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夜伽の国の月光姫  作者: 青野海鳥
【番外編】※第1部の幕間がメインです

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【番外編】セレネ、東へ行く 8

 異国からの使者を迎えた宴は、終始和やかなムードで幕を閉じた。時刻は既に丑三つ時。風は凪ぎ、静寂が支配する闇の中、蠢く影は二つ。一つは女性、一つは男性のようだ。


「予定通り、皆、反転の薬を飲んだようだな」

「ええ、ご覧のとおりでございます」


 片方の影――仕掛人の女中は、屋敷の裏門の(かんぬき)を開け、黒覆面の暗殺者を迎え入れると、愉快げに笑った。体調が悪いと言い、早引けした女中は、実は帰宅などしていなかった。屋敷の陰に潜み、この男がやってくる時を待っていたのだ。


 カゲトラの屋敷は、普段は深夜でも見張りをつけているのだが、いつも巡回している兵士たちは、高いびきをかき、門の柱に寄り掛って眠っていた。念のため目立たない裏門を選んだが、この様子では、正門から堂々と歩いて潜入だって出来たであろう。


「後はヒノエを狩り、撤退すればいいだけか。上手く行きすぎて何だか拍子抜けだな」

「それこそ月に叢雲、花に風でございますよ」


 彼女らの暗号でもある、「良い事の合間には悪い事が起こるもの」という意味の言葉を、女は皮肉っぽく言い放つ。カゲトラ達は、先ほどまで浮かれ騒いでいたようだが、明日の朝、大事なヒノエが冷たくなっていることなど、想像だにしないだろう。


「まあいい、さっさと仕事を進めるぞ」


 女をその場に残し、黒覆面は足音を立てぬよう本殿へ忍び込む。もう何度も潜入の仕事は経験済みのこの男は、ぎしぎしと音を立てる古い木造の廊下でも、猫のように音を立てずに歩く技術を持っている。目指すヒノエの寝室は女中から聞いているので、迷うことなく廊下を進む。


 屋敷はしんと静まり返っていて、門の前だけではなく、敷地内の警備兵たちも完全に寝入っているようだった。月見酒でもしたのか、庭でひっくり返ったまま寝ている者が何名も居る。


「呪力か、なんとも恐ろしい物だ」


 黒覆面は口の中だけでそう呟く。選りすぐりの戦士たちも、呪力に掛かればこの体たらく。依頼主の古狸――ヒノエの父が恐れるのも無理は無い。こんな能力を使える娘が居たら、いつ自分が寝首をかかれるか、気が気ではないだろう。


 本当に何の妨害にも遭わず、黒覆面はあっさりとヒノエの部屋の前に到着した。後はこれまでと同じく忍び込み、か細い首を締めあげればよい。一突きに心臓を貫いても良いのだが、音を立てないためには絞殺の方が都合がいい。


「どなたですか?」

「むっ!?」


 そっと障子戸に手を掛けると、部屋の中から逆に声を掛けられる。男はとっさに、胸に忍ばせた小刀を手に取り戦闘態勢を取る。だが、中に居たのはヒノエ一人。彼女は布団の上で正座をし、焦りも騒ぎもしなかった。


「起きていたのか小娘。寝入っていれば楽に死ねたものを」


 反転の薬によって緩みきった精神は、酒の効果も倍増させる。どれだけヒノエが泣き叫ぼうが、兵士たちは目覚める事は無いだろう。だが、念には念を入れておく。黒覆面は、小刀の切っ先をヒノエの眼前に突きつける。騒げば殺す、そういう意志を伝えるためだ。無論、騒がなくても殺す事に変わりは無いが。


「あなたは、私の命を奪いに来たのですね」

「自分の立場をよく分かっているな。女子供を殺すのは気が引けるが、なにぶん仕事でな。叫んでも助けは来ぬぞ。長く苦しみたくなければ、大人しくするのだな」

「命乞いをする気はありません。私の命はカゲトラ様に拾っていただき永らえたもの。ここまで生きられただけ、私は幸せでした」


 眼前に刀を突き付けられているというのに、ヒノエは毅然(きぜん)とした態度を崩さない。もしも呪力さえなければ、さぞや立派な淑女になったであろう。だが、黒覆面は見逃すつもりは毛頭ない。


