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夜伽の国の月光姫  作者: 青野海鳥
【第2部】祝福されし呪いの魔女

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第52話:死人を殺す方法

 聖セレネ基金というありがた迷惑を押し付けられたシンニは、それから数日、ほとんど部屋から出ずに悶々とした日々を過ごした。


 シンニの部屋は極めて殺風景で、女の子らしい装飾品は何も無い。寮に最初から設置されているベッドや机、それにクローゼットなどの家具だけだ。衣類や生活用品は最低限しか持っていない。買う金がないというのもあるし、そもそも興味も無いので、特に不自由はしていない。


「はぁ……」


 そんなシンプルな部屋の中、シンニは今日で数十回目の溜め息を吐いた。机の上では、コクマルが器用に片足で立ち、もう片方の足でソーセージを掴んで食べている。多分、食堂かどこからか盗んできたのだろう。


『またサボりかよ。学費も生活費も心配いらねぇんだろ? ラッキーじゃん』

「うっさいわね。気分が悪いのよ」


 シンニは苛立ち混じりにコクマルに返事をする。今のシンニは薄いシャツに黒いスカートというラフな格好で、ローブと樫の杖はクローゼットに放り込んである。


 シンニが黒いローブを羽織るのは、周りの人間から変人だと思われる意図もある。他人に構われるのが苦手だし、会話の間に月光姫を褒め称える話題なんか出された日には、怒りのあまり手を出してしまう危険性もある。


『おい、マジでそろそろ単位とかやばいんじゃねぇの? お前、卒業する気あんのかよ?』

「無いに決まってるでしょ」

『もったいねぇな。折角チャンスを貰ったんだから、呪いなんかやめて面白おかしく過ごそうぜ?』

「そんな生き方なんか知らない」


 コクマルとしては、魔力の供給源であるシンニに路頭に迷われ、死なれたりすると困るのだ。魔力には相性があり、呪詛吐きの魔力に適応したコクマルに馴染むのは、現状だと似た属性を持つシンニしかいない。


 一方、シンニの方は、最高学府だろうが何だろうが関係ない。自主退学したいくらいなのに、聖セレネ基金とかいうふざけた制度のせいで足止めを食らっているのが現状だ。


「セレネ=アークイラめぇ……!」


 死んでからも自分の邪魔をする憎い相手を思うと、シンニの心にふつふつと怒りが湧いてくる。シンニはベッドから身を起こすと、床の上に乱雑に置いてある一冊の本を手に取り、ぱらぱらとページをめくる。聖セレネ基金の詳細を記した説明資料で、マリーと学園長から、目を通しておけと押し付けられたのだ。


「月光姫セレネ=アークイラの意志を継ぎ、この度『聖セレネ基金』が設立された。セレネ姫の慈悲に感謝し、勉学に励み、彼女の目指した恒久平和のため、尽力する人材に育つ事を期待する……ねぇ」


 序文を読んだだけでイラついてくるが、何とかして辞退する抜け道はないかと目を通す。しかし、義援金制度に対する説明と、月光姫セレネの生涯、ヘリファルテ第一王女マリーベルをはじめとするコメントなどが記されているだけだった。


「クソッ!」


 もう限界だった。シンニは感情の赴くまま、思いきり本を地面に叩きつけた。それから何度も踏みつける。


『物に当たっても問題は解決しねえぞ。ガキかよ』

「私はガキじゃないっ!」


 シンニがコクマルを怒鳴りつけるが、コクマルはカカカと笑うだけだった。反射的にクローゼットから樫の杖を引っ張り出し、フルスイングをぶちかますが、コクマルは軽く羽ばたいて回避する。


『本の次は俺かよ!』

「うるさい! どいつもこいつも月光姫、月光姫って! 一般人からすればそりゃ偉人かもしれないけど、私からすればとんだクソ馬鹿よ!」


 シンニの言っている事は正しかった。セレネがクソ馬鹿である事は紛れもない事実である。幸か不幸か、単にそれに気付いている人間が皆無だというだけだ。


 その時、ドアをノックする音が室内に響いた。シンニは少し悩んだ後、仕方なく応対する事にした。下手に無視し、後で揉め事になったら余計面倒だ。


 シンニは、べこべこになった聖セレネ基金の小冊子を足で蹴ってベッドの下に隠してから、ドアを開く。そして、ある程度予想していた人物の登場に、顔を(しか)めた。


「あの、ちょっといいかしら?」


 シンニは目の前に現れた女性を睨みつける。元々目つきが悪く、暗い雰囲気を漂わせているので気付かれてはいないらしい。はたまた、気付いていても気にしていないのかまではわからない。


