【番外編】セレネ、東へ行く 4
「呪力って……ええと、大陸で言うと魔力よね? 凄いじゃない」
クマハチの後ろにいたマリーが興味深げな視線をヒノエに向ける。魔力を持つ人間は稀有な存在だ。ヒノエがどんな種類の魔力を持っているか分からないが、特殊な力を持っているだけで大陸では優遇されるし、それが優越感となる者も多い。
ところが、ヒノエはマリーの言葉にびくりと震え、隠れるようにカゲトラの後ろに回り込んだ。
「あ、あの……金髪のお方、それに白い髪の子も、呪力持ちなのですね……」
「分かるの!?」
ヒノエの言葉に、今度はマリーの方が驚く。魔力を持っているか否かは外見だけでは判別できない。だというのに、ヒノエは、マリーとセレネが魔力持ちである事を看破したのだから無理も無い。
「あ……!」
マリーが驚いている間、ヒノエはセレネの胸元にちらりと目を向け、小さく驚きの声を漏らす。その視線にセレネも気が付いた。
「なに? おっぱい?」
「ち、違います!」
女性の胸を見るのは、おっぱいを見るという事だ。そういう考えを持っているセレネは、少女相手にナチュラルにセクハラをしていたが、ヒノエは真っ赤になって否定した。
「女三人寄れば姦しい、というのは本当だな。後ろにも客人が控えているのだぞ」
「も、申し訳ありません」
カゲトラが窘めるようにヒノエに言うと、ヒノエは申し訳なさそうに頭を下げた。マリーとの会話はともかく、セレネの件は完全にとばっちりである。
「あの、カゲトラ様、そろそろお夕飯の準備をしようと思っていたのですが、お客様のための食材が足りません。料理番の方々と買い出しに行きたいのですけど……」
ヒノエはカゲトラを見上げながら、控えめにそう進言した。そう言いつつも、マリーとセレネの方にちらちらと視線を向けている事を、カゲトラは見逃さなかった。ヒノエは、この場から逃げ出したいのだ。
「いや、買い出しは別の者に行かせる。ヒノエ、マリーベル王女と、そしてセレネ嬢を客間まで案内してやりなさい」
「え、あ、あの……でも……」
「他の従者たちは別の者に案内させるから、お前はお二方を頼む」
「……分かりました」
カゲトラの有無を言わさぬ語調に、ヒノエは少し俯きながらも従った。手にしていた竹箒を壁に立てかけると、マリーとセレネの案内を開始する。
「では拙者も休憩を……あだだ!?」
二人の保護者であるクマハチもそれに付き従おうとするが、即座にカゲトラが、クマハチの耳を引っ張る。
「お前はこっちだ。親愛なるお兄様の誘いを散々無視してくれたんだ。その理由をじっくり聞かせてもらおうか」
「い、いや、これには深い訳が……それに、拙者は姫たちの護衛役であって……あだだっ!?」
クマハチは必死に弁解するが、鼻輪を引っ張られた牛のように別方向へと引きずらていった。体格だけならクマハチの方が圧倒的に優れているのだが、カゲトラはそれを凌駕する黒いオーラを放っていた。
「クマハチが帰りたがらない理由、何となく分かった気がするわ……」
クマハチが連行されていく様子を見て、マリーがそう呟いた。セレネも合掌する。こうなる事を分かっていてミラノがクマハチを実家に行かせたのかもしれない。さすが宿敵ミラノ王子、嫌がらせにかけては天下一品であると勝手に思い込んでいた。
クマハチは哀れだが、まあ死にはしないだろう。そう考え直し、セレネは黒髪美少女のヒノエの方に集中する事にした。ヒノエは、マリーとセレネから少しだけ距離を取りながら、砂利の敷き詰められた石畳を抜け、屋敷の入口に二人を促す。
「へぇ、こういう建物って初めて見るわ」
「あ、あの! マリーベル様……ちょっと待って下さい!」
大陸では珍しい木造の住宅の玄関を抜け、靴のまま家へ踏み込もうとしたマリーを、ヒノエが慌てて止める。
「え、何? 私、なにかまずい事した?」
「くつ、ぬぐ」
後ろに控えていたセレネが呟くと、ヒノエは感心したように嘆息した。
