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夜伽の国の月光姫  作者: 青野海鳥
【番外編】※第1部の幕間がメインです

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【番外編】セレネ、東へ行く 3

 最大の難所であるマリーの説得に成功すると、後はとんとん拍子に準備は進んだ。といっても、今回はあくまでクマハチの里帰りがメインであり、マリーの大使としての役割はおまけである。さらに言うと、セレネはおまけのおまけなのだが、マリーの精神安定剤としての機能はしているらしかった。


「お父さまも大げさね。たかが数日の航海なのに、こんなに大きな船を用意しなくてもいいのに」

「いやいや、マリーベル王女、それにエルフ達の巫女セレネ殿を乗せているのだから、このくらいは当然でござる。まあ拙者の帰省と考えると、この厚遇は少々心苦しいがな」


 マリーとクマハチ、そしてセレネが東の島国へ出発すると知り、シュバーン王は自身の所有物である巨大な帆船を用意した。かの国は距離だけならばそれほど離れていないので、クマハチ一人だけなら通常の船で済ませたただろう。


 だが、今はヘリファルテの王女マリーベルと、そしてエルフの交渉の要であるセレネを乗せているのだ。当然、護衛のための準備も尋常ではない。どんな荒波にもびくともしない巨大な船、乗り込む船乗りたちはみな熟練。さらにクマハチを筆頭とする、ヘリファルテ有数の猛者たちも同乗している。海で暴れる海賊たちも、船の帆に堂々と描かれた大鷲の紋章を見れば、震えあがって逃げ出すだろう。


「ところでセレネは?」

「あっちで大はしゃぎでござるよ」


 クマハチが首を向けた方向、船首の方にセレネは居た。セレネは、いつも着用している日差しを除ける白いドレスに、つばの広い帽子を被ったよそいきスタイルで、太陽の光を反射して輝く大海原を見つめていた。


「うみだー!」

『はは、姫がはしゃぐとは珍しい。そういえば、姫は海を見るのは初めてでしたな』


 船の(へり)にちょこんと座ったバトラーは、微笑ましげに主を見ていた。セレネは小さな頃から暗い部屋に押し込められており、海を見るのは初めてなのだ。バトラーとしても、いつかセレネに広大な海を見せてやりたいとは思っていたが、思わぬ好機がやってきたものだと喜んでいた。


 実を言うと、おっさん時代はよく熱海に行っていたので、海は初めてでも何でもないのだが、一応セレネになってからは初めてなので、あながち間違いでもない。


 バトラーだけではなく、クマハチとマリー、そして同乗する人々も、愛らしい少女の興奮ぶりを微笑ましげに見つめている。燦々と降り注ぐ日差しに凪いだ海、甲板には穏やかな空気が流れていた。


「おーイェーイ!」


 そしてセレネはノリノリだ。大海原はどうでもいいが、その先にある刺身やウニは数年ぶり。いや、前世でもあまり食べられなかった高級品なのだ。これを喜ばずして何を喜ぶのだろう。果たして、これからどんな物が自分を待ち構えているのだろう。


「うぉぉぉええぇぇぇ!!」

『ひ、姫! 大丈夫ですか!?』


 待っていたのは船酔いだった。いくらヘリファルテでは最上級の船とはいえ、帆船で外洋航海などセレネはした事がないのだ。激しい船酔いにより、セレネは自分が魚を食べる前に、海に住む魚達に胃の中から餌をやる羽目になった。


 だが、こうしてセレネがくたばってくれたお陰で、クマハチ達を乗せた船は何のトラブルも無く海路を進み、小さな島国へと到着した。地元の漁師たち自慢の漁船が小さく見えるほどに巨大な帆船の登場に、人々は驚いていたが、皆、遠巻きに見守るだけだ。


「さてさて、無事辿り着いたでござるな。陸に上がればセレネ殿も回復するであろう」

「そうね。でも、こんなに大きな船で来たのに、意外と何にも言われないのね」


 マリーは半死状態のセレネに肩を貸しながら、不思議そうに周りを見渡した。島民の髪色が黒髪ばかりなのも珍しかったが、向こうから見れば、自分たちが奇異に映るのはマリーも理解している。