「アルエ=アークイラ……様」

「アルエでいいわ。今はシンニちゃんと同じ一学生だもの。それに、お隣さんでしょ?」


 シンニを訪ねてきたのは、寮の隣室に住んでいる、月光姫セレネの姉、アルエだった。


「何か私にご用ですか?」

「いえ、用って訳じゃないんだけど、ちょっと騒がしかったから……」

「うちのペットのカラスが悪さをしたんで(しつ)けていました。うるさかったなら謝ります」

『嘘吐け! オメーが勝手に暴れて、本を滅茶苦茶に踏みつけてたんだろうが!』


 コクマルが抗議するように鳴いたが、アルエにはカラスが鳴いているようにしか聞こえていない。シンニはコクマルの反論をスルーしつつ、アルエを見上げる。


 南方の小国アークイラから、妹姫であるセレネを取引材料にし、アークイラ王国の女王がねじ込んだという事は、シンニも情報を仕入れていた。大陸の最高学府に在籍していただけで箔付けになると踏んだのだろう。


 だが、それは二年前の話。「馬と鹿の国」の田舎姫という前評判を(くつがえ)し、アルエはとても優秀だった。もしもアークイラの生まれではなく、もっと大きな国に生まれていれば、実力だけで入ることだって出来たかもしれない。


(さすが、月光姫の姉だけはあるってことね……)


 城に住んでいるセレネを直接調べるのは困難と判断した呪詛吐きは、姉のアルエから間接的に情報を収集しようとした。隣室になるようシンニに命じたのもそのためだ。


 シンニはアルエになるべく会わないよう気を配っていたのだが、むしろアルエの方から積極的にシンニに話しかけてくる事が多く、学園内で浮いている自分に対しても、全く偏見を持っていないようだった。


 そして、そんなアルエの慈悲と実力を遥かに凌駕する、月光姫セレネの力量を想像し、恐れたものだった。


 むしろ、姉がこんな優秀なのに、妹はなんであんな奴なんだというのが本当の所なのだが、その辺りはシンニはおろか、実の姉アルエですら知らないのだから仕方が無い。


「カラス君、あんまりご主人様に迷惑をかけちゃ駄目よ」

『ご主人様は俺の方だぜ』

「うっさいわね。黙ってないと本当にぶっ殺すわよ」


 ガァと抗議するコクマルに対し、シンニは怒鳴りつけた。その様子を、アルエは苦笑しながら見守っている。


「シンニちゃん、あんまり怒鳴りつけちゃ可哀想よ。それに、言葉づかいには気を付けないと。せっかく可愛い顔をしてるんだから」

「……どうも」


 シンニはばつが悪そうに答えた。他の学生がシンニを遠ざけるのに、アルエはごく普通の女の子に対するように接してくる。シンニは嫌われるのは馴れっ子だが、好意を向けられるのに馴れていない。だから、こういう時、どう反応していいか分からない。


「私なんかに構わない方がいいですよ。成績も良くないし、アルエ様に良くない噂が立ちますから」

「あら、私はそんなの気にしないわよ。ここに入って来た時も、さんざん悪口言われたもの」


 アルエは笑顔でそう言い放つ。強がりでは無く、本当に気にしていないのは、人付き合いに馴れていないシンニですらよく分かる。


「にしても、なんで私に構うんですか。アルエ様は、他にいくらでもお話しする人がいるじゃないですか」

「その……こんな事言ったら怒るかもしれないけど、シンニちゃんは、私の亡くなった妹とよく似てるの」

「えぇ?」


 さすがのシンニも目を丸くする。片や、慈悲と栄誉に彩られた穢れ無き聖女。自分は、呪われた力を持ち、生き恥を晒している汚物のような存在だ。似ているという意味が分からない。


「うちの妹も、生きている頃はとても賢い鼠を飼っていたの。シンニちゃんのカラスみたいにね」

「動物くらい誰だって飼いますよ」

「そうじゃなくて……何ていうのかしら、シンニちゃんは放っておけないっていうか、ちょっと危なっかしいっていうか、セレネとよく似てるのよ」

『確かに、危なっかしいのは合ってるよなぁ』

「似てません」


 馬鹿ガラスを無視し、シンニは即座に否定した。むしろ月光姫に似ているなどと言われ、(はらわた)が煮えくりかえりそうだった。確かに、セレネの本性を知っていた場合、あんなのに似ていると言われたら屈辱の極みだろうが、それはまた別の話だ。


