【番外編】セレネ、ミラノとらぶらぶデートをする(後編)
ミラノに手を引かれ、セレネはもじもじしながら廊下を歩いていた。ミラノは、セレネの歩幅に合わせるようにゆったりと進み、城の入口にある馬車の所へやって来た。
「ばしゃ?」
「ああ、たまには外に買い物でも行くのもいいかと思ってな」
ミラノが手近にいる御者に指示を出すと、御者は、馬車をミラノとセレネの前まで運んできた。御者台から降りて馬車のドアを開けようとした部下を制し、ミラノ自らドアを開く。
「さあ、どうぞ、麗しきお姫様。なんてな」
ミラノが悪戯っぽく笑うと、セレネは頬をリンゴのように赤らめる。だが、決して嫌では無いようで、しずしずと馬車に乗り込んだ。続いてミラノも乗りこむ。
「では、城下町の大通りへ向かってくれ。細かい事は進みながら考える」
ミラノが御者に指示を出すと、御者は馬を操り、ヘリファルテの整えられた庭園をゆったりと進んでいく。夏から秋へと移るこの季節は、一年の中で最も麗らかな時期の一つだ。微かに残る夏の匂いを感じながら、セレネとミラノはのんびりと馬車を進め、目的の大通りへと辿り着いた。
市民たちは大鷲の紋章の着いた馬車に興味を引かれたようだが、元々この国は王族と市民の距離が近いため、それほど大騒ぎにはならない。マリーもよくお気に入りの洋服屋に出入りしているし、シュバーンやアイビスも、下町の職人工場などを視察したりもする。
だが、ミラノに手を引かれながら、そっと降りてきた白い少女を見て、市民たちは一瞬どよめいた。巷で噂になっているが、ほとんど街には現れない謎の少女のお出ましだったからだ。
「ぴゃ!?」
周りの声に驚いたのか、セレネは慌てて馬車に引っ込んだ。ミラノが苦笑しながらセレネに二言、三言声を掛けると、セレネは辺りを警戒する子ウサギのように、おっかなびっくり馬車から降りる。その様子を、市民たちは微笑ましげに見守っていた。
「そういえば、セレネと街を歩くのはヴァルベール以来だな」
「うん」
信じられない事だが、セレネはまっとうに返事をした。今のセレネは完全に精神を薬でやられており、人格を悪魔に支配されている。つまり、ごく普通の臆病な少女に過ぎないのだ。
「ひぃっ!?」
「ど、どうした!?」
だが、次の瞬間、セレネはミラノの腰にしがみついた。別に以前のようにバックドロップを仕掛けようという訳ではなく、純粋な恐怖でミラノに抱きついた。
――何でヒロインの行動に、いちいちこんな解説をしなければならないのか。
「あ、あれ……!」
「あれ?」
セレネが震えながら指差した先には、露店があった。どうやら串焼き肉を売っているようで、ソースに漬け込んだ焼き肉が香ばしい匂いを放っている。通常モードのセレネなら、フリスビーを追う犬のようにダッシュしていくだろう。
「あれ、こわい……」
「怖い? 露店がか?」
「おにくが」
(そういえば、セレネはヴァルベールで鳥の皮を食べさせられたのだったな……)
あの時の体験が、やはりセレネにとってトラウマになっているのだろう。ミラノはセレネに露店を見せないよう自分の体で隠しながら、再びセレネを馬車に乗せ、反対方向に進むよう御者に指示をする。
「あまり食べ物に関する店には行かない方がいいな。何か欲しい物はあるか?」
「いらない。まんぞく」
今のセレネは本当に何もいらないようで、ただミラノと馬車に揺られ、街を歩いているだけで幸せそうだった。ミラノとセレネは二人ともしばし無言で、あてもなく馬車で適当に街の人々の生活を見ているだけだ。お互い何も喋らなかったが、決して嫌な沈黙では無かった。
「すまないが、少し馬車を停めてもらえるか?」
しばらく城下町を進んでいたが、不意にミラノがそんな事を呟いた。御者は指示通りに馬車を止める。
「セレネ、少し寄りたい所があるのだが」
「うん、いいよ」
再びミラノはセレネの手を引き、彼女がバランスを崩さないよう支えながら馬車を降りる。
「ここは?」
「宝石店だ。といっても、それほど大きい物ではないがな」
ミラノの言うとおり、目の前には、小さな、けれど落ち着いた雰囲気の宝石店があった。木造の建物で、随分年季が入っているのか、建物自体は決して立派ではない。だが、ところどころ丁寧に修繕されているのを見ると、この店を営む主人の人格が見てとれるようだった。
「月並みで申し訳ないが、何か綺麗なアクセサリでもプレゼントしようかと思ってな」
