【番外編】セレネ、東へ行く 9(終)
事件の翌日、仲間の救援を待っていた暗殺者と女中は、何者かによって部隊全員が捕らえられ、壊滅した事を知ると、もはや逃れられぬと観念し、全てを白状し、ヒノエ暗殺計画は瓦解した。
この事件は街中で瞬く間に噂になった。何せ、今回の出来事は話題性が非常に高いのだ。
まず、呪われているとはいえ、自分の娘を殺す事を命じたのが実の父で、さらに有力な武家であった事。そんな有名人が暗殺者と裏で通じ、しかも禁断の薬まで使っていたというのだから、その反感は凄まじかった。
さらに「物盗りを装い、ヒノエを殺害するつもりだった」との供述が、この事件の盛り上がりにさらに拍車を掛けた。ヒノエの暗殺計画が実行されたその夜、こともあろうにヒノエの実家に、謎の物盗り集団が侵入し、家宝を根こそぎ持ち去ったというのだ。
余程統制の取れた大集団でなければ、一晩で運び出す事など不可能な宝の量なのに、怪しい人影を見た者は誰もいない。しかも、どうやら私利私欲のためではないというのも不思議だった。盗み出された金銀財宝は、貧しい者たちに少しずつ分配されていたのだ。
盗まれた財宝が一か所に集まっていれば、まだ取り返す事は可能だったかもしれないが、四方八方に分配された事で、もはやどこにどれだけ存在しているか見当も付かず、ヒノエの生家は一瞬にして無一文となったが、どうにもならなかった。
街の人間は「ねずみ小僧が現れた!」と大喜びだったそうだが、結局、最後までその「ねずみ小僧」の正体は分からなかった。
これだけの事件が一夜にして起こったのだから、騒ぐなという方が無理な話だ。この世の春を謳歌していた強大な武家は一瞬で丸裸となり、崖から転落するように没落していくのも時間の問題だろう。その中で唯一被害を免れたのが、蔑まれ、貧乏武家に売られていったヒノエだったのも物語として面白かった。
――後に、この物語は、皮肉の利いた風刺物語として、島国で長く語られる事となる。
◆◇◆◇◆
「まさか、お前に借りを作る事になるとはな。今回ばかりは、いくら礼をしても足りん」
「ははは! 拙者は何もしておらんでござるよ。全てセレネ殿のお陰でござる」
事件から数日が経過し、穏やかな日差しの下、カゲトラとクマハチは並んで港への道を歩いていた。いよいよ、大陸へ帰還する日が来たのだ。護衛として付き従っている兵士達も、親しくなった異国の人間との別れを惜しんでいるようだった。
「もう少し長く居られたらよいのに……」
「仕方ないわ。もともと長く居る予定じゃ無かったし、セレネの体調も崩しちゃったし」
クマハチ達の後ろを歩くヒノエが寂しげに呟いたが、マリーがそれを優しく諭す。そして二人は、クマハチに背負われ、眠っているセレネの方に目を向けた。
あの夜、悪党どもを蹴散らした直後、セレネは全ての力を使い果たしたように倒れて高熱を出した。そして、今に至るまでずっと眠り続けていた。医師の見立てでは、命に別条は無いが、恐らく慣れない環境と、過労が原因であろうと診断された。
実の所、過労と言うよりは、普段使わない脳みそをフル回転させたためオーバーヒート――ハイパー知恵熱とでも言うべき状態になっていただけで、冷却に時間が掛かっていただけだった。今日になって熱が下がり、相変わらず眠り続けてはいるものの、容態が安定したと判断され、船旅を許可されたのだ。
「お医者さんは、『この国の風土が合わないのかも』って言ってたし、大分無理させちゃったから、早く帰してあげないと。大丈夫、また、すぐに会えるわ」
「そうですね……本当はお別れを言いたかったのですが、起こしてしまっては可哀想ですね」
マリーとヒノエは、仲良し三人組の最年少のセレネに視線を向けた。もしもセレネがいなければ、マリーはカゲトラと親密になる事は出来なかっただろうし、ヒノエも今、生きていられなかっただろう。
最大の功労者であるセレネに別れの挨拶が出来ないのは、カゲトラを始めとする屋敷の皆も名残惜しいかったが、なるべく早く彼女の想い人――愛しい王子の待っているヘリファルテへ帰してやりたかったのだ。
