表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜伽の国の月光姫  作者: 青野海鳥
【第2部】祝福されし呪いの魔女

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

86/112

【番外編】セレネ肉体改造計画

 ヘリファルテ王城の厨房、ミラノ王子を始めとする王族はもちろん、数多くの使用人たちの胃袋を満たすこの場所は、日中は戦場のような慌ただしさになる。

 だが、夕餉(ゆうげ)を終え、明日の仕込みと片付けが完了すると、昼間の騒ぎが嘘のように静まり返る。

 静寂に包まれた暗闇の中、うごめく一つの白い影があった。


「くっくっく……」


 不敵な笑みを浮かべる不審者。よく見ると、一応、この物語の主人公であるセレネであった。

 セレネは明かりも付けずに厨房を忍び足で歩くと、最奥部に向かう。


「よいっしょっ、と」


 セレネは、厨房の奥の床に設置されている木の扉を押し上げる。

 そこは、城に設置された地下保冷庫だ。

 肉や魚など傷みやすい生物(なまもの)を保存しておくための冷暗所である。

 セレネはひんやりとした地下室の階段を下ると、目当ての物を見つけた。


「あった!」


 セレネは基本的に夜行性なので、それなりに夜目が利く。

 目の前に積み上げられた物体を見て、セレネはほくそ笑んだ。


「ぶたにく、ぶたにく」


 それは、明日の朝食に使われる肉の塊だった。多分、豚肉だ。

 セレネは、夕食時に使ったナイフをこっそり隠し持っていて、そのナイフで肉の塊を乱雑に切っていく。


 これは明日の食材なのだが、多少拝借しても問題無いだろう。

 セレネは一旦、保冷庫を出て、肉のこま切れを乗せるための皿を持ってきた。

 何だか泥棒しているようで多少後ろめたくはあるが、これは正義のためなのだ。


「まっするばでぃ! まっするばでぃ!」


 そう、セレネはマッチョになるため、このような馬鹿げた行動を起こしたのだった。

 聖セレネ霊廟でミラノと二年ぶりに対峙した際、奴のベアハッグに対し、セレネパンチは全くの無力であった。


 確かに、二年の歳月でミラノはパワーアップしていたが、自分だって一応鍛えていたのだ。

 一体何が駄目だったのだろうと、セレネは反省と考察をしていたのだった。

 皆さんは忘れているかもしれないが、セレネの中身は現代日本から転生してきたおっさんである。

 つまり、一応、日本人として最低限の知識はある。なお常識はない。


「いでんし、かいりょう……」


 セレネはぽつりと呟いた。この異世界において遺伝子という概念が無い事をセレネは知っている。

 つまり、それだけアドバンテージを持っているという事だ。

 そうしてセレネはある名案を思いついた。そう、遺伝子である。

 遺伝子をどうこうすれば、なんかすごい事になるのではと考えたのだ。雑である。


 あまりにも雑すぎるので、セレネの思考を補完しておこう。

 セレネには優秀な姉、アルエがいる。そして、妹として生まれたのがセレネである。

 その際、深刻なエラーが発生し、セレネがえらい事になって生まれたが、肉体的にはアルエとセレネは同じ遺伝子を持っている。


「いまじゃ! おっぱい、パワーに!」


 いいですとも! という返事は無いが、とにかく、素材は同じ遺伝子なのだから、後は加工の問題なのではとセレネは考えたのだ。


 アルエのおっぱいはでかい。つまり、自分にもそれだけの肉が付く土台がある。

 ならば、アルエのおっぱいに回された肉を、筋力に回せばよいのでは、という超理論である。

 セレネは他者のおっぱいは大好きだが、自分に付くかどうかは気にしない。

