第49話:楽園(改)
セレネはバトラーを肩に乗せ、のんびりと竜峰の丘を下る。セレネが住む前は多量の岩が転がっていたのだが、バトラー率いる白鼠集団によって、邪魔な岩は全て撤去されていた。鼠によって作られた、やたら洗練された獣道のお陰で、のろまな牛みたいなセレネでも安心して歩きまわる事が出来る。
竜は別格として、白森には独特の生態系があり、当然、大型の肉食獣なども棲息する。だが、セレネの住んでいるのは竜の住む縄張りの中。獰猛な獣たちも恐れをなして近寄らない。ある意味、世界一危険であり、同時に、世界一安全な場所にセレネは住んでいるのだ。そうして間もなく、セレネはとある場所へ辿り着いた。
そこは、セレネの住んでいる洞窟の下にある、少し開けた森林地帯である。当然、この場所も白く染まった木々が育っているが、とある一角だけが緑色に染まっている。それらをよく見ると、どれも人間の住む地域に生えている植物たちだった。
「ええと、たね、たね」
セレネは先ほど食べたリンゴの芯から種をほじくり出すと、無造作に地面に植えていく。
かつてアークイラでやっていたように、果物や野菜を食べた後、その種をとっておき、植えているのだ。ヘリファルテの庭は全面管理されていたため、こういった土いじりが出来なかったが、ここなら土地は余りまくっている。ついでに暇も持て余している。
アークイラにいた頃よりもはるかに広大な領土。しかも夜という時間制限なしというのは、竜峰に移り住んでからの大きなメリットだった。セレネはこの場所を「楽園(改)」と呼んでいた。
違う地域の動植物を安易に持ちこむと、その土地の生態系バランスを破壊してしまう危険性があるのだが、セレネはそんな環境保護の理論は知らない。仮に知ったとしても、「関係ねえ。ここは地球じゃなくて異世界だ。よって俺がルールだ」で通すだろう。
そうしてセレネは、今日もせっせと植林という環境破壊に精を出していた。
『では、私は邪魔にならないよう控えておりますので、何かご用がありましたらお呼びください』
「うん」
バトラーはそう言って、セレネの肩から飛び降り、少し離れた場所で主の姿を見守った。竜の縄張りを無防備に歩くのは、竜が相手にしない鼠のような小動物か、馬鹿なセレネくらいだ。
それでも、バトラーは最大限の警戒をしていた。いついかなる時も、主に降りかかる危険を払うのが執事バトラーの生き方だ。特に、二年前の日除蟲の事件を未然に防げなかった事で、バトラーはさらにその決意を深く心に刻んでいる。
セレネに危機が迫ればすぐに護衛に入り、かつ自然と触れ合う事で癒しを得ている主の邪魔にならぬよう、絶妙な距離で、バトラーはセレネを見守る。
「おお、カボチャ!」
リンゴの種を適当に地面にめり込ませたセレネは、そのすぐ近くにある、両手で抱えるくらいに成長したカボチャを見つけ、目を輝かせた。
大陸の北部にある竜峰では、南方のアークイラのように育たないだろうと思っていたのだが、セレネの髪の伸びる速度が速まったように、むしろ前よりも成長速度がずっと早い。嬉しい誤算だった。
「しろもり、モリモリ、そだつ……」
北国の寒さすら凌駕するおやじギャグを思いつき、セレネは一人で勝手に噴き出す。幸せな奴である。その途端、バトラーが凄まじい速度で駆け寄ってくる。
『姫!』
「おもしろい?」
『姫! 何者かが近くに居ます! 警戒を!』
あまりの面白さに感動したのかと思ったのに、スルーされたのでセレネは不機嫌になった。それはさておき、バトラーはいわく、何かが近寄っているらしい。さすがのセレネも、セレネなりに気を引き締める。
「なにもの? なに?」
『そこそこ大きな動物のようですが……猿? いや、違うな……』
バトラーは耳と尾をぴんと立て、鼻を動かし、対象の気配を探っているようだった。以前、白森でエルフと戦った時に油断して捕縛された事があったので、バトラーは相手を視認する前に、可能な限り嗅覚と聴覚で情報を得るようにしていた。これは経験による成長であり、セレネとはえらい違いである。
