懇願
長めでございます。
沙紀が一人で向かった場所は、周りに近代的な建物ばかりが立ち並ぶ都会の中にある屋敷だった。
龍ヶ峰家本邸には及ばないながら、地元でも噴水屋敷と評判だ。敷地内に、三つも贅を尽くした馬鹿でかい噴水があるというのだから呆れる。
割とあっさり中まで通されたことにほっとし、案内してくれている使用人に、あくまで世間話として問いかけた。
「天様は渋っていらっしゃるようです。まだ家の問題も解決していないのに、そんなことはできないと…」
「それで、専務サマは?」
「認めておりますよ。旦那様は天様を大変愛していらっしゃるので」
「ああ…」
嫁のわがままを愛しげに受け入れる彼の姿が、はっきりと目に浮かぶようだ。
それでこの先やっていけるのだろうか。余計なお世話とは思いながらも、一応気遣う。龍ヶ峰と高良は、決して密なわけではないが、全く関係がないというわけでもない、微妙な関係なのだ。
しかし、高良コーポレーションの専務取締役である高良優尖は、龍ヶ峰家当主である響とはプライベートにおいてだけ、親密な関係にある。
というのも、二人して神楽家という同じ家の女性を欲していたから、という不純な理由だ。
相手は違えど、敵は同じ。馬鹿馬鹿しい協力体制を維持し続けていた彼らはやっと最近、報われた。
おめでとう、と素直に賞賛できない理由は、沙紀自身、男二人を好ましく思っていないからか。狙われた二人の姉妹には、涙ながら同情を禁じ得ない。よく耐えているものだ。
やがてたどり着いたのは、屋敷の奥にある小広間だった。縦に長いその空間は、まるで大昔の謁見室。高貴な人との間に隔たるやたら長く何もない空間の向こうには、すでに人の気配があった。
彼女は着物を着ていた。長い黒髪と同じ黒。上品に白い花も飾られているので喪服には見えないが、体を弛緩させている姿から覇気は感じない。けだるげに真っ白なソファに身を預ける彼女は、美しかった。
「初めまして。龍ヶ峰沙紀と申します」
自己紹介に彼女は眉をぴくりと動かしただけで、目立った反応はない。
それでもめげず、声をかける。
「神楽天様でいらっしゃいますね?」
念を押すような問い掛けに、神楽天は頷かなかったし、首を振りもしなかった。
「天様」
さて、ここまで来たら根気勝負だ。
沙紀が諦めるのが先か、天が呆れるのが先か。
幾度か名を呼び、反応が欠片もないことにため息を吐き、そして遂に最終手段に出た。
違う、諦めたわけじゃない。負けたわけじゃないからね―――!!
「命さっ」
そしてやっと返された返事(?)に、気付かれないよう、そっと安堵の息を吐く。よかった。一応意識はあるみたいだ。
勝手に死にかけている人扱いされていたのにも関わらず、彼女の眼差しは射るようだ。先程までが嘘のように。
「あなたに聞きたいことがあるの」
「龍ヶ峰の人間に、話すことなどないわ」
にべもなく拒絶されても、沙紀が怯むことはない。逆に生き生きとしだす。普通と違う行動をするのは、彼女の得意技だ。
そして沙紀は、わざわざここまで来た目的を成し遂げようと口を開く。
「神呼の儀式について、教えてもらいたいの」
天は一瞬驚いた顔をして、瞬時に鼻白んだ。
「龍ヶ峰の人間が来て、何の用かと思ったら…」
「教えて。命の為になることよ」
「信用できない。いえ、しないわ。何百人がそう言ったと思うの?」
わかるものか。神楽家と龍ヶ峰家は違う。
「あるとき神は言った。『花を散らせ。姫はまだ、迎えし刻を迎えてはいない――』と」
「……どういう意味?」
「『天界の花が咲いた。もうすぐ散るだろう。神呼の姫はまだ、満開の時を迎えていない。散らしてはいけない』」
詠うように語る天が、嘘のように饒舌で驚く。神の話が始まると生き生きとしだす。その表情は命と一緒だ。
「命は、まだ外に出してはいけなかったのよ。時期尚早だったんだわ。――この神詞を受けたのが三日前。その次の日、命に何があった?」
三日前の次の日、つまり昨日。昨日命に何があったかなど、考えなくても思い出せる。
沙紀の瞳が揺らいだことに気付いた天は、すっと表情を険しくした。やはり何かあったのだと。
「やはり駄目だったんだわ。命はまだ外に出るべきではなかった。近々お父様が使いを出すでしょう。命を連れ戻しに」
「……っ」
そうだ。わかっていた。神楽命は神楽家の宝で、龍ヶ峰家に嫁入りに来たのは、決して彼女の本意ではなかったのだと。
“神呼”の力は、神楽家の至宝だ。神呼があるから神楽家は存在できるし、神楽があるから現世は在ることができる。
神呼を降ろしてその言葉を聞くことができるのは、神楽家直系の女だけ。それでも一度神を降ろすと著しく体力も消耗するし、供物や下準備もいちいち大変だ。
しかしそんな中、百年以上振りに現れた、“神楽命”という存在。
彼女の神呼には供物も下準備もいらない。ただ清潔でいればいい。彼女は神と会話もでき、一方的に話を聞かされるだけの普通の神呼とは青天の霹靂だった。
そのことを、命は知らない。実感できていないのかも知れない。だからああまで素直でいられるのかも知れない。
当主には、その素直さが、愛しいのだろう。
神呼となると全く専門外だ。その詳しい方法は秘匿とされているし、特異な命の神呼を一度目にしただけで、全貌がわかるわけではない。
だから、こうやって教えを請いにきたのだ。命の力となるために。
やがてその決意を認めたように、天は渋々、ゆっくりと頷いた。
「……いいわ。特別に、神呼について教えましょう。…あなたは本当に、心から、命を思っているようだから」
このとき命は地下で慰めてもらっていたりします。




