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夜伽の国の月光姫  作者: 青野海鳥
【第3部】セレネ、帰郷する

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第63話:役者は揃う

「君がヒノエか。噂には聞いていたが、遠路はるばる訪ねてきてくれるとは」


 予想外の来訪者にミラノは驚いた。

 マリーからヒノエの話は聞いていたが、ミラノがこうして会うのは初めてだ。


「いえ、セレネ様がお母様と上手くいっていないとお聞きしましたので、カゲトラ様が私にもできる事があるだろうと送りだしてくれたのです」


 ヒノエは遠方の王子であるミラノに対し、実に流暢(りゅうちょう)に挨拶をした。

 セレネだったら「どーも」で終わっていただろう。ドーモちゃんである。


「ヒノエは人の心が読めるのよ。どう? 今回連れていったらきっと役に立ってくれると思うのよ。兄さまもそう思うでしょ?」


 後ろで控えていたマリーが、ヒノエの両肩を後ろから抱きかかえるようにして自慢した。

 ヒノエは若干困惑しているようだが、嫌がってはいないようだ。


「今回は人の心の話だからな、表面上分からない事でも、彼女の力なら見通す事ができると打診をしてみたのだが、カゲトラ殿は快く承知してくれたのだ」


 玉座に座りこんでいたシュバーンが、マリーの言葉を補足するように話す。

 ヘリファルテの威光に恐れをなし、アイロネがセレネを猫かわいがりする可能性は充分にある。


 だが、それでは駄目なのだ。

 ミラノ達が望んでいるのは、セレネとアイロネの真の和解である。

 もっとも、セレネは別に望んではいないのだが。


「そうか。確かに君の協力はありがたい。しかし、君の能力は……」


 ミラノは非常に心強い協力者に感謝しつつ、ヒノエの能力を思い出し、表情を曇らせる。

 ヒノエは人の心を読む事ができる。厳密にいうと、他人の心や感情を色として見る事ができる。

 だが、それは彼女が望む望まないに関わらず、勝手に発動してしまうのだ。


 それゆえ、他人の顔色を(うかが)い、妙に勘のするどい奇妙な子と思われ、不遇の扱いを受けていた。セレネが奇妙な子と思われるのは残念でもないし当然として、こちらは同情されるべき奇妙な子だった。


 そんなヒノエをカゲトラが拾って保護し、その後、トラブルに巻き込まれるも、頭がおかしくなった事で正常化したセレネの活躍によって無事解決した。


「はっは、心配は無用でござるよ」

「その声は……!?」


 ヒノエが口を開く前に、一人の男性が、いつの間にかミラノの後ろに立っていた。

 ミラノと同じくらい背が高いが、彼に比べ全体的にがっしりとし、藍染(あいぞめ)の着物に身を包んだ男――東方の侍であり、ミラノの一番の理解者であるクマハチだ。


「いくら取り込み中とはいえ、こんな至近距離になるまで気付かないとは、王子、大分なまっているのではないでござるか?」

「王族の会話中に気配を殺しながら近づくな」


 ミラノは苦笑しながら軽口を叩く。こういった男友達の会話ができるのはミラノにとってクマハチしかいない。数年ぶりの親友との思わぬ対面に、両者とも破顔(はがん)する。


「久しぶりだな。元気そうで何よりだ」

「拙者もまた王子に会えて嬉しいでござるよ。といっても、今回は拙者はおまけでござるがな」


 そう言って、クマハチはヒノエの方を見た。

 普段は流刑中のエンテのお目付け役として派遣されているが、今回の件でヒノエの護衛役として付いてきたとの事だった。


「さて、おまけはこの辺りで引っ込むとして、ヒノエ殿」

「は、はい!」


 クマハチはゆるりとした動作でヒノエの後ろに回ると、彼女にミラノに話すよう促す。


「あ、あの。私などを心配していただき、本当にありがとうございます。でも、もう大丈夫なんです。二年間頑張ったお陰で、力をある程度制御できるようになったんです」

「制御? つまり、能力を垂れ流しにしなくても大丈夫になったという事かな?」

「はい。今では、その人の心を見たいときだけ力を入れると発動できるんです。前より集中力が必要だから、あまり連続では使えないんですけど」

「そうか……それは何よりだ」


 ミラノは安堵した。

 今回のセレネの件に使えそうだからではない。ヒノエという少女が苦しみから解放された事にだ。

 ミラノとヒノエに直接繋がりがある訳ではないが、苦しんでいる人間をなるべく見たくはない。


「あったりまえじゃない。私の選んだ友達が二年もあって成長しないわけないでしょ。ね、ヒノエ?」

「は、はい。エンテ様に色々教えていただいたのもあるんですけど」


 マリーにそう言われ、ヒノエはにこりと微笑んだ。

 この二年間、ヒノエは本当に頑張った。魔力保有者であるエンテからの協力も仰ぎ、ヒノエは自らを磨きあげたのだ。


 ヒノエだけではない。ミラノも、マリーも、クマハチも……皆が己を少しでも高められるよう日々精進している。この辺の関係者で唯一成長していないのはセレネくらいだろう。


「それに……久しぶりにセレネ様に会えるとなると、やはり頑張らねばという気持ちが湧いてきますから」

「君は確か、セレネの心を見た事があるんだったかな?」

「はい。二年前、初めてお会いした時の事は未だに覚えています。あの光り輝く高貴な魂。私とほとんど変わらない年頃なのに、澄み切った湖のような美しい心……」


 それは、偉大な芸術家が描いた絵画を見て、感動するのによく似ていた。

 ちなみにその魂の持ち主は、セレネの胸元で壁モンスターとなっていたバトラーのものである。


 セレネの心は、湖は湖でも霧の摩周湖(ましゅうこ)だ。

 一年の大半を霧に覆われ、脳内はマリモで埋め尽くされている。


「私も、マリー様やセレネ様のようになろうと努力を重ねてきました。ミラノ様、どうか私をアークイラへ連れていってください。アイロネ女王様の真の心を見抜くのに、きっとお役に立てると思うのです」


