【番外編】セレネ、ミラノとらぶらぶデートをする(前編)
セレネが東方から帰還して少し経ってから、ヘリファルテ宛てに荷物が届いた。大国ヘリファルテのご機嫌取りに、他国が貢物を送る事は珍しくないが、その荷物は一風変わった大きな箱であった。
「ふむ、これは……奴からでござるな」
部下から報告を受けたクマハチは、主に危険を及ぼす物がないかチェックする役割も担っている。だが、今回はあっさりと判定できた。彼の出身国ではよく見かけるが、この国ではほとんど見る事の出来ない編みかご――葛篭とよばれる衣服入れだったからだ。ほとんど鎖国状態の国から、こんな物を送ってくる人物は一人しかいない。
クマハチは、部下の兵士達に命じ、とりあえずそれを城内の倉庫に運ばせ、ふたを開ける。中には綺麗に折りたたまれた色艶やかな着物が沢山入っており、一番上には手紙が入っていた。
クマハチは手紙の封を解き、目を通す。案の定、彼の兄――カゲトラからの貢物だった。手紙には、ヒノエを救ってくれた礼、およびマリーベル王女とセレネを危険な目に併せてしまった詫びをしたいというような文章が綴られていた。
「とかなんとか言って、兄上の考えは大体分かるでござるがな……」
クマハチは口をへの字にしながらそう呟いた。礼と謝罪と言うのは大義名分で、これはカゲトラの戦略だろう。要するに、「異国であるにもかかわらず気の利く男」として、大国に認識されてコネを作っておきたいという訳だ。
手紙は二枚あったので、クマハチはそのまま二枚目に目を通す。一枚目は大陸共通語で書かれていたが、二枚目はクマハチの母国語で書かれていた。これを読める人間は少ない。つまり、ここから先はクマハチが読む事を前提に、かつあまり広めるなという意味だろう。
『どうせ今、お前は、冷徹な兄は自分を売り込むことしか考えていない。なんと利己的な人間だとか考えているだろう』
「人の心を読むな!」
クマハチは思わず紙切れに突っ込みを入れていた。まさに今、そう思っていた所なのだ。たまにカゲトラは超能力者みたいな事をする。単にクマハチが読まれやすいだけかもしれないが。
『私とて、着物の数着程度で大陸一の王子が満足するとは思っていない。これはいわば囮。ミラノ王子に役立つ道具は別に用意してある。籠の底を調べてみろ』
渋面を作りながら、クマハチは着物が詰まった箱の奥に手を突っ込む。すると、何か小さな布のような感触があり、引っ張り出した。それはクマハチの手の平に乗るくらいの小袋で、紐を解くと、中には小麦粉のような白い粉が入っていた。
『その粉は、先日捕らえた連中から巻き上げた物だ。巻き上げた方法は……内緒だ』
「『反転の薬』か……」
ある程度予想は付いていたが、クマハチはさらに文面を読み進めていく。
『別に服用して死ぬものではない。ただ、数時間の間、思考が変わるだけで毒性も依存性も無い。だからこそ発見しづらく厄介なのだがな。まあ、王子ともなれば、対外交渉に手間取る場合もあるだろう? そういう時、これを使うといい。どれだけ傲慢な相手だろうがたちまち善人になる。その隙に交渉を……』
そこまで読んで、クマハチは手紙を握りつぶすように畳んだ。兄のカゲトラは使えるものは何でも使う男だが、クマハチはそういった小細工を好まない。
「まったく、こんな物を送って……」
「クマー」
「ん? ああ、セレネ殿ではござらんか」
手紙に集中するあまり気付かなかったが、いつの間にか、倉庫のドアの入口に、セレネが立っていた。東方で刺身を食い損ねたセレネは、獲物を手に入れたライオンから横取りを狙うハイエナのごとく、贈り物の中に、ウニや海産物がないか漁りに来たのだった。
「おくりものは?」
「もちろん、セレネ殿にも綺麗な着物が届いているでござるよ」
「それは、いらん」
食いものが無いと分かると、セレネは首を振って拒絶の意を示す。
(やはり、セレネ殿はあまり物に執着が無いのでござるなぁ)
今ではヘリファルテでも一目置かれる存在だと言うのに、セレネは一向に服や宝石などを欲しがらない。もう少し欲を出してもいいのにとクマハチは思うが、それがこの少女の美徳でもある。
セレネは本当に服飾に興味がないだけで、煩悩が服を着て歩いているような存在なのだが。