「私は呪われた人間です。カゲトラ様のご迷惑とならないよう、喜んでこの命を差し出しましょう。ただ、一つだけお聞きしたい事があるのです」

「馬鹿め。これから死ぬお前が物を聞き、何になると言うのだ」

「その通りです。あと数分もしないうちに、私は(むくろ)になるのです。それはもう覚悟しています。けれど……」

「けれど何だ?」

「もしもあなたに人の情が少しでもあるなら、私を殺そうとした方の名を教えていただけませんか? 呪われた生を受け、誰とも分からぬ者に殺されるのは嫌です。私には、そのくらいしか冥土の土産になる物がありませんから……」


 覆面男は逡巡(しゅんじゅん)する。彼とて、好き好んでヒノエに凶刃(きょうじん)を振るう訳ではない。依頼されたから殺す。それだけだ。ヒノエの言うとおり、この哀れな少女は、数分後には物言わぬ死体となる。だから、彼はつい言ってしまった。


「……お前の父だ。呪力持ちに生きていて貰いたくないのだそうだ」

「やはりそうですか……いえ、大体予想はついていました」


 ヒノエは悲しげに溜め息を吐くが、特に取り乱したりはしない。


「さすがは呪われているとはいえ武家の子、(いさぎよ)いな。さて、お喋りはここまでだ。なるべく苦しまずに殺してやろう」

「……という事だそうですよ。皆さま」


 男がヒノエの首に手を掛けようとした瞬間、ヒノエが不可解な台詞を言う。

 その瞬間、部屋の奥の(ふすま)ががらりと開かれる。男は反射的に後ろに飛んで部屋を出ようとするが、背後からも気配を感じた。後ろを振り向くと、先ほどまでひっくり返って爆睡していた連中が、いつの間にか刀や槍を持って戦闘態勢に入っていたのだ。黒覆面は目を(みは)る。


「こ、これは!?」

「暗殺者君。君の心優しい人情に感謝感激だ。確かに言質(げんち)は取らせてもらったぞ」


 襖の奥の部屋、クマハチを筆頭とする兵士たちに囲まれ、そう呟いたのはカゲトラだ。男が後ろに飛び退いた隙に、ヒノエはクマハチによって抱きかかえられ、すぐにカゲトラの腕の中に抱かれた。これでもう手出しは出来ない。


「馬鹿ね! 私たちを罠に嵌めたかったみたいだけど、まんまと引っ掛かったわね!」

「あくとう、ゆるさん!」


 カゲトラと並んで後ろに立っているのは、得意げに笑うマリーと、怒りに燃えるセレネだ。


「な、何故だ!? 反転の薬は確かに飲んだはず!?」

「こちらのセレネ嬢が見破ってね。夕方のうちに酒を捨て、水がめとすり替えたのさ。お陰でこっちは、さも美味そうに水を飲まなければならかった。さて、楽しい宴を潰してくれた責任は取ってもらおうか」


 カゲトラは口では淡々とそう言っているが、眼は全く笑っていない。もしも視線で人を殺せるなら、十人は殺せるほどの威圧の籠もった眼光だ。


「そこのチビ! 何故だ! 何故気が付いた!」

「ネズミ、おしえた」

「クソッ! 情報が漏れていたか!」


 黒覆面は舌打ちする。誰だか分からないが、やはりネズミ――スパイがこちら側にもいたという事か。だが、周りに人がいないか、作戦を練る時は、これ以上ないほど辺りを警戒していたというのに一体どこから? いくら考えても答えは出てこず、黒覆面は混乱する。


 もちろん、そのまんまの意味でネズミが立ち聞きしていたとは、夢にも思わなかった。


「ヒノエに対し、『叫んでも助けは来ない』と言っていたな? その台詞、お前にそっくり返してやろう。あの裏切り者の女中はほら、見ての通りだ」


 カゲトラが顎で庭先をしゃくると、既にカゲトラの兵士によって、女は捕らえられていた。


「ちっ!」


 覆面男の決断は早かった。凄まじい身体能力を発揮し、槍や刀を構えた兵士達の中に、両腕で顔を庇いながら全力で飛び込む。黒覆面も無傷では済まないが、捕らえられるより遥かにましだ。傷を負いながらも、兵士達の僅かな隙間を縫い、強引に突破する。


 兵士たちの反応は早く、各々武器を振るうが、黒覆面の素早さはそれ以上。地面すれすれに身をかがめ、四肢を使って獣のように兵士達から逃げていく。


 先に捕まった女が何かを叫んだが、彼はあっさり切り捨てた。計画は失敗した、ならば今は身の安全を確保するのが先決。速さ勝負なら、覆面男は絶対の自信があった。案の定、後ろの兵士達も追ってくるが、誰も黒覆面の速度には追いつけない。


(クソッ! クソッ! とにかく一度引かねば!)


