微睡みの朝
微睡みの中、うっすらと目を開けると、白が飛び込んできた。
毛布とシーツと枕の白。そしてラベンダーの香り。
気持ちよさに目を細め、また眠りにつこうとすると、声が聞こえてきた。
「…うるさい。いるって言ってるだろ。……あ? 何もしてない。もういいだろ。切るぞ」
聞いた覚えのある声だ。誰だろう、と醒めきらないまま考えていると、ベットが揺れた。
声の主が座ったらしい。
短い舌打ちが聞こえ、次の瞬間、頬を何かが撫でる感触。
――手?
それは頬を撫でると髪を撫で、遊ぶように少女に触れている。だがそれも気持ちよく、また眠りへと誘われる。
「み……、こと」
微睡む意識の中、名を呼ばれて返事をする。
「命」
指先が頬を撫でる。
まるで慈しむように撫でる手に、ゆっくりとゆっくりと。
「命」
*****
龍ヶ峰 響は、基本的に遅寝早起の男である。
それは、減ることを知らない仕事量と、幼少期から抜けきらない早起きの癖から起因するものだ。
具体的な睡眠時間は約3時間。よく体が保つものだと関心さえしてしまう。
それが前夜、彼にとっては異常ともいえる時間、深い眠りの中にあったのだ。
時計を確認した瞬間、衝撃に襲われたのを覚えている。
それは彼女によるものだ、と彼は目の開けきらない少女を見て思った。
ベットに腰掛け、起き上がる彼女を見ながら、平然とした様子で手を引っ込める。
青年を視認した彼女は、うっすらと微笑みながら訊ねてきた。
「あの…、ここどこです?」
寝ぼけている。
小首を傾げる仕草が可愛らしく、彼はたまらず目を背けた。
「いま何時ですか?」
「九時」
それで目覚めたのか、びっくりした様子で辺りを見回し始める。
そして掛けてあったアナログ時計に目を留め、今度こそ飛び上がった。
「ち、遅刻! どうしよう…」
慌ててベットから降りようとして、ぴたりと動きを止める。
ゆっくりと顔を上げ、彼の姿を認めると真っ赤になって固まった。
ぱくぱくと口を開閉するが、言葉にならない。
響はニヤリと口角を上げた。
「学校に行きたいのか?」
「……ぃぇ」
縮こまって答える。
毛布で真っ赤な顔を隠して、彼を見上げる。
状況が全くわかっていない彼女は、思考を立て直そうと、意を決して毛布から顔を出した。
傍にあったのは秀麗な顔。見覚えのある青年だった。
誰だろうと考えて、すぐに龍ヶ峰 響だと思い当たる。つまり当主だ。
――そういえば、昨日は廊下で寝て。
朝起きたらここにいた。一体何故。
謎を謎のまま、辺りを見回す。
シンプルにまとめられた部屋だ。ベットと掛け時計、あとは本の束しかない。
何処なのだろう。
生じた二つの疑問を解決するには、彼に聞くしかないだろう、と横を向く。
「あの、私、どうやってここに…」
夢遊病ではなかったはずなんですけど、と繋げる。
「俺が運んだ」
「え…、なんで…」
彼は顔をひきつらせ、言葉を探すように視線をさまよわせる。
じっと待つと、やがてひとつだけ嘆息して告げた。
「暇だったから」
「……(え、暇だったから?)」
納得が難しくてもう一度訊ねようとしたが、彼が固く口を閉ざしているのを見て、それ以上追求するのは諦めたようだ。
そこで次の疑問をぶつけてきた。
「どこですか? ここ…」
今更愚問な気がしたが、彼は素直に答える。
「俺の部屋。厳密に言えば寝室」
「ああ、なるほ……ど?」
首を傾げて疑問符を浮かべる。
やがて何に思い至ったのか、納得したように表情を明るくした。
「優しいですね、当主様」
目を細め、柔らかい笑みを浮かべて告げる。ふわりと、花の香りが漂ってくるような、暖かい微笑み。
彼は目を見開いた。何故だか、懐かしいと思った。
彼がいつも目にするのは、内に貪欲な欲望を抱えた汚れた笑みだ。それは吐き気がするような。
求めるように手を伸ばし、彼女の肩に手を乗せた。そのまま吸い込まれるように顔を寄せる。
驚く暇もないまま、額に感じる、柔らかな感触。
命はその意味を理解した瞬間、弾かれたように後方に跳んだ。
そう、それは文字通り。彼女はベットの上で座っていたのだ。跳んだとなれば、行き着く先は床しかない。
衝撃を覚悟して目をつぶる。
「い、たくない……?」
うつぶせで転がった命は、固い床があるはずの場所に、細い顎と薄い唇を見つけて、意味が分からず眉根を寄せた。
そこから顔を上げ、声も上げれずに驚いた。
そこに、あるはずがない顔を見たからだ。
「……」
無言で見つめてくる。
龍ヶ峰 響が、命の下敷きになって床に転がっている。
「す、すみませんっ」
真っ赤になって跳ね起きる。同時に後頭部がベットの枠に当たり悶絶する。
二次被害を被った命を、呆れた眼差しで一瞥した彼は、もうぶつからないようにと手を引いて彼女を立たせた。
「ありがとうございます、当主様…」
「ああ」
おずおずと差し出した手を、大きい手の平が包み込む。
その体温が冷たくて、とても驚いた。
そのまま部屋を出て、目の前に広がるのはリビング。
モノトーンで、物がひたすらにない。
そして丸テーブルには、達筆な字で書かれたメモ用紙が置かれていた。
飛ばされないように、と乗せられていたおもしからメモを抜き取って、その内容を一瞥すると命に手渡す。
読め、ということらしい。
『朝食は本館の“薊の間”で。泰澄』
「あざみの間…」
聞いたことがない。辿り着くのは無理だろう、と思って響を見上げる。
彼は驚いた顔をして、命を見下ろしていた。
「読めたのか」
漢字の話だ。
一応、命は漢字検定の二級を所有している。
縁談が来るまでは、書庫に籠もりひたすら本を読んでいたからか、読み書きについては上々の成績を得ていた。
彼の台詞を褒め言葉と思い、密かに喜ぶ。
「行くぞ」
いちゃいちゃしないで!(≧◇≦)




