第53話:聖セレネ霊廟
シンニが提出した休暇届けは、比較的簡単に受理された。今までただの劣等生扱いだったシンニであるが、マリーに認識された事で、学園内で優遇される立場となってしまった。
今まで他人を遠ざける、暗くて不気味な人間扱いだったシンニは、ヴァルベールの竜の襲撃で何もかも失い、傷付き歪んでしまった哀れな少女というように解釈されているようだった。
シンニは元々ヴァルベールの貧民街に暮らしていた訳で、家族も財産も無かったのだが、どうも噂が広まってしまったらしく、今まで毛嫌いされていたのに、ちらほらと話しかけてくる学生も現れた。
シンニとしてはそれが非常に鬱陶しかったのだが、下手に騒ぎを起こす訳にもいかず、休暇届けが受理されるや否や即座に学園を飛び出した。目指すは宿敵の眠る土地――聖セレネ霊廟である。
もともと、百合の花園として風光明媚な場所ではあったが、その付近に聖セレネ霊廟が建築された事で、各国から巡礼者が数多く訪れる土地となっている。
ヘリファルテでも巡礼ツアーが組まれており、シンニもそれに加わった。数台の馬車に分かれ、五十名ほどが参加する中に、シンニとコクマルも紛れ込んでいる。
『なあ、死人を殺すとか訳わかんねぇ事言ってるけど、狂ったのか?』
「ちょっと黙ってなさい。向こうに着いたらきちんと説明するわ」
今、シンニは聖セレネ霊廟行きの馬車に揺られていた。ここであまりコクマルと喋ると、カラスと喋る可哀想な人扱いされてしまう。ここで目立ってしまうと、今からやる悪事に支障をきたす危険性がある。
一週間ほどで、聖セレネ霊廟に辿り着いたシンニは、目の前に広がる光景に目を丸くした。
「まるで街ね……」
霊廟というからには、静謐な建物がぽつんと建っているのかと想像していたが、実物はまるで違っていた。もちろん、聖セレネ霊廟自体は、穢れ無き白をベースに建築された荘厳な建物であるが、シンニが驚いたのはそこではない。
聖セレネ霊廟は、未だに基礎の部分しか完成していない。月光姫の偉業を永遠に称えるため、数十年掛かって完成するような設計になっている。
この土地は白森とヘリファルテの中継地点でもあり、お互いの種族が手を取り合って作業している。つまり、種族の垣根を越えた巨大な公共事業のようなものだ。
巨大建造物を完成させるためには、大工を始め、多数の人間やエルフが必要となる。さらに野盗から彼らを守るため、戦える者達の護衛が必要だ。そうなると、テントや野営ではとても間に合わない。
彼らの寝泊まりする宿、食事を振る舞う場所が必要になり、人の集まる所には商人達が現れ……というように、芋づる式に人とエルフが集まってくるのだ。
そんな流れが二年ほど続いた事で、聖セレネ霊廟を中心としたコミュニティが出来つつあった。今はちょっと大きな村のような集まりだが、活気だけでいえば、ヴァルベールより余程人々は幸せそうに見える。このまま順調に建築が進んでいけば、エルフと人間の住みあう巨大な街へと成長していくだろう。
「本当、月光姫っていうのは偉大な存在なのね……」
シンニは己の仕事を誇りを持って生活していく人々を見て、忌々しげに舌打ちした。その直後、フードの下で暗い笑みを浮かべる。
「でも、その偉大さも今夜でおしまい」
『さっきからぶつぶつうるせぇな。いい加減、説明しろよ』
コクマルがシンニに促すと、シンニは彼女にしては珍しく、小声ながらも嬉しそうに計画を喋り出す。
「月光姫は、生きてる時も前人未到の偉業を成し遂げたけど、死してなお、こうして人々に職を与え、笑顔を与え、希望を与えている。大したものだと思うわ」
『で、そいつをどうすんだ?』
「皆がそれだけ月光姫に入れこむのは、彼女の『不滅の聖性』にあやかりたいからでしょうね。偉業を成しつつも早死にした。けれど、死体は綺麗なまま。そこに神秘性があるのよ」
