【番外編】鏡の国のセレネ(後編)
「さて……どうしたものか」
セレネの部屋で、ミラノは口元に手を当て悩んでいた。彼のすぐ横には困惑した表情のマリーがおり、二人の前には分身したセレネがベッドに並んで座っていた。
「ねえ、セレネ? 私とした約束、覚えてる?」
「「おんなのこ、えいえん、ともだち」」
セレネとリュリュの声がハモり、ミラノとマリーは溜め息を吐いた。セレネにしか分からない質問を先ほどから何度も投げかけているのだが、二人は申し合わせたように同じ返答をするので、見分けようが無いのだ。
(ふう、危ない危ない)
セレネは澄ました表情だが、リュリュは内心かなり焦っていた。セレネが「自分が本物だ!」と取り乱してくれれば逆に突けいる隙があるのだが、そのそぶりが全く無い。
(やっぱりこの子、八歳で国の中枢部に居るだけあるわ。胆力がただものじゃない!)
自分は本物なのだから、堂々としていればいい。そう思っているからこそ、この少女は悠然と構えているのだろう。だが、口で言うのは簡単だがなかなか出来る事ではない。自分の立場が乗っ取られようというのに、こうも堂々としていられる事こそ、まさに王女たる風格だ。
もちろん、んなこたーない。セレネは何にも考えていないだけだった。そもそもセレネからすれば、リュリュに鏡の世界観光ツアーに誘われただけであり、自分と瓜二つの姿をしたリュリュをむしろ面白いとすら思っていた。
というわけで、セレネは事の成り行きを眺めているだけで、リュリュだけが一方的に追い詰められていく悲惨な状況になっていた。
(このままじゃまずいわ。久しぶりに本気を出すしかないわね……)
勝手な解釈をし、勝手に焦ったリュリュは、すぐ横のセレネの魂の記憶を即座にコピーし、与えられた質問に対し、セレネの口調を真似て答えてその場を凌いでいる。
リュリュの即興コピーはかなりの精度で、これまでボロを出した事は一度も無い。しかし、これほど堂々とされていると、長引くほどミスをする確率が高くなる。そう考えたリュリュは、真の力を解放する事にした。
多量の魔力を消耗するが、セレネの魂の最奥部までコピーするのだ。そこまでやってしまえば、八歳の小娘に演技で負ける事は無い。リュリュは持てる魔力の全てを解放し、セレネの魂を全てコピーする。
――次の瞬間、何の前触れも無くセレネの横におっさんが現れた!
「な、何なの!?」
マリーは驚愕し、思わずミラノにしがみついた。神の寵愛を受けたような儚げな白き少女の片方が、一瞬にしてメタボなおっさんに変身したのだから無理もない。
「いやああああああ! どうしてなのよおおおおおおおおおーーーーっ!?」
マリー以上に驚いたのはリュリュ本人だった。何がどうなってこうなったのか、完全に理解不能だった。セレネの魂を全てコピーする力を使ったはずなのに、オネエ口調で喋る忌むべき異形へと化した。
リュリュはおっさんの擬人化により完全に冷静さを失っていた。もはや演技どころの話ではない。
「まさか、あんた『呪詛返し』を使えるの!?」
「は?」
おっさんリュリュはセレネに詰め寄るが、セレネはきょとんと首を傾げるばかりだ。呪詛返しというのは、簡単に言ってしまえばカウンター魔法のようなものだ。自分に災いが降りかかった時、それを倍にして跳ね返す高等技術である。
もう大体お察しだろうが、セレネにそんな事が出来る訳がない。セレネの根底には荒ぶる中年男性の魂が眠っているのだから、それをコピーしたらおっさんになったというだけの話である。
「化け物め! 正体を現したな! セレネから離れろっ!」
ミラノが吼えた。本物になった結果、偽物と化したリュリュをセレネから引き離そうと身構える。一方、リュリュはもう狼狽するだけだった。さっきから異常な状況が多すぎる。