 マリーは敵陣に切り込む覚悟で船から降り立ったのだが、クマハチと似たような着物を着た人間達は何事かとざわめいているだけで、別段敵意のような物は感じない。


「他国と全く交流が無いわけではないでござるからな。もっとも、ヘリファルテの船ほど大きい物はあまり来ないでござるが」

「そうなの? ま、いいわ。ちゃっちゃと大使のお勤めをして、偉大なる王女マリーベルの名を異国に知らしめようかしらね」


 相手が襲いかかってこないと分かれば恐れる物は何もない。自分は大陸一の王女であり、皆が頭を垂れる存在なのだ。こんな島国の武家――貴族の一人や二人、簡単に(ひざまず)かせてみせる。それに、妹分であるセレネも見ているのだ。


「うぇっぷ」


 しかし、セレネはマリーの事など見ていなかった。そんな余裕はない。船に乗っている間、ずっと気持ち悪くてろくに食事を取っていないのだ。今のうちに体調を回復させておかねば刺身やウニが食えないではないか。


 今のセレネには刺身とウニしか頭にない。脳みその代わりにカニ味噌が詰まっているような状態だった。クマハチとマリーの会話も殆ど聞いておらず、セレネは自分の事で手いっぱいだった。



  ◆◇◆◇◆



「もー! 何なのよ! 私を誰だと思ってるのよ!」

「今回は前もって使者を出したわけではござらんからなぁ。この結果も仕方無しでござるよ」


 木造の平屋が立ち並ぶ街中を、マリーはぷりぷり怒りながら歩いていた。現地人であるクマハチから聞きだした、この地域で力のある武家とやらに挨拶に行ったのだが、あまり(かんば)しい成果が得られなかったからだ。


 一応、大陸一の大国ヘリファルテの名を知っている人間はそこそこ居て、大使がやってきたと聞くと門前払いはされなかったのだが、いかんせんマリーとセレネの幼女コンビでは説得力に欠ける。

 結局、マリーのした事は、ヘリファルテの文官がしたためた親書を手渡すという、何とも地味な作業だけだった。


「遠路はるばる来たって言うのに、手紙を貰ってはいさようならって何よ! 歓迎の宴とか用意するべきだと思わない?」

「出発前に申し上げたが、大陸とは全く勝手が違うのでござるよ。権威ある武家の主が、予約無しで会ってくれるだけでも異例でござるよ」


 これはマリーを(なだ)める方便ではなく、クマハチの本心だ。こうなる事はミラノ達の想定通りなのだ。基本的にはクマハチの帰省がメインで、そのついでにマリーに社交の場数を踏ませるのが目的だ。

 大陸ほど威光は通じないが、ヘリファルテの名前を出せば、少なくとも面会くらいはされるだろう。逆に言うと、それ以上の行為は要求されない可能性が高い。


 マリーのトラウマにならない程度に最低限の役割を果たせばよく、特定の武家と親密な関係になる事までは望んでいない。そういう意味で、既にマリーは兄達の出した課題をクリアしたと言える。


(その辺りをセレネ殿は見通しているのであろうな)


 王族として蝶よ花よと扱われるだろうと予想し、それを裏切られたと思って(わめ)いているマリーに対し、セレネは先ほどから、街中にあった茶屋に居座り、みたらし団子をモリモリ食っていた。


「かぁー、うめぇー」

『姫、少々はしたないですぞ。その団子がお気に召したようですが、あまり羽目を外しすぎぬよう』

「はいはい」


 セレネは胸元に忍び込んだバトラーの諫言(かんげん)を適当に聞き流し、ひたすら団子を食い続ける。クマハチは、セレネが大人達の意図を推測し、他国との顔合わせが済んだ事で作業が終わったと分かっている。だから、ああして悠然と構えているのだろうと思いこんでいた。


 もちろん、セレネにそんな深い思慮があるわけがない。単純に酔いが回復して腹が減っていたので、今までの分も食うために夢中なだけである。


 セレネはろくでもない考え事をしたり、飯を食っている時は大人しい。そして、起きている時は大体ろくでもない事を考えているか飯を食っているだけなので、結果的に大人しい少女に見えるというだけなのだ。


 マイペースに茶屋でお菓子を食べているセレネはいいとして、地団太を踏むマリーをなんとか宥めねばならない。クマハチは小さく嘆息し、マリーの説得を試みる。


「こちらに敵意が無い事、武力を行使してではなく、平和的な交流を望んでいる事、それを伝えられただけで十分成功でござるよ。胸を張って帰れる成果でござる」

「そうかもしれないけど、やっぱり納得いかないわ。こうなったら、意地でもどこかの武家と交流を持つわよ! それまでは帰らないから!」

「ううむ……そうは言ってもな……」


 クマハチは眉間に(しわ)を寄せた。クマハチの当初考えていた予定としては、緊張したマリーが適当な武家に親書を送りミッション完了。自分はちょろっと家に顔を出し、そのまま子供達を引き連れ、さっさとヘリファルテに帰る予定だった。


