【番外編】ギィ、ザナを人間の街にエスコートする(後編)
登場と同時に退場したセレネを置き去りにし、ギィとザナはヘリファルテ王宮で用意された馬車に乗り、城下町の大通りに降り立った。道行く人々は、物珍しいエルフの男女に目を向けるが、族長として注目を浴びる事にギィは慣れている事もあり、平然としている。
「んじゃ、適当に散策すっか。 ……って、なに固まってんだ?」
「あ、あたし。人間の街に降りたのって初めてなのよね……」
夜の街を散策し、族長として皆を率いるギィと違い、ザナは基本的にギィにくっ付いている立場だ。城までは馬車やスキンクによる直通便。帰りも同様だ。人間の街に来たのは今日が初めてといっていい。
「おい、あんまりくっ付くなよ。歩きづれぇだろ」
「だ、だって! あたし、こんなに人間がたくさんいる所、初めて来たんだもん。手、離さないでね! 迷子になったらあんたのせいだからね!」
「お前の方が俺より勘がいいし、魔力の探知も上手いだろ。別にびびるこたぁねぇだろ」
「うっさいなぁ! 怖いものは怖いの!」
「じゃ、帰るか?」
「それは駄目! 人間の街には珍しい物が一杯あるってマリーが言ってたし」
ザナとしては、人間の文化に興味はある、けれど、人間の生態そのものはまだよく分かっていない。どちらかというと野生の掟に近い世界――白森で勘が鋭く探知に優れているという事は、常に辺りを警戒していないと気が済まないという事でもある。端的に言うと、ギィと比べ、ザナは慎重で臆病なのだ。
人ごみの中、ザナがギィの手を強く握ると、ギィはその手を握り返す。
「しょうがねぇな。じゃ、俺が適当にエスなんとかすりゃいいんだろ」
「う、うん……」
ギィの言葉に訂正もせず、ザナは大人しく手を引かれ、雑踏の中を歩いた。ギィはというと、昼間の喧噪に多少怯みつつも、大通りでザナの興味のありそうな物を探そうと目を光らせていた。
何でこんな事をしないといけないのか、自分でもよく分からないが、やるといった以上やらねばならない。
「凄いね。人間ってこんなに沢山いるんだ。あたし、何だか眩暈がしそう」
「だよなぁ。俺はだいぶ慣れたけど、ここに住みたいとは思わねぇな」
ギィやザナをはじめとするエルフ達も、最近は人間に対する憎悪や警戒心を薄めつつある。けれど、一部の変わり物を除けば、やはりまだまだ生まれ故郷である白森のほうがよく馴染む。この辺りは、時間が解決していくだろう。
エルフの物珍しさも相まって、ギィとザナが通ると人々は道を開けてくれた。というか、買い物よりもエルフ観察の方に興味が行くらしく、お陰で二人はすんなり歩く事が出来た。
「あ、あれ見て! あれ!」
「ありゃ何だ? 武器屋? いや、金物屋か? でも服とかも売ってるしな……」
歩いているうちにザナの警戒心も大分和らいだのか、突如、ザナがギィの手を引っぱった。ザナが指差した先には、雑貨屋があった。服や日用雑貨、果ては甲冑のようなものまで扱う、掘り出し物を扱うタイプの店らしい。その中でも、ザナが目を奪われたのは、ブローチやネックレスなどの装飾品だった。
「よし、ここに決めた。この店で、あたしのプレゼントを選ばせてあげる」
「あのな、何で俺が買うのにお前が偉そうなんだよ。つーか、お前が好きなもんを選べばいいじゃねぇか」
「馬鹿ね、それじゃエスカレートにならないでしょ。あんたがあたしに似合う物を選ぶの。あたしは目を閉じてるから」
「分かった分かった。俺がいいと思う物でいいんだな?」
ザナは頷いて目を閉じた。よく考えてみれば、ギィとは幼馴染だが、小さなころから二人で同じ獲物を狩ったりするばかりで、ギィからプレゼントを貰った事はほとんど無かった。一体、こいつは自分に何をくれるのだろう。ザナは期待に胸を膨らませる。
少しして、頭に何かかぶせられる感触がした。妙にごつごつして重い。ザナは目を開いて頭に乗せられた装飾品を手に取り、顔を歪ませた。
「これ鍋じゃない!?」
「ああ、よく似合ってるぜ」
ギィは得意げな表情で、ぐっと親指を立てる。すかさずザナは、その鍋でギィの顔面をぶん殴った。鉄拳制裁ならぬ鉄鍋制裁だ。
「痛ぇな! なにすんだよ!」
「そりゃこっちのセリフよ! 鍋は無いでしょ! 鍋は!」
「待て! その鍋の底の部分をよく見てみろ!」
「……横の部分?」
ギィが指さした鍋の底を覗くと、何か文字のような物が刻んであった。
「それは人間の名工が作ったブランド鍋だ。軽くて丈夫、しかも限定品らしいぜ! 限定品! すげぇな! 俺が欲しいくらいだ!」
「おらあっ!」
ザナはもう一度ギィの顔面を鍋でぶん殴った。ぼこん、という鈍い音がした後、ギィは地面を転げ回る。
