【番外編】セレネ、東へ行く 2
「……というわけで、お前にヘリファルテの大使として、クマハチの帰国の際に同行して貰いたいのだが」
「えぇー」
クマハチと意見交換を終えたミラノは、その足でマリーの部屋に向かい、先ほど話しあった計画を一通り説明した。マリーは最初は興味津々で耳を傾けていたが、全てを聞き終えると不満げな声を漏らした。
「私一人で行かなきゃならないの?」
「もちろん護衛役や世話役はベテランを付ける」
「そうじゃなくて、兄さまは来ないんでしょ? 父さまも母さまも」
最初、大使として自分を抜擢したと聞いた時、マリーは表情を輝かせた。現状、マリーはヘリファルテ王家のおまけ扱いだったため、自分が主役になれる場面が来た事にご満悦だった。マリーは基本的に目立ちたがり屋なのだ。
だが、詳細を聞いて表情が曇った。向かう先は殆ど交流の無い海を越えた島国。頼れる兄も、父も母もおらず。本当にたった一人。最終的に、喜びより戸惑いの方が勝ってしまったらしい。
(まあ、大体予想通りだな)
この反応はミラノもある程度予想していた。確かに、あまり交流の無い島国に向かえと言われれば不安だろう。でも、だからこそミラノはマリーを派遣させたかった。
可愛い妹が「聖王子の出がらし」などと呼ばれている事をミラノは知っているし、マリーがそれを気にしている事も知っているが、マリーも一人で巣立たねばならない時が来る。そのために他国相手に場数を踏む必要があるが、なるべくマリーに対し先入観を持たない国を選びたい。
そういう意味で、大陸と殆ど交流を持たず。聖王子ミラノの威光が殆ど効かないクマハチの故郷は、マリーのデビューの場としては最適だ。だが、やはり一人でヘリファルテの名を背負い、見知らぬ国に行くのは相当抵抗があるらしい。
「今回はクマハチの里帰りのついでに、何人かの武家――大陸でいう貴族に顔見せをする程度だ。国益に関する綿密な交渉や取引ではなく、失礼の無い程度に振舞うだけで構わない」
「でも私、上手くできる自信が無いわ」
「上手くやろうとするな。大事なのは他者を尊重する事だ。そもそも、向こうとこちらでは文化も大分違うだろう? 多少へまをしても、相手の尊厳を踏みにじらないよう気を付ければ、大きな問題にはならない筈だ。恩や媚を売る必要は無い」
「それ、遠まわしに私が失敗するって言いたいの? 失礼しちゃうわ!」
「……面倒な奴だな」
ミラノとしては「失敗しても構わない。肩の力を抜け」と激励したつもりだったが、失敗を前提に組み込まれている事自体がマリーとしては不満らしい。けなしても駄目。おだて過ぎても駄目。マリーのご機嫌取りはなかなかに難しい。セレネは本当によく相手をしてくれているなと、ミラノは感謝と同時に苦笑した。
「観光だと思って気楽に行けばいいんだ。クマハチの国は大陸の文化と随分違うからな」
「知ってる。魚を生のまま食べたりするんでしょ? 気持ち悪いじゃない」
マリーは以前、クマハチに何度かお国自慢をされた事がある。その時、クマハチが絶品だと語ったのは「サシミ」とかいう郷土料理だ。どんな物なのかと尋ねたら、釣ったばかりの魚をそのまま解体し、生のまま食べるらしい。それを聞いた時、マリーの顔は青褪めたものだ。
「私、魚なんて殆ど食べた事無いし、まして生で食べるなんて獣みたいじゃない。そんなものばかり食べてたから、クマハチがクマみたいになっちゃったんじゃないの?」
「確かに、生の魚は僕もどうかと思うが、聞いた話では、他にも色々とあるらしい。例えば『ウニ』という食べ物もあるらしく、素晴らしく美味だそうだ」
「何よ、ウニって?」
聞いたこともない変な響きの食べ物に、マリーが警戒を露わにする。どうやらサシミの話がマリーの中で相当根深いトラウマになっているらしい。
「僕も話で聞いただけだが、クマハチが言うには、黒いトゲが沢山ある丸い物体で、その中身を割って食べるらしい。と言う事は、恐らく栗のような物じゃないか?」
「なるほど……栗かぁ。それなら私でも食べられそうね。私、栗好きだし」
ほんの少しだけガードが緩んだマリーに、ミラノはさらに追撃をする。目立ちたがり屋であり、同時に寂しがり屋でもあるマリーを国外に派遣させるには、それなりの餌が必要だろう。そう予測し、ミラノはクマハチからマリーが好みそうなネタを聞き出していた。