 夜目と俊足に関して、黒覆面は絶対の自信を持っていた。包囲された時はかなり焦ったが、虚を突いて抜け出せたのは僥倖(ぎょうこう)だった。とにかく、追手を振り切りさえすれば――。


「がはッ!?」


 そう考えていた矢先、覆面男の背中に凄まじい衝撃が走る。たまらず体勢を崩し転びそうになるが、無理に勢いを殺さず、そのまま前転して体勢を立て直す。


「貴様ごとき下郎(げろう)が、拙者から逃げられると思ったでござるか」

「……貴様、この家の放蕩(ほうとう)息子か!」


 男は歯ぎしりをする。自分より後から追いついてきたのは、カゲトラの弟、大陸をぶらぶらと歩き回っていた冴えない次男坊――クマハチだ。まさか、こんな男に自慢の足で並ばれるとは、屈辱の極みである。


下種(げす)に放蕩息子呼ばわりされる筋合いは無い。そして、お前の話を聞くつもりも無いでござる。だが、拙者の刀の試し切りには丁度いい」


 クマハチは昼間のうちに仕入れた新しい刀を抜くと、問答無用で上段から袈裟(けさ)斬りを振るう。


(早い! だがっ!)


 思った以上に鋭い剣線に黒覆面は驚いた。だが、がきん、と言う硬質な音が響いただけで、覆面男の黒装束の一部が切れただけだった。


「ふむ、鎖帷子(くさりかたびら)を身に着けていたござるか」

「その通り。しかも、これは呪力で強化された逸品だ。知っているか? 呪力を練り込むことで、物の強度を何倍にも強める術がある事を!」

「……知っているでござるよ」


 クマハチは思わず溜め息を吐く。この男が得意げに語っている事は、大陸では常識すぎて子供でも知っている。黒覆面は逆に(いぶか)しむ。お前の攻撃は通じないという威嚇(いかく)のため、敢えて情報をひけらかしたのだが、目の前の男は全く動じない。


 だが、今は疑問を感じている場合では無い。この男を倒すより、今は逃げる事が先決なのだ。


「命が惜しければ、あまり動かぬ方がいいでござるよ」

「そう言われて動かぬ馬鹿がどこにいる! 覚えていろ!」


 クマハチに追撃の意思は無いらしく。そのまま刀を納めた。意味は分からないが、とにかく、黒覆面は踵を返し、再び逃走を計る……が、


「う……ぐはぁっ!?」


 黒覆面が足に力を籠め、大地を蹴った瞬間、胸元から血が噴き出す。呪力で強化された鎖帷子とやらは、まるで豆腐のように、ぱっくり切り裂かれていた。深手を負った黒覆面は、そのまま前のめりに倒れ伏す。それでも必死に逃げようと後ずさるが、その背中を、クマハチは足で思い切り踏みつける。


「安心せい。急所は避けてあるでござる。止血すれば死にはすまい。というか、兄上の敷地内で人殺しをすると、拙者が殺されてしまうのでな」

「ば、馬鹿な……! 何故、呪力強化の鎖帷子が……!」

「ああ、そういえば言い忘れていたが、拙者、大陸で呪力の塊――竜の鱗を切った事があるでござる。いや、これは竜に失礼でござるな。お主自慢の鎖帷子は、アークイラの封印の扉以下でござるよ」

「扉、以下だと……?」


 屈辱に塗れながら、黒覆面の意識は徐々に薄らいでいく。だが、同時に暗い喜びが心の中に芽生えてもいる。


 馬鹿め、確かに自分は失敗した。だが、暗殺部隊はまだ残っている。自分達はどうなるか分からないが、ヒノエを殺す部隊が全て潰された訳ではない。いつの日か、我々の仲間が、再び寝首をかくであろう。ざまあみろ。うすら笑いを浮かべ、男は完全に気を失った。



