【番外編】王都の闇(後編) 2
「取引だぁ? 何だか知らねぇが、ガキ共にこんな扱いをする奴と、俺がやりとりすると思ってんのか?」
「私はエルフの生活にそれほど詳しくはありませんが、エルフ族も家畜を飼い、自らの命の糧としているではありませんか」
「だったら何だ。何が言いたい?」
回りくどい喋り方をする老人にギィはさらに苛立つが、柳に風とばかりに老人は受け流す。
「つまり、これは必要な事なのですよ。安寧という怠惰を貪る人間たちに、もう一度、活を入れようとしているのです。そのためには、多少の犠牲はやむを得ないのです」
「だから訳わかんねぇよ! もっと分かりやすく話しやがれ!」
「涼しげな顔立ちの割には激情家ですね。残念ですが、我々に協力していただけると言っていただけるまで、細かい部分は話せません。まあ、『呪詛』を集めている、とだけお伝えしておきましょうか」
「呪詛……つまり負の感情だな? そんなもん集めてどうする」
「パズルのピースの一つといったところですな。さて、ここからが本題です。我々の一族の計画は、確実に人間の世界に大きく影響を及ぼします。その隙に、エルフ族は勢力を拡大していただきたい、というのが、私の持ちかける取引です」
「つまり、俺たちに人間を攻めろってことか? お前らも人間だろ」
「我々は少し特殊な人間でしてね、人間嫌いの人間とでも言いましょうか」
眉間に皺を寄せるギィに対し、老人は実に楽しそうな口調で話しかける。
老人の口ぶりから予想出来るかもしれないが、この男は呪詛吐きの一族である。この男は、大陸を震撼させる呪い『日除蟲』を発動させるため、人知れず王都の闇の中で材料を集めている最中なのだ。
呪詛吐き一族の悲願は、大陸に混沌と絶望をまき散らすことだ。
無論、計画が露呈する事は避けねばならないが、ここでエルフと遭遇できたのはチャンスでもある。
エルフ族が自分の提案に乗り、人間界の制圧を企てれば、呪詛吐き一派はより動きやすくなる。
呪詛吐き一族は人を呪う事を生きがいとし、呪いのために生きているといっても過言ではない。
その結果、大陸がエルフの物になろうが、はたまた成長しきった蟲により人間もエルフも滅び、極端な話、自分たち自身が滅びようが構わないという、狂った信念で動いている。
人間界に派遣されているエルフということは、彼らの種族の中でも相当に身分の高い存在だろう。目の前のエルフの青年を懐柔出来れば、かなりの利益を生み出す。老人はそう判断したのだ。
「断る」
「ほお?」
ギィは首を縦には振らなかった。さすがにこの状況で即決するほどエルフも馬鹿ではないらしい。だが、それも想定の範囲内。
「おやおや、意外ですね。エルフ族にとって、それほど悪い提案だとは思えないのですが」
「何度も言わせんじゃねぇ。ガキ共をこんな目に遭わせる奴と組む気はねぇ」
「そんなに子供が大切ですか? 他種族の孤児ですよ?」
「……それ以上ふざけた事をぬかすと、前歯を全部へし折るぜ?」
「なるほどなるほど……では、こういうのはどうでしょうか?」
「きゃあああああ!?」
「アイシャ!?」
殺意を籠めた視線で老人を睨みつけていたギィは、アイシャの悲鳴に慌てて振り向く。部屋の入口の所で待機していたアイシャの体には、黒い蛇のような物が巻きついていた。よく目を凝らして見ると、それは蛇ではなく、はっきりとした形を持たない影の塊であった。
「奇妙なモンを飼ってるじゃねぇか。薄気味悪い魔力のバケモンをな」
「流石はエルフ。あれが魔力の産物だと一目で分かりましたか。もっとも、そいつは出来損ないですがね。私もまだまだです……が、その小娘を殺すくらいは簡単に出来ますよ」