「えっ、あっ、違う! そうじゃなくて!」
「黙れ! そんな醜い姿を隠し、セレネになり変わろうとした罪、この場で晴らすがいい!」
ミラノは腰に下げていた細身の剣を構える。以前、セレネが日除蟲の被害にあって以来、ミラノはいつでもセレネを守れるように、彼女の傍に居る時は帯刀しているのだ。
「やめて!」
ミラノが剣を異形リュリュへ振りおろそうとした直前、リュリュを庇うようにセレネが飛び出した。ミラノは困惑しつつも、頑として動こうとしないセレネを諭す。
「セレネ、それはセレネの姿を乗っ取ろうとした悪霊だ、処分せねばならない」
「ち、ちがう! リュリュ、わるくない!」
セレネは全力でミラノに立ち向かった。セレネは鏡の世界の凶悪なミラノを見ていたし、何より、リュリュが美少女魂を奪い鏡に閉じ込めても、おっさん魂の部分が残って普通に帰って来られたので、そもそも被害者という認識が無い。
何より、元おっさんであるセレネとしては、おっさん=異形として断罪されるリュリュを放ってはおけなかった。おっさんの擬人化というが、そもそもおっさんは人であり、人権がある。
「私は悪霊じゃないよ! ちょっとだけお姫様になってみたかっただけだよ!」
セレネが振り向くと、そこにはもうおっさんの姿は無かった。代わりに、五歳くらいの少女がへたり込んでいた。くりくりとした目の快活そうな少女で、これがリュリュの本来の姿なのだろう。
「兄さま、騙されちゃ駄目よ! セレネの姿を真似て、ひどい事をする気だったに違いないわ!」
マリーは激昂していた。よりにもよって親友のセレネになり変わろうとした事が許せないようだ。セレネのまんまのほうがひどい状況になるのだが。
「セレネ、どくんだ。外見は幼い姿をしているが、危険な精霊である事に代わりはない」
「やだ!」
セレネはどさくさに紛れて幼女と化したリュリュを抱きしめる。セレネがリュリュを庇う理由は、おっさんの姿の同情心から可愛さへとシフトしていた。可愛いならとりあえず助けるのがセレネ流だ。
「セレネ……そこまでして……」
セレネの下世話な欲望など知らず、ミラノは戸惑うような表情を見せた。エンテ王女の時もそうだが、一体、この少女はどこまで心優しいのだろう、と。
「……憎しみの連鎖は、どこかで断ち切らねばならない、か」
不意にミラノはそんなセリフを思い出した。それは他でもない、かつての彼自身の言葉だ。セレネを殺すきっかけであるエンテ王女を裁判で庇った時、自分はそんな答えを出した。
セレネとてリュリュに対して多少の憎しみはあるだろう。だが、それを差し引いても、彼女は自分を罠に嵌めようとした存在を助けようとしている。それはまさに聖女の所業だ。
「分かった。リュリュ……と言ったか? 君は何者で、何の目的でセレネの姿を真似たのだ? まずはそこを聞かねばならない」
ミラノは剣を収め、リュリュに問いただす。リュリュは怯えつつも素直に答えた。自分がこの鏡に宿る精霊である事。今まで他者の姿をコピーし、今回、美しいお姫様気分を堪能したかった事。
「つまり、君は完全にセレネになり変わろうとした訳ではないのだな?」
「う、うん。ある程度楽しんだら元に戻るつもりだった。本当だよ」
リュリュは両手で拳を作りながら力説した。自分は飽きっぽい性格なので、やんごとなき王室暮らしはすぐ飽きてしまうだろうとミラノに伝えた。
ミラノは溜め息を一つ吐くと、子供の姿になったリュリュに言い聞かせるように話しかけた。
「分かった。セレネに免じて今回は許そう。ただし、今後こんな事をしたらただでは済まない。仮に君が魔力に長けていても、僕にはさらに魔力に通じているエルフの友人がいる。彼らの感覚から逃れるのは、君でも難しいだろう?」