「セレネ様、よくご存知ですね」
「じょうしき」
ヒノエに褒められ、セレネは偉そうに胸を張った。ここが日本に近い文化というだけで、異界である事に変わりは無い。靴を脱いで部屋に上がる事が、必ずしも正しい訳では無い。たまたま正解しただけのくせに調子に乗っていた。
三人娘――厳密には二人娘とおっさん娘達は履物を脱ぎ、縁側の廊下を渡っていく。ヒノエいわく、今いる場所は本殿と呼ばれる場所で、客人をもてなすための離れがあり、マリーとセレネは、そこに寝泊まりする事になるらしい。
「こちらになります」
「へー! 床が草で出来てるのね! 珍しい!」
マリーとセレネが案内された部屋は、畳の敷き詰められた、八畳ほどの簡素な部屋だった。調度品はほとんど置かれていないものの、部屋は綺麗に掃き清められ、来客用の上質な布団も用意されている。部屋としては狭いが、心身を落ち着かせるには最適な空間と言える造りだ。
「大陸のお部屋と比べて質素だと思うのですが……」
「ううん、これはこれで新鮮よ。気に入ったわ。ね、セレネ?」
「おうよ」
マリーは清潔感のある珍しい佇まいをお気に召したらしい。セレネはセレネで、寝泊まり出来ればなんでもいいので別段何も言わなかった。
「では、私はこれで失礼します。何かありましたら、近くの者に声を掛けていただければ……」
「ちょっと待って」
役目を終え、逃げるように部屋を出て行こうとするヒノエの背に、マリーが待ったを掛ける。ヒノエは一瞬固まった後、怯えた様子でマリー達に向き直る。
「え、あ、あの……私、何か粗相を?」
「そういう訳じゃないけど、あなた、何でそんなにびくびくしてるのよ。魔力持ちなんでしょ? 堂々としてればいいじゃない」
「え……?」
マリーの言葉にヒノエは虚を突かれたようだが、マリーはそのまま言葉を続ける。
「それにあなた、かなり身分の高い人間なんじゃない? 私、お城の使用人を何人も見てきたのよ? 国は違うけど、動作で大体分かるのよ」
マリーからすれば、ヒノエの妙に卑屈な態度が不思議で仕方無い。推測ではあるが、佇まいからして高い身分の生まれであり、さらに魔力も持っている。社会的には強者と呼ぶべき立場である。だというのに、ヒノエはまるで捨てられた子犬のように怯えている。それがどうにも不可解なのだ。
「呪力……魔力持ちの方は、大陸では忌み嫌われないのですか?」
「え? 何で?」
絞り出すようなヒノエの言葉に、マリーは首を傾げる。魔力を持っている人間は優遇される事はあっても余程の事――セレネのように異常な行動をしない限り迫害される事は無い。それがマリー達、大陸の人間の常識だ。だが、ヒノエの態度からすると、どうも少し様子が違う。
「そういえば、あなたはどんな魔力を持ってるの? 私は身体強化。一時的にだけど、すごく力が強くなったりするのよ。まあ、兄さまの足元にも及ばないけど。そういえば、セレネは?」
「わかんない」
セレネは首を振る。自分も魔力持ちである事をセレネは大して意識していなかった。別に魔力があっても無くても生活に支障が無いのだ。セレネには、魔力の有無より胸の有無のほうが、生きていく上でよほど重要なのだ。
「まあ、セレネはちょっと特殊な生まれだから今度調べる事にして……ヒノエは?」
「……私は、人の心が見えるんです」
「え!?」
これはさすがに予想外だったので、マリーとセレネ、二人とも目を見張る。
「エスパー!?」
「……えすぱーって何よ? 人の心が見えるって……本当に?」
「はい、と言っても、そんなに大それた物じゃないんです。目を凝らすと『色』として見えるんです」
「色?」
「上手く言えないのですけど、邪な考えを持っている人の胸元は黒っぽく見えるんです。逆に高潔な精神の色は光り輝いて見えたり……気持ち悪いですよね」
ヒノエは自嘲するように笑い、さらに言葉を続けていく。