シンニの言うとおり、月光姫の聖骸は全く腐る事がなく、今も霊廟の棺の中に眠っているらしい。その美しさに人は惹かれ、また、通常では考えられない神性をそこに見出す。それらの要因が、月光姫の名声をより高めているのは事実だ。
「だから、それを潰す。天の威光を引きずり下ろすのよ」
つまり、月光姫の「死してなお永遠」という部分を台無しにするのだ。シンニの操る闇蛍は、殺傷能力は殆ど無い。けれど、幼子の柔肌を傷つける事くらいは出来る。
『つまり、闇蛍でセレネの死体をボロボロにするって事か?』
「そういう事。私ならそれが出来るわ。簡単に」
月光姫の眠りを妨げてはならないという戒律により、棺を開ける事は出来ない。だが、闇蛍ならわずかな隙間から忍び込む事が出来る。そして、艶やかな姿で眠っているセレネの遺骸をずたずたに引き裂くのだ。
「そうだわ。腐って見えるように、黒い染みもいっぱい付けてやろうかしら。そうすれば、月光姫を信奉している人間も気付くでしょう。あいつもただの人間だったんだって」
今は棺を開ける事は禁じられているが、永遠に開けないという事は無いだろう。そして、棺の蓋を開けた時、真っ黒になり、傷だらけになった遺骸を見たら、人々は落胆し、こう考えるだろう。
――自分達の信じていた永遠性は、所詮まやかしだったのだと。
『なるほどねぇ。しかし、お前、陰湿だよな』
「何とでも言えばいいわ。私は、私の出来る事をやるだけよ」
シンニは軽く笑ってあしらうと、予約していた宿の一室へ向かう。当然、霊廟に巡礼に行くはずもなく、旅の疲れを癒すため、すぐにベッドに身を横たえた。シンニが動くのは、闇が深まった夜になってからだ。
それから数時間後、夜の帳が降りた頃、シンニはそっと宿を抜け出した。霊廟の周りには簡素な酒場なども用意されており、昼間に建築に関わっている人間とエルフが、和気藹々と酒を飲んだりしている姿が見えた。
シンニは彼らに見つからないよう、闇の中を少しずつ移動し、霊廟へ歩み寄っていく。近づけば近づくほど、建物の荘厳さに気圧されそうになる。大国ヘリファルテが主導となり建設を始めただけあって、間違いなく歴史に名を残す建物になるだろう。
『おい、今なら誰も見張りはいないみたいだぜ』
「了解。じゃあ、さっさと用件を済ませましょう」
霊廟付近の倉庫で、シンニはしばらく身を隠していたが、そこにコクマルがやってきた。魔獣であるコクマルは、フクロウよりも夜目が利く上に、天然の黒装束に身を包んでいる。夜の偵察にこれ以上向いた存在はいないだろう。
聖セレネ霊廟は夜間は立ち入り禁止となっていて、墓荒らしからセレネの聖骸を守るため昼も夜も衛兵が入口を守っている。コクマルは木陰からずっと監視していて、衛兵が休憩に入るのを確認するや否や、すぐにシンニの元へと飛んできた。
ほんの僅かな隙を突き、シンニは霊廟内に足を踏み入れる事に成功した。中には誰もいないはずだが、念には念を入れて足音を殺して歩く。
(聖セレネ霊廟……噂に違わず、綺麗な場所ね)
普段、美術品などに興味を示さないシンニも、この場所が優れた技術で作られているのが見てとれた。純白の少女セレネを表現するためか、内装は白一色で統一されている。ステンドグラスがところどころに嵌めこまれ、壁には、月光の下で両手を組んで祈る少女と、彼女の肩に乗る小さな鼠の描かれた絵画が掲げられていた。
『おい、誰か居るみたいだぜ?』
「えっ?」
シンニが思わず内装に見とれていると、コクマルがそっと耳打ちした。シンニよりもずっと目がいいコクマルは、一足先にその存在に気付いたようだった。シンニは手近にあった柱に身を隠し、目を凝らして様子を窺う。
霊廟内は昼は輝く陽光、夜は柔らかな月光を取りこむような構造になっていて、月の無い夜以外は明るく照らされるように設計されていた。だから、シンニもコクマルの言う人影を、遠目からでも見る事が出来た。
中央の祭壇らしき場所には、エルフの至宝である神木と呼ばれる純白の樹で作られた、真っ白な棺があった。間違いなく、月光姫セレネが納められているのだろう。
