【番外編】高貴なるお茶会
月光姫セレネ復活の奇跡――それは多くの人々に歓喜を与え、ヘリファルテを始めとする各国はその話題で大いに活気づいた。お祭り騒ぎは数カ月に渡り、その間、セレネは奇跡の象徴のように扱われていたが、当のセレネはセレネでしかなく、相変わらず怠惰な日々を送っていた。
そんな出不精なセレネだが、今日は『特別な催し』に顔を出していた。場所は天下のヘリファルテ王宮内の、第二王女マリーベル=ヘリファルテの部屋という大陸最高級の会場である。
「よし。みんな揃ったわね」
二年間で髪の伸びたセレネとは逆に、髪を短くしたマリーが満足げに微笑んだ。彼女は赤色を好むので、ドレスはもちろん、部屋の中も上質な深紅の絨毯が敷かれている。その上に、純白のクロスで覆われた丸テーブルが用意され、そこにはマリーを含めた四人の淑女達が集まっていた。
「あの、本当に私がこんな場所にいていいんですか?」
緊張した面持ちでマリーに話しかけたのは、赤毛の少女シンニだ。
「なに言ってるの。もともと今日はあなたが主賓なんだから」
「そうね。それに場違いって言ったら、私の方が上じゃないかしら」
マリーの言葉を補足するように上品に呟いたのはアルエだった。学生寮にいる時のアルエは平民が着るのと大差ない格好をしているが、今日は薄桃色のドレスを身に纏っている。
「なにする? マージャン?」
「まーじゃんって何よ? まあ、セレネにはあんまり話してなかったから仕方ないわね」
四人で卓を囲んでやるなら麻雀だろう。三人の麗しい女性に混じるおっさん思考の姫は、一人だけ浮いていた。純白のドレスを着ているが、黒服に身を包んだシンニの衣より闇が深かった。
「えー、では、改めて今日の集まりを説明します」
マリーはこほんと咳払いすると、テーブルを囲う二人の淑女+おっさん姫、それぞれの顔を見る。
「今日は、シンニの特待生昇格のお祝いとして、お茶会を開きます!」
マリーはそう言ってぱちぱち手を叩く。アルエも柔らかな笑みを浮かべて拍手し、セレネも何だかよく分からないがノリで拍手した。祝福されているシンニ本人は、少し頬を赤らめて下を向いていた。
「あ、ありがとうございます。でも、マリーベル様に直々にお祝いしていただかなくても……」
「優秀な学生は褒めないと駄目じゃない。それに、私と年も近いし、あくまでプライベートよ。でも、落第寸前だったのに一気に特待生になるなんて凄いわよ」
「別に……褒められるような事じゃないです」
セレネを殺す。その目的のため大学に潜入したシンニは、学業はほとんど気にしていなかった。だが、竜峰から帰還後、改めて取り組み始めた結果、シンニは急激に成績を伸ばし、学園内でも上位――特待生として扱われる事になったのだ。
もちろん、マリーのひいきではない。学長や他の教師たちの同意を得なければ特待生にはなれない。もともとシンニは一介の孤児だが、竜の被害によって家族を失った貴族という設定で登録されている。その部分も加味され、逆境に負けず、落ちこぼれから上位に食い込んだという所が好印象だったらしい。
シンニは基礎スペックは高いがやる気がなかっただけで、ズルをした気がして落ち着かないのだが、かといって断る場合、自分の生い立ちや呪詛吐きとの関係も芋づる式に話す事になるため、特待生としての身分を受け入れる事にした。
それに本当の事を言うと、シンニとしても努力の結果が認められるのは嬉しい。前の彼女と今の彼女は少し変わっているが、それに本人は気付いていないらしい。
「でも、シンニちゃんが元気になってくれて本当に良かったわ。前は少し不安定だったから、心配していたの」
「アルエ様にもいろいろお世話になりました。私がこうしていられるのは、アルエ様のお陰です」
慈しむような視線をシンニに向けるアルエに対し、シンニは素直に礼を述べた。普通ならあんな人間嫌いオーラを出している奴に、部屋が隣だからといって食事を運んできたり、色々と優しい言葉を掛けることはしないだろう。今なら認められるが、間違いなくシンニはアルエに救われていたのだ。
(本当にお節介な人。まあ、この姉にしてこの妹ありってとこかしら)
シンニは横目でちらりとセレネの方を見た。マリーとアルエの世話にもなっているが、最も自分に影響を与えたのは間違いなくセレネだ。自分を殺しに来た人間を助け、『人』の世界に引き戻してくれた。
「じゃんぱい、ざんぱい……プーッ」
そのセレネは、クソつまんないダジャレを小声で呟き、一人で笑っていた。マリーもアルエも朗らかな笑みを浮かべているので、セレネの親父ギャグによる一人笑いもそれに溶け込みバレていなかった。
「さ、とにかくお茶にしましょ。今日は色々用意したのよ」
マリーがテーブルに備え付けられていたベルを鳴らすと、待ち構えていたように数人のメイド達がきびきびとお茶会の道具を用意し始めた。温められたポット、複雑な模様の描かれたティーセットに、セレネ以外の女性が目を輝かせる。
メイド達は手際よくマリー達の前にカップを用意し、紅茶を注いでいく。上質の茶葉で淹れられた紅茶はとてもよい香りで、緊張していたシンニも思わず頬を緩める。
「いい香りでしょう? 普段はあんまり贅沢しないようにしてるんだけど、今日は特別に用意させたの」
「これ、高いんじゃないですか?」