『む? どうやら、動きを止めたようですな。地面に伏せたようだが……休んでいるのか、警戒しているのか……』
未確認生物が地面に身体を伏せるのを、バトラーはほんのわずかな振動で捉えた。何者であれ、これ以上、主に近付けさせる訳にはいかない。そう判断し、バトラーは対象を目視する判断を下す。
『姫、私が直接見てまいります。危険ですので、この場でお待ち下さい』
言うが早いか、バトラーはきっ、と短く鳴いた。途端、近くにいた白鼠が数百匹単位で集まり、セレネの周りをぐるりと円陣で囲う。セレネは小柄なので、鼠が数百匹もいれば担いで高速で運ぶ事が出来る。どの方向から敵が来ても瞬時にセレネを脱出させられる、逃走のための陣形である。
『お前達、何かあれば姫を赤竜殿のところに避難させよ』
「きをつけて」
『労い感謝致します。その言葉で、私の勇気は百倍にもなります』
セレネの言葉を受け、バトラーは一礼し、気配の方へ駆けていく。十センチ弱という極小の身体と、鼠特有の敏捷性。警戒態勢のバトラーを見つけるのは、探知に長けたエルフですら至難の業だろう。
バトラーは白い草むらをすり抜け、草の切れ間から「それ」を発見し、目を丸くした。
『カラスと……人間か?』
バトラーは小声でそう呟いた。純白の森の中、真っ黒なローブを着た人間が倒れ伏している。そして、その横では、一羽のカラスが喚くように鳴いていた。白森の、まして竜峰付近には絶対にいないはずの存在達である。
「ちくしょう……」
地面に突っ伏した黒いフードの下から、呻くような声が漏れ聞こえてきた。声からすると、まだ幼い少女のようだ。何故、そんな少女がこんな場所に? 想像力豊かなバトラーにもさすがに意味が分からず、首を傾げる。少なくとも、偉大なる主のように、竜に認められて連れてこられた訳ではないだろう。
『とにかく、一度姫に報告するか』
少しだけ逡巡し、バトラーはそう判断を下す。こんな未開の土地で、人間の少女が平然としていられる訳が無い。どうやら相当弱っている事も推察できる。とりあえず、いきなり襲いかかってくる可能性は低い。報告に戻るくらいの余裕はあるだろう。
バトラーは草むらから首を引っ込め、踵を返してセレネの元へ舞い戻る。セレネは毛玉に囲まれ、地面に座り込んでいた。待っている間暇だったのか、白鼠を、寿司を握るように両手に持って遊んでいるようだった。
『姫、ご報告にございます』
「どうよ?」
『それが……信じられない事ですが、人間の少女と、カラスでした』
「しょうじょ!?」
バトラーの報告を聞き、セレネはいきなり立ち上がる。カラスの方は完全スルーだ。
『はい。どうやら相当弱っているように見えます。放っておけば、そのまま死んでしまうでしょうな』
「つれてって!」
『い、いや……しかし、まだ正体が分かっておりません。危険な者である可能性も……』
「いいから!」
セレネの気迫に押され、バトラーは仕方なく、少女の元へセレネを案内した。カラスが頬を突っついたりして目を覚まそうとしているが、少女は完全に気を失っていた。
「どけ! しっしっ!」
セレネが足で蹴る素振りをすると、カラスはちょっとだけ後ろに身を引いた。それからセレネは、倒れ伏した黒いローブの少女を見た。フードがずり落ち、顔がはっきりと見える。
泥にまみれ、随分と憔悴しているようだが、それを差し引いてもかなりの逸材である。セレネ基準の優・良・可でいうと、良は余裕で超えている。
「むむっ!?」
『ひ、姫! あまり不用心に触られては!』
バトラーが慌てて警告するが、セレネは聞いちゃいなかった。ローブの下に手を突っ込み、全身をくまなくまさぐる。うむ、全体的に肉付きはいまいちだが。今後の成長性を加えるとA判定だろう。これはもう助けるしかない。
全身を触られた事で目を覚ましたのか、赤毛の少女は薄く眼を開き、セレネを見て何事か呟いたが、声はかすれて聞き取れなかった。そしてすぐに、再び意識を失った。
「バトラー! どうくつ、はこんで!」
『は、運ぶとは、この少女をですか?』
「はやく、しんじゃう!」
『し、しかし……』