「それだけではないぞ。『着物』という民族衣装もあるらしい。女性の物は花の刺繍などがあしらわれていて、それはそれは艶やかだそうだ。どうだ、着てみたいとは思わないか?」
「着物……艶やか……」
マリーの警戒が徐々に解けてきた事を、ミラノは表情から見て取った。マリーは食べ物より、装飾品やドレスで釣る方が効果的なのだ。ちなみに、セレネだったらサシミでワンパンKOである。
マリーの牙城が陥落すると思った矢先、彼女の脳裏にある存在が浮かび上がる。擦り切れ、着古した藍染めの着物を纏った浮浪者のような男――クマハチである。
「はぁ……あれが着物かぁ」
クマハチの姿を思い浮かべた瞬間、マリーは肩を落として溜め息を吐いた。この国で着物のサンプルになるのがクマハチしかおらず、彼の外見から「艶やか」と言われても、マリーの心に全然響かない。
「ねえ兄さま。やっぱり、この話は無かった事にならない?」
(やはり一筋縄ではいかないか)
あと一歩でチェックメイトだったのに。手札の切り方を間違えた事にミラノは内心舌打ちする。我の強いマリーの心を揺れ動かすのは、他国の外交官との交渉よりもはるかに難しい。
「セレネ相手なら、もっと楽に説得できるのだがな……」
ミラノは天井を仰ぎ、マリーに聞こえないよう口の中だけでそう呟いた。今頃、クマハチはセレネに対し、ヘリファルテを一時的に離れる事を告げているだろう。もしもマリーがセレネの気性であったならどれだけ楽だろうか。
ミラノの中では、セレネはとても聞きわけのよい大人しい少女である。もしもセレネがマリーの代わりに大使として派遣できるなら、いちいち物で釣って機嫌を取る必要もないだろう。
自分の妹ではあるが、面倒な方の交渉を押しつけられたものだと、ミラノはクマハチを苦々しく思った。実際には、プライド皆無のセレネは、物で釣らないと絶対に動かないので、ある意味で貧乏くじを引いたのはクマハチの方なのだが。
◆◇◆◇◆
「というわけで、拙者、しばらくの間、故郷へ帰らねばならんのでござる」
「しまながし!?」
同時刻、クマハチもセレネの部屋を訪れ、先ほどミラノがマリーにしていたのと同じ内容を説明していた。マリーに話したら「気持ち悪い」と一蹴された刺身の話も、セレネは馬鹿にせず、むしろ目を輝かせて聞いていた。
「ははは! 島流しではござらんよ。数日帰るだけでござる。王子から頼まれたちょっとした野暮用と、買い出しが主な目的でござる」
「おうじ、やぼよう、かいだし……」
長い監禁生活を強いられていたセレネにとって、見るもの聞く物全て新鮮なのだろう。そう考えると、クマハチは少し痛ましい気持ちになるが、表情には出さず豪快に笑った。ちなみに野暮用とは、帰国ついでにマリーの護衛兼お守りを頼まれた事。買い出しは自分の刀の補充である。
「では拙者これにて。夜分遅く女性の部屋に失礼したでござるな」
クマハチは一通り話を終えると、そのままセレネの部屋を出て行った。セレネは既に普段着ている白いドレスに着替え終わっていて、ベッドの上に座ったまま、クマハチの話した内容を、足りない頭で整理する。
『姫、どうなされました?』
「やばい! いそげ!」
『ひ、姫!? 一体どうされたのですか!?』
突如、セレネはベッドから飛び降りると、普段のどん臭い動きから想像できない猛ダッシュで部屋を出て行く。バトラーも何が何だか分からないまま、慌ててセレネの後を追った。
◆◇◆◇◆
「マリー、今回の件は、お前にとって必ず役立つ経験になると思っている。確かに不安は大きいかもしれないが、お前もいずれ僕に並ぶ存在になる。その時のための大事な一歩なんだ」
「そうかもしれないけど、でもぉ……」
しばらくの間、ミラノは色々な飴をちらつかせ、時に叱咤し、時に宥めながらマリーの説得を試みたが、状況は芳しく無い。慣れない食文化、異国の土地、何より、自分一人だけというのが最大の懸案事項らしい。
(やはりまだ早かったか……)
マリーとて、将来の第一歩としていい機会が巡ってきた事は理解している。だが、あと一歩、勇気が出ない。とはいえ、あまり無理強いする訳にも行かず、今回はやはりクマハチの帰国のみで済ませよう。
ミラノがそう思い始めたその時、突然、ノックも無しにマリーの部屋のドアが開け放たれた。ヘリファルテの王女に対し、そんな非常識な行為をする輩は――セレネだ!
