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夜伽の国の月光姫  作者: 青野海鳥
【第2部】祝福されし呪いの魔女

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【番外編】鏡の国のセレネ(中編)

 鏡の精霊リュリュは『魔法生物』である。古い道具に少しずつ歴代の持ち主の魔力が積み重なり、意志を持ったものだ。呪詛吐きの作った『日除蟲(ひよけむし)』もこれに分類されるが、オオカミとチワワを合わせて『イヌ科』でくくるくらい別物である。


 リュリュは邪悪な存在ではない。悪戯好きで気に入った者の姿をコピーするが、最もその期間が長かったのは悪辣(あくらつ)な領主の魂をコピーした時だった。


 リュリュが領主をやっていた時の方が村人が喜んでくれるので、なかなか戻る機会が無く、気が付いたら二十年くらい経っていた。それ以外は大体一週間もすれば飽きてしまうのだが、今回はなかなか飽きが来そうにない美貌を手に入れご満悦だった。


「うふふ、それにしても本当に可愛らしいお姫様」


 リュリュはコピーしたセレネの姿を鏡に映し、満足げに笑った。生まれたての頃は全力でコピーする相手の魂を解析せねばならなかったが、長い経験で魂を効率よくコピーする術を学んでいた。


 だからリュリュは、セレネの表面的な魂の部分をなぞり、彼女の立ち位置を学びとっていた。セレネ=アークイラという小国の第二王女である事。バトラーという知恵あるネズミを使役している事。そして、ミラノという大国の王子の寵愛を受けている事……その他、近しい人間関係などはあらかた把握できた。


「これだけ分かれば充分よ」


 リュリュはセレネには絶対に出来ない優雅な微笑みを浮かべた。今までコピーした相手には王族だっていたし、高貴で清廉な演技なら自信があった。


「じゃあ、私はこの姿でしばらく満喫させてもらうわ。セレネ、あなたも鏡の世界で楽しんでちょうだいね」


 リュリュは鏡にそう話しかけた。厳密に言うと『鏡の世界』とは、その人間の心象世界を映し出してくれる夢を見せる魔術だ。鏡の中に閉じ込められるが、その対象の想像する世界を見せてくれる。高貴なる月光姫なら、さぞや美しい世界を満喫できるだろう。


 これは、リュリュなりの交換条件みたいなものだった。自分も楽しむが、相手にも理想の世界を見せるのだ。


「じゃ、早速お出かけしてこようかしら」


 リュリュは元気よくスキップし、部屋から出て行った。しかし、部屋から出て十メートルもしないうちに、ある人物と出くわした。


「あら? こんな時間に出てくるなんて珍しいわね」

「え、ええ……」


(マリーベル=ヘリファルテ王女ね。セレネの大親友だわ)


 リュリュは、セレネがこの少女と「永遠の友達」の誓いを交わした事を知っている。少し勝気そうだが、聡明そうな赤いドレスの王女様。まさに月光姫の友人に相応しい出で立ちだ。リュリュは早速、彼女に相応しく振る舞う事にした。


「ごきげんよう。マリー」


 そう言って、リュリュは輝くような笑みでマリーに会釈した。だが、マリーは怪訝そうな表情でセレネを見つめ、セレネの額に手の平を当てた。


「ねえ……何かちょっとおかしくない? 熱でもあるの?」

「な、ないよ!」


 リュリュは困惑した。こういう挨拶をすれば、今までの貴族の女子は微笑み返してきたというのに、一体何が駄目なのだろう。


「やっぱり変よ! 昼間に起きてくるし、少し寝てた方がいいわ!」

「えっ!? だ、大丈夫!」

「大丈夫なのが大丈夫じゃないの!」


 意味が分からない。リュリュは困惑したまま、マリーに背中を押されて部屋へ強制送還された。せっかく綺麗なお城を歩き回ろうと思ったのに、何故か昼間に起きて歩き回ったら異常扱いされてしまった。


「……なんなの?」


 リュリュがこの世に生れて既に百年以上経過しているが、こんな事態は初めてだった。とにかく、下手に動き回るとまずそうなので、リュリュは眠くも無いのにベッドに横にならざるを得なかった。


「とりあえず夜まで待つしかないわね……あの子はどうしてるかしら」


 リュリュはベッドに横になりながら、ちらりと鏡の方を見た。鏡には何も異変はないが、中には本物のセレネが見ている世界が広がっているはずだ。彼女は一体どんな世界を見ているのか、リュリュは少しだけ気になった。



 一方、鏡の国のセレネはえらいことになっていた。


「ふはははははは! 何という愉悦! 何という快感! 俺こそがこの大陸の……いや、世界の王!!」


 ヘリファルテ王宮の最上部で、ミラノが悪魔のような笑みを浮かべながら哄笑(こうしょう)していた。ミラノは全身にトゲトゲの付いた漆黒の鎧を纏い、自分の体よりでかく、血のように紅い刃の剣をかざし、眼下を埋め尽くす兵士達を見下していた。