「この国で、呪力と呼ばれる理由はお分かりでしょうか。呪力とは『呪われた力』という意味です。他人の心を見透かす能力なんて、おぞましいと思いませんか?」
「…………」
ヒノエの静かに、けれど血を吐くような告白に対し、マリーもセレネも無言で耳を傾ける。
「私の名前がそれを表しています。丙というのは、この国の甲・乙・丙という格付で一番下という響きです。ですから、あまり私に近付かない方が……」
「すごいじゃない!」
「……へ?」
マリーは目を輝かせてヒノエの両手を取るが、ヒノエは訳も分からず目を白黒させる。
「そんな魔力聞いた事無いわ! あなた、うちの国に来ない!?」
「え? え? え!?」
「いっつもお父さまが言ってるのよ。『他国と取引する際、口から出まかせを言う輩も多い。奴らの腹の中を直接見られたら、どれだけ楽になるものか』って」
マリーは父親の口調をまねてしかめっ面で喋ると、それがおかしかったのか、ヒノエはくすりと笑った。
「よし、やっと笑ったわね」
「え? あ、あの、悪気があったわけじゃないんです……その……ごめんなさ……」
「悪い事してないんだから、いちいち謝らなくていいの。私、あなたのことが気に入ったわ。おまじないしない?」
「おまじない、ですか?」
マリーはヒノエに対し、ヘリファルテに伝わる、互いの髪を使って装飾品を作り、永遠の友情を誓う女の子同士のおまじないを説明した。
「大陸一のお姫様である私と出来るなんて最高の栄誉よ。……って、あんまり乗り気じゃないみたいね」
以前のマリーなら、気に入った相手に対し、自分の意見を強引に押し付けていただろう。だが、今は違う。マリーは色々な経験を積み、相手を気遣う能力を自然に身に着けていた。すぐ横にいる、学習能力の無い誰かとはスペックが違うのだ。
「まじないという言葉を、この国でどう書くかご存知ですか?」
「知るわけないじゃない」
マリーがそう言うと、ヒノエは少々お待ち下さいと言い残し、客間の箪笥から筆と硯、そして数枚の紙を取り出して戻ってきた。そのまま縁側に腰を下ろし、硯で墨をする。その様子を、マリーとセレネで挟みこむようにして覗き込む。
墨をすり終わると、ヒノエは筆を取り、一枚の紙に「呪い」としたためた。
「これが、呪いという文字です」
「それがどうしたのよ?」
一呼吸置いて、ヒノエはもう一枚の紙に筆を走らせ、再び「呪い」という文字を書いた。
「これを見て、どう思われますか?」
「もじ、うまい」
「いえ、そうではなく……」
「さっきと同じ文字じゃない」
空気の読めないセレネに代わり、マリーが正解を言い当てたので、ヒノエは黙って頷いた。
「その通りです。これは同じ文字ですが、呪い、とも読むのです。呪いと呪いは極めて近い性質を持っています。その、私、あまり自分の能力が好きじゃないので……」
「ああ、だからおまじないはやりたくないって事ね」
「ごめんなさ……」
「えいっ」
「きゃ?」
反射的に謝りかけたヒノエに対し、マリーは軽くデコピンをする。ヒノエは額を抑えるが、痛くは無いらしい。
「そういう事ならやらなくて構わないわ。私だって、セレネとやっただけだもん」
「で、でも、お気持ちは凄く嬉しいです。あまり褒められた事が無かったので……」
「おまじないは、あくまでお遊びみたいなものよ。気にしなくていいわ」
「ともだち、なろう」
「セレネ様まで……」
セレネもマリーの意見に便乗するように言葉を口にした。生前なら少女と友達になろうなどとすれば、声掛け事案になっていたが、今ならその心配は無用だ。ならば乗るしかない。このビッグウェーブに。
一方、マリーとセレネの友情の言葉に、ヒノエはうっすらと目に涙を浮かべた。
セレネのような中身おっさんのエセ忌み子ではなく、本当の意味で忌み子として扱われてきたヒノエには、友人と呼べる人間はいなかった。そんな自分に対し、二人の少女が手を差し伸べてくれている。それは、ヒノエにとって、まさに救いの手であった。