「うおおお! 痛ってええええ!」
「確かに丈夫ね。全力でぶっ叩いても傷一つないわ。鍋は」
ギィの頬は腫れていたが、鉄鍋には傷一つ無い。なるほど、確かに一級品だ。
でも別にザナは鍋が欲しい訳ではない。鍋マニアのギィならともかく、こんな物を貰っても困る。
しかし、それ以上に困っていたのは雑貨屋の店主だった。いきなりエルフが店の前で夫婦漫才を始めた上に、商品の鍋で相方をぼっこんぼっこん殴っている。文句の一つも言ってやりたい気分だが、何せエルフは国賓だ。下手に扱って国を相手取るなんてことはしたくない。
「あの、何かお困りでしょうか」
その時、救いの女神が手を差し伸べた。その声の主は、薄桃色の簡素な服に身を包んだ、とても綺麗な金髪の娘だった。手には買い物かごを下げていて、中には食材が詰まっているようだった。
「あれ? ええと、あんた確か……」
「アルエと申します。セレネがいつもお世話になっております」
セレネの姉アルエは、普段王女として着ているドレスでは無く、こざっぱりした簡素な洋服に身を包んでいた。ちょっとした良家のお嬢様と言われても納得してしまうくらいの服装だ。
「お二人とも、何か揉めているようでしたので……」
「いや、ザナの奴が、エスニックがどうとかうるせーんだよ」
ギィは殴られた頬をさすりながら、もう片方の親指でザナを指差した。ザナは鍋を元あった位置に戻した後、ギィから距離を取り、一人で勝手に店内を物色していた。
「え、エスニック? 何か食べに来てたんですか?」
「まあ、そんなところだ」
ギィの目的は主に食事なので、そう答えた。ザナはもうギィには目もくれない。どうやら、そうとう怒っているらしい。
「エスニック……それならいい方法がありますよ!」
アルエはにっこり笑って、両手のひらをぽんと合わせた。
◆◇◆◇◆
ギィとザナはアルエに誘われ、ヘリファルテ大学の寮までやって来た。学食やカフェなどの施設も当然あるのだが、各寮には備え付けの台所があり、自炊も出来るようになっている。
「ええと、あたし達、なんでこんなところに呼ばれた訳?」
「エスニックという事は、郷土料理のお店を探していたんですよね? 私の故郷のものでよければ振る舞いますよ。こう見えて、私、料理は得意なんです」
「マジかよ。俺、ちょうど腹減ってたんだ。ありがてぇ」
「……なんか違う気がするけど。まあ、お昼時だしいいか」
目を輝かせるギィとは対照的に、ザナは何故こんな状況になったのか良く分かっていなかった。
ただ、ギィと散策している間に昼過ぎになってしまったし、ヘリファルテ以外の国の料理には興味があるので、結局エルフ二人組は、アルエの手料理をいただくことにした。
先ほどアルエが大通りにいたのは、食材を買うためだったらしい。今日は市場が開かれるので、そういう時、アルエは日持ちする物を大量に買い込んでいるとの事だった。その方が食費が安く済むらしい。
「けどよ、カネはミラノが全部出してるんだし、んなケチくせぇことしなくてもいいだろ。あんた、お姫様なんだろ?」
「王子には十分すぎる程良くして貰っていますし、あまり負担はかけたくないんです。それに、今は留学生ですし、何よりアークイラは辺境ですから。姫といってもたかが知れてますから」
アルエは喋りながらも、実に手際よく料理の下ごしらえを進めていく。野菜料理と肉料理を振る舞うつもりらしいが、たった一人で同時進行している。ギィとザナは、まるで手品でも見ているように、みるみるうちに姿を変えていく食材に目を奪われていた。
「なあ、ヘンキョーって何だ?」
「田舎って事よ。エルフの集落でも大きいのと小さいのがあるでしょ。小さい奴の人間版でしょ」
「ふーん」
ザナの解説に、ギィは適当に相槌を打った。別に規模が大きい集落でも、そこに属する全員が立派ではない。その逆も然り。ギィは集団の規模にはあまり興味が無いのだ。
「にしても、あんたもセレネもお姫様っぽくねぇよな。てっきり姫様って、マリーみたいな奴ばっかりだと思ってたぜ」
ギィが何となくそう言うと、アルエはそれまで手際よく動かしていた包丁を止め、自嘲するように笑った。
「そうですよね……私、あんまりお姫様って自覚が無くて。あの子と比べたら、私は特に優れた点とかありませんし」
「セレネと比べてか? ありゃ確かに規格外だからな」
確かに、セレネは色々な意味で規格外である。主に悪い意味で。
「でもさー、アルエだって凄いじゃない。ミラノに聞いたけど、あんた優等生なんでしょ? 自信持っていいんじゃない」
「そうでしょうか? でも、私にヘリファルテは分不相応な気が……」