 ヘリファルテ王宮の造りは全く変わらないが、その広大な敷地を重鎧を着た兵士達が埋め尽くし、軍馬までフル装備だ。ついでに何故か後ろには陸上自衛隊の戦車があった。当然この世界にそんなものは無いのだが、セレネ補正で何故か存在していた。


「聞け、愚民ども! 俺は世界を手にした覇王ミラノ! あの田舎侍(いなかざむらい)とエンテ王女は海の向こう! 邪魔者は消え去り、まさに全てを手にしたと言っていいだろう!」


 ミラノが大声で怒鳴ると、ひしめき合う兵士達はウオオーッ!と歓声を上げる。それが強要されたものなのか、あるいは狂気なのかは分からない。


「……馬鹿どもがぁっ!」


 だが、その歓声を一瞬で沈めたのは、他ならぬ覇王ミラノだった。ミラノは苛立たしげに大剣を振り回し、その切っ先を真っ直ぐにある方向へ向けた。


「俺が全てを手にしたと思っているのか! 俺はまだ……この世界の至宝をこの手に収めておらん! あれを見るがいい!」


 ミラノが剣を向けた遥か彼方には、巨大なアルエの像があった。多分、東京スカイツリーより巨大だ。そのアルエ像は、自由の女神のポーズを取っていた。


「最高の宝であるアルエ=アークイラを手にせねば、俺は真の王とはならんのだ! いや、アルエ姫に比べれば、この世界などゴミ同然! だが、アルエは魔女セレネにより守られている! 今こそ我が手にアルエ姫を手に入れるのだ! 貴様らの(しかばね)を踏み越え、俺はアルエを手に入れる! 行け! 邪魔する者は全て薙ぎ払うのだ!」


 ミラノが号令を掛けると、大地を揺るがし兵士と戦車が一斉にアルエ像に向かって突き進んでいく。その後、ミラノは空を飛んでそれを追いかけて行った。


 その一部始終を、セレネは城の物陰に隠れて見ていた。


「え……えらいこっちゃ……」


 なんだかとんでもない世界に迷い込んでしまった。もしかしたらこの世界は、真実の姿を見せているのではないか。セレネはそう考えた。何故なら、セレネがやったRPGに、真実の姿を映す鏡というのがあったからだ。セレネの基準はあくまでゲームである。


「はよ、かえらな!」


 こうしている間に、本来の世界のアルエに魔手が伸びている危険がある。セレネは鈍足ダッシュで自室に戻ると、再び鏡の前に立ち、手をかざす。


「……向こうの世界から帰りたがってるみたいね」


 セレネが鏡に触れた瞬間、リュリュは気配を感じ取った。依代(よりしろ)である鏡に異変があれば、リュリュはすぐに感知できる。だが、リュリュは悪戯っぽく笑うだけだ。


「でも残念。私があなたの魂をコピーしてるもの。主導権は私に……」

「よいしょっ、と」

「あれっ!?」


 主導権は私にあるから無駄。と言おうとしたのに、セレネは歯磨き粉のチューブを絞るみたいに、にょろーんと鏡の世界から帰還してきた。まだ三十分も経っていない。


(おかしいわ、この子! 明らかに普通じゃない!)


 リュリュの判断はある意味で正解であり、同時に不正解だった。


 リュリュは、セレネの持っている魂の器が並外れて大きく、自分がコピーした以上の力をもって抜け出てきたと思った。だが、セレネにそんな力は無い。正解部分は『明らかに普通じゃない』点である。


「あ、あなた、一体どうやって!?」

「ふつうに」

「普通って……」


 セレネは平然と言ってのけたが、リュリュは腰が抜けそうなほど驚いていた。

 しかも、悪い事はさらに続く。


「これは……一体どういう事だ!?」

「えっ、な、何でセレネが二人に!?」

「えっ」

「えっ」


 セレネとリュリュが同時に「えっ」と呟いた。部屋の入口には、マリーと、そしてミラノが立っていた。二人とも目を(みは)り、その場で立ちつくしている。


「その、セレネの様子がおかしかったから兄さまに教えたんだけど……」

「セレネの様子が変だと聞いていたんだが、まさか二人になっているとは思わなかった」

「そんなわけないでしょ! 体調が悪いかと思ったの! それで今来たら二人になってたのよ!」


 マリーがミラノに対し叫ぶが、マリー自身も困惑を隠し切れていない。ミラノも口元に手を当て、どうしたものかと黙考している。リュリュも表面上は平静を装っているが、かつてない事態に動揺している。


 セレネだけが状況をいまいち理解していない。


「とにかく、どちらかが偽物なのだろう。原因はその鏡か?」


 ミラノが鏡の方を見るが、リュリュは本家セレネと同じく澄ました顔を装った。


(まずい……まずいわ!)


 かつてない事態に巻き込まれたリュリュは、本気を出す事にした。

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