そうして、ついにその時が来た。必要な物資を帆船に積み終わると、錨を上げ、大鷲の紋章を広げた船は、ヘリファルテへ向かって出航した。ちなみに、高貴な方々の別れの邪魔をしないよう、バトラーは一足先に、船倉の物陰にそっと身を潜めていた。
「またねー! 今度はうちの国に来るのよ! 歓迎するからねー!」
「はい! その時が来る事を楽しみにしています!」
船の上からマリーが思い切り手を振ると、ヒノエも精一杯手を振り返す。初めて出来た異国の友人に別れを告げるのは正直つらい。でも、マリーの言葉は「さようなら」ではなく「またね」なのだ。
いつか、自分の呪われた力が、祝福された力であると胸を張って言いたい。大陸では呪力を持つ人間はとても貴重だと聞いたヒノエの中には、そんな気持ちが芽生えていた。
マリーの後ろで、クマハチも軽く手を振った。カゲトラも、少々気恥ずかしそうに、申し訳程度に軽く手を振り返す。何だかんだ言いつつも、この兄弟は仲が良いのだ。そうして船が進み始めると、セレネを寝かしつけるため、クマハチとマリーは室内の寝室へと足を向ける。
「予想外の事もあったけど、この国に来て良かったわ。もっと長く居られたらいいのに」
「はは、来る前はあんなに渋っていたというのに、マリーベル王女も変わり身が早いでござるなぁ」
クマハチが茶化してそう言うと、マリーは少しだけ頬を膨らませる。
「仕方ないじゃない。だって、兄さまやクマハチの説明だと、全然楽しそうじゃなかったんだもん。でも、綺麗な着物も一杯買えたし、オサシミも美味しかったから、結果オーライね」
「おさ……しみ……?」
お刺身という単語に反応したのか、クマハチの背で眠っていたセレネが、もぞもぞと動き出す。
「あ、目が覚めたのね! よかったぁ……」
寝起きでぼんやりしながらも、眠り続けていたセレネが目を覚ましたのを見て、マリーは心底安堵した。クマハチも口には出さないが、表情からマリーと同じ心境である事が読み取れる。
「ねえマリー、おさしみ、どこ?」
開口一番に刺身を話題にするセレネがおかしくて、マリーは思わず吹き出した。
確かに、セレネが眠っている間に何度も刺身は出されたが、結局、セレネは初日に一口食べたきりだ。
もしかしたら、セレネはお刺身がトラウマになっているのかもしれない。自分が食べたいと言った手前、一口食べたはいいがやはり口に合わず、かといって吐きだす訳にもいかなかった。
だから、いかにも美味しそうなふりをして、刺身を食べないなんて勿体ないと自分に見えるように振る舞ったのだろう。そして、まんまと騙され、刺身にはまった自分に対し、全て押し付けたのかもしれない。
そう考えたマリーは、セレネの演技力としたたかさに舌を巻いた。いや、演技ではなくセレネは本当に刺身が好きなのだが。あの時のセレネは錯乱状態だったのだから仕方がない。
「大丈夫、そんなに心配しなくても、オサシミはもう無いわよ」
「えっ」
「もう帰国するのでござるよ。ここはヘリファルテの帆船でござる」
「えっ!? おさしみ!? たべてないよ!?」
「あらやだ、オサシミならもう食べたでしょ」
「えっ!? うそ!?」
ボケ老人みたいな会話をするセレネがおかしくて、マリーはついに大笑いした。
しかし、セレネは全く身に覚えがない。刺身はおろか、酒を呑んで頭が痛くなってからの記憶が抜け落ちていて、気が付いたら帰国する段階になっていた。もしかして、異世界の酒はとんでもなく強烈なのだろうか。だが、今はそんな考察をしている場合では無い。
「トラ、ヒノエは!?」
「残念だけど、もう船は港を出ちゃったわ。挨拶させてあげたかったけど、起こしたらかわいそうかと思って……って、セレネ?」
セレネはクマハチの背中から体を引っぺがして着地すると、もの勢いで甲板の後部に走っていく。
「うそぉーっ!?」
だが、時すでに遅し。マリーの言うとおり、船は港から既にだいぶ進み、完全に陸地から離れていた。この距離では、海に飛び込んで戻ることなど不可能だ。というか、そもそもセレネは泳げない。
けれどまだ希望は残されていた。港には、まだカゲトラとヒノエ達がこちらを見送っているのが見えた。とはいえ、ここから叫んでも聞こえないだろう。
