第51話:聖セレネ基金
シンニは呪詛吐きが亡くなってから数カ月の間、引きこもりのような生活を送っていた。授業には全く出ず、ヘリファルテ国立大学の寮で、呪いに関する研究に没頭した。
「私が、呪詛吐き様の無念を晴らす!」
シンニは、幼い頃から呪い以外の生き方を教えられていなかった。だから、自分が日除蟲をもう一度作り出し、師匠の悲願を継ぐ。そんな妄執に囚われていた。
自室に籠り、怪しげな実験を繰り返すシンニは、周りからは異常者扱いされていた。ただ、一人だけ頻繁に様子を見に来る人間がおり、それが鬱陶しくもあったが、そのお陰で、シンニはかろうじて人間らしい生活を送れてもいた。
そして、もう一人――いや、もう一羽、シンニの側に寄り添っている者がいた。
『おい、たまには外に出たらどうだ? 身体が腐っちまうぞ?』
「うっさいわね。私は今忙しいのよ!」
『おお、怖い怖い』
シンニに話しかけたのは、かつて呪詛吐きに使役されていたカラス――コクマルだった。竜の襲撃から超高速で逃げ出したコクマルは、自分の魔力が枯渇する前に、シンニの元に逃げ込んできたのだ。
呪詛吐きの忘れ形見であるコクマルを、シンニは大切に匿った。だが、呪詛吐きが魔力を調整し、適度にいう事を聞く魔獣として扱っていたのが、シンニは未熟故に魔力を注ぎ過ぎた。お陰で、悪知恵の働く性悪カラスに進化していた。
とはいえ、一人孤独に世界を呪い続けるシンニにとって、コクマルは多少ムカつくが貴重な話相手ではあった。従者というより腐れ縁、悪友といった方が近い。
そんな日々を過ごし、闇蛍を作り出すのに二年ほど掛かった。だが、完成品を見て、シンニは愕然とした。
「こんなのじゃ、とても日除蟲の代わりにならない……」
独学で、二年間でこの領域に達したのは、シンニの才能と努力、そして執念によるものだが、満足感は全く無い。
自由自在に操れる魔力の影。それ自体は非常に稀有なもの。だが、シンニの目標はあくまで呪詛吐きの願った大陸の滅亡と一族の復興だ。
しかし、闇蛍はシンニに一つの希望を与えた。闇蛍は自分の魔力を消費するが制御が可能。そして、弱い力ではあるが、他の物体に働きかける事が出来る。
これを使えば、例えば、荷台から少々食べ物をかっぱらったり、せこい悪事に身を染めれば、なんとか食いつないでいく事は可能だろうと考えた。
そこでシンニは退学を決意した。丁度、前金で払われていた学費も底を尽きかけている。パトロンのエンテ王女は東の島国へ追放。ヴァルベールも大打撃を受け、現在復旧作業中。
大陸中から入学希望者が殺到するヘリファルテ国立大学は、存在しない貴族の娘がいられる場所では無い。何より、月光姫の息の掛かった学園に、一秒たりとも長居したくなかった。
『俺は結構気に入ってたんだがなぁ。三食昼寝付きだし』
「あんたが気に入ってても、私は気に入らないの。それに、貧乏人の落第生なんて学園でもお荷物よ」
そうしてシンニは荷物を纏め、すぐに学園を飛び出せる準備をして、学園長室を訪れた。一学徒、しかも劣等生扱いであるシンニが、ほいほい出向ける場所では無いのだが、むしろそれが狙いだった。
「空気の読めない無礼者のほうが、向こうも追い出しやすいでしょうしね」
シンニは乱暴にドアをノックし、返事も待たずに部屋を開けた。
「げっ」
ドアを開けた直後、シンニは固まった。学園長だけだと思ったのに、部屋の中には意外な人物がいたからだ。
「ちょっと、まだ入室していいって言ってないわよ!」
白髪混じりで人の良さそうな学園長と対面し、お茶を飲んでいたのは、薔薇の花を思わせる赤いドレスに身を包んだ少女だった。プラチナブロンドのさらりとした髪を、肩のあたりで綺麗に切り揃えた愛らしい乙女は、ヘリファルテに住む者なら誰でも知っている。
(マリーベル=ヘリファルテ!?)