「いいのよ。記念の時は、ぱーっとやらないと! それに、セレネが帰ってきてからちゃんとしたお祝いする機会も無かったしね」
シンニの言葉に、マリーは笑いながらそう答えた。マリーも大学の出資者になったり、自分自身の勉強もあるのでかなり多忙なのだ。アルエとシンニもそれぞれ目的のために努力しており、暇人はセレネだけだ。
「ねえねえ、セレネは何食べたい? お菓子も色々用意したのよ。スコーン? マフィン? 蜂蜜もあるわよ。あ、クッキーも焼き立てなの」
「スルメ」
「……するめ? アルエ姉様はご存知?」
聞いた事の無いスイーツに、マリーは首を傾げる。アルエの方を向くも首を横に振る。
「するめって、どんなお菓子なの?」
「ぱさぱさ、イカの……ミイラ」
もうちょっとまともな表現をしてもらいたいが、セレネの知力では干物という単語が出てこなかった。マリーは訝しげな表情でセレネを見つめる。
「な、なんでイカのミイラなんか食べたがるのよ!? ていうか、食べ物じゃないでしょそれ!」
「ち、ちがう! たべもの!」
確かに食べ物ではあるが、貴族のお茶会でスルメを用意しろというのは無理がある。だが、セレネとしてはこれでも譲歩したほうなのだ。本当は酒が呑みたいが、さすがに女子供ばかりの集まりで酒を頼むのはどうかと思い、酒のつまみを注文したのだ。それを譲歩というか微妙である。
「セレネ……様、私も気持ちは分かります。でも、それはもう過去の事ですよ。せっかくのお茶会だから楽しみましょう」
セレネと二人だけの時はタメ口で話しているシンニだが、マリーとアルエの前なので敬語で話しかけた。だが、その言葉の意味がマリーにもアルエにもよく分からなかった。
二人の表情を見透かしたように、シンニはマリー達に向き直る。
「私もヴァルベールで家が無くなり路頭に迷った頃、よくゴミを漁っていました。乾燥してパサパサの野菜くずなども食べた事があります。セレネ様は小さい頃、よくそういったものを食べていたのではないのですか?」
これはシンニが孤児だった頃の思い出なのだが、どこかの誰かと違いシンニは口が上手いので、ヴァルベールの貴族という設定を忘れずに絡めていた。
「あ……」
アルエは口元に手を当てる。確かに、アークイラでセレネが食べていたものは、しなびた野菜を加工したスープなど、とても王族が口にするものではなかった。ここ最近の王室暮らしのせいで忘れていたが、自分と違い、セレネは人生の半分以上を日陰で暮らしてきたのだ。
「ど、どしたの?」
急に皆が無言になったので、セレネはきょろきょろと三人を見回す。ぽろりと過去のトラウマを漏らすも、何事も無いように平然と振る舞うその姿は、他の三人には実に健気に見えた。
セレネは前世で、賞味期限が三週間過ぎたパンでも『焼けば菌は死ぬ!』という理論で食い、実際に一度も腹を壊さなかったので、食に対するこだわりがないだけなのだが。
「セレネ……私のクッキー、食べていいわ。いいえ、食べなさい!」
「えっ?」
「じゃあ、私のもあげるわ。ごめんなさいね、お姉ちゃん気付いてあげられなくて」
「えっ? えっ?」
「……私のもいいわよ。みんなの気持ちは充分貰ったから」
「えっ? えっ? えっ?」
三人の前に用意されたクッキーやスコーン、その他のお菓子がセレネの前に大量に盛り付けられ、セレネは困惑した。
「わたし、こんな、いらない」
「しばらくは日持ちするから大丈夫よ。少しずつ食べればいいわ」
セレネが『甘いモンこんなにいらねぇ』と抗議するも、何故かマリーは椅子から立ち上がり、お姉さん面でセレネの肩をぽんと叩いた。結局、上等なお菓子の大部分はセレネの前に山盛りにされ、皆、少量のお菓子をつまみながら、優雅に紅茶を飲み始める。
「……バトラー、あげよう」
何が何だかよく分からないが、とりあえずスルメは出こなそうなので、セレネは仕方なくクッキーをちまちま齧りながら紅茶をすする。食いきれなかった分はバトラーに持って帰ってやろう。
「……するめ、たべたい」
焼き立てクッキーは齧ると口の中でほろほろと溶け、とてもよい味がした。だが、やはりあの噛めば噛むほど味が出る塩っ辛い感触が懐かしかった。
ああ畜生、スルメが食いてぇなぁ。そんな事を思いつつ、美少女の戯れを見ながら茶を飲むのもたまには悪くないか、とおっさんじみた思考でクッキーの山に挑戦していた。
『ふふ……なんとも麗しい光景だ』
そんな四人の様子を、部屋の陰でバトラーはひっそりと見守っていた。本当はセレネに付いていこうかとも考えていたのだが、女子たちの集まりに自分が出て行くのは無作法だと思い、何かあればいつでも主の盾になれるよう、ひっそりと裏方に徹していたのだ。
『姫も人気者だ。従者として鼻が高いが、三人にああも愛されては大変だろう。姫が三人も増えたら、さぞや美しい光景になるだろうな』
バトラーはそんな軽口を叩き、その光景を頭に浮かべた。今の髪を伸ばしたセレネも美しいが、幼い頃の短い髪をした主もまた別の魅力があった。もしも主が三人に増え、各々の淑女達と歩いていれば、それはまるで妖精の輪のように美しく愛らしい光景だろう。
実際にそんな事になったら、妖精の輪というよりゾンビパーティーなのだが。とにもかくにも、麗らかな午後の日差しの中、淑女三人とおっさん姫のお茶会は、緩やかに過ぎていくのだった。