 そう言って、ヒノエはミラノに対し深々と頭を下げ、同時に綺麗な黒髪がさらりと下に垂れる。

 ミラノはすぐに近寄り、ヒノエに目線を合わせるように片膝をつく。


「ヒノエ……いや、ヒノエ殿。あなたのお気持ちとお力、実にありがたく思います。非力な僕にとって、あなたのご協力は、百万の兵士よりも頼りになるものです」

「い、いえ! そんなめっそうもない! ミラノ様にそんな言葉を掛けていただけるなんて……」

「ヒノエ殿は少し自分を過小評価しすぎでござるな。王子は腕も立つし頭も回るが、いかんせんまだ若輩者でござる。特に、人の心の機微には鈍感でござるからなぁ」

「言ってくれるな」


 クマハチが軽口を叩くが、ミラノにはそれすらも心地よかった。

 彼とこうしたやりとりをするのは本当に久しぶりなのだ。


「ヒノエ様、ご紹介が遅れましたが、私はセレネの姉、アルエと申します。このたびのご協力、妹に代わってお礼申し上げます」


 アルエがヒノエに対し謝辞を述べると、ヒノエは慌てた様子で両手を振る。


「そんな。私がやりたくてここまで来たのです。マリー様とセレネ様が敬愛するアルエ様に会えて、光栄に思います」


 ヒノエがそう言って笑うと、アルエも微笑み返す。


「よーし! これで役者は揃ったわね! それじゃ、ぱぱっとセレネとアイロネ女王を仲直りさせましょ!」

「何故、お前が仕切る」


 マリーがぱんぱん手を叩いて発破をかけるのをミラノが(たしな)めた。


「というか、マリーも来る気か?」

「当たり前じゃない。大体、セレネは私の妹分なんだから。私が行かないでどうするの」

「お前が来ても……まあ、大丈夫か」


 以前のマリーだったら即座に止めていたが、ミラノは今回、同行を許可した。

 まだ多少わがままさは残っているものの、最近のマリーには王女としての自覚が芽生えつつある。

 何より、大人だけで行くより、同年代のマリーもいた方がセレネの負担にならないだろうと考えたからだ。


「やったー! セレネの故郷、私見た事無いから楽しみ! ね、ヒノエ!」

「そ、そうですね。あの方の生まれた場所がどんな所なのか、気になります」


 セレネのためと言いつつ、若干観光気分な少女二人に、大人たちは多少呆れつつも好意的である。 


「さて、これであらかた役者は揃ったのだが、最後に……リュリュ」

「はいはーい」


 シュバーンが名を呼ぶと、アイビスが持っていた手鏡の中から、手のひらサイズの少女が突然現れた。

 ミラノ達は平然としていたが、クマハチとヒノエは仰天し、クマハチは刀の柄を握る。


「ちょっとぉ、そこのおじさん、私は悪い精霊じゃないわよ」

「お、おじさん……でござるか?」


 クマハチはミラノと年齢はほとんど変わらないのだが、外見で大分年上に見える。

 セレネなど、いまだにクマハチを同年代の冴えないおっさん仲間だと思っているくらいだ。


 クマハチとヒノエが困惑していると、リュリュは手鏡から飛び出し、空中でくるりと一回転し、セレネの姿になって着地した。これには二人も唖然とした。


「どう? 私って鏡だけあって、ものまねの才能があるのよね」


 そう言って、リュリュは得意げにセレネの着ている白のドレスの裾をつまみ、本人なら絶対にしないお姫様っぽい会釈をした。


「この子はマリーが買ってきた鏡に憑いていた精霊でな。悪霊ではないから住まわせているのだが、今回はセレネの代役になってもらおうと思ってな」

「ほら、私たちヘリファルテの王族がアークイラにいくなら理由はいくらでも思いつくけど、セレネちゃんが故郷に向かうと、色々と話題になっちゃうじゃない?」


 シュバーンとアイビスが交互に喋る。


 ミラノの婚姻はまだ確定ではないが、ミラノとセレネが二人でアークイラに向かえば、国民はもう婚姻は確実と思いこんでしまうだろう。その世論に押されてしまえば、アークイラの女王は首を縦に振るしかなくなる。


「というわけで、セレネはお忍びでアークイラに連れていく。その間、リュリュが影武者を務める」

「えー? リュリュにセレネの影武者なんかできるかなぁ?」


 マリーは懐疑的な視線をリュリュに向けると、セレネの姿をしたリュリュが頬を膨らませる。


「むー! 確かにあの子みたいに完璧にはできないかもしれないけど、ここにいる替え玉くらいにはなるでしょ」


 多分、セレネより、リュリュがお姫様になった方がよっぽどまともな状態になると思うのだが、悲しいかなそれは難しそうだった。


 こうして、後はセレネに日程を伝え、準備ができ次第、ミラノ達一行はアークイラへと向かう事になる。役者は全て揃ったのだ。


 ――いや、もう一人いた。


『これは一大事! 早く姫に伝えねば!』


 物陰から様子をうかがっていたバトラーは、主のもとへ全速力で駆けていった。

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