「まって!」
「「えっ!? せ、セレネ!?」」
ミラノとマリーの声がハモる。セレネは肩で荒い息をしている。どうやら相当急いでここまで来たらしい。呼吸を整えたセレネは、ミラノをまっすぐに見つめて口を開く。
「わたし、ついてく!」
「ついてく? まさか、マリーとクマハチの旅にか?」
ミラノが聞き返すと、セレネは首を縦にぶんぶん振った。
「セレネは船旅は初めてだろう? それに、色々と文化も違う。無理に付いて来ずとも……」
「いいから! ついてく!」
セレネはミラノの気遣いを跳ねのけるようにそう叫ぶと、今度はマリーの方に向き直る。
「マリー」
「な、何?」
「いっしょ、たのしもう」
「えっ」
それだけ言って、セレネはドアを閉めた。後に残されたミラノとマリーは、呆けた表情でドアをしばらく見つめていたが、やがてお互いに向き直る。二人とも表情は大分緩んでいる。
「どうだマリー。今の言葉を聞いて、何か感想は?」
「……行くわよ。行けばいいんでしょ」
マリーはまだ若干不満そうだが、ようやくミラノの提案を飲んだ。
恐らく、セレネはクマハチから説明を聞き、自分がわがままを言っていると予想が付いていたのだろう。だからこそ、短絡的な行動は「待て」と釘を刺しに来た。
「それに、セレネに『楽しもう』と言われてしまったぞ? お前はセレネのお姉さんになるんだろう? あの子が付いていくとしたら、醜態は見せられないぞ」
「分かってるわよ。やるわよ、やってやるわよ! このヘリファルテ第一王女マリーベルが、誰よりも素晴らしい姫の中の姫だってこと、異国だろうがなんだろうが証明するわ!」
今まで及び腰だったマリーは、弱気を吹き飛ばすように高らかに宣言した。マリーは目立ちたがり屋で、寂しがり屋で、そして負けず嫌いだ。
妹分であるセレネに「この状況を楽しめ」などと宣言されれば、奮い立たざるを得ない。マリーは決して出がらしではない。その身体には、弱きものを守る誇り高きヘリファルテ王家の血が流れているのだ。
『(なるほど。姫はマリーベル王女の叱咤激励のため、急いでいたという訳か)』
慌ててセレネの肩に飛び乗ったバトラーは、セレネの肩の上で言動を振り返っていた。ミラノとクマハチが会議室で話し終えた後、セレネに説明をしに来たという事は、恐らく、同時刻にマリーの方にもミラノから同じ説明がされているはず。
だが、マリーが断る可能性もある。プライドの高い彼女の事だ。一度断った後、「やはり気が変わったので大使にしてくれ」などと言いだす事は無いだろう。だからこそ、セレネは凄まじい勢いでマリーの部屋へ走ったのだ。友人であるマリーが羽ばたくチャンスを失わせないために。
『(なんと友人思いのお方だ……)』
クマハチの話を聞いているだけでも、島国は大陸と全く違う文化であるのはバトラーも予想出来る。友人であるマリーの負担を軽くするため、自らも異文化へと飛び込もうとしている。その気高き魂に、バトラーは頭を垂れた。
『姫、クマハチ殿の国については、私も殆ど情報がありません。ですが、このバトラーもお供いたしますのでご安心くだされ。白森では虚を突かれ醜態を晒しましたが、二度とあのような事にはならないよう尽力致します』
「うん」
バトラーの気遣いを適当に流し、セレネは何とかギリギリで間に合った事に安堵していた。今回のイベントは、セレネにとって絶対に参加しなければならないものだからだ。
セレネが考えて出した結論は、「ミラノがクマハチにどうでもいい嫌がらせをしつつ、マリーに刺身やウニを食わせる旅行ツアー」という物だった。妹のマリーに美味い物を食わせるため、どうでもいい用事をでっち上げ、クマハチに付き添いという名の遠方出張させたのだ。そうに違いない。
クマハチいわく「王子に言いつけられた野暮用と買い物」のため、わざわざ船に乗って旅立つらしい。
何故、たかが「野暮用と買い物」で他国まで行かねばならないのか、そんなどうでもいい用事なら、城下町なり別の奴を行かせればいいではないか。しかも、なんと王女であるマリーまで一緒に行くのだから、旅行以外に考えられない。
もちろん、同士クマハチにパワハラをした事も腹立たしいが、それ以上に、セレネは自分が刺身ウニ食べ放題ツアーに呼ばれなかった事に激怒していた。国のために結構働いた(と思っている)のに、慰安旅行に呼ばれない事がとにかく気に入らない。
ミラノが行かないのは、大陸中を歩き回り、女性だけではなく美味い物もたらふく食っているからだろう。刺身やウニ程度で船に乗って行く気など無いという訳だ。何と言う贅沢者だ。万死に値する。
というわけで、セレネはミラノとマリーの下に駆け付け、話が纏まる前に強引に割り込んだのだ。
自分も付いていくと強硬にアピールし、反論されないうちにさっさと引っ込んだ。もし駄目だと言われたら、明日から会議に出席しないと固く決意し、セレネは眠るために自室へと戻って行った。
◆◇◆◇◆
「しかし、セレネが来てくれるとは予想外だったな。あの子は、あまり外に出たがらないと思っていたのだが」
「いや、むしろ今まで閉じ込められていた分、外界に興味があるのでござろう。刺身やウニの話をしたら、目をきらきらと輝かせておったでござるよ」
「そうか……セレネには少し負担を掛けてしまうかもしれないが。正直、マリーに付き添ってくれるのはありがたい。あの子なら、マリーの問題行動を抑えてくれるだろう」
お互いの状況を報告しあい、ミラノとクマハチは頷いた。今や人間とエルフの懸け橋となったセレネに対し、ミラノもクマハチも全幅の信頼を置いている。
セレネがいれば、きっとマリーも大使の役を問題無くこなすだろう。だが、むしろトラブルの原因を抱え込んでしまった事に、悲しいかな誰も気付く事は無かった。