 顔だけが美少女で、身体がプロレスラーなセレネを想像するとキモいが、本人的にはあまり問題無いらしい。


「にく、たべなきゃ」


 そして、セレネにはもう一つ現代から引き継いだ知識があった。

 それは栄養の概念である。この世界に全く無い訳ではないが、さすがに日本ほど分析されていない。


 肉には筋肉を作る成分が含まれている事は、セレネも一応知っている。

 つまり、肉をいっぱい食えばマッチョになるに違いない。


 振り返ってみれば、白森で隠遁生活を行っていた時は、ベジタリアンみたいな生活を送っていた。

 バトラーは殺生を好まないのでセレネは狩りをさせなかったし、貢物のほとんどは果物だった。

 そんなものばかり食べていては、筋肉が付くはずもない。


「せいかつ、わるかった」


 セレネは、ミラノに勝てなかった理由を、二年間の生活習慣に問題があったのだと結論付けた。

 日々鍛錬を続けている二十歳の青年と、テキトーにだらだら暮らしていた十歳の少女では勝負にならないという点は全く考慮していない。

 要するに、悪かったのは環境ではなく、セレネの頭なのだが、本人は気付いていなかった。


「まっする♪ まっする♪」


 そうこうしているうちに、誰もいない厨房でセレネ流調理が開始された。

 目指せマッスルボディ。

 セレネはウキウキで、ムキムキになるための作業に入る。


 厨房の調理台はセレネには高すぎるので、椅子を踏み台代わりにしての調理となる。

 過去にミラノ暗殺のために何度も料理をしていたので、火を起こすのも慣れたものだ。

 鉄板が熱してくると、セレネは細切れにした豚肉をそのまま鉄板にぶちまける。


「ふーんふーん、ふーんふふん、ふーんふふーん」


 セレネは鼻歌交じりに「ド○ベン」のオープニングテーマを口ずさんでいた。

 本当は歌詞を書きたいのだが、異世界に音楽業界が殴りこんでくる危険があるのでハミングだ。


 じゅうじゅうと肉が焼ける音と、香ばしい匂いがセレネの食欲を掻き立てる。

 マッチョになるという目的を半分以上忘れていたが、充分に火が通った所で肉を皿に取り上げる。

 次は味付けだ。セレネは厨房から鉄の串を一本取り出すと、塊に思いっきりぶっ刺す。

 後は、焼き上がった肉の塊を何個もバーベキュー状になるまで繰り返す。


「できた!」


 こうして、セレネの顔より長い、肉オンリーの串焼きの完成である。たんぱく質の暴力だ。

 しかし、これだけでは物足りない。

 セレネは、これまた朝食用に使われるソースをちょっと拝借する。

 王族に出すだけあって上質な素材で作られており、なかなかコクがあって美味いのだ。


「ちょっと、もらう」


 セレネはソースのたっぷり詰まった壺の蓋を開けると、串に刺さった肉を全部浸けこんだ。

 セレネの「ちょっと」は、他人基準で「滅茶苦茶アバウト」である。


「よっしゃ! かんぺきや!」


 こうして、苦労して完成させた豪快な肉の串焼きを見て、セレネは目を輝かせた。

 月光姫セレネに対し、このように雑で、暴力的な料理は普段は振る舞われない。

 オシャレンティな料理はそれなりに美味いのだが、脂ぎった肉こそセレネの欲する食材なのだ。


「いただき、マストドン」


 いただきマンモスでは芸が無いと思ったのか、セレネはクソどうでもいい捻りを加え、そのまま肉にかぶりつく。


「か、かひゃい!」


 だが、肉は想像以上に固かった。最大火力で焼くのがセレネ流なので、完全に中まで火が通り、ウェルダンになってしまったらしい。


「ぬぅぅぅん!」


 だが、それでもセレネは諦めない。せっかく肉を食うチャンスを得たのだ。

 たとえこの顎が砕けようとも、絶対に食わねばならない。