学園長に暇乞いをし、さっさと追放されようとしていたのに、予想外の人物にシンニは面食らう。ヘリファルテ第一王女である彼女が、何故、こんな所でお茶など飲んでいるのだろう。
「今、学園長と今後の方針について話し合いをしていたの。部外者は入っちゃ駄目よ」
「ああ、そういう事ですか……」
マリーの返事から、シンニは彼女がここにいる理由を察した。二年前、月光姫セレネが莫大な資産を全て学園に投資し、そして亡くなった。その意志を、親友であるマリーベル王女が継いだのは有名な話だ。
今のマリーは十二歳、以前は「聖王子の出がらし」などと陰口を叩かれていた彼女だが、今の彼女はヘリファルテ国立大学の最大のパトロンであり、他にも孤児院や、様々な公共施設に投資をしている。
二年前はわがまま王女様だったが、今のマリーベル王女を馬鹿にする人間は誰もいない。以前は長く伸ばしていた自慢の髪を切ったのも、親友であるセレネの意志を継ぐという決意の表れであろう。
それにしても、マリーに鉢合わせたのは驚きではあるが、逆にチャンスでもあった。学園長に追加でパトロンにも愛想を尽かされた方が都合がいい。退学の事務処理を待つ手間が省ける。
シンニが何も言わずに立っていると、マリーは紅茶のカップを置き、シンニの方に顔を向けた。
「まあ、聞かれて困る話でもないけど、マナーは守って欲しいわね」
「すみません。育ちがあまり良くないので」
「ウソ。あなた、ヴァルベールの貴族でしょ。名前は……シンニだったかしら?」
ぴたりと言い当てられ、シンニは瞠目する。貴族の身分が隠れ蓑という事は見抜かれていないが、自分の存在を認識されているとは思わなかったからだ。
「私、ここに在籍している学生はほとんど全部把握してるわ。特に貴族は覚えやすいしね」
「そうですか」
シンニの心を見抜いたように、マリーはそう答える。シンニは、自分と殆ど年齢の変わらない少女に畏敬の念を抱く。
しかし、だからといってシンニのやる事は変わらない。さっさとこの忌々しい清らかな世界を出ていきたい。だから、シンニはマリーをまっすぐに見て、用意していた言葉を伝える。
「私は、もうこの学園に居られる身分じゃないです。今日中に荷物を纏めて出ていきます」
「どうして?」
「どうしてもこうしても、学費が払えませんし、卒業の見込みもありませんから」
これは事実だ。元々卒業するつもりもないし、生活費も底を尽きた。素行もよくない自分なら、きっとハンカチを振って笑って追い出してくれるだろう。
「学園長、ちょっとこの子の書類を見せてもらえる?」
マリーがそう言うと、学園長は頷いて、部屋の隅にある本棚の前で何かを探す素振りを見せた。そして、一冊の本のような物を取りだした。
それが学生の近況を取りまとめた資料の束である事は、シンニも察していた。マリーはその本を学園長から受け取ると、シンニのページを見つけ、文字に目を走らせ、顔を顰める。
「これは……ひどいわね」
「ええ、ひどい有様でしょう」
シンニは薄く笑った。ここ二年、自室に籠りきりでろくに単位も取っていないのだ。元々、並程度キープしていた成績は、下の下になっているはずだ。
多少予定と違ったが、むしろマリーベル王女に判決を下された方がよいだろうと、シンニは内心ほくそ笑む。
――が、その期待は予想外に裏切られた。
「本当、ひどい有様……ヴァルベールが竜の被害を受けたのは知ってるけど、家族は全滅、家も全壊、生存者ゼロなんて……ここまでひどい被害を受けた人が居るなんて、私、知らなかった……」
「え? え? え?」
頭に?マークを大量に浮かべるシンニに対し、マリーはシンニの近況報告が書かれた部分を本人に見せた。シンニの予想通り、成績は学園内でも最低ランク。
だが、その下の備考欄に、こう記されていた。
『ヴァルベール王国の上級貴族の一人娘であるが、ヘリファルテ調査団において竜の被害状況を確認した所、そのような屋敷は発見できず。シンニ嬢を除き、家族や使用人に至るまで一人の生存者も確認出来ず。魔女の呪いに怒る竜の被害に巻き添えになり、全滅したものと思われる』
「え!? あっ、こ、これは……その」
シンニは吃驚した。そりゃ、書類上しか存在しないのだから、屋敷はおろか、使用人も家族も最初からいない。ただ、その辺りの情報は隠ぺいされている。
どうも、ヘリファルテ側からは「竜により家族も財産も全て奪われた哀れな犠牲者」として報告が上がっていたようだった。
マリーの「これはひどい」という言葉は、成績ではなく、シンニの被害状況を見て発した言葉らしかった。訂正しようにも、「実は自分自身が魔女であり、貴族なのは全部嘘です」とはさすがに言えず、シンニは黙り込むしかない。
「あなたも呪詛吐きの被害者の一人よ。そのせいで竜の怒りに巻き込まれた。家族も、お金も、何もかも無くなってしまったけど、希望を捨てないで」
「別に、私は何とも思っていません。マリーベル王女様からお優しい言葉を頂けるなんて光栄です。その名誉を胸に、私はこの学園を去ろうと思います」