 だが、無下に扱われた事により、逆にマリーの闘争心に火を付けてしまったらしい。このあたり、マリーの気質は父親譲りなのかもしれない。負けず嫌い度で言えば、マリーはミラノより上である。


「一応、武家と繋がりが無いわけではないが」

「えっ、ほんと!? どこどこ!?」

「……拙者の家でござる」

「えっ」


 マリーが目を丸くする、団子をたらふく食い終え、戻ってきたセレネも同じ表情だ。


「クマハチ、あなた貴族だったの!?」

「まあ、下級ではあるが一応は。簡単な挨拶だけで済ます予定だったが、兄上となら面会も可能だろうし、それなりにもてなしは出来るでござろう」

「クマ、さんぞく、ちがうの?」

「私、てっきり狩人か何かだと思ってた……」

「……二人とも、拙者を何だと思っているのでござるか。読み書きや算術も出来ずに、単身ヘリファルテでやっていける訳が無いでござろう」


 マリーとセレネは目を合わせて同じような感想を述べたので、クマハチはちょっぴり傷ついた。とりあえず咳払いし、居住まいを正す。


「確かに拙者はあまり貴族らしく無いでござるが、こう見えて意外と……ま、それはいいでござる。ただ、拙者の家は武家と言ってもそれほど高位ではないでござる。船で寝泊まりした方が快適だとは思うが」


 ヘリファルテ王族の所有する帆船は、中身も最上級だ。船の上という閉鎖空間で快適に過ごすため、目の保養になる豪奢な調度品や、希少な本などの娯楽品もふだんに配置されている。備え付けのベッドも王宮の物より上質かもしれない。


「我慢するわ。クマハチ、早速あなたの家に案内してちょうだい。ええと、お兄さんのカゲトラ? とかいう人が頭首なのよね?」

然様(さよう)。兄上は少々気難しいが、悪い人間では無いでござるよ。ただ、繰り返すが拙者の家は下級武家。下の中か、上程度でござるが……」

「卑下をするな。中の下くらいだ」


 突如、後ろから鋭い声が掛けられ、クマハチは反射的に腰の刀に手を伸ばす。周りに居た衛兵たちもマリーたちを守る様に陣形を組む。精鋭部隊の警戒態勢を目にしても、目の前の男は、特に怯んではいないようだった。


「折角こちらから出向いてきたのに随分な歓迎だ。だが、いい兵士だ。よく鍛えられている」

「あ、兄上ではござらんか!?」


 クマハチが兄上と呼んだ男を見て、マリーもセレネも怪訝(けげん)な表情を浮かべた。

 

 クマハチの言葉から察するに、この男がカゲトラという人物なのだろう。だが、クマハチとは全く印象が違う。カゲトラはひょろりとした細身で眼鏡を掛けていて、背もそれほど高くは無い。黒と白を基調としたシンプルな袴を羽織り、全体的に陰気な印象を受ける。だが、眼鏡の奥の眼光はやたら鋭く、痩せた狼のような雰囲気を醸し出している。


「あ、兄上!? 一体どうしてここに?」

「どうしてもこうしても、でかい異国の船がやってきて街は大騒ぎだ。大鷲の紋章、あれはヘリファルテの物だろう? それで、お前が来たと想像が付いたが、いつまで経っても来ないから探してたんだよ」


 カゲトラは無表情でそう言うと、今度はマリーとセレネの方に目を向けた。


「で、この二人の子供は何だ? 大国の要職に就いたと手紙にはあったが、あちらでは子供の引率が国の要職なのか」

「子供じゃないわ! ヘリファルテ第一王女の大使マリーベル! で、こっちはセレネ。私の妹分よ」

「よろしく」


 子供扱いされご機嫌斜めなマリーとは対照的に、セレネは淡々とお辞儀した。何でもいいからさっさと用事を済ませて飯を食いたい。団子も美味かったが、一体いつになれば刺身とウニが出てくるんだ。こんな所で喋っている場合じゃない。早く飯を食わせろ。それだけが今のセレネの願いだった。


