【番外編】誰でも分かる!呪詛吐きの呪い講座
ヘリファルテ王国に次ぐ大国ヴァルベール。貧富の差が激しいこの国では、道を一本裏に回るだけで、がらりと風景が変わる事も珍しくない。
裏通りには怪しげな店が立ち並び、廃屋も数知れない。その裏寂れた通りの建物の一つ、草木も眠る丑三つ時、恐るべき集会が開かれようとしていた。
「ひい、ふう、みい……よし、全員揃っているな」
声は男のものだ。真っ暗な部屋の中には、弱い明かりを放つランプが数個置かれているだけだ。かろうじて、その男が、紳士然とした服装の初老の男である事が見て取れる。
男は、今から行われる儀式に欠員が無い事を確認し、満足げに頬を歪めた。
「よし、ではこれより儀式を始める」
男がそう言うと、集まっていた者がぴんと背を伸ばす。数は十名ほど。皆、椅子に座っていて、闇に溶け込むようなローブを着こんでいるため表情は分からない。
「さて、今日は君達に嬉しいお知らせがあります」
男はもったいぶった様子で部屋の中を少し歩くと、振りかえって口を開く。
「今日は、君達に『呪い』を教えようと思います」
「「「やったー!!」」」
男が呪いと口にすると、黒いローブを着た者達が一斉に立ち上がる。その勢いでローブのフードが外れ、数人の顔が露わになる。皆、まだ年端もいかない少年少女ばかりだった。
そう、ここは呪われし一族の養成所。彼らは数が少ない代わりにとても結束力が強く、特に子供は大事にされる。表向きは『貧乏な孤児院』という名目になっているが、皆、ちゃんと両親もいて、それなりの生活をしている。
呪詛吐きをはじめとする大人達が、金持ちから巻きあげた裏金がつぎ込まれており、下手な金持ち学校よりよほど高度な教育も受けている。『祝福されし呪われた養成所』なのである。
「俺、大きくなったら絶対にムカつく貴族を呪い殺すんだ!」
「わたし、早く魔獣が欲しいなぁ。カエルがいいな」
これまで呪いに対する知識しか教えられていなかった子供たちは、初の呪い体験に大興奮だ。あれを殺したい、貴族から金を巻き上げたい、そういった輝かしい夢を語る子供たちを、初老の男は微笑ましげに見つめている。何と朗らかな光景だろう。
「さて、では早速授業に入るが、今日は特別講師を呼んでいる。忙しい中、我ら一族の未来を背負う君達のためにと時間を割いてくれたんだ。感謝するように」
「特別講師って、誰ですか?」
利発そうな眼鏡の少女が手を上げると、男はにやりと笑う。
「お前たちはきっと腰を抜かすぞ。では、特別講師の入場だ。くれぐれも失礼の無いように。ま、そんな大それた事を出来る奴はいないだろうがね」
男が意味深なセリフと共に部屋から出て行くと、少しして、古びたドアが耳障りな音を立てて開かれた。そして、その開け放たれたドアよりも大きく、子供たちの目が驚愕で見開かれる。
「じゅ、呪詛吐き様だ!」
「本当だ! 本物の呪詛吐き様だ!」
ドアの前に立っていたのは、顔が地面に付くほど腰が曲がり、自分の背丈より大きな杖を持ったよぼよぼの老婆。だが、彼女こそ、呪われし一族の長であり、最強の呪術使い『呪詛吐き』である。呪われた一族なら、知らない者はいない有名人だ。
「すっげー! 俺、生で呪詛吐き様を見るのって生まれて初めてだ!」
「私も初めて! 感激ぃー!」
子供達は尊敬のまなざしを呪詛吐きに向ける。彼らにとって、呪詛吐きは世界最高の大魔術師だ。けれど、呪詛吐きは廊下に立ったままで、部屋に入ってこようとしない。
一体何事だろう。子供達は不思議に思い、首を傾げて静まり返る。
「……皆さんが静かになるまで、十五秒掛かりました」
しわがれた呪詛吐きの声に、子供達は緊張して強張る。
「だが、私が本気になれば、聖王子だろうが獅子王だろうが、三秒掛からず静かに出来るがね。イッヒッヒ!」
「「「すっげぇぇぇえええぇーーーー!!」
呪詛吐きが冗談っぽくそう言うと、子供達は絶叫した。興奮冷めやらぬ子供達を横目に、呪詛吐きは子供たちの前に用意された椅子に座り、円陣のような体制となる。
「よっこらせっ、と。歳を取ると立ちっぱなしはつらいんでね。悪いが座りながら講義をさせてもらうよ。さて、前もって言われていた物は用意しているね?」
呪詛吐きがそう尋ねると、子供達は「はーい!」と元気よく返事し、ローブの内ポケットから小箱を取りだした。中から何か蠢くような音が聞こえる。
