第59話:奇跡の起こし方
シンニがセレネの暗殺を中止……もとい延期してから早一週間が経過した。衰弱していたシンニも、バトラーの用意した薬草や聖セレネ霊廟の供物、それにセレネが育てていた野菜、あと温泉でマッサージを繰り返すという手厚い看護のお陰で完全に復調した。
それからというもの、セレネとシンニは殆ど一緒に行動している。
「セレネ、帰るわよ」
「まだ、はやいよ?」
楽園(改)で野菜を収穫している時、シンニは唐突にそんな事を言い出した。まだ日は高く、洞窟へ戻るには早い時間帯なので、セレネは首を傾げる。
「そうじゃなくて、あんたを待ってる人の所へよ」
「まってる、ひと?」
シンニの言わんとする事が理解出来ず、セレネは昔のパソコンみたいに数十秒間フリーズしていたが、ようやく脳内処理が終わり、ぽん、と手の平を叩く。
「にんげんの、くに!」
「そう。あんたの帰りを待ち望んでいる人は沢山いるの。こんな所で油売ってる場合じゃない」
シンニは赤面しつつ、早口で一気に捲し立てた。
(そ、そうよ! これは私の計画に必要な事なの! こいつをいつまでも竜峰なんかに置いておけないわ。早く帰って立派に育ってもらわないと、私の殺害計画も遅れるから!)
別に誰も突っ込んでいないのだが、シンニは何故か心の中で言い訳をした。今なら体力も魔力も完全に回復したし、行きと違って帰りのルートは把握している。それにセレネ率いる魔獣の協力もあれば、帰る事はそれほど難しくない。
だが、セレネは首を縦には振らず、かぶりを振った。
「わたし、まだ、かえれない……」
そりゃ、セレネだって一刻も早く帰りたい。最愛の姉、アルエは自分が帰ればきっと喜ぶだろうし、あの胸に流星のようにダイブしたい。マリーだって二年も経てばさらに愛らしくなっているだろう。アイビス王妃のふかふかおっぱいも捨てがたい。
シュバーン王は見た目は怖いが無害だし、クマハチが島流しにあったのは残念だが、まあ、これらは男なのでセレネの中では優先順位度は低い。
しかし、これら親愛なる人に会うためには、呪われた力を使う魔性王子――ミラノに対抗する手段を見つけねばならない。シャドーボクシングもどきで鍛えたりはしたが、本来の目的である、竜の協力を得る目途がまだ付いていないのだ。
竜峰で暮らして二年が経過したが、実はセレネは他の竜を殆ど見た事が無い。というのも、竜は、霧深い山脈の奥部に暮らしている者が大部分だ。それゆえに神秘的で、エルフ達から神のように崇められている。
ササクレのように頻繁に外を飛び回って筋トレし、白森の縁に住んでいる個体は滅多にいなかった。簡単に言うと、ササクレは竜社会でぼっちだった。セレネと同居できる訳である。
「ササクレ、まだ、ダメ」
「ササクレ? ……ああ、あの赤竜が駄目だって事?」
「うん」
(なるほど……竜としては、主人には近くにいてもらいたいでしょうね)
しかし、そんな竜社会の事情を、人間のセレネとシンニが知る由も無い。セレネは単純に竜の数が少ないから会えないだけだと思っているし、シンニはシンニで、竜の巫女セレネを慕う赤竜という認識である。
『どうした? 我を呼んだか?』
「あ、でた」
まるでトンボでも見るみたいに、セレネは頭上に現れた巨大な赤竜――ササクレを見上げた。シンニも大分馴れては来たが、それでもやはり、人間からすると竜は絶対強者。どうしても引いてしまう。
ササクレは、ゆっくりとセレネ達の前に舞い降りた。その風圧で後ろに倒れそうになるセレネの背中を、シンニがさりげなく支える。
「ありがと」
「べ、別に大した事じゃないわよ」
シンニはそっぽを向くが、セレネは美少女に接近出来てラッキーくらいにしか考えていない。ササクレは地面に降り立つと、セレネやシンニの背丈より巨大な顔を、ずい、と近付ける。
『お前達、人間の世界へ帰るのか?』
「まあ、私としてはそうしたいんだけど」
『ふむ……我としては悪くないと思うが、しかし……セレネを手放すのは、やはり惜しいな』
ササクレはそう呟くと、鼻から蒸気を吹きだした。どうやら溜め息を吐いたらしい。
「やっぱり、竜の巫女はそう簡単に手放せないってわけね?」
『リュウノミコ? 何だかよく分からんが、我にとってセレネはかけがえのない人間なのだ。まだ未完成だが、無くてはならない物になるだろう』
シンニの言葉に、ササクレは仰々しく答える。
要約すると、竜に対する猛毒を持っている(と思っている)セレネを、いつでも武器として使えるように手元に置いておきたいという訳である。今はぼっちでハブられ気味なササクレだが、いつかは竜の長となる事を夢見ている。
