第64話:バトラーの説得
バトラーは広い王城を一瞬で駆け抜け、主の部屋に飛び込む。
自分に対する重大な決議がなされている間、セレネはいつも通り昼寝をキメていた。
『姫! お休み中のところ申し訳ありません! 一大事でございます!』
「なに? おやつ?」
寝ぼけ眼を擦りながら、珍しく大騒ぎしているバトラーの声で、セレネは仕方なく半身を起こす。
一大事という事は、おやつの時間なのだろうか。
元々ボケているうえに寝ボケていて、しかも平和ボケしているセレネにとって、一大事とは普段あまり食べられない食事が出る事くらいだ。
『いえ、実は今、ミラノ王子達が謁見の間で会議を開いておりまして、ヒノエ殿やクマハチ殿も来られているのです』
「ほほう」
セレネは少し興味を惹かれた。
国外追放されたクマハチが帰ってきているのは、セレネとしては喜ばしかった。
汚いおっさん同盟として、クマハチとは友好的な関係だと思っているからだ。
クマハチは二十代だし、汚いおっさん同盟などと言われたら憤慨して訴訟されても文句は言えない。
ヒノエが来ているというのも確かに重大な情報だった。
セレネは地球ではなく、おっぱい星から転生してきたといえるほどのおっぱい星人だが、基本的に美少女なら誰でもウェルカムである。
アルエは当然として、マリーやシンニ、エルフのザナ……その他いろいろな美少女が大好きだが、大和撫子然としたヒノエもまた魅力的だった。要するに、人間の美少女の形をしていれば大体なんでもよかった。
「エンテ、おうじょは?」
『エンテ王女ですか? いえ、まだ来られていないようでございますが……』
「そっか……ざんねん」
『姫、なんとお優しい……』
クマハチとヒノエの来訪に喜ぶのはもちろんだが、エンテが居ない事を残念がる主の姿に、バトラーは深く感嘆した。
エンテ王女は自分を殺す計画に加担したというのに、追放された彼女が帰国しない事を嘆いている。なんと美しい心だろう。
なお、セレネは自分を殺そうとした首謀者をミラノだと未だに思い込んでいるので、単純に被害者のエンテがかわいそうに思っただけで、正反対だった。
「で、じゅうよう、なに?」
『はい。実はお二方が来られた理由が、姫も関わる事だからでございます』
「わたし?」
セレネは自分を指差す。あの二人が来るのはいいのだが、それが自分とどう関わってくるのかセレネのおつむではいまいち理解できなかった。刺身でも持ってきてくれたのだろうか。それならば重要だ。非常に重要である。
『実は……』
そこまで言って、バトラーは口ごもった。
セレネの婚姻。母親との和解。どちらもバトラーとしては非常に望んでいる事だ。
自分を救ってくれた主には、世界で一番幸福な姫になってほしい。だからこそ、バトラーはなかなか言い出せない。
婚姻はさておき、セレネの母親との確執はバトラーもよく知っている。
それゆえにバトラーは鼠の執事になれたのだが、バトラーにとっての幸運は、セレネの不幸の上に成り立っている。
しかし、最高の幸せを求めてもらうならば、やはりアイロネ女王とセレネには母娘の情愛を取り戻して欲しい。そう考え、バトラーはセレネに告げる。
『実は、姫は近々アークイラに旅立つことになるようです。あくまで一時的なものですが』
「なんで?」
『……それは、アイロネ女王とお会いするためでございますが。姫はやはりアークイラには出向きたくないと?』
「うん」
『左様でございますか……』
セレネが即答するが、バトラーは彼女の心を容易に理解できた。自分を散々虐げてきた母親が居る国に戻るなど、いくらセレネが優しい心を持っていてもつらいのだろう。
もちろんそんな事はなく、セレネが出向きたくないのは、単純にめんどくさいからである。
もう何年もヘリファルテで暮らしているし、こっちの方が美少女は多いし金もある、食べ物もうまい。
馬車に揺られると疲れる。疲れる事はしたくない。にんげんだもの。
それだけの理由だった。
容易に理解できたと思ったら、あまりにも幼稚すぎてバトラーには逆に理解不能だったようだ。
とはいえ、普段なら主の意向に極力従うバトラーも、今回は「はい」と引くわけにはいかない。
バトラーとしては、セレネがミラノと婚姻するに向けて、アイロネ女王の祝福はやはり得ておきたい。主の事を思い、バトラーは心を鬼にして説得を試みる。
『姫、アイロネ女王にお会いするのはおつらいかもしれませんが、これはどうしても必要な事なのです』
「なんで、おばさん、ひつよう?」
『ミラノ王子との婚姻のためでございます』
「なんやて!?」
それまで気だるげにベッドの上で聞いていたセレネが跳ね起きた。
バトラーは、よし、とガッツポーズを取りたい気持ちだった。
やはり、セレネにとって最愛の人であるミラノ王子との婚姻は衝撃的だったのだろう。
この勢いを殺さないよう、バトラーはそのまま流暢に言葉を紡いでいく。
「こ、こ、こんいん!?」
『その通りでございます。ミラノ王子はスムーズな婚姻を進めるため、アイロネ女王と話し合いをするつもりなのです』
「ね、ねえさま!?」
『もちろん、アルエ姫もご同行されます。マリーベル王女もです』
バトラーはセレネを安心させるよう、穏やかな笑みを浮かべながらセレネの近くに寄り添った。
セレネ一人で会いに行く訳ではない。ちゃんと理解者も付いていると説明するためだ。
「わかった! わたし、アークイラ、いく!」
『そうでございますか! それは何よりでございます。この私も微力ではありますが、姫のために全力を尽くさせていただきます』
「ありがと」
『はい!』
セレネの中に決意の炎が燃え上がるのをバトラーは感じ取った。
いくら聡明でもセレネはまだ幼い。自分を虐げた母親と会うのはさぞ怖いだろう。
その時に、少しでも力になれればいいと、バトラーもまた使命に燃え上がった。
(おのれぇ……!)
しかし、セレネの中で燃えていたのは憤怒の炎だった。
婚姻のためにアークイラへ行く。バトラーからしたら「セレネとミラノ」という大前提があったので、主語が抜けていた。
セレネからすれば、自分がミラノと結婚するなんて微粒子レベルですら存在しない選択肢なので、自然と「アルエとミラノ」に変換される。
あの野郎、とうとう最愛の姉に手を出し始めた。進撃の巨人が暴れ出した。
しかも、ご丁寧に海外からクマハチまで呼びよせる始末だ。
自分の盛大な結婚式を、モテないクマハチに見せつける魂胆なのだろう。
親族とはいえ自分まで呼び付けるとは、なんたる外道!
そうなると、ヒノエが呼ばれた理由も理解できた。
ヒノエに心を読む能力があった事は、物覚えの悪いセレネでも覚えている。
つまり、表面上「おめでとう」と言いつつも、内心で悔しがっている事が分かるのである。
それどころか、クマハチだけではなく自分もターゲットに入っている可能性がある。
『どうだ、お前の最愛の姉は私のものだ。悔しいか? 悔しいだろう? ハーッハッハッハ!』
などという最大の屈辱を味わわさせられるのだ。
そして残念だが、セレネはNTR属性は持ちあわせていなかった。
「バトラー、わたし、がんばる!」
『姫、応援しておりますぞ』
「うん!」
これはもう、なんとしてもミラノの野望を打ち砕くしかない。
自ら出陣し、アイロネ女王との会談をぶち壊し、あの悪逆王子からアルエを救うのだ。
セレネは明後日の方向へ全力で突っ走る決意に燃えていた。