「さて、今日は『蟲毒』を作るよ。そのために虫を捕まえてこいと言われていたわけさ」
「コドクかぁ、あれって一番初歩の奴でしょ?」
「私、魔獣が作りたいなぁ」
男の子や女の子がそれぞれ意見を述べるが、呪詛吐きはそれを遮るように手で制した。
「気持ちは分かるが、呪いは扱い方を間違えると自分に降りかかるからね。お前たちは数少ない我ら一族の期待の若者なんだ。大事にじっくりやらんとね。何事も基礎が大事だよ」
呪詛吐きがそう言うと、子供達は訓練された犬のように即座に頷いた。彼らに取って呪詛吐きの言葉は、神のお告げに等しいのだ。
「では、まずは集めてきた虫を箱に集めるんだが……んん? 何だい、バッタやダンゴムシばかりじゃないか。ムカデや毒虫がいないじゃないか」
「だって、刺されたり噛まれたら怖いもん」
子供達は申し訳なさそうに項垂れる。呪われし一族とはいえ、皆まだ十歳にも満たない子供ばかり。呪いを覚えたい反面、恐ろしさもある。特に、蟲毒に使う虫はムカデやサソリといった獰猛なものが多いので、子供が捕まえるには少々荷が重い。
無論、呪詛吐きはそれも折り込み済みだ。呪詛吐きは彼らを責める事無く、にっこりとほほ笑む。
「いや、これでいいさ。今日は初回だからね。工程だけ知ってればいい。むしろ最初はこれくらいがベストだろうよ。いいかい、まずはこうして……」
そうして呪詛吐きは講義を始めた。蟲毒は呪いの中では初歩のものだが、使い方や精製法、それに作り手の腕次第でかなり応用が利く。バッタやダンゴムシが大量に入り、虫かごみたいになった箱を覗き込みながら、呪詛吐きは虫の選定方法、最適な容器、触媒の混入のタイミングなどを丁寧に解説していく。
「難しくてよく分かんない」
「最初はそんなもんさ。ま、でも全く知らないのと、多少でも知っているのでは訳が違うよ。お前たちはまだ殻の付いたヒヨコ。ニワトリになるには時間が掛かって当然さ」
呪詛吐きを中心として、円陣を組むように虫のうごめく箱を覗き込みながら、子供達は目を輝かせている。これで自分たちも呪い使いの仲間入り。まだまだひよっこだと分かっていても、そんな気持ちが湧いてくるのだ。
「これでコドクが完成なの?」
「そんなわけないだろう。準備が整ったら、呪う対象の触媒――例えば爪や髪の毛。それと、虫共が食い殺し合う時間が必要なんだ。呪いの道は地道な作業の積み重ねだよ」
「ええー、じゃあ今日見られないの? つまんない!」
子供達から一斉に抗議が上がる。せっかく超一流の講義を受けているのに、これでは肩すかしだ。しかし、それも見越していたかのように、呪詛吐きはにやりと笑う。
「そう言うと思ったよ。だから、今日は完成品を用意してある」
「えっ! ほんと!?」
呪詛吐きは、懐から小ビンを取りだして生徒達の前に置いた。中には巨大なムカデが入っており、ビンの中でおぞましく暴れている。
「おっと、手を伸ばしちゃいけないよ。ビンから少し漏れた呪力でも、子供なら体調を崩してしまうからね」
「すっげぇ……なんて魔力なんだ」
子供達は食い入るようにムカデを凝視する。普通の魔力持ち程度では感知出来ないが、呪われた一族は呪力に対してはとても敏感だ。ビンの中のムカデに、どれだけ規格外の力が籠められているか手に取るように分かるのだ。
「これはあるお姫様から、ある女の子を殺してくれって依頼を受けて作った物でね。ま、かなり手を抜いたから、私の制作物の中じゃ三流さ」
「三流!? これで!?」
「お前たちも大きくなれば、これくらい昼寝しながら作れるさ。それに、これ一個で平民の一年分くらいは稼げるからね。お貴族さまさまだよ。イヒヒ!」
「ほんとに!?」
「ああ、裏で呪いの力を欲しがる馬鹿貴族は山ほどいるからね」
虫一匹で平民一年分の稼ぎ。なんと夢のある話だ。それだけあれば、おもちゃやお菓子がどれだけ買えるだろう。子供たちの呪われた希望はどんどん膨らむ。
「ま、私は金のためにやってる訳じゃないが、生きてくにはある程度は稼がにゃならんからね。さて、これで今日の講義は終了だが、最後に何か質問はあるかね?」
「どうすれば、呪詛吐き様みたいになれますか?」
子供達は聞きたい事は山ほどあったが、先ほどの眼鏡の少女がそう質問すると、皆、静まり返った。結局、皆が聞きたい質問はそこに集約するからだ。
「ほう、いい質問だね。そうだね……まずはうんと勉強する事だね。私は表向きは薬師という事になっているが、薬学は呪いに応用できるからさ。それに算術や話術も必要だよ。上手く出来れば、さっき言った馬鹿な金持ちにふっ掛ける事が出来るからね」