セレネが完全に成長しきるのは百年後とバトラーから言い聞かされているが、やはり、非常時の切り札として置いておきたいというのが本音らしい。
「確かに、セレネはまだ小さいから未完成かもしれないけど、だからこそ、その器を完成させるために人の元へ戻したいの」
『人を隠すには人の中……バトラーも同じ事を言っていたのは理解している。我に黒竜のような力があれば、セレネを返してやってもよいのだが……』
「こくりゅう?」
ササクレとシンニの会話に、今まで黙っていたセレネが割って入る。黒竜の力、いかにも強力そうな響きである。もしかしたら、対ミラノに有益な情報かもしれないと踏んだのだ。
『我ら竜族は、生まれたばかりの頃は真っ白な身体をしているのだ。いくら我らが強大な種族とはいえ、赤子の頃は外敵がいない訳ではない。ゆえに、白き森に紛れるような色で生まれるのだ。そして、成長するにつれ、身体に魔力が蓄積し、我のように赤みを帯びていく。さらに数千年の時を経てば、鱗が黒ずみ、漆黒の竜となるのだ』
ササクレは一気にそう言うと、再び蒸気の溜め息を吐く。
『シンニとか言ったな、貴様のカラスが羨ましいぞ。我もあのような身体が欲しいものだ。あれを見れば、竜ならば誰もが震えあがる。だが、黒き鱗は悠久の時を経て、膨大な魔力を蓄えた者のみが得られる称号。それまでに命尽きる者が殆どだ』
「そっかー……」
ササクレの説明を聞き、セレネは落胆した。確かに強力ではあるが、そんな悠長な事は言っていられない。奇跡でも起きない限り、期待できそうもない。
「なら、奇跡を起こしてみせようかしら」
『……何だと?』
普段は尊大に構えているササクレだが、矮小な黒い少女――シンニが平然と言ってのけた言葉に、金の目を見開く。セレネも、シンニの方をじっと見つめる。
「要するに、身体が黒くなればいいんでしょ? 私ならそれが出来るわ、簡単に」
「マジで!?」
「マジよ。ちょっと離れててくれるかしら」
そう言って、シンニはセレネから少し距離を取る。興味深げにシンニの方を見るセレネを、シンニはちらりと横目で見た。
(セレネの前で、この力を使うのは気が引けるけど……やってやるわ!)
「出でよ! 闇蛍!」
シンニが裂帛の気合を籠めて叫ぶと、彼女の足元の影が爆発的に広がっていく。自らの魔力をフルに使った、今までで最大級の闇蛍だ。
「闇蛍よ! 赤竜に纏わり付け!」
シンニは凛とした声で闇蛍に命じる。主の命令を受けた巨大な闇蛍が、ササクレの方へ一直線に滑っていく。そして、まるで布でも巻きつけるかのように、ササクレの巨体の上を滑り回る。
『こ……これは!?』
数分も掛からぬうちに、ササクレの赤い身体は、漆黒の輝きを持つ鱗へと変化した。闇蛍はシンニの魔力で生成される影の力。日除蟲と違い、自律して動く事は出来ず、殺傷能力も殆ど無い。
だが、シンニの魔力があればいくらでも精製可能で、黒い染みを物体に貼りつけたりも出来る。これを使い、セレネの白い棺を汚そうとしていたのだ。
「はぁ……はぁ……どう? 奇跡を起こしてみせたわよ」
シンニがよろめきそうになったので、今度はセレネがシンニの身体を支える。耳元にシンニの熱い吐息が掛かり、なかなか良い。
『き、貴様……一体、我に何をしたっ!?』
「私の魔力をあなたの鱗に染み込ませた。塗料と違って剥げたりしないし、見た目だけはお望みの黒竜様にしてあげたわよ」
ササクレは元々、魔力が他の竜より少ない分、筋トレで補おうとしていたので、身体だけは筋肉質で大きい。そこに威厳を醸し出す漆黒の鱗が加わった今、外見だけならとてつもなく強大な竜に見える。もちろん、力量が変わったわけではない。超ブサメンが超イケメンに整形手術したような状態で、中身は変わっていない。
この世界において、竜は世界の支配者と呼ぶべき圧倒的な力を持っている。だが、決して神の化身などではなく、基本的には獣だ。身も蓋も無い表現をすれば、「とんでもなく強力な力を持っていて、喋る事が出来る空飛ぶ大トカゲ」であり、野獣の一種である。
そして、野獣は必要に迫られた時以外、極力、直接戦闘はしない。戦うという事は、自分もダメージを負うリスクがあるからだ。少しでも傷を負えば、自然界には薬も医者も病院も無いのだから、生き残る確率がぐっと下がってしまう。
野獣というと、凶暴で理性の無いイメージがあるが、獣は人間が考えているより遥かに聡明だ。そして、それは竜にも当てはまる。