「強いのね。私、そういう子は好きよ」
シンニは皮肉を籠めてそう言ったのだが、マリーは同情するような視線を向けた。こんな茶番は終わりにして、さっさと退学届を受理して欲しいと、シンニは切に願う。
「気休めかもしれないけど、あなたに少しだけいい報せがあるの」
「いい報せ、ですか?」
何か嫌な予感がする。そう思ったが、シンニはとりあえず先を促す。
「決めたわ! マリーベル=ヘリファルテの名において、シンニ、あなたに卒業まで在学する権利を与えます」
「……はぃ?」
普段、冷静な態度を取るシンニだが、思わず間抜けな声を漏らす。マリーの意図が全く理解出来なかったからだ。
「あ、あの! 私、お金なんか払えないですよ!」
シンニは慌ててマリーに抗議した。この学園に居たくないし、権利を与えられても払う金が無い。だが、二人の少女のやり取りを見守っていた学園長が、マリーの言葉を補足するように口を開く。
「学費に関しては何も心配する必要は無い。君は『聖セレネ基金』のリストに入っているからね」
「聖セレネ基金?」
耳にした事も無い制度に、シンニはオウム返しに聞き返した。
「簡単に言ってしまうと、故セレネ様の義援金を制度化したものなのだよ。丁度、マリーベル様とその話をしていた所だよ」
「セレネ……様が?」
「そう、月光姫セレネ様は、生前にエルフとの貿易で稼いだ財産を、全て学園に投資してくれた。その積立金を元に、マリーベル様が制度化しようと試みている。才能はあれど金を持たない者や、君のような不幸に見舞われた被害者を助ける制度だよ」
「つまり……私がその対象って事ですか!?」
「そう。君は今回の竜の騒動で全てを失ってしまった、最優先されるべき人間だ」
「じょ、冗談……ですよね?」
魔女の被害を受けたどころか、自分がその魔女の一味なのだ。万が一バレたら極刑間違いなしだろうし、絶対に受け取りたくない。
「冗談でこんな事言うほど悪趣味じゃないわ。特に、セレネは若い女の子は絶対に学園から離しちゃ駄目って、学園長によく言ってたらしいの」
「はぁ……」
「今思えば、セレネ様の計らいだよ。若い女性が何の後ろ盾も無く、たった一人で路頭に迷う事が無いようにと配慮されたのだろう」
というのは、マリーと学園長、およびヘリファルテの識者の勝手な見解である。セレネが学園に金を投資したのは、姉であるアルエに堂々と会うフリーパス目当てなのは、皆もご存知だろう。
だが、セレネにはもう一つ狙いがあった。せっかく大金をはたいているし、八歳から入場可能な女性専用の歓楽街を作る事が不可能だと悟った(当たり前だ)あの馬鹿は、「学園ハーレム計画」を裏で立てていた。何だか安物のアダルトビデオみたいな作戦である。
大陸中の良家が集まるヘリファルテ国立大学なら、自然と綺麗どころが集まるだろう。その美少女に金をばらまく事で恩を売り、疑似ハーレムを作ろうという、頭の悪い計画である。
だから、セレネはアルエに会いに行くついでに、仕方なく学園長に会う度、「若い女性が退学を希望した時は、可能な限り止めるように。金は自分の投資した所から出せ」としつこく伝えていた。そこには、美少女を逃したくないという純粋な邪念が籠められていた。
これらの遺言から、聖セレネ基金は、女性を優先するよう配慮されるらしい。男性の場合、よほど貧しい者でなければ投資されない。セレネの言葉を曲解した識者たちは、「資金は有限。男子たるもの裸一貫で青雲の志を持つべきだ。甘えてはならない」という計らいだろうと考えていた。
実際には、元貧乏中年男性のセレネには、「親近感を覚える男なら、同情票を投じてやらんこともない」という程度の情けであり、そうなっただけである。しかも上から目線でウザい。
とにかく、加害者でありながら被害者認定され、セレネの罠に見事はまってしまったシンニは、幸運に恵まれ、不幸にも在学を強要された。
学費も生活費も保障されるし、何より「マリーベル=ヘリファルテの名において」という強力な文言を、シンニが撥ね退けるのは不可能だった。
そんなわけで、シンニはヘリファルテ国立大学という、大陸で最も開放的かつ文化的な檻の中に閉じ込められている、という訳だ。
八歳という若さでそれだけ他人を配慮出来るとは、月光姫セレネはやはり聡明なのだろうと、シンニは舌を巻いた。実際には単なる俗物なのだが、事実の前に覆い隠されていた。
そして、その月光姫の慈悲が、シンニの苛立ちをいっそう掻き立てる。敵のお情けで生かされているという事実が腹立たしいし、それに対し、何も出来ない自分にもっと腹が立った。
「月光姫とその一味……! 大層お優しく、本当に腹立たしいわね!」
見事退学に失敗したシンニは、杖でガツガツ地面に突き、怒りを表しながら自室へ戻った。一部始終をコクマルに報告したら爆笑されたので、杖で思いきりぶん殴った事も追記しておく。
それから数日間、シンニはあの世へと勝ち逃げした月光姫への怒りを抱きながら、悶々と過ごしていた。
――だが、ある日、転機が訪れる。