 それだけの情熱をもっと別の方向に向ければいいだろうに、セレネは持てる力の全てで焼肉へと挑んでいく。


 そして、過酷な消耗戦の末、セレネはついに串焼きを半分ほど食う事に成功した。


「はぁ、はぁ……」


 セレネの息はだいぶ上がっている。肉を食うだけでここまで執念を燃やす奴も珍しい。

 肉体だけは多少成長したとはいえ、セレネは十歳にしてはかなり小柄なほうで、筋肉もあまりない。

 口も小さく、おっさんモードでは一口で食べられた肉を、リスが齧るようにちまちまと食わねばならないのがもどかしい。


「ぶざまだ……」


 セレネは己のふがいなさに項垂(うなだ)れた。それに、半分ほど食べた時点でもうお腹いっぱいになってしまった。なんと情けない胃袋だろう。マッスルボディ計画は、早くも暗礁(あんしょう)に乗り上げつつあった。


「わたし、まけない!」


 それでも、セレネは無理をして食べ続ける。ここで焼肉を半分捨てるという事は、肉がもったいないという事もあるし、筋肉モリモリになる未来を捨てるという事になる。

 完全に謎だが、セレネの中ではそういう事になっていた。


「うっ!」


 リバースしそうになるが、それでもセレネは全身全霊を持って焼肉を押し込んでいく。

 焼肉に対しては誠実であらねばならないというのが、セレネの信条なのだ。

 何もそこまでしなくてもいいのに。


「……やったぜ」


 そうしてセレネは数時間かけ、見事、難攻不落の串焼きを攻略した。

 よく分からない謎の達成感があった。

 しかし、セレネの外見はひどい事になっていた。


 ムキになってドレスのまま肉の串と格闘していたため、服はところどころ染みが付いているし、顔も手も油でテカテカになっていた。


 セレネはラード系女子になった!

 筋力が0.02ポイントあがった!

 かしこさが30さがった!

 女子力が10000さがった!


「うぷ、きもち、わるい……」


 セレネは口元を押さえながら、証拠隠滅――もとい調理後の後片づけを終えた。

 脂ぎった顔や手は汲み置きの水で洗い流したが、服ばかりはどうにもならない。

 セレネは、戦いを終えた兵士のように、ふらふらとした足取りで自室へ戻る。


『ひ、姫!? 一体その姿は!?』

「あ、ば、バトラー?」


 自室に戻ると、セレネは待ち構えていたバトラーに見咎められた。

 バトラーが眠っている事を確認してから部屋を出たのだが、セレネが留守にしている事に気付き、丁度探しに出る所だったらしい。


『どうされたのですか!? 美しいお身体をそのように汚されて……』

「な、なんでも、ない」

『教えてください! 一体、何をされていたのです』

「…………」


 バトラーは自分の目の届かない所で、主が身を粉にして何かしていたかと思うと、己の不甲斐なさに情けなくなるのだが、セレネは答えるわけにはいかなかった。

 何せ、正直に答えてしまえば、自分が窃盗犯である事がばれてしまう。


「きにしない。バトラー、おやすみ」

『姫……わかりました。何かあれば、この私めにお伝え下さい。姫のためなら、この私は喜んで(いしずえ)となる覚悟は出来ておりますので』

「ありがと」


 セレネは笑って誤魔化すと、そのまま寝巻に着替え、ベッドに横になった。

 バトラーに追及されてボロが出る前に、とにかくシラを切りとおす事にしたらしい。

 それに、夜中に料理し、肉を食うために体力を使い果たしていたので、さっさと眠りたいというのもあった。


 こうしてセレネは、肉を大量に食った満足感に浸りながら、夢の世界へと旅立った。



  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 翌朝、セレネは速攻で厳重注意を受けていた。しかも相手はミラノである。