そして、その棺の前に片膝をつき、目を閉じて祈りを捧げる者がいた。プラチナブロンドの髪が月光に照らされ、一身に祈りを捧げるその姿は、姫に忠誠を誓う騎士のように厳かで、絵画のように美しかった。
「そこの柱に隠れている者。出てくるがいい」
しばらくの間、シンニは青年の様子を窺っていたが、青年が突如言葉を発したので、シンニはびくりと身を震わせた。足音は全く立てていないし、かなりの距離があるというのに、彼は既に気付いていたのだ。
(仕方ないわね……)
こうなっては隠れていても意味が無い。そう判断し、シンニは素直に柱から身を現した。棺は既に闇蛍の射程内に入っている。説教されて追い出される前に事を済ませてしまえばいい。
だが、立ちあがった青年を真正面から見た時、シンニは固まった。そう、彼はこの大陸に住む者なら知らない者はいない――。
「聖王子……ミラノ=ヘリファルテ!?」
「君は誰だ? ここは夜間は一般人の立ち入りを禁止しているはずだが」
しどろもどろになるシンニとは裏腹に、ミラノは警戒心を露わにシンニに向きあう。何故、こんな所に大陸一の王子がいるのか分からないが、仕方なく、シンニは被っていたフードを外す。
「女の子? 何故、君みたいな子がこんな時間に?」
「すみません。昼は他の人が多くて、落ち着いて祈れないと思ったので。夜に入って駄目だとは知らなかったんです」
シンニはすらすらと嘘を吐く。とにかく、なんとかして時間を稼ぎ、闇蛍さえ棺に忍び込ませてしまえばいい。そのために、シンニは嘘八百を並べていく。
「私はシンニと言います。ヘリファルテ国立大学で、『聖セレネ基金』を最近受ける事が出来まして、セレネ様の慈悲に大変感銘したのです。なので、間近でセレネ様に感謝の意を伝えたくて」
「シンニ? ああ、妹から話は聞いているよ。ヴァルベールの件に関しては、災難だったね」
「いえ、別に……」
どうやらマリーからある程度情報を聞いていたらしく、ミラノの警戒心が緩んだのが見てとれた。
「と、ところで、ミラノ王子はどうして、こんな所に一人で居たんですか?」
「ん? ああ、君と同じだよ。昼間だと周りがうるさくてね。それに、僕が来ると、皆が委縮してしまうだろう?」
実際には真逆の目的なのだが、ミラノはシンニを自分と同じ、セレネに深い感謝の念を持つ仲間だと認識したらしい。
「な、なるほど。よ、よく分かります。それで、セレネ様の棺に祈りを捧げていたという訳ですか」
「棺と言うより、聖骸布に、かな」
「せいがいふ?」
「ほら、棺の上の方を見てごらん。布が飾られているだろう?」
そう言って、ミラノは棺の少し上の方を向く。シンニもそちらに目線を送ると、そこには、汚いひらがなで「あいるびーばっく」と書かれたボロ布が飾られていた。世界一まぬけな聖骸布であり、晒し物である。
「あれが聖骸布ですか? 私には何が書かれているか分からないんですけど……」
「あれは『セレネ文字』というらしい。姉のアルエ姫に確認したが、セレネが書いた物で間違いないそうだ。もっとも、あの文字にどんな意味があるかは、僕も分からないけれど」
(何かの暗号みたいなものかしら……)
ミラノもシンニも日本語のひらがなが読めないので、丁度、現代日本人が象形文字を見たような感覚に近いようだった。まるで意味が分からんが、古代人が書いた不思議な文字だから意味があるのだろうという深読みのようなものだ。
「この布が見つかったのは、セレネの納棺が終わってからさ」
「え? じゃあ、死んだ後にセレネ様が書いたって事ですか?」
「単純に捉えたらそうなる。でも、常識で考えたらあり得ない。セレネはヘリファルテ国立大学に何度も行き来していたし、エルフとの交流もあった。その時期に書いた物が、何らかの手段で竜に渡ったと考える方が自然だろうね」
そう言いつつも、ミラノは「でも」と付け加える。