「他に何かありますか?」
「あとは心身を鍛える事だね。さっきも言ったが、呪いってのは扱い方を間違えれば自分に降りかかるが、体力と精神力を鍛えておけば跳ね返せるのさ。病気を治すのに薬を飲むより、なる前に予防しろって事さ」
要するに、勉強と運動をしっかりやれという事である。健全な肉体には不健全な魂が宿る。それが呪詛吐きの教育方針である。
「さて、他に質問が無ければ以上で終了だよ。私は時間が無いからあまり来られないが、お前達が立派な呪い使いになって、大陸を混沌の渦に投げ込む日を楽しみにしているよ」
呪詛吐きがそう言って椅子から立ち上がると、子供達も全員椅子から立ち上がる。
「私たち!」
「俺達!」
「「早く邪悪な呪い使いになって、大陸を滅茶苦茶にします!」」
子供たちが真顔で宣言すると、呪詛吐きは顔をくしゃくしゃにして笑った。
「そうかい。この老体にはその気持ちが一番嬉しいねぇ。じゃあ、悪い子のみんなにはご褒美をあげようかね」
「えっ」
呪詛吐きは蟲毒の入った小ビンを懐にしまうと、代わりに飴玉くらいの大きさの石ころを取りだした。何の変哲もないただの石ころを、子供達は一つずつ受け取り、不思議そうに眺めた。
「それは呪殺石と呼ばれる、蟲毒の簡易版みたいなもんさ。嫌な奴がいたり、お父さんやお母さんがつらい目に合わされたら、そいつの家の庭に放り込んでやりな。呪力は調整してあるから死にはしないが、ま、三日は高熱で悶え苦しむだろうよ。イッヒッヒ!」
「ほんとに!?」
「本当さ。証拠も残さずに復讐できる。呪いってのは素晴らしいだろう」
「やっぱり呪詛吐き様はすげぇや!」
子供達はサプライズの呪殺石を貰って大喜びだ。ちょうどその頃に夜明けとなり、本日の講義は終了となった。勿論、普段は健康で文化的な生活を送らせているが、呪いの授業に関しては夜のほうがバレづらい。子供達は眠たそうにまぶたを擦りながら、寝泊まりしている二階の部屋へと昇っていった。
講義終了後、子供達を寝かしつけた初老の男が呪詛吐きの元へと戻って来た。彼は片膝をつき、呪詛吐きの前に跪く。
「呪詛吐き様、お忙しい中ありがとうございました」
「なぁに。丁度エンテに頼まれた蟲毒が完成した所さ。子供たちのためなら、これくらいお安いご用さ」
「ありがたいお言葉です。何か私に協力できる事があればいいのですが」
「今の所は特に無いねぇ……まったく、今の世の中は平和でつまらんよ。私が生きてる間に日除蟲を使う機会も無さそうだしねぇ。どこかに、あの秘術を使わせるくらいの逸材がいてくれるといいんだがね」
呪詛吐きはそう言って、寂しそうに笑った。日除蟲を発動させるには莫大な費用と準備が必要になる。いくら裏で呪いの需要があるとはいえ、今の時代は蟲毒程度が関の山。この調子では、彼女の生きているうちに禁術を使う機会は訪れそうもない。
「ま、もし蟲を作ることになったら、あんたには呪いを集める手伝いをしてもらおうかね。我らの一族の子供達以外なら、どうなろうと知ったこっちゃないからね」
「分かりました。もしその機会があれば、喜んでご協力させていただきます」
それからちょっとした世間話をして、呪詛吐きは呪われた託児所を後にし、我が家へと帰宅した。
「オイ、ババア! メシダヨ! メシ!」
「やかましいわ! 私は徹夜で疲れてるんだ。その辺で適当に探してきな!」
「ソリャネェゼ!」
帰宅した直後、一晩ほったらかしで腹が減ったと騒ぐコクマルを無視し、呪詛吐きは自室に引っ込み、使い古してギシギシいうベッドに腰掛けた。そして、懐から蟲毒の入った小ビンを取り出すと、憎々しげに睨みつけた。
「全く。本当にくだらない世の中になったもんだ。たかが八歳の小娘を殺すのに、私が呪いを使うなんてねぇ」
エンテ王女の依頼で作った蟲毒は、ちんけな八歳の小娘に使うらしい。
若い頃は絶世の美女であり、多くの男を侍らせ、大陸の闇という闇を支配した呪詛吐き。それが今や、路地裏で薬師もどきをやりながら、小娘相手に呪いを使う。
「落ちぶれたもんだ。まったく、せめて人生の最後くらい、一世一代の禁術を使ってみたいもんだねぇ」
呪詛吐きは溜め息まじりにそう呟くと、馬鹿げた考えを振り払うように首を振った。
――呪詛吐きの願いが叶うのは、これから半年後のことである。




