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龍の花嫁  作者: おはなし
第一章 嫁入り
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旅立ち

『娘を嫁に寄越せ』


 との書文を受け取ったのが二日前。神楽家当主は悩んでいた。


 机に向かいながら、頭を抱えるしかないこの状況に辟易していた。

 書文への返答は二日以内に返すのが礼儀である。つまりあと一日で決めなければならない。


 三人の娘のうち、誰を嫁に出すのかを。


 当主は妻との間に、三人の子をもうけた。全員が女の子であったことを、これほど悲しいと思ったことはないだろう。

 長女はもう成人を迎え、働きに出ている。今更呼び戻して「嫁に行け」、など気の弱い彼には言えたものではなかった。

 なら次女は。彼女は十八で、もうすでに結婚を前提に好き合う恋人がいるという。しっかり挨拶もされ忠告もされた。

 そうすると三女しかいない。だが、あの子はまだ結婚できる年ではない。それに神楽家には欠かせない存在だ。嫁に出すことはできない。


 このような思案を何度も繰り返し、何度も頭を抱える。いっそはね除けてしまえ、と考えたこともあったが、それはできない相談だった。

 と、そんなときだ。また新たな書文が彼に届いたのは。差出人は同じ。もしや、と希望を持ったが、それはすっかり打ち破られる。


『嫁には、"神呼(かみよばい)の姫"を寄越せ』


 もう、彼は崖の上に追い詰められたようだ。



 *****



 トランクに詰めたのは、本と移動中の服に写真だけだった。持参金も要らないという。思い出と宝物だけを持って、彼女は一人、嫁入りする。


 見送りには、家族全員が来てくれた。もう家を出ていた姉も、いつも忙しい父も。一人一人と、短い言葉と固い抱擁を交わした。

誰もが悲しげな、同情するような目を向けていたが、彼女は微笑みを絶やさなかった。それが余計に涙をそそる。


 相手側から手配された黒塗りのリムジンに乗り込むと、その柔らかな座り心地に驚く。何もかもが一級品。やはり逆らえない相手だ、と改めて実感する。

 開けた窓から手を振って、生まれ育った家と暖かな家族に別れを告げた。


「いい家族ね」


 窓を閉じてシートに座り直すと、運転席の女性が言った。黒髪の凛々しい女性だ。この広い車の中には、彼女と二人しかいない。

 若干の気まずさを感じながらも、心からお礼を言った。本当に自慢の家族だったのだ。


「あたしは龍ヶ峰(りゅうがみね)沙紀。これからあなたの世話係になるわ。二十二歳独身。よろしくね」


 陽気な女性だ。どこか家族と似ていると思ったら人見知りが抜けたのか、凪いだ気持ちで名乗る。


神楽(かぐら)(みこと)です。十五歳です。ど、独身です」

「うん、知ってるー」


 あはは、と明るく笑って、沙紀は慣れた様子でハンドルを切りカーブを曲がると、また言葉を続けた。


「龍ヶ峰の本家には三日くらいで着くからね。その間は家が経営しているホテルや旅館を転々としながら、この車で移動するの。道中で昼ごはんとかは買ったりするけど、お腹が空いたら遠慮なく言ってね。いざとなればコンビニ弁当とかもあるし」