「でも、おたかい、でしょう?」
「この辺りは旅人もよく寄る場所だからな、それほど高価な代物は無いはずだ」
希少な宝石や、魔力の籠った道具などの高額商品を扱う店は城に近い物が多い。すぐ近くに衛兵の詰め所などがあるため、盗難対策が厳重なのだ。
その点、今目の前にあるこの店は大通りの隅の方にあり、グレードもそれほど高くない。それなりに高額ではあるが、市民でも十分手の届く商品を取り扱っている。どちらかというと土産物屋に近い。
ぎぃ、と古びた木のドアを開け、二人は中に入った。店内は掃除が行き届き、ドアを開けると日の光が差し込み、宝石たちが来客を歓迎するように輝いた。
中に居たのは品の良い老夫婦で、ミラノ王子とセレネが姿を現すと、腰を抜かすほど驚いた。
「あらあら、まさか高貴な方々がこんな店に来るなんてねぇ……長生きはするもんですねぇ」
「ばーちゃ、なかないで」
老婆は感激のあまり涙を流したが、それを老夫とセレネが優しく宥める。ミラノはその様子を後ろで微笑ましげに見守ると、店内をぐるりと見回し、宝石一つ一つに付いている値段を見た。
(予想通り、値段はそれなりといった所か。これなら問題ないだろう)
店内には、色鮮やかな宝石が所狭しと並べられていた。どれもペンダントやブローチに加工されているが、小さめの物ばかりで、店相応の商品が並んでいる。そして、それがミラノの狙いでもあった。あまり高い物は、セレネが遠慮して受け取らないだろうと考えたからだ。
実際には、セレネは高いとか高くないとか以前に、食べられない鉱石に興味は無く。宝石より打製石器のほうが実用性があって好きなのだが、錯乱セレネは煌びやかな宝石を見て顔を綻ばせていた。宝石の持つ価値ではなく、純粋に美しい物を見た感動からである。
「何か好きな物を選ぶといい」
「ほんとに?」
「これだけ歓迎して貰って、店にひやかしで入る訳にはいかないだろう?」
「うー……」
セレネはまだ遠慮していたが、少し悩んだ後、小さなブローチを一つ選んだ。金縁に彩られた瑠璃色のそれは、ミラノの髪と瞳によく似ていたからだ。
ミラノはその装飾の意味に気付いたが、それを口に出すと、セレネがそっぽを向いてしまいそうなので、黙ってそのブローチを購入した。
「これで満足か?」
「あ、ありが……うっ!?」
セレネがそのブローチを受け取った瞬間、不意に顔を顰め、ブローチを持っていない方の手で頭を押さえ、床に膝を付く。
「ど、どうした!? セレネ! 大丈夫か!?」
「ずつうが、いたい……」
ミラノが何か叫んでいるが、セレネには薄く膜が掛かっているように聞こえていた。そして、自分の体が、細身ながらも鍛え上げられた腕で抱き上げられた所で、セレネの意識は途切れた。
◆◇◆◇◆
セレネが倒れると、ミラノは狂ったように馬車を走らせ城へ戻り、城お抱えの医師の元へ駆けこんだ。ミラノは生きた心地がしなかったが、幸い、セレネは軽い熱を出している程度だと聞き、ほっと胸を撫で下ろした。
「もう! 兄さまったら! あんまりセレネを昼間に連れ回しちゃだめじゃない!」
「返す言葉がないな……」
そして今、ミラノはマリーの前で絶賛お説教され中だった。いつもと真逆の立場だが、今回ばかりはミラノは反論できなかった。医師曰く、日光に弱いセレネを昼間に連れ回したせいで、軽い熱射病を起こしたのではという診断だったからだ。
確かにセレネが日差しには弱いのは事実だが、それよりも惰弱な精神のほうに問題がある。肉体的には別に病気でもなんでもない。単に反転薬の効果が切れた事で、脳に一次的な負担が掛かっただけだ。
普段あまり使わない部分の筋肉を使うと、すぐに筋肉痛になったり足がつったりするが、あれの脳味噌バージョンと考えると多少分かりやすい。
「でもまあ、セレネは満足したみたいだし、許してあげるわ。ちゃんとセレネが起きたら謝るのよ?」
「何でお前にそこまで指示されなければならないんだ」
「だって、兄さまって意外と女の子の扱いが下手なんだもん」
「分かった。少し様子を見てくる。起きているようなら、お前の言われた通りにするよ」
ミラノはマリーから「行ってよし」の合図を貰い、妹の部屋を出た。
それとほぼ同時に、セレネは目を覚ました。セレネは目を擦り、かぶりを振って状況を確認する。
「あれ? いつ、ねた?」