「ヘリファルテ第一王女……これは失礼。私の名はカゲトラ。弟の言うとおりそれほど高い身分ではありませんが、文官としてはそれなりに優秀だと自負しております」

「わ、分かればいいのよ……じゃなかった。分かればいいんです。ええと、それで、その……」


 カゲトラが素直に非礼を詫びたので、慌ててマリーも言葉遣いを正す。だが、マリーはそこで言葉を詰まらせた。


 交流を結ぶと息巻いたものの、マリーは大人同士、まして国をまたいでの親睦の深め方など分からない。しどろもどろになっているマリーを見かねて、クマハチが助け船を出そうとした時、セレネが一歩前に出た。


「おさしみ、たべたい」

「お刺身?」


 カゲトラが白い少女の言葉に首を傾げるが、その瞬間、マリーの脳裏にある考えが閃く。


「そ、そう! オサシミよ! この国ではサシミという料理を食べると聞いています。セレネの『オサシミ食べたい』は、あなたの国の文化を、私たちの国でも広めたいという事なのよ……なのです。そうよね? セレネ?」

「えっ? うん、まあ」


 セレネは本当に純粋に、クマハチの家でもてなしを受け、刺身を食べたいと要求しただけだった。だというのに、何故だか分からないが、マリーがヘリファルテに刺身を導入したいなどと言い出した。セレネとしてはヘリファルテで魚が食えれば最高なので、良く分からないがとりあえず同意した。


 一方、マリーは刺身など食べたくもないが、とりあえず会話の糸口を掴めた事に安堵した。絶妙のタイミングで自分にヒントをくれたセレネに対し、心の中で感謝もした。やはりセレネは頼れる妹分である。本当はそんな事は無いのだが。


「マリーベル王女は、我が国の文化に興味をお持ちというわけか?」

「え、ええ。出来ればもっと親密な関係になりたいと思っています」

「そうか……」


 カゲトラは何かを黙考するように少しだけ眼を閉じたが、やがて真っ直ぐにマリーの目を見た。


「ではマリーベル王女、それにセレネ殿、あなた方を賓客として我が家でもてなそう。不肖の弟もようやく帰ってきたし、積もる話は私の屋敷でしよう」

「兄上、良いのでござるか?」

「今言っただろう。細かい話は屋敷で話す。では、早速向かうとしようか」


 言うが早いか、カゲトラは踵を返し、屋敷へと歩み出す。マリーたち一行も慌ててそれを追う。


「いやはや、これは快挙でござるよ。異国の人間を自分の家に招き入れるというのは、この国では殆どあり得ん事でござるからな。まして兄上は気難しい。何か琴線に触れる物があったのでござろうか?」

「良く分からないけど、ここから先が重要ね。こうなったら、意地でもコネを作るわ。さあ行くわよ!」


 鼻息荒いマリーを先頭とし、クマハチ、セレネ、そして護衛の兵士たちが続く。異国風の小さな大名行列に、人々が奇異の視線を送るが、先導するカゲトラは特に何とも思っていないようで、肩で風を切りながら淡々と歩いていく。


 そうして人通りの多い街中の通りを抜けると、水田や畑の多い農耕地となった。あぜ道をさらに進むと、大人の背の高さほどの石垣があり、その奥に屋敷らしきものが見えた。

 石垣の角を曲がると、屋敷の入口の扉が見えた。木製の扉の脇には鐘が設置されており、カゲトラが紐を引くと、ガランガランと大きな音を立てる。しばし間をおき、(かんぬき)が外され、中から竹箒を持った少女が現れた。


 歳の頃はマリーやセレネと同じくらい。さらさらの黒髪はおかっぱ頭に整えてあり、白地に朝顔の刺繍のされた綺麗な着物を着た、大人しそうな少女であった。


「カゲトラ様、おかえりなさいませ。え? あ、あの……そちらの方々は」

「大陸からの使者だ。後ろの大男は私の不肖の弟クマハチ。見た目は野盗のようだが、襲いかかって来ないから安心しろ」


 竹箒を両手で抱え、少し怯えた様子の少女の頭を、カゲトラは頭を撫でてやった。すると、少女の表情が少しだけ緩む。


「兄上、拙者の紹介に色々申し上げたい事はあるが、その少女は?」


 クマハチが色々突っ込みたそうにしているが、カゲトラは全く意に介さず、ヒノエを撫でていた手を離すと、改めて紹介をした。


「この子はヒノエ。私の許嫁(いいなずけ)。そして、呪力(じゅりょく)持ちだ。優しく接してやってくれ」

「呪力持ち……でござるか」


 呪力という言葉を聞いた途端、クマハチの表情が引き締まる。後ろに控えていたマリーとセレネは、不思議そうに顔を見合わせるだけだった。

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