 三日もかかるのか、と命は感嘆した。今まで、長くても車で二時間の場所にしか言ったことがなかったのだ。電車にさえ乗ったことがない。


「あたしの自慢は安全運転しかないから、事故とかの心配はしなくていいわよ。そこのところは保証できるわ」


 話す間も、車窓から見える風景は、のどかな田園風景から住宅街へと変わっていく。

 目まぐるしいとはこのことだ。


「龍ヶ峰家の当主さまは、どのような方ですか?」


 ふと、近い将来自分の将来の伴侶となる人について訊ねてみた。窓の外を見ながら、少しの希望を滲ませて。


「頑固・冷徹・無慈悲の三拍子がお似合いの人よ。あたしとは気が合わないのよね。ていうか敬語やめてね」


 でも、と返すと、彼女は笑いながら「疲れるわよ、あたしが」と言うので、それはやめることにした。


「龍ヶ峰っていうのは、結局のところあの人によって成り立っているのよ。一代で五十年分の信頼を築いたんだから、やり手よ一応」


 ただ、と。


「冷酷非情」


 命が喉を鳴らした。情緒たっぷりに言うものだから、聞く方も寒気を感じてしまう。


 沙紀はそれっきり何も言わなくなってしまった。黙って運転をする。

「はあ……」

 ため息をこぼすと、ミラー越しに沙紀が微笑んでいるのが見えた。




 あっという間に夜になり、沙紀が車を停めたのは豪勢な旅館だった。和風な佇まいから感じる、高貴な雰囲気。命は腰が引けた。


「さ、沙紀さん。私お金持ってないよ……」


 気まずい心持ちで進言すると、沙紀は豪快に笑って、いいからいいからと命の背中を押した。


 そのまま前を歩かされ、入口の扉に近付くほど心音が高鳴る。

 見たところ、沙紀も財布を持っていない。もし持っていたとしたら、その服のどこに隠していたんだ、という話になる。


「本気…?」

「本気本気」


 彼女が扉を押し開け、とうとう来てしまったと瞼を強く閉じる。こうなったら、赤っ恥覚悟で沙紀に付いて行くしかないのだ。


 覚悟を決めると早かった。

 沙紀の後ろに隠れ、苦笑する彼女とともに中へ入る。すると、想像よりも明るい光に包まれて驚いた。


「いらっしゃいませ、命様、沙紀様」


 和服の従業員たちが、一様に頭を下げ、歓迎の言葉を口にした。

 呆気にとられる命をよそに、沙紀は予約二名、と呑気に告げている。そんな真逆の反応をする彼女たちに、他とは比べ物にならない風格のある女性が近付いてきた。


「いらっしゃいませ。女将の龍ヶ峰花枝と申します。本日は一泊のご予定でよろしいでしょうか?」

「龍ヶ峰……」

「言ったじゃない。龍ヶ峰経営の旅館を転々とするって」


 確かに言っていたが、ここまでとは聞いていない。従業員全員で迎えられるなどと、誰が想像していたか。当主に嫁入りするというだけなのに、どこか大袈裟に感じられる。


「では、お部屋にご案内致します」


 楚々と歩く女将に付いて行く。

 板張りの廊下は綺麗に磨かれ、歩く度に軋んだりしない。


「こちらです」


 案内されたのは、ひどく広い部屋だった。こんな部屋に一人では落ち着かない。すがるように沙紀を見つめると、彼女は同じ部屋だよ、と笑った。


 促されるままに部屋に入ると、張り詰めていたものが崩れる。旅館を見たときからあった気疲れが、今一息に襲ってきたようだった。


「夕食は七時ね。まだ時間あるし、温泉にでも行こうか?」

「部屋のお風呂に入るから、沙紀さんは温泉に行って」

「そう?じゃあ遠慮なく」


 言うや否や、備え付けの浴衣を持って、すぐさま温泉へ行ってしまった。命も遅れを取り戻すかのように、浴衣を取って浴室に入る。


 しっかり隅々まで体を洗って、浴衣を着て和室に戻る。沙紀はまだ戻ってきていないようだ。夕飯になるまでに戻ってくるかも怪しい。


 座布団に座った。瞼を閉じて、今日1日に起こったことを思い起こす。生家を出て、沙紀に会い、今は龍ヶ峰家の経営する旅館にいる。果たして、どれくらい近づいたのだろうか。


 テーブルにもたれて、ただ時間が過ぎるのを待っていた。







長いでしょうか?

大丈夫だと信じてます!!

ごめんなさい!


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