「何にせよ、ヘリファルテ王国宛てに届いた贈り物を、拙者が勝手に弄る訳にはいかんな……着物はさておき、この危険物はどうしてくれようか」
「きけん?」
危険物、というクマハチのセリフを聞き、セレネがクマハチの元に足早に駆け寄る。
「ああ、セレネ殿には一応伝えておいた方がいいでござるな。うちの馬鹿兄が毒物まで一緒に送って来たのでござるよ。これはさすがに処分せねばなるまい」
「それ、やばい?」
「命に別条は無いが、精神に作用する薬でござる。決して触ってはいかんでござるよ」
クマハチは、セレネに対し、敢えて「これは危険な薬だ」と説明した。下手に隠して興味を持たれるより、頭脳明晰なセレネなら、前もって話した方が触れないと考えたからだ。
「とりあえずミラノ王子に報告せねばな。繰り返すが、その袋に触ってはいかんでござるよ」
「うん」
クマハチは反転の薬の入った袋をセレネの手の届かない棚の上に置き、ミラノに報告するため倉庫を出ていった。
その五秒後、セレネは踏み台代わりに椅子を用意し、速攻で危険物に手を伸ばす。
以前、ヴァルベールで貰った薬は没収され、結局セレネが使う事は出来なかった。あの薬は一体どうなったのだろう。何にせよ、王子に対する強力な武器が手に入る千載一遇のチャンスである。
「もってったら、ばれる……」
椅子に乗り、背伸びして布袋を手にしたセレネは、白い粉末を見てぎらぎらと目を輝かせる。だが、このまま持ちだすのはまずい。セレネは悪い頭で必死に知恵を絞り、妙案を思いついた。
「こむぎこ、こむぎこ!」
セレネは踵を返し調理場へ急ぐと、似たような布袋を見繕い、中に小麦粉を詰めた。これで外見上は全く区別が付かないダミーの出来上がりだ。後は倉庫の薬と入れ替えればいい。セレネはすぐに倉庫に戻ると、早速、先ほどの袋を掴む。
「セレネ、何してるの?」
「おわぁっ!?」
両手で袋を掴んでいたセレネは、突然声を掛けられ、飛び上るほど驚いた。反射的に両手を後ろに回し、体で袋を隠す。振り向いた先にいたのは、赤いドレスに身を包んだマリーだった。
「あ、わかった! カゲトラから送られてきた着物を物色してたんでしょ! セレネはあんまり服飾センスが無いから、後で私が選んであげるわ。それまで待ってなさい」
「うん、うん! いい、それで、いい。どうでもいい!」
セレネは壊れた人形みたいに首を縦に振った。幸い、ギリギリの所で薬に手を出している所は見られなかったらしい。マリーはセレネの返答に満足し、「兄さまを呼んでくるわ」と言い残し、その場を去った。
「ふぅ……あ、あれ!?」
一難去ってまた一難。再びセレネに対し、間抜けな危機が迫る!
「ウワーッ! どっち!? わからん!?」
反射的に袋を両方掴んでしまったせいで、どっちが小麦粉で劇薬なのか、全く判別が付かなくなった。急にマリーが来たので対応できなかった。
セレネはとりあえず袋を手近な棚の上に置き、睨むように眺めた後、両手で頭を抱える。
左っぽい気がするが、右だったかもしれない。よくよく見れば微妙な紐の違いなどで十分気付けるのだが、鼠を飼っているセレネは鳥頭の持ち主なのだ。
「そ、そうだ!」
その時、セレネの脳裏に電流が走った。舐めて確認すればいいじゃないか。過去世でセレネが読んだ探偵漫画で「これは……麻薬!?」と舐めて判断するシーンがあったはずだし問題は無いだろう。色々突っ込みどころが多いが、セレネの知識だとそれくらいしか判定方法がなかった。
早速、左の袋を開き、人差し指で粉をすくい。小さな舌でちろりと舐める。
「はうあっ!?」
瞬間、セレネは雷に打たれたように身を振るわせ、石畳の上にぺたんと座りこんだ。
「その声は……セレネか?」
「……おうじ?」
呆けたように女の子座りをしているセレネが振り向くと、今度はミラノが怪訝な表情で見つめていた。
「クマハチとマリーに言われて確認に来たのだが、床に座り込んでいたら服が汚れるぞ」
「…………」
「セレネ?」
セレネは、ミラノの顔をじっと見つめ――いや、見とれていた。中性的でありながら、最近どこか大人びてきた端正な顔立ち。あまり日当たりのよくない倉庫の中で、入口から差し込む薄日がプラチナブロンドの髪を輝かせ、まるで後光が射しているように見えた