「君がとても気が利く子であるのは理解しているが、あまり無理をしてはいけないよ」

「……うん」


 セレネはミラノにお説教をされていた。

 原因は単純で、セレネの証拠隠滅が雑だったのであっさりバレたのだ。

 ただ、事実とは食い違う解釈をされていた。


 まず、セレネの世話係であるメイドの一人が洗濯をしようとした時、セレネの服がソースや油で汚れている事に気が付いた。それとほぼ同時に、厨房である騒ぎが起こっていた。


 今朝の調理当番のメインシェフが激昂していたのだ。

 怒りの原因は、前日の片付け当番の仕事があまりにも雑だという事だった。


 特に、肉料理に使う鉄板がひどい。普段はぴかぴかに磨かれているのに、今日は明らかに汚い。

 前日の掃除担当者は怠慢であると声を荒げていた。

 しかし、前日の担当者は「自分達が掃除を終えた際は完全に綺麗にした」と言い張り、平行線だった。


 その話を聞いた時、メイドの中で、ある理論が展開されていった。


 ――つまり、この服の汚れは、セレネが掃除をしたために汚れたのではないかと。


 前日の厨房担当者は、やはりいい加減な仕事をしていたのではないか。そして、夜中に起きたセレネは偶然それに気が付いた。このままではいけないと思った彼女は、ドレスが汚れるのもいとわず、掃除をしたのではないかと。


 だが、暗闇の中、十歳の少女一人で出来る作業ではない。それでも、数時間格闘し、出来る範囲で精一杯作業をしたのだ。


 厨房の掃除など、今のセレネのやる作業ではない。だというのに、月光姫セレネはそれを黙々とやっていたのだ。そう思ったメイドは、「昨夜、あなた様は何をしていたのですか?」とセレネに聞いたが、セレネは「しらない」としか言わなかった。


 恐らく、前日の当番を庇っているのだろうと判断したメイドは、自分ではこれ以上の発言権が無いので、聖王子ミラノへ、その事を進言した。

 するとミラノは、他の作業を中断し、すぐにセレネの部屋へやってきた。

 ミラノがしつこく問いただすと、セレネはしぶしぶといった感じで、昨夜厨房にいたと認めた。


「セレネ、そういう事は君はあまりしてはいけないよ。厨房は火や刃物がある。君にあまりうろついて欲しい場所ではない」

「……はい」


 セレネはしょんぼりとしながら、内心では舌打ちしていた。

 甘かった。証拠隠ぺいが不完全だったせいで、一番やばい奴にばれてしまった。


 そりゃあ、火や刃物がある場所に敵を近付けたくないだろうし、自分がマッチョになるのもミラノは歓迎しないだろう。完全に封殺されてしまった形になる。


 ここで下手に反論しようものなら、肉をパクったことまでバレてしまう。それは避けねばならない。

 これ以上の被害拡大を防ぐため、セレネは押し黙るしかない。


「とにかく、何か気付いたら自分で行動するのではなく、僕やマリー、もしくは父上や母上に必ず伝える事。いいかい?」

「……わかり、ました」


 とりあえず今はこの条件を飲むしかないだろう。セレネは小さく頷いた。

 そして、ミラノは一通り話を終えると、セレネの部屋から出ていった。


「やはり、あの子は放ってはおけないな……」


 後ろ手にドアを締めつつ、ミラノはそう呟く。

 普通の貴族なら厨房に入る事すら嫌うというのに、使用人のミスをカバーするために奔走するなど聞いた事も無い。しかも、今のセレネは並の貴族ではない。


 歴史に名を残す、死を乗り越えた再誕と再生の象徴――月光姫なのだ。

 その部分をあまり自覚していないのが、ミラノにとっては可愛らしくもあり、同時に不安でもあった。


「セレネには、彼女の立場をしっかり教え込む必要がありそうだな」


 セレネはもう日陰の忌み子ではなく、大陸中の象徴になりつつある。

 その辺りを自覚させてやるのも、保護者である自分の仕事の一つであると、ミラノは襟を正した。


 なお、後日この言葉はミラノからセレネに直接伝えられる事になるが、セレネには「お前の立場をわきまえろ」としか取られず、余計に反発を招く事になるのだが、それはまた別の話である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