「シンニちゃんは、放っておくと遠くへ行ってしまいそうな、そんな危うさがあるのかしら。妹も、生きていればシンニちゃんと同じくらいになっている筈だけど……ごめんね、こんな話をされても困っちゃうわよね」


 そう言って、アルエは寂しそうに笑った。普段は気丈に振る舞っているが、やはり肉親の死というのはなかなか癒えないのだろう。


「お気遣いありがとうございます。でも、私は放っておいても大丈夫ですから」

「そう……でも、何かあったら協力してあげるから。遠慮なく声を掛けてね」


 そう言い残し、アルエはそっと部屋の扉を閉じた。どうやら苦情を言いに来たのではなく、純粋に心配して来てくれたらしい。それに対する感情をどう処理していいか分からず、シンニは首を振る。


「本当、なんで月光姫のお姉さんとお隣なのよ……」

『お前が選んだんじゃねぇか』

「そうだけどさぁ」


 情報収集のために隣室になったのは予定通りだが、小国とはいえお姫様なのだ。まさか、あんな世話焼きお姉さんだとは思わなかったし、たまに手料理を差し入れまでしてくる。


「鬱陶しい事この上ないわ……」

『本当かぁ? 満更でも無いんじゃねぇの?』

「あんた、本当にぶっ殺すわよ?」


 コクマルがからかうように笑ったが、シンニの反論にはいまいち力が籠っていない。正直な所、自分でもアルエの気遣いが疎ましいのか、そうでないのか、よく分からなかった。


 何にせよ、アルエ=アークイラは、シンニの中では優先順位度はかなり低い。ヘリファルテとは直接関係が無いし、呪詛吐きの成し遂げられなかった、ミラノ王子と月光姫暗殺のおまけみたいなものだ。


 そう考えると、やはり諸悪の根源は月光姫セレネへと行き着くのだが、奴は既に月へと登ってしまった。死人を殺すのは不可能だ。


「……死人を、殺す?」


 そこまで考え、シンニはふと、ある事に気が付いた。慌てて地面に這いつくばると、ベッドの下に手を伸ばす。


『おい、何やってんだ? 金でも落としたのか?』

「黙ってないと羽を(むし)るわよ」


 シンニがベッドの下から取り出したのは、先ほどの本。何度も踏みつけたせいで、べこべこになった聖セレネ基金の説明書に、シンニは再び目を通す。適当に流し読みしていたが、気になるフレーズがあった事を思い出したのだ。


「月光姫セレネの聖骸(せいがい)は、死後も全く腐る事無く、聖セレネ霊廟(れいびょう)に安置されている。棺を開ける事は出来ないが、二年経った今もそのままであろう。おとぎ話のようだが、早世(そうせい)した天使を憐れんだ神が、遺骸に奇跡を施したのだろうか。いつか、彼女が帰る日のため。子供のような妄想だが、その妄想が実現する事を切望してやまない」


 シンニは自分の頭に叩きこむように、その一節を音読した。本の最後のページ、セレネの親友であるマリーベル王女の心境と、セレネに対する調査を進めていたヘリファルテの文官が、自身の感想を織り交ぜて記したあとがきである。


 信じられない事だが、月光姫セレネは死後数カ月が経っても遺体が全く腐らず、眠り姫のように霊廟に納められたという。


 当時のシンニは呪詛吐きの件で頭がいっぱいで、セレネの遺骸を直接見た事は無い。死体が腐らないなんて馬鹿馬鹿しいと思って一笑していたが、何人も目撃者がいるのは事実らしい。


「神の慈悲による奇跡……ね」


 シンニは口元を歪め、邪悪な笑みを浮かべた。


「コクマル、ちょっとどきなさい」


 机の上に陣取っていたコクマルを手で払いのけ、シンニは引き出しから一枚の書類を取り出し、ペンを走らせる。


『休暇届けか、それ?』

「そうよ。サボりくらいならいいけど、長期間留守にする場合、申請出さないといけないから」

『いや、サボりもよくねぇが、留守にするって、どっか旅行でも行くのかよ?』


 コクマルは首を傾げる。シンニは趣味らしい趣味は無く、休日でも一日中寝ているようなタイプの人間だ。そんな奴が、一体どこへ行こうというのか、まるで見当が付かなかった。


「死人を殺しに行くのよ」


 シンニは、まるで悪戯を思いついた子供のように笑い、そう答えた。

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