「えっ、エルフ!? そんなのと知り合いなの!?」
「セレネのお陰でな。君は、それくらい厄介な人物になり変わろうとしたんだ。むしろ早い段階で正体がバレてよかったな」
ミラノがそう言うと、リュリュは安堵したように胸を撫で下ろした。ミラノの言うとおり、人間なら簡単に騙せても、魔力の豊富なエルフには見抜かれてしまう。
「分かった。もう悪戯しないよ。鏡の中に帰る」
「ならばいい。とはいえ、君をこのまま釈放……市場に戻す訳にはいかないから、この城の宝物庫に収められる事になるが、構わないな?」
「いいよ。各地を転々とするのも疲れたし、王宮の宝物庫に入れるなら、むしろいいかも」
そう言ってリュリュは笑った。鏡から発生した彼女としては、家具として長く大切にして貰える事で幸せを感じられる。そういう意味では、ヘリファルテの宝物庫に保管されるのは最高の名誉だ。
「どうなるかと思ったけど、一件落着かしらね」
「いや、まだだ」
事の成り行きを見守っていたマリーが呟くと、ミラノが短くそう言い放つ。
「お前が勝手に怪しげな道具を持ち込んだからこうなったんだ。少しばかりお説教だ」
「だ、だって……綺麗だったんだもん!」
「お前に関しては弁解の余地は無い。少し僕の部屋に来てもらうぞ」
「うぅ……ごめんって言ってるのにぃ」
マリーはがっくりと肩を下ろし、観念してミラノの説教を受ける覚悟を決めたようだ。それからミラノの指示により兵士達が呼ばれ、リュリュの本体である鏡は宝物庫に運ばれる事になった。
リュリュは鏡に戻るよう促され、鏡面に手を伸ばそうとしたが、その直前、セレネの方を振り向いた。どうしても確認したい事があったのだ。
「ねえ、セレネは何で私の事を助けてくれたの?」
リュリュにはどうしても腑に落ちなかった。呪詛返しをした後、鏡を叩き壊すことだって出来たのに、この少女はそれをしないどころか、率先して庇ってくれた。それは何故なのか。
「かわいい、から」
ド直球ストレートだった。最初はおっさんの姿になったリュリュがミラノに殺されないよう庇っていたが、可愛らしい幼女だったので助けた。それ以上でもそれ以下でも無い。
「かわいい、かわいいからって……あははは! 変なの!」
リュリュは爆笑した。そんな筈はない。聡明な月光姫なら、そんな単純な理由で助けたりしないはず。純粋な善意で助けてくれたのだ。『かわいいから』というのは、彼女なりの照れ隠しなのだろう。
セレネの言う『かわいいから』は、照れ隠しでも何でもなく『かわいいから』そのまんまなのだが。
「やっぱり、あなた面白いわ。出来ればたまに会いに来てくれると嬉しいな。あ、もちろん悪さはしないわよ? なんなら、他のお友達も連れてきてね」
「うん、いく、ぜったい、いく」
セレネは首をぶんぶん縦に振った。可愛い精霊のお誘いなら行かねばなるまい。リュリュは拒絶されるかと思っていたが、まさかの全肯定に逆に驚いた。そして、柔和な笑みを浮かべた。
「騙しちゃってごめんね。あなたとはきちんとお友達になりたいわ。じゃ、また今後会いましょ」
リュリュはそう言って、鏡の中に再び戻っていった。そうしてリュリュの『精霊の鏡』は、ヘリファルテ宝物庫へと運ばれていった。
『時間が掛かってしまい申し訳ありません。おや? 姫、どうされました?』
鏡が運び出された直後、見回りを終えたバトラーが窓の隙間からセレネの元へ駆け寄って来た。だが、セレネはバトラーの呼びかけに応えなかった。
「……だまされた?」
騙しちゃってごめんね、とリュリュが言った意味が分からず、セレネは首を傾げる。だが、セレネがいくら考えても答えは出なかったので、諦めて昼寝を続行する事にしたのだった。




