【番外編】クマハチのホームランダービー
※時系列的にはセレネ8歳で、ギィ達エルフが人間の国に来たばかりの頃です。
※タイトルのネタが分からない人は「クマのプーさんホームランダービー」で検索する事をおすすめします。
「なあ、お前って強いんだろ? 俺と勝負しようぜ?」
ヘリファルテ王宮の廊下で、一人の小柄なエルフの青年――ギィが、大柄な男――クマハチに詰め寄っていた。好戦的な笑みを浮かべるギィに対し、クマハチの方は困ったような表情を浮かべている。
「いや、そういう訳にはいかんでござるよ。拙者はあくまでエルフの特使殿の護衛役であって、怪我をさせるわけには……」
「何だよ? 俺がお前とやり合うと怪我するって言いたいのか?」
「ギィ殿の実力は王子から聞いているでござるが、そういう意味ではなく……」
クマハチは困り果てていた。夕方からセレネとミラノを交え、エルフと人間との大事な交渉があるというのに、肝心のエルフの族長ギィはクマハチと力比べがしたくて仕方ないらしい。
かといってそれに応じるわけにはいかないし、手加減を出来るような相手ではない。
「いいほうほう、ある」
「ん? おお、セレネ殿ではござらんか」
勝負を持ちかけてくるギィにどう対応したものかと思い悩んでいると、不意に後ろからセレネが姿を現した。この聡明な少女なら、何かいい知恵を貸してくれるかもしれない。
「やきう、しようぜ」
「焼き鵜? なんだそりゃ?」
セレネの提案した『やきう』なる単語に、ギィが首を傾げる。クマハチも同じような態度だ。そんな二人に対し、セレネはたどたどしい説明をする。
「ボール、なげて、うつ。うたれたら、まけ。うたれなきゃ、かち」
「ふぅむ……つまりスポーツの一環でござるか」
「そう」
それはもう野球じゃないのではという突っ込みをする人間はいなかった。しかし、真剣で殴り合いをするよりはずっと安全だし、何よりギィは乗り気だった。
「よっしゃ、やきうってのをやろうぜ!」
「まあ……とりあえずやってみるでござるか」
というわけで、クマハチとギィによるやきう勝負が始まった。ヘリファルテ王宮の中庭は充分過ぎる程の敷地があるので、その一角の開けた芝生の上で行われる。
「クマハチ、頑張れー!」
「あの馬鹿、人間の国に来てまで何やってんだか……」
少し離れた木陰には、日よけのためにつばの広い帽子を被ったセレネ、暇つぶしに来たマリー、そしてギィと同じく特使であるエルフの少女ザナが見守っている。ピッチャーはギィ、バッターはクマハチである。
「へへ、んじゃ、行くぜ?」
「刀以外はあまり振った事が無いのでござるが、勝負とあらば受けて立とう」
ギィが犬歯を剥き出して笑う。彼の手には、細い枝を巻いて作られたボールが握られている。白森から持ってきた素材の一部を使って作られたもので、強度は硬球並である。ちなみに素材が素材なので値段も驚くほど高い。
一方、クマハチの手にはバット代わりの太い枝が握られていた。これも白森産で、そこらの鉄より丈夫な上に非常に軽い。要するに、ものすごい無駄遣いである。
「おらあああああっ! 死ねえええええええええっ!」
ギィが雄たけびと共に渾身の力でボールを投げる。小柄な身体だが、ギィの身体能力はとても高い。ものすごい剛速球がクマハチめがけて襲いかかる。
「はああああああああっ!」
だが、クマハチも負けてはいない。ギィと同等か、それ以上の気迫を籠め枝を振るう。木材同士がぶつかり合ったとは思えない硬質な音と共に、クマハチの枝はギィのボールを捕らえ、遥か彼方へと弾き飛ばす。
「ほーむらん!」
セレネは立ち上がって拍手する。マリーとザナは特に反応しない。
「チッ、やるじゃねぇか……さすがはミラノの護衛ってか」
「ふふ、もう降参でござるか?」
「馬鹿言うな。今度はマジだぜ?」
ギィが二投目を投げる。相変わらず直球だ。クマハチは枝を強く握り、先ほどと同じように迎撃体勢を取る……だが!