「……私からお願いします。是非、仲良くしてください。その前に、一つだけお詫びさせてください」
「おわび?」
ヒノエはセレネの方に歩み寄ると、深々と頭を下げた。セレネは意味が分からず、ただきょとんとするだけだ。
「先ほど初めてお会いした時、セレネ様に対し、呪力を使っていたのです」
「へー」
ヒノエは今まで不遇な扱いを受けてきたため、見知らぬ人間を見ると、無意識のうちに相手に敵意があるか覗き込む癖が付いていた。それがヒノエが出来る、数少ない身を守る術だった。
外見からして明らかに高い身分であるマリーとその護衛、同郷の者と分かるクマハチと違い、セレネは一人浮いていた。得体の知れない存在に警戒し、ヒノエはセレネの魂を真っ先に見たのだ。
「セレネ様の胸元を見た時、その輝きに見惚れてしまいました。とても清らかで、知性溢れる魂の輝きが見えたのです。ですが、実際に話してみるまで信じられなかったのです。私は、なんて事をしてしまったのでしょう」
「きにしない」
何だかよく分からないが美幼女に絶賛されたので、セレネはまんざらでもない様子で許した。ヒノエも少し照れながらも、嬉しそうにはにかんだ。
「さて、話し合いも終わったし、私たちはこれで友達よ。その前に……ヒノエ、あなた今いくつ?」
「最近、九つになったばかりです」
それを聞いて、マリーはにんまりと笑う。
「私は十歳よ。あなたは九歳。セレネは八歳。つまり、この中で私は一番お姉さんってわけ。そこの所を忘れないように」
どうやら、仲良し三人組となっても、マリーは自分が主導権を握れる事にご満悦らしい。セレネもヒノエも特に反論せず、三人の少女達は、ヘリファルテ式のおまじないこそしなかったものの、固い友情を誓いあった。
マリー十歳、ヒノエ九歳、セレネ八歳(+三十八歳)の少女同盟がここに誕生した。普通に考えると平均年齢九歳なのに、一人で平均を爆上げさせている輩が一人混じっていた。中身を加味すると平均年齢二十一歳。それ以前に、少女同盟のくせに中身おっさんが入り混じった、奇妙なトリオが誕生した瞬間だった。
「では、改めてよろしくお願い致します。私はお夕食の準備の手伝いに行きますので、また後でお会いしましょう」
そう言い残し、ヒノエは笑みを浮かべ去っていった。先ほどの怯えて逃げるような姿ではなく、きちんと背筋を伸ばしていく後ろ姿に、マリーは軽く手を振った。
「色々あって疲れちゃったわね。ちょっと休憩しましょ。私はこっちの部屋みたいだから、また後でね」
「うん」
マリーとセレネは、それぞれに個室があてがわれており、マリーは手前、セレネはその奥の襖の部屋だ。さすがのマリーも、寄港からずっと神経を張り詰めっぱなしで疲れたのか、用意された布団に潜り込むと、ドレス姿のまますぐに寝息を立てた。
「ふぁーあ」
『姫、お話は終わったようですな』
セレネも欠伸を噛み殺しながら、用意された客間の布団に寝転がる。すると、胸元からバトラーが姿を現した。ネズミを嫌う人間も存在するし、少女同士の微笑ましい友情に水を差さないため、バトラーはセレネの胸元でずっと待機していた。
そう、ヒノエが見た「輝く魂」はセレネではなく、胸元のバトラーの物だった。セレネの闇の魂は、バトラーの鍛え抜かれた光の衣に覆い隠され見えなかったのだ。ゲームなどでたまにある「強そうな本体っぽい奴は偽物で、どうでもよさそうな奴が実は本体」の設定を素で行っていた。
『しかし、心を読める能力とは、大陸の魔力とは随分と種類が違いますな。そして、やはり姫の美しき心の輝きは見える人にははっきりと見えるのですなぁ』
「まあね」
馬鹿め、そいつが本体だ。
『それでは、私は偵察に行ってまいります。特にこの辺りは、土地勘がまるでありませんからな。地元のネズミたちから情報をより多く引き出さねばなりませんので』
「うん、よろしく」
こうして、輝く魂を持つ本体バトラーは、珍妙な魂を持つセレネを休ませ、偵察へと旅立っていった。