呼び出し
危ない危ない。
サボるところでした(;´Д`)
「み、こと…」
彼女は真っ白な瞳を細め、沙紀に微笑みかけて見せた。
その笑顔は確かに命のもので、彼女はあの子なのだと認めるしかなかった。
「マリアナ」
静かに告げると、命の背後にいる神が頷き、ふっと姿を消した。あまりにも突然の消失。
途端に辺りが闇に包まれ、驚く暇もなく元に戻った。そう、それはなんの痕跡もなく。
命の髪は漆黒に戻り、神も消え、宴会場は笑いと話し声に満たされていて、“神呼”が本当に行われたかも疑わしい。
蒼然とする二人に、命は虚空を見ながら告げた。
「マリアナは、幻覚の神です」
「なら、あれは幻覚…?」
彼女は首を振る。
「あれは本物。この会場の人たちに、私たちが普通に食事をしている幻覚を見せたんだよ」
「術にかけられたのは彼ら、か」
響は落ち着いた様子で酒を口に含んだ。そして、おもしろい、とつぶやく。
「やはりそうか、」
「は? 何がよ」
二人は疑問符を浮かべ、何か確信を得たような笑みを浮かべる彼を見た。
しかし彼は何も語らず、勝手に食事を再開する。命と沙紀は顔を見合わせたあと、渇いたのどを潤わせた。
何事もなかったかのように宴会が催され、静かに終わりを迎えたのだった。
*****
「命、泰澄が呼んでる」
「う? なんで?」
わかんない、と首を横に振る。
曲がっていたワンピースの裾をなおして、燕尾服の泰澄に駆け寄る。
片付けの指示を出していた彼は、命を認めるとテーブルクロスを置いて向き直った。
「お疲れ様でした。命様」
「お、おつかれさまでした」
命に頷きかけ、彼女の後ろにいた沙紀にも労いの言葉をかける。
「沙紀も、お疲れだったな」
「本当よ。次からあたしにあいつの給仕させないでよね」
命は思い出してまた震えた。
臨場感溢れる彼女の切り分けももちろんだが、彼女たちの言い争いも挟まれている命としては、よく耐えたものだと思えるものだった。できればもう二度と味わいたくない。
泰澄は笑い、命に視線を戻す。
「当主がお呼びです。今夜、“紫陽花の間”にお越しいただきますよう」
「ちょっ!? あたしが認めないわよ! 絶対連れて行かないから!!」
「当主命令だ」
ぐっと言葉に詰まる沙紀。
彼女は一体何を反対しているのだろうか、と命が本気で悩んでいると、よろしいですか、と声がしてとっさに肯定する。
「ありがとうございます。では」
お辞儀して去っていく背中を見送り、片付けが始まった宴会場を急いで出る。
沙紀が叫んだのはその後だ。
「駄目!! 行っちゃ駄目!!」
「な、なんで…」
「汚されるわ! 無垢な命が……!!」
意味が理解できない命に、なおも彼女は言葉を並べ立てる。
ただし命には何の理解もできなかったが。
そうこうしているうちに"桜の間"へ着き、命は手早く部屋着に着替えた。
髪もほどき、未だぶつぶつこぼす沙紀にブラシを入れてもらう。
「そういえば、"神呼"のとき、命の髪って白くなったわよね。それどういう原理?」
「ああ、えーとね」
居住まいをただし、沙紀に向き直ると、彼女は自分の髪を撫でながら、呟くように告げた。
「染めてるんだ、黒に。だから本当は白なんだよ。"神呼"のときは一時的に元に戻るんだけど」
「何で染めてるの?」
あんな見事な髪を染めるのももったいない。
沙紀は命を真っ直ぐ見つめ、答えを待った。
「アポロンがね、そうしたほうがいいって言って」
「アポロンって、ギリシャ神話の太陽の神?」
「うん、そうだよ。アポロンは占いが得意で、未来が詠めるんだって。だから、アポロンの言う通り髪を染めて、カラーコンタクトもして…」
普通の人を装った。
彼女は苦笑とともに、ばれちゃったけど、と言った。
「まさか知ってる人がいるとは思わなかったからね。父様も言っていたけど」
「ああ、まあ…。家の当主は特殊だからね。大体の人間は知らないから大丈夫よ。あたしも知らなかったし」
「あ、当主様といえば、呼ばれてるんだった。行かないと……」
思い出して立ち上がると、命は厚手のカーディガンを羽織って沙紀を見た。
一緒に行こうよ、という意味を込めて。
「イヤ。あたし行かない。あいつも命一人宛てに出した伝言だろうし、あたしが行っても追い出されるだけよ」
「わかった。じゃあ、少し行ってくるね」
にっこりと笑みを浮かべ、部屋に残る沙紀に手を振りながら自室を出た。
果てしなく悪い予感がするのだが、考えないように足を一歩踏み出す。
記憶を頼りに渡り廊下を目指し、階段の昇り降りを繰り返し、気づけば時刻は午後十時。いつもらなばとっくに眠っている時間である。
くっつきそうになる瞼を気力で持ち上げ、意地でも眠らないようにする。
何故なら、この状況で眠ってしまえば、きっと今夜中には部屋に帰れないという自信があった。…自慢にはならないが。
見慣れない廊下を歩くのは孤独感があり、辿り着けなかったらどうしょう、という不安感もある。
しっかり朧気な記憶を頼りに来たのだが、どうやら眠気で朧気な記憶がさらに朧気になっていたらしい。どうしようもない。
そもそも命は、当主の部屋の位置さえ知らないのだ。
辿り着こうというのが無謀だが、やはり眠気のせいで思考はそこまで行き着かない。
つまり、端的に言えば「…迷っちゃった」なのだ。
こうもあっさり自然に迷ってしまうとは思っていなかったのか、命はしゃがみ込んで頭を抱える。
――今日中に帰れなかったらどうしよう。
もちろんどうしようもない。
命は箱入りなのです。
まったくもう( ´Д`)=3