ギィがつり目をさらに険しく吊り上げるが、老人は茶飲み話でもするかのように言葉を続ける。
「さて、もう一度考え直してはいかがですか? 勿論、莫大な契約金も払いましょう。金というものはいいですよ。人間の世界では、大抵の事は金で解決できますからね」
「嫌だと言ったら?」
「明日の朝、少女と、耳の長い青年の死体が路地裏で発見されるでしょう。王都とはいえ、この辺りはあまり治安が良くありません。何かの事件に巻き込まれるということもあるのでしょう。いやいや、痛ましい事ですが、仕方ありませんね」
「…………」
「この状況で、エルフ殿はどういったカードを切れますか? いくら魔力の扱いに長けていても、アイシャとの距離を一瞬で詰めるというのは無理ではありませんか? それとも、おとぎ話のように手の平から火球でも飛ばしますか?」
今までの紳士然とした態度は既に無く、老人は嗜虐的な笑みを浮かべている。猫がネズミをいたぶるように、相手に打つ手が無い事を知っているのだ。
この世界の魔力はそれほど万能ではない。物質や肉体を強化したりは出来るが、炎や電撃を手から出すという類の物は、おとぎ話や神話にしか登場しない。
「ギィ、お兄ちゃん……」
アイシャが恐怖に歪んだ表情で、喘ぎながらギィを見る。アイシャを危険から遠ざけるため、部屋に入れなかった事が裏目に出た。いくらギィが俊敏であろうと、あの黒い塊に飛び掛かる前に、間違いなくアイシャは殺されてしまうだろう。
「おい、ジジイ」
「何ですか? 提案を受け入れる気になりましたか?」
「エルフを舐めんな、バーカ」
ギィがそう言った直後、ばちゅん、と弾けるような音と共に、アイシャを捕らえていた黒い怪物の体が膨張し、そのまま破裂した。後には、解放されたアイシャが尻もちを付いて廊下にへたり込んでいるだけで、文字通り影も形も無い。老人が目を見開く。
「なっ……!? き、貴様ぁっ! 一体何をしたっ!?」
今までの余裕の笑みを驚愕に変え、老人が叫ぶ。今度はギィが、意趣返しで老人に獰猛な笑みを向ける。
「確かに、カネってのは便利だな」
「貴様、ま、まさか……」
「投擲武器にはぴったりだ」
ギィは一枚の小さな銅貨を、見せびらかすように親指で軽く弾いた。入口の所で袋の中身はぶちまけたが、何枚か外套の内ポケットに突っ込んだままの物が残っていたのだ。
そう、ギィは小さな銅貨に魔力を籠め、黒い影めがけて指で弾いたのだ。出来そこないの魔力の怪物では、エルフの魔力の籠もった魔弾に耐えられはしない。
人間がやたら金という物を押しつけたがるので、ギィとしては物のほうが嬉しかったのだが、仕方なく受け取っていた。もちろん金はエルフの里では使い道が無く、いつか全部溶かし、鍋にでも作り変えようと目論んでいた。
だが、ギィは考えを改める。カネは平べったく、小石や木の枝よりもかさ張らず、魔力を通しやすい。隠し武器としては非常に優秀だ。これは少し残しておくべきだろう、と。
そうしてギィが一歩前に足を進めると、老人は同じ分だけ後ずさる。
「どうした? もうお終いか? だよなぁ、人間があんな魔力の塊をほいほい作り出せるわけねぇもんな。さぁ、どうする? そうだ、カネを使って俺を倒すってのはどうだ? 人間の世界では、大抵の事はカネで解決できるんだろ?」
「ぐっ……!」
ギィがさらに一歩進む。老人はさらに後退し、ついに壁まで追いつめられた。完全に立場が逆転していた。
「で、ではこうしましょう。先ほど取引という表現をしましたが、我々の一族がエルフの配下に加わる、というのはどうでしょうか?」
「お前らが、俺の配下に?」