セレネは人間の怠け者であるが、その気になれば猿のナマケモノ並に寝ていられるので、昼夜逆転は当たり前。おまけに寝起きも悪い。頭にスペックの低いハードディスクを積んでいるので、起動――つまり現在の状況把握に時間が掛かるのだ。
窓から差し込む日の光から、既に夕刻になっているようだが、昼間の記憶が殆ど無い。確か、地下室に変な薬を取りに行ったはず――。
「へんなくすり!?」
大変だ! こんな所で寝ている場合では無い。セレネは上半身をベッドから起こし、再び地下へ向かおうとするが、ふと、ある異変に気付いた。
「なんじゃ、こりゃ?」
手の中を見ると、見知らぬ青いブローチがあった。寝ている間ずっと握っていたらしいが、出所がさっぱり分からない。
『姫! 気が付かれましたか!?』
「あれ? バトラー?」
声のした方向に目を向けると、セレネのベッドの下から、バトラーが心配そうに見上げているのが見えた。
『申し訳ございません。日中は城の裏側を見回っておりまして、駆けつけるのが遅くなりました。姫が倒れたと聞いて心配していたのです。お加減はいかがですか?』
「だいじょうぶ」
『ところで、そのブローチは?』
「これ?」
セレネは手に持ったブローチを再び見た。どこでこれを手に入れたかさっぱり記憶に無い。今朝は持っていなかったし、日中寝ていたと考えると、薬を探しに行った時に持って帰ってきたという事になるが、その辺の記憶が曖昧だ。
「やばい……」
バトラーに聞こえないように、セレネは口の中でそう呟いた。何にせよ、城の物を勝手に持ってきた事は間違いない。つまり窃盗だ。粉薬なら使えば分からないが、現物を持っていて「記憶にございません」なんていっても言い逃れできないだろう。
「バトラー、これ、あげる」
『えっ!? これを私にですか?』
「うん」
セレネは持っていたブローチを超高速でバトラーに与えた。
というか押し付けた。自分が持っていたら犯罪者扱いだが、鼠が持ってきたことにすれば言い訳出来るという、姑息な考えである。
『あ、ありがとうございます!』
しかし、バトラーは主君からの贈り物にご満悦だ。昼に主がミラノと宝石店に行った事は、バトラーは既に把握していた。
そして、このブローチがそれほど高額では無い事は、バトラーの審美眼で見抜けた。主人を飾るには物足りないが、矮小な鼠の自分には身に余るほどの光栄だ。
そこまで考え、主は自分のためにこのブローチを選んできてくれたのかもしれない。そう考えると、バトラーの胸は熱くなった。
『姫のご厚意。このバトラー、謹んでお受けいたします』
「お、おう……」
バトラーはブローチを両手で抱え、天の神に捧げるようにセレネに向ける。セレネは何が何だかよく分からないので、曖昧に笑って流した。
「……鼠のおもちゃになってしまったか」
そんな一人と一匹の様子を、ミラノはドアの隙間から苦笑しながら眺めていた。セレネの様子を窺いにきたのだが、何やら話声が聞こえたので、そっと覗いていたのだ。
部屋の中では、ベッドの上のセレネが飼い鼠に優しく話しかけていた。鼠はブローチに興味を示し、まるで人間が会話しているように、きいきい鳴いていた。
ドアから距離があるので、セレネが何を呟いているかはまで分からなかったが、少し悩んだような様子を見せた後、自分の持っているブローチを鼠に与えてしまった。
鼠の方は新しいおもちゃに興奮したのか、両前足で、ブローチをクルミを抱えるように持っている。
「セレネらしいといえば、セレネらしいな」
ミラノは一人笑った。自分で欲しがったブローチだというのに、鼠にすら与えてしまう。きっとセレネは、そういう性質の持ち主なのだろう。
「やはり、救われているのは僕の方かもしれないな」
自分はセレネを暗闇から救い出したつもりだったが、そのセレネによって救われたのは自分自身なのだろう。そんな事を思いつつ、ミラノは場の空気を乱さぬよう、その場を後にする。
「そうだ、例の危険物を処理しておかないとな」
セレネの事で後回しになっていたが、クマハチの報告では、あの地下室には危険な薬があるという。ミラノはそのまま地下室に向かい、怪しげな二つの袋を発見した。そして、それをすぐに焼却処分してしまった。
翌日、セレネが再び地下室へ向かうと、袋は両方とも消えていて、ムンクの叫びみたいなポーズを取った。さらにその後、ミラノがそれを燃やしたと知り、また先手を打たれた事に発狂するのだが、それはまた別の話である。