  ◆◇◆◇◆



『暗殺部隊と聞いていたが、何とも他愛ないものだ』


 ヒノエの生家の蔵の中、バトラーは地面に倒れ伏し、折り重なった黒覆面の仲間たちの上に飛び乗ると、欠伸(あくび)を一つした。黒覆面の仲間の暗殺者たちは、一度も表舞台に出る事無く、バトラー率いる鼠の戦闘部隊によって一掃されていた。


 いくら暗殺部隊が夜の行動に慣れていようが、不意打ちしてきた千を超える鼠を相手にした事などある訳がない。笑えるほど簡単に、暗殺部隊は鼠部隊に打ちのめされてしまった。


『しかし、姫も巧みな戦術を考えるものだ』


 夕方、セレネから伝えられた使命を、バトラーは思い返していた。ヒノエの暗殺計画をネズミたちから聞き出したバトラーは、襲撃が始まる前に全員叩き潰すつもりだった。


 それを止めたのが覚醒セレネだ。確かに、(いさか)いが起こる前に暗殺部隊を叩き潰す事自体は、バトラーの力なら簡単に出来るだろう。


 だが、首謀者を排除せねば、今回の部隊を全て叩き潰しても、また別の組織や部隊が向けられる危険性がある。


 そこでセレネが思いついたのは、ヒノエを撒き餌に使う方法だった。いつでも救援に入れるヒノエの部屋の奥に兵士を配置し、残りは酒に酔って庭で眠っているように振る舞わせる。


 この配分を相談するため、セレネは当主であるカゲトラに情報を伝え、共同で作戦を練った。それから、街から帰還したマリーとヒノエに作戦の説明をしたのだ。この作戦は、屋敷全体で行う必要があったからだ。


 つまり、敢えて向こうが仕掛けた罠にかかったふりをして、ヒノエ本人に暗殺者から情報を引き出させ言質を取る。その場に居る皆が証人だ。後はクマハチ率いる精鋭部隊で賊を捕らえて証拠とし、残存兵力の掃討を同時刻にバトラーが行うという分散戦法だ。ネズミに打ちのめされたと証言しても誰も信じないだろうし、暗殺部隊の内輪もめとして処理すればいい。


『さて、この者たちを拘束しておかねばな』


 バトラーはネズミたちに命令し、暗殺者達に猿轡(さるぐつわ)を噛ませ縛り上げた。これで彼の任務は完了だ。今頃、カゲトラの屋敷の暗殺者も叩きのめされているだろう。よしんば兵士達から逃れられたとしても、竜を相手に善戦するクマハチ相手に、そこいらの人間が逃げ切れるはずがないのだから。


『では私も帰るとするか。流石に二日徹夜は少々身に堪えるのでな。皆の者、協力感謝するぞ』


 バトラーは、快く協力してくれた数千のネズミたちを労った。偉大なる鼠の王、バトラーに賛辞を述べられ、ネズミたちはきぃきぃ鳴いて感激を表した。


『さて、偉大なるセレネ姫に尽力した勇敢な諸君には、それ相応の報酬を出さねばなるまい』


 バトラーは前足を顎のところに当て、多少もったいぶった後、にやりと口元を歪めた。


『この屋敷にある物全て、諸君の好きにするがいい。食べ物でも、財宝でも、好きな物を、好きなだけ持っていくといい。なに、気にする事は無い。偉大なるセレネ姫と、その大事なご友人に害を及ぼしたのだ。慰謝料として貰っておく事にしようではないか』


 そう言い残し、バトラー自身は何も持たずに去っていった。早く主の元に吉報を報告し、喜ぶ顔が見たかったからだ。狂気乱舞するネズミたちを一瞥(いちべつ)し、バトラーは弾丸のように蔵から飛び出していった。


 こうして、ヒノエ暗殺計画はセレネの知略により見事防がれた。


 翌朝、この武家屋敷に貯蓄されていた財宝は、ネズミたちによって米一粒残らず持ちだされ、一夜にして無一文になったヒノエの父は狂乱する事になるのだが、そんな事とは露知らず、今夜で目の上のたんこぶが取れる事を安堵し、ぐうぐう眠っていたのだった。

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