「でも、それでも……僕はセレネがいつか帰ってくる。そう信じたいんだ。棺を開けないように命令したのも、そんな気持ちがあったのかもしれない。もしもあの棺を開けて、今も眠り続けるセレネを見たら、今度こそ、彼女の死を認めないといけないからね」
「開けなければ希望は残っている、という訳ですか」
シンニは淡々とそう答えた。今からやろうとしているのは、その希望の芽を摘む事なのだ。シンニの言葉にミラノは答えず、寂しげに棺の方を見る。
「セレネが眠って二年、大陸中を遊学したよ。二年前に比べ、知識は明らかに増えた。剣の腕も磨いたし、自分で自分が成長したと思えるくらいには努力した」
そこまで言って、ミラノは目を閉じる。どうも言葉を選んでいるようだった。
「けれど先日、久しぶりに異国の友人とあった時に、『王子は腑抜けたでござるな』と言われてしまったよ。僕は知識も力も成長した。でも、それだけさ」
そう言って、ミラノはシンニに向かい合った。シンニからすれば、これ以上無いほど聖王子という表現が相応しく見えたが、その聖王子本人は、納得していないようだった。
「やはり、僕はまだ未熟なんだ。未だに彼女が、何事も無かったかのように『おはよう』って言ってくれるような、そんな子供じみた願いを持ってるんだ。ここで祈るのも、そうした気持ちを静めるためさ」
「私もそう思います。セレネ様は、奇跡を成し遂げる方ですから」
「君もそう思うかい? 無理に合わせず、情けない王子と笑ってくれても構わないよ」
「いえいえ、私は心からそう思っておりますので」
シンニは笑い出したい衝動をこらえながら、適当に話を合わせる。聖王子ミラノ=ヘリファルテは、未だにセレネ=アークイラにご執心らしい。
ならば、自分が考えた死人を殺す方法は、効果てきめんであろう。これで少しは呪詛吐きの仇を打てる。そう考えると、シンニの心に余裕が出てくる。
「しかし、一体どうやってここに忍び込んだんだ? 夜中でも衛兵は見張っているはずだが」
「私が来た時は、たまたま交代の時だったみたいでして。まあ、そういう偶然もあるんでしょう」
「偶然か……そう言えば、セレネと最初にあった時も、偶然だったな」
そう言うミラノの横顔は、ひどく寂しげに見えた。セレネと初めて出会った夜の事を思い出していたのあろう。
「君は、セレネに祈りを捧げに来たと言っていたね? 本来なら一般人は禁止されている時間だが、特別に許可しよう。衛兵の方には僕が伝えておくから、好きなだけ祈るといい」
「あ、ありがとうございます!」
シンニはぱっと表情を輝かせた。闇蛍をいつ発動させるかタイミングを見計らっていたのだが、王子が直々に祈りを捧げるチャンスをくれたのだ。これで、自分の影から攻撃を仕掛けやすくなる。
セレネに祈りを捧げられると聞いて喜ぶシンニを見て、ミラノは頬を緩めた。
「そんなに慕ってくれるなら、きっと彼女も喜ぶだろう。あの子は、同年代の友達が少なかったからね」
「それはそれはもう、熱心に祈らせていただきますよ。今の私がこうしているのは、セレネ様のお陰なので」
シンニは思いっきり皮肉を籠めてそう言ったのだが、ミラノは言葉通りに受け取ったらしく、頷いて外へと出ていった。恐らく、衛兵に報告と、警備を厳重にするように注意しに行ったのだろう。
「ふふ……やっぱり天は正しい者の味方ね。王子に見つかった時はどうなる事かと思ったわ」
『何が天は正しい者の味方だ。思いっきり犯罪じゃねーか』
「さ、ぱぱっと偉大なるセレネ様の威光を地に落としてやろうかしらね」
コクマルの憎まれ口も気にならないようで、シンニは意気揚々と闇蛍を発動させる。黒い蛇のような影が地面に染み込み、そのまま純白の棺へと滑りこんでいく。
「あ、あれっ!?」
『なんだよ? 今さら罪悪感に襲われたとか言うんじゃねぇだろうな?』
「ち、違うわ! 死体がないのよっ!?」
シンニは、かつてないほど狼狽した。