「こ、こうなったら!」
セレネは奇怪な動きで、全身で激しくボディランゲージを行う。船の上で手旗信号を送る通信使になった気分だ。もちろん、セレネはそんな信号など知るはずもないので出鱈目だ。だが、強い意志で念を送れば、きっとこの思いは届くに違いない。
「お・さ・し・み! お・さ・し・み!」
セレネは渾身の力を振り絞り、全身でおさしみ食べたい暗号を送る。これでカゲトラ達が気付いて、追いついてくれる事を信じて。神にも慈悲があるだろう。
「お、セレネ嬢が気付いたようだぞ。別れの挨拶が出来ずに残念だったが、これで胸のつかえが取れる」
「よかった……セレネ様、あれだけ元気なら大丈夫ですね」
全然通じてなかった。神は無慈悲である。
甲板の上でぴょんぴょん飛び跳ねるセレネは、ヒノエには必死で別れを惜しんでいるように見えた。
「手を振り返してやれ。偉大なる異国の使者様にな」
「はいっ!」
ヒノエは笑顔で力いっぱい手を振り返した。さようなら異国の友よ。いつか、こちらから必ず会いにいきます。そんな気持ちを目いっぱい籠めて。
「セレネ様は、とても勇敢で、聡明なお方でした。あれほどの輝きを持つ人は、さぞ高貴な生まれなのでしょうね……」
「いや、あの子は、どうやら忌み子として扱われていたらしいぞ」
「えっ!?」
想像だにしていなかったカゲトラの言葉に、ヒノエは大きな黒い瞳を、さらに大きく見開いた。
「弟から聞いた話では、セレネ嬢はある小国で監禁状態だったらしい。それをミラノ王子という方が偶然見つけ保護したそうだ。どこかで聞いた話だと思わないか?」
「あっ……」
もちろん、ヒノエは誰の事を言っているのかすぐに理解した。
「だが、忌み子扱いだったセレネ嬢は、今では大陸一の国で要職に就いているそうだ。生い立ちがどれだけ不幸だろうが、諦めなければ、人は幸福になれるという事なのだろうな」
「あの、カゲトラ様」
「何だ?」
「私も、あの方にようになれるでしょうか?」
今の今まで、ヒノエには生きる目標が無かった。カゲトラに道具として買われた自分は、生きていられるだけで幸福なのだ、そう思い込もうとしていた。
けれど、自分と同じ――いや、それ以上に過酷な運命を背負いながらも、美しい魂を持ち成長したセレネという存在が、ヒノエの人生を激励してくれた。呪われた子と言われ続けてきた自分でも、あんなに立派な人間になれる可能性があるのだ、と。
「なれるさ。なって貰わなければ困る。私がセレネ嬢と直接会話をして、どれだけ話題が持つと思う? セレネ嬢やマリーベル王女の交渉役として、お前には存分に成長して貰わねばな」
カゲトラとヒノエがそんな会話をしているうちに、船は水平線に吸い込まれるように消えていった。その間、セレネはずっと甲板の上で、こちらに向かって何か合図を送っているようだった。恐らく「またお会いしましょう」とか、そういう類の事だろう、カゲトラ達はそう解釈していた。もちろん、大ハズレである。
「さて、では我々も帰るとするか、『我が家』にな」
「はいっ! 帰りましょう!」
もう、ヒノエはあの巨大ながらも窮屈な武家の人間ではない。カゲトラが「我が家」と呼ぶ、小さくも温かい家の人間なのだ。ヒノエは、海の向こうで笑顔を浮かべているであろうセレネの姿を想像し、一度だけ振り向いて、すぐにカゲトラの後を追っていった。
◆◇◆◇◆
「ウワーッ! うみの、バッカヤロー!」
その頃、セレネは荒波よりも荒ぶっていた。ヒノエとカゲトラに通信を試みたが、当たり前のように失敗したセレネは、やり場のない怒りを大海原にぶつけた。だが、海風とさざ波の音により、その叫びは誰にも聞こえていなかった。
こうして、想像以上の結果を出して喜色満面なマリーとは対照的に、セレネのお刺身ウニ食べ放題ツアーの旅は、少量の和食と、酒を一杯飲んだだけで終了した。一体こいつは何をしに来たのだろう。
余談ではあるが。理不尽な怒りをぶつけられた海の機嫌を損ねたわけではないだろうが、行きと違い、帰りは大時化で、来た時以上にひどい船酔いに襲われたセレネは、帰国までの数日間、地獄の苦しみを味わうのであった。