「どうした? 頬が赤いぞ? 熱でもあるのか?」
「ひゃ!?」
心配そうにミラノがセレネを歩み寄り、屈んで額に手を当てる。セレネの肌は真っ白で、紅潮すると人よりも赤くなる。もちろんセレネは病気ではなく、一時的な発作である。つまり、気が狂っていた。
「クマハチから聞いたが、カゲトラ殿が気を利かせて厄介な物を持ちこんだらしいな。僕も詳しくは聞いていないが、気軽に倉庫に入ってはいけないぞ」
ミラノは少しきつめにセレネに言い聞かせた。クマハチと違い、ミラノはどちらかといえば心配性である。もちろん、セレネが聡明である(ように見える)事はミラノも理解しているが、それでも子供は子供というのがミラノの考え方だ。
「セレネ、聞いているのか?」
セレネはミラノの目をじっと見るだけで、全く反応が無かったので、もう一度尋ねた。すると、不意にセレネの瞳に大粒の涙が浮かんだので、ミラノはぎょっとした。
「ど、どうした!? 僕が何か気に障る事を言ったのか!?」
「ちがう……わたし、わるいこ」
しゃくり上げながら、セレネは大粒の涙を両手で拭い、ついに大声で泣き出した。
ああ、見目麗しく高貴な男性が、こんなに優しく気を遣ってくれている。だというのに、今までの自分は、その恩を仇で返そうとしていたのだ。なんと浅ましく、醜い魂だろう。
セレネは、自責の念で押しつぶされそうだった。見事ハズレを引いたセレネは、完全にトリップし、恋に恋する乙女の心を美幼女の身に宿したおっさんという、世にも奇妙な生物へ変わり果てていた。
「別に僕は、お前の事が心配だっただけで怒ったわけじゃないんだ。だから、そんなに謝る必要は無い。泣きやんでくれ」
ミラノは繊細なガラス細工に触れるように、そっとセレネの頭を撫で慰めるが、セレネはただ、「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣きじゃくるばかりであった。
(もしかして、僕は、この子の一番柔らかい部分をえぐってしまったのか?)
普段、超然と振る舞うセレネが、こんなに子供っぽく泣くのを見たのは初めてなので、ミラノは困惑していた。
何故、竜に連れ去られても平然とし、エルフとの会議でも堂々としている彼女が、倉庫で少し注意されただけでこんなにか弱くなってしまうのだろう。その答えは、ミラノには、一つしか思い浮かばなかった。
――自分はセレネの心の傷を抉ってしまったのでないか、と。
周りを見回すと、ここは少し薄暗い。日に当てると色褪せてしまう絵画などもあるため、カビが生えない程度には換気出来るようにしてあるが、基本的には冷暗所になるよう設計されている。
そして、この場所は、セレネの監禁されていた場所に少し似ている。彼女は、アークイラ王国のカビの生えた倉庫に何年も押し込められていたのだ。姉が稀に尋ねてくる以外、ほとんど誰も来ない暗い部屋に。
母親すらも彼女を忌み嫌った。きっと罵声の言葉を浴びせたられたことだってあるだろう。その記憶がフラッシュバックしてしまったのでは――ミラノにはそうとしか考えられなかった。
(でなければ、こんなにごめんなさい、ごめんなさいと謝る理由がない)
出来るなら、ミラノは自分自身を怒鳴りつけてやりたい心境だった。最近は表舞台に立たせていたが、元々この子は、僅かな月光の下でだけ生きてきた少女なのだ。それを知っていたはずなのに、何故、自分は、こんな暗い倉庫で彼女を責めてしまったのだろう。
「セレネ、少し外へ出ないか?」
「おそと?」
「そうだ。セレネはいつも昼は寝ているだろう? たまには昼の街に出てはどうだ? 僕がエスコートしする」
「ほんとに?」
セレネが不安げな表情で見上げると、ミラノは安心させるように微笑んだ。放っておくと、いつの間にか暗闇に飲まれてしまいそうなお姫様を、ミラノは少しでも日向に出してやりたかった。
普段なら「ワオオーッ!!」とか叫びながら、獣医の予防接種に全力で抵抗する犬みたいに暴れるセレネだが、状態異常のせいで、今のセレネは世界一清らかな心を持った少女と化していた。
だから、セレネは照れくさそうにはにかみながら、ミラノの差し出した手に、そっと小さな手を絡めた。