前もこんな感じで隣に座ってた。そして近隣の学校をまとめた資料を渡されて、眠るまで読みふけってたんだった。

 そのときの資料は、その日のうちに泰澄から届けられ、今は命の部屋にある。


「市立の、聖マリア中学校というところが気になりました。あの、もし通えるのが高校からなら、また考えさせて欲しいんですけど……」


 恐る恐る自分の要望を口にすると、彼はなるほど、とひとつ呟いて目の前の資料(の山)から1冊の彼女ファイルを丁寧に抜き取った。すごい、ジェンガとか目じゃない。


「読んでおけ」

「は、え、あ、はい」


 受け取ると、やはり彼は一仕事終えたみたいに満足げに息を吐き、テレビのリモコンを手に取り電源を入れた。

 流れていたのはバラエティー番組だった。それを見て、そういえば、と命が呟く。


「沙紀さんも、つまらなそうな顔でバラエティー番組を観てました」

「あいつと一緒にするな…」

「え、でも」

「俺と沙紀は違う」


 そんなことは知っている。

 分かりきったことを力を込めて宣言してくる当主に戸惑う。嫌だったのだろうか。


「いや、そういうことじゃない」

「え、」

 まさか声に出していたのかと慌てる。しかし当主は首を振った。

「顔でわかる」

「……」

 命はあまり嬉しくなかった。


 当主は苦笑して、やかましかったテレビを切った。部屋に沈黙が流れる。


「逃げるなよ、姫」

「逃げる、とは?」

「俺から、龍ヶ峰家から、逃げるなと言った」


 何の話だろうと首を傾げる。

 当主の目は至って真剣で、分からずともいいから聞いてくれ、とでも言っているようだ。


「お前はこれから、いろいろなものを背負うだろう。逃げようとしても、逃がしてやれない世界に来る。だから今のうちに決めろ」

「逃げる気なんてありません。わたしはもう受け入れたので」


 彼女は、大人びた顔で微笑んだ。無理をしているようではない。虚勢を張っているわけでもない。ただそこに有るだけ。


「わたしは、あなたに出会ったときから、ああわたしはこの人とともに有るのだと、気づきました」


 それは彼も同じだった。初めて会った瞬間に気づいた。


「わたしは、運命に身を任せて生きていくと既に誓った身であるが故に、波の行方には逆らえません。あなたとともにあることを神が許すのなら。あなたが許してくれるのなら、わたしをあなたの傍に置いてください」


 その美しくも儚い笑みに魅了される。

 彼女がさだめを筋と受け入れるのなら、自分は何をすべきかもわかった。


「ああ、置いてやってもいい」


 命は、可愛らしく破顔した。


 *****


 安らかに、緩やかに眠りへと誘われた命は、結局ソファで寝てしまった。その彼女をベッドへと運び、暖かい毛布を掛ける。


 やがて寝息が深くなり、目覚めの気配が遥か彼方へ遠ざかる。あどけない寝顔に頬を緩め、染められた黒髪を一房手に取り弄ぶ。

 身じろぎひとつしない彼女は、まるで息をする人形のようで美しい。完成された美貌とは、この世にないものだと認識していたが、それは改めなければならないようだ。


 しかし、彼らを取り巻く事態は止まらない。


「守護者―――青い龍、百の虎、赤い雀、黒い蛇、雷の獣…」


 ひとつひとつ挙げていく声に淀みはなく、濁らない。

 まるで昔話を語るように。














 待っていた。待っていた。待っていた。



 ならば、まだ待てる。




 いや、私はもう待てない。





波乱の幕開け。

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