「伸びろ!」
ギィがそう叫ぶと、既に彼の手から離れたはずの球が加速した。
「なっ!?」
クマハチは驚愕し、タイミングをずらされた事で枝は宙を切った。不意を突かれたクマハチとは対照的に、ギィは得意げに笑う。
「言ったろ? 今度はマジだって。俺達エルフは魔力の扱いに長けててな、ボールに魔力を籠めてある程度操作できんだよ」
「なるほど。不自然な加速はそれが原因でござったか」
吹っ飛んでいったボールをザナが拾いに行き、再びギィはボールを握る。彼は手の平で軽くボールを転がすと、クマハチを真正面に睨む。
「どうだ? もう降参か?」
「まさか。まだ勝負は始まったばかりでござる」
「いいねぇ、これからが真のやきうだ」
ギィが三投目を投げる。先ほどと同じ剛速球に加え、魔力の加わった超加速。だが、クマハチとてやられっぱなしではない。彼は一流の剣士であるミラノに匹敵する侍なのだ。
「……見切った!」
クマハチは迫りくる神速の球に惑わされず、熊の剛腕で打ち返す。金属がぶつかるようなガキン、という音と共に、ボールは再び生垣の向こうまで飛んでいく。
「何だと!?」
「ギィ殿の球は既に見切った。勝負あり、でござるよ」
クマハチは予告ホームランのように、枝の切っ先をギィに向ける。クマハチの口調に虚勢の匂いは感じない。この男は、今後ギィが放った球を確実に打ち返す。ギィは直感でそれが分かった。
「あーもう。何をパカパカ打たれてんのよ!」
四投目に入ろうとする直前、先ほどまで観戦を決め込んでいたザナが割り込んでくる。
「あん? うるせぇな! 今対策を考えてんだよ!」
「どうせ『もっと魔力を多く籠めて、速く投げればいい』とか考えてんでしょ?」
「ウッ!」
図星だった。ザナは溜め息を吐くと、ギィからボールを奪い取る。
「あ、おい! 何すんだよ!」
「見てらんないからあたしがやるわ。あんたはちょっと下がってなさい」
「なっ!? 俺が勝負してんだぞ!」
騒ぐギィを無視し、ザナがクマハチに向き直る。
「というわけで、選手交代よ。やきうはどうでもいいけど、負けっぱなしはエルフ族の沽券にかかわるからね」
「拙者は別に構わんでござるが……女子でも手加減はせんぞ? 勝負である以上、手抜きは失礼でござるからな」
「その必要は無いわ」
ザナは挑発的な笑みを浮かべ、ボールを投げる。ギィと比べたら笑ってしまうほど球速は遅い。だが、当然それで終わる訳が無い。
「曲がれ!」
ザナがボールに向かって手をさし向けると、ボールは空中で生き物のように蛇行する。それはまるで、生きた蛇のようなジグザグな動きをする。白森でバトラーを捕らえた弓の応用だ。
「くっ!?」
クマハチは枝を振るうが、振るった枝を回避するようにボールが動き、そのまま地面に転がった。
「どう? なかなか打ちづらいでしょ?」
「これは一本取られたでござるな」
ザナのセリフにクマハチは苦笑する。やきうとはなかなかに奥が深い。
「じゃ、そろそろ終わりにしましょっか。夕方から会議もあるしね」
ザナとしては、エルフ側が全敗という状況でなければそれでいい。だが、ギィはそうではなかった。
「……まだだ! まだ俺は終わっちゃいねぇ!」
目をぱちぱちさせるザナからボールをひったくるように奪い取ると、ギィはクマハチ相手にボールを持った手を突き出す。
「あんたね……もう充分実力は見せたでしょ……」
「これは男同士の勝負なんだよ! ザナのお陰でエルフの特性を思い出した! エルフの族長ギィの名において、クマハチ! お前に決闘を申し込む!」
「エルフの特性というと、魔力による操作でござるか。よかろう、武士である以上、挑まれた勝負は受けて立つでござる」
ギィとクマハチの間に火花が散る。エルフのピッチャーと侍バッターによる熱き戦いが、再び開始される。
「……男って馬鹿ね」
「……ホント、人間もエルフもどっちも馬鹿ね」
「うおー! やれー!」
マリーとザナが呆れた表情で座り込んでいるが、セレネだけは魔球合戦のやきうを楽しんでいた。
勝負は五十球続いた。五十球目が終わると、ギィもクマハチも精根尽き果て、二人とも地面に大の字にぶっ倒れた。
「や、やるじゃねぇか……」
「ギ、ギィ殿もさすがは王子が苦しむ逸材……感服したでござるよ」
荒い息を吐きながら、二人は笑顔だった。そんな二人にセレネが歩み寄る。
「50のうち、クマ、39うった」
「……チッ、俺の負けかよ」
ギィは舌打ちした。割合的には八割近く打たれてしまった事になる。
「ギィの、かち」
「な、何故でござる!?」
クマハチは何とか上半身を起こし、セレネに問う。どう考えたって多く打ったほうが勝ちのはずだ。
「40うたないと、まけ」
「納得いかないでござるが……そういうルールなら仕方ないでござるな」
やきうは単純に割合だけではなく、最低条件を満たさないといけないらしい。なんだかピッチャー側が圧倒的に有利な気がするが、そういうルールであれば仕方がない。
「なんか、試合に勝って、勝負に負けたって感じだな……またやろうぜ」
判定的に勝ったギィも不服そうであったが、クマハチとギィ、両者はお互いの実力を認めあい、硬い握手を交わした。時刻は既に夕刻になっており、マリーとザナはとっくに帰っていた。
「……遅い」
一方、その頃会議室でミラノを始めとする、人間とエルフの首脳陣達は待ちくたびれていた。エルフの族長と、人間とエルフの仲裁役である月光姫が来ない事には会議が進められないのだ。
なお、この日はセレネが昼寝しなかった上に、ギィが疲れ果ててまともに喋れる状態ではなかったので、会議は翌日に持ち越しになった事を付け加えておく。