「このバカだってノリと勢いで族長やってるんだし、結局、国とか血縁とかじゃなくて、大事なのはあんた本人が何が出来るかなんじゃない? 私、あんたの事好きだよ」
「つーか、どさくさに紛れて俺をボロクソに言うんじゃねぇ!」
ギィとザナの会話がおかしくて、アルエはくすりと笑った。それからまたアルエが調理を再開すると、今度はザナも手伝った。ギィはそのまま椅子に座っていたが、ザナに蹴り飛ばされ、無理矢理手伝わされた。アルエが作った料理は、ポトフのような煮込み料理だった。
「さあ、召し上がってください。見ての通り、家庭料理みたいな物ですけど」
「そんな事無いわ。これ、何だか懐かしい感じがする。エルフのあたしが言うのも変だけど、ほっとするっていうか」
「ふぉうふぁな(そうだな)」
「あんたは飲みこんでから喋りなさいよ!」
最初は王族らしく、豪勢な物を作ろうと気合を入れていたアルエだが、三人で作っているうちに、気を張らないで皆で食べられるような物にしようと考え直し、シンプルな煮込み料理となったのだが、なかなか好評らしく、アルエは胸を撫で下ろす。
「いつか、あたし達もアルエとセレネ様の故郷に行ってみたいわね」
「え、でも、本当に小さな国ですよ? 殆ど森と畑ですし、『馬と鹿の国』なんて言われてますし……」
「馬と鹿? いいじゃん。何か問題あんのか? 白森出て初めて見たけどイカすデザインじゃん。魔力があれば連れて帰るんだがなぁ」
「ねー、アークイラ、きっといい国よ」
「ふふ、そう言って貰える日が来るなんて、思ってもみませんでした」
アルエは穏やかに微笑んだ。『馬鹿者の国』『最小国の田舎娘』というレッテルなど、エルフには全く関係が無いのだ。最近、月光姫と呼ばれ、次々と偉業を成し遂げていく妹に対し、自分は何もできていないとアルエは内心焦っていた。
けれど、ギィとザナを見ていると、とても自然体で生きている事が伝わってくる。それを見ていると、アルエの心も軽くなる。自分以外の者にはなれないし、なる必要も無い。ありのままを受け入れる。その事を、エルフという種族はよく分かっているのかもしれない。
――そうして、エルフ二人と人間の王女は、和やかな雰囲気でポトフを分けあった。
◆◇◆◇◆
「今日はお会いできて嬉しかったです。お礼を言わせて下さい」
「礼を言うのはこっちの方だ。飯も食わせてもらったし。道案内もしてもらったしな。お陰で何とか城に帰れそうだ」
「あんた、ひょっとして迷子になってたの!?」
「うるせーな! 俺だってセレネに頼まれた時以外、ほとんど一人で出た事無かったんだよ!」
というような会話を目の前にして、アルエはくすくすと笑った。ギィとザナは、何が面白いのか分からず、二人して顔を見合わせたが、アルエが呼んでくれた馬車に揺られ、ヘリファルテ城への帰路に着いた。
「あー、たまたまアルエが来てくれたから良かったけど、あんた最悪だわ。結局、全然エスカレートになってないしぃ」
トータルで見れば今日の出来事は悪くなかったが、肝心のギィのエスコートは最悪オブ最悪だった。ザナが不満げにそう呟くと、横に座っていたギィは、外套のポケットから、何か筒のような物を取りだした。
「ほらよ」
「えっ?」
完全に不意打ちだったので、ザナは目を丸くした。ギィが無造作にザナに渡したのは、小さな果物ナイフだった。魔力などは籠められていないが、鞘と柄の部分は象牙で出来ており、小さな装飾がしてある。
「首からぶら下げる宝石なんかより、そっちのほうがお前向きだろ? お前、リンゴ好きだし、買っといたんだよ」
「…………」
ザナは無言でその果物ナイフをじっと見つめていた。確かに、下手な装飾より、ザナは実用的な物を好む。ザナは頬を緩め、ナイフを柄に納めると、きゅっと象牙のナイフを握った。
「いらないんなら返せ。俺が使う」
「やだ! 絶対返さない!」
「なら、お前にやる」
「ギィ」
「何だよ?」
「エスカレート、ギリギリ及第点をあげる。ほんとギリギリだけど」
「そうかい。そいつはありがとよ」
ギィはそう言うと、ザナとは反対側の窓に顔を向けた。ほんの少し頬が赤くなっているように見えるが、西日のせいかは分からない。
「さて、それじゃ城に帰って。とっとと会議を終えて飯食って寝るとするか。今日の晩飯は何だろうな」
「あんた……昼間あんだけ食べて、まだ食べ足りないの?」
そんなたわいも無い会話をしながら、馬車は穏やかに城への道を進んでいった。
余談だが、ギィをぶったたいた鍋は、殴られたギィ自身が頑丈さを気に入って購入した。これでギィの実家の大量の鍋コレクションに、もう一品加わる事になるのであった。