主の命令に、バトラーは戸惑った。こんな場所に、こんな恰好で一人で行き倒れている少女など、あきらかに異質だ。横に居るカラスも平然としている所から、普通の存在では無いのだろう。
外見からして不吉さを漂わせる闇のような存在。もしかしたら、災厄を呼び起こすかもしれない。
「はやく! はやく!」
『分かりました。姫、何が起ころうと、今度こそ、このバトラーがお守りします。ご安心くだされ』
「いいから! はやく!」
早く早く、と急かす主の提案を、バトラーは受け入れた。自分より遥かに聡明な主なら、当然、自分が感じた事など把握しているだろう。
それを踏まえたうえで、死にかけている者に手を差し伸べずにはいられない。かつて、罠に掛かった子鼠だった自分も、その優しさに救われたのだ。
ヘリファルテにいた時も、自身の利益は考えず、私財を全て学園へと投資した。損得など考えない愚直なまでの慈愛。それこそが主の最大の長所であり、欠点である。
ならば、自分はその欠点の部分を補うべきだ。バトラーは危険を承知しつつも、少女を助ける事を決意した。
バトラーが短く鳴くと、セレネの後ろから付いてきていた白鼠達は、まるで一つの生物のように少女を抱え、セレネの住む洞窟へと運んでいった。
バトラーはセレネの肩に飛び乗り、もう一部隊の白鼠を呼び、セレネごと自分を運ばせた。この方が移動が早い。バトラーが上空を一瞥すると、カラスも少し距離を置いて飛んでくるのが見えた。
『(この娘とあのカラス……警戒せねばな)』
バトラーは得体の知れない少女とカラスに警戒しつつも、とりあえず洞窟で介抱をすることにした。ここで見捨てる事は容易いが、主はきっと納得しない。
確かに、バトラーの考えている事は一部当たっていた。ここでこの少女を見捨てたら、セレネはキレる。なぜなら、セレネは二年もの間、人間の美少女に触れておらず、禁断症状が出始めていたからだ。
もう人間の美少女の形をしていれば何でもいいという精神状態になっており、エルフがいるのだから、魔物娘やドラゴン娘などがいてもいいのにと思い、こっそり探したりもしたが、残念ながら、そのような存在は見当たらなかった。
セレネは世の無情さを嘆きつつ、空から女の子が降ってきたり、どこかに美少女が落ちていないかなぁ、なんて事を考えていた。その矢先、まさか本当に美少女が落ちているとは思わなかった。
竜峰付近に来る人間という時点でレアだが、これが冒険者のおっさんだったら、しょせんR止まりだ。人間の少女というだけでSR。しかも、かなりの美人さんである。SSRだ。
セレネは、この少女は、頑張った自分に対するご褒美なのだろうと、大して頑張ってもない癖に完全に思い込んでいた。高速で地面を移動する白鼠タクシーにより、セレネとバトラー、そしてシンニは洞窟へと運びこまれた。
「ねかせて」
『し、しかし、これは姫の寝具です! 得体の知れないこのような者を寝かせるのは……』
「いい、よわってる」
『……畏まりました』
バトラーは、白鼠に命令し、普段セレネが寝かせている木の葉のベッドに少女を寝かしつけ、木を加工して作ったコップに水を汲み、飲ませてやった。シンニは意識を失いながらも、反射的に飲みこんでいく。
『姫も先ほど触診されていたようですが、恐らくは、極度の疲労による衰弱ですな。細かい事情は、起きてから尋ねましょう』
「うん」
そうしてバトラーは、洞窟の外を見た。例のカラスは警戒しているようで、入口の方でじっと様子を窺っている。
バトラーは主に気付かれぬよう、白鼠を、洞窟の窪みや入口、それに至る所に配備した。もしも何か異変があれば、伝言ゲームのようにバトラーに伝わるような仕組みになっている。
「よかった……」
シンニが助かると聞き、セレネは安堵のため息を吐き、彼女の額をそっと撫でた。ついでに太ももも撫でた。やりたい放題である。
こうして、シンニは一命を取り留めた訳だが、彼女は何者なのか、そして、何故、竜峰までセレネを狙ってやって来たのか? それを語るには、さらに時を遡り、ヘリファルテ国立大学での出来事を話さなければならない。