さらに、ササクレが竜社会で知名度がほぼゼロなのが逆に幸いしていた。今のササクレは、突如現れた正体不明の黒竜となった。生態系の頂点である竜の個体数はとても少ない。今の竜峰に黒竜はいないので、大陸の外からやってきた黒竜と捉えられるだろう。
長い距離を隔てた海を超えるのは竜ですら難しい。そんな外の世界からやってきた巨大な黒竜に対し、戦いを挑む竜がいるだろうか。たとえそれが偽者だとしてもだ。
『お、おお……おおおおおっ! 素晴らしいっ! 素晴らしいぞ人間の魔女よ!』
ササクレは歓喜の咆哮を上げた。無論、これでいきなり状況が変わる訳ではないだろうが、少なくとも竜の群れの底辺から脱却できる可能性はぐんと上がった。
「私の奇跡の報酬に、セレネを人間の世界へ返してもいいかしら?」
『いいだろう! だが、我は外見が変わっただけに過ぎぬ。セレネを百年間見守るという契約は続けさせてもらうぞ』
(本当にこの竜、セレネにご執心なのね)
シンニは、竜の巫女と呼ばれるセレネの噂が、真実であった事を噛みしめる。単純にササクレは見た目が強面になっただけで、実力が変わらないからセレネを保険で取っておきたいだけの小物であり、現実は色々と違うのだが。
「シンニ……」
「……な、何よ」
シンニが後ろから掛けられた声に反応すると、セレネが呆然とした表情で見つめていた。それを見たシンニは、思わず身を引く。セレネは気付いていただろうが、実際にシンニの力を目の当たりにしたのはこれが初めてだ。やはり、汚らわしい、呪われている、と軽蔑されるだろうか。
「シンニ、ナイフ、ある?」
「え? あるけど……」
意味が分からないが、シンニはローブの下に持っていたナイフをセレネに手渡した。ナイフで一突きされる危険性もあるのだが、そんな危険よりも、シンニはセレネの言動の方が気になっていた。
すると、セレネはナイフを鞘から取り出し、長く伸びた純白の髪を一房切り取った。銀糸のような美しい髪を、セレネはシンニに握りこませる。
「これ、まさか……?」
「おんなのこ、えいえん、ともだち」
その意味は、シンニもよく知っている。大陸に伝わるおまじないで、女の子同士がお互いの髪を交換しあい、アクセサリを作る。そうする事で、永遠の友情を誓うという、子供じみた言い伝えである。
だが、それはつまり――。
「私と……友達になってくれるの?」
「もちろん!」
セレネは輝くような笑みを浮かべ、シンニを抱きしめた。シンニは、思わず泣きそうになってしまったが、何とかその感情を押し留めた。呪われた力を目の当たりにし、自分を殺しにきたというのに、この少女は、自分を永遠の友達として受け入れてくれたのだ。
「……ありがとう」
だから、シンニはそれだけを絞り出すように呟いた。それ以上話すと、嬉しさで泣き出してしまいそうだったから。そして、シンニも無言で自分の髪を一房切り、赤い癖っ毛をセレネに手渡した。
セレネはアクセサリなど作れないので、その髪を指に乱雑に巻き付けた。
(やったぜ!)
そして、感極まっているシンニと同じように、セレネも心の底から感動していた。シンニが目の前で解き放ったのは、間違いなく自分を殺そうとしたミラノと同じものだった。つまり、シンニにはミラノと同じ能力を扱う力がある。
ならば、こんな竜くさい森に引きこもっている必要は無い。シンニという強力な味方を得た今、一刻も早くアルエの元へと帰らなければ。
シンニの闇蛍と呪詛吐きの日除蟲はまるで別物であり、そもそもミラノは加害者ではなく被害者であるわけで、何一つ合っていないのだが、何故か話は丸く収まった。
『今の我は最高に気分がいい! さあ、早くバトラーとコクマルを連れてこい! 我自ら、貴様らを人間の世界へ送り届けてやる!』
そして、ササクレも超ご機嫌だった。これから始まるサクセスストーリーを色々と妄想しているようで、普段は人を乗せる事など絶対にしないのに、自分からアッシー君を買って出るほどだった。
「じゃあ、ヘリファ……」
セレネが、まるでタクシーで話しかけるみたいに、ヘリファルテへ、と言い掛けたのを、シンニが手で制する。
「待って。送ってくれるなら、聖セレネ霊廟付近にしてもらいたいわ。それも深夜に」
『別に我は構わんが、何故、そんな時間に、あのような場所を目指すのだ?』
「私にいい考えがあるのよ。ついでにもう一つ、奇跡を起こしてあげるわ」
大事そうにセレネの髪の一房を撫でながら、シンニは不敵に笑った。
次回、2部最終話になります。