「そうです。エルフ殿にはまだ実感が湧かないかもしれませんが、綺麗事だけでは人間の世渡りは難しいですよ? その点、私はそういった裏の面にも詳しいのです。勢力を拡大どころか、エルフ達がこの大陸の支配者になれるかもしれません。無論、我らは絶対の忠誠を誓います。我らの長にそれを伝えましょう」
老人は焦りを表に出さないよう、出来る限り落ち着いた口調でそう提案する。とにかく、今はこの場を凌がねばならない。
エルフが人間を嫌っている事は間違いないのだから、取引では無く、配下という条件を出せば食いつく可能性は残っている。日除蟲さえ完成してしまえば、そんな口約束などどうとでもなる。
「……じゃあ、俺の前に跪きな」
「は、はい! ありがとうございます」
屈辱的ではあるが、老人はギィの前に片膝を突き、頭を垂れた。一時的に頭を下げることで、世間知らずのエルフを言いくるめられるなら安いものだと、老人は下を向きつつほくそ笑んだ。
「顔を上げろ」
「こうですか?」
「死んどけ」
「ぶべっ!?」
老人が顔を上げた瞬間、丁度いい高さになった顔面に、ギィは容赦なくひざ蹴りをぶちかます。めしゃ、と音を立て、顔を凹ませた老人は後ろに倒れた。その様子を窺っていたアイシャが、おっかなびっくりギィに近寄る。
「こ、殺しちゃったの!?」
「それでも良かったんだがな。こいつを裁くのは人間の役目だろ?」
ここは人間の国だ。白森には白森のルールがあるように、人間には人間のルールがある。それを尊重し、ギィはひざ蹴り程度で抑えた。ここが白森で無かったのは老人にとって幸運だったかもしれない。もしもギィの集落なら、確実に殺されていたであろうから。
「そうだ、一つ訂正しとくことがある」
ギィは、既に気絶し、ぴくりとも動かない老人の頭を容赦なく踏みつける。アイシャは流石にちょっと引いたが、ギィは怒りが治まらないらしい。
「俺は人間が嫌いなんじゃねぇ。クズが嫌いなんだよ」
無論、老人の耳にはそんな言葉は入ってはいなかった。
◆◇◆◇◆
「ったく、本当に面倒くせぇな。人間ってのは」
外套を被りなおし、ギィは一人呟きながらヘリファルテの大通りを歩いていた。まだ夜明けまでは時間があり、辺りは静寂に包まれている。こつ、こつ、というギィの足音だけが辺りに響く。
とりあえず怒りにまかせて老人を蹴り潰したのはいいが、そこから先をどうすればいいかギィには分からなかったので、とりあえず繋がれていた子供達を解放し、その子供から役人に通報して貰うという、微妙に締まらない終わり方になったのが、不満と言えば不満だった。
王都の役人たちは最初は子供たちの話を信じなかったようだが、役人たちの上司クラスになると、ギィが国賓扱いのエルフである事を知っており、急に態度を変え、深夜にもかかわらず電光石火の勢いで動いた。
孤児たちはひとまずの間、ヘリファルテ王宮直属の施設で預かられる。そして、今度は厳正なチェックをした上で、正当な場所に預けられるというのが大まかな流れらしい。アイシャを始めとする子供達は、ギィを一躍英雄扱いしたが、ギィは気持ちだけ受け取り、事が済むとさっさと退散した。
そうしてギィはヘリファルテ王宮まで歩いて戻ると、ミラノの部屋に直接殴りこんだ。大陸一の王子の寝室だというのに、ギィは勝手知ったる友人の家にであるかのように、容赦なくドアをノックし、ミラノを文字通り叩き起こした。
「そうか、そんな事があったのか……」
「まったく。人間の騒ぎに俺を巻きこむんじゃねぇ。セレネが居なかったら、あのガキども死んでたかもしれねぇんだぞ」
「やれやれ、また、セレネに借りが一つ増えてしまったな」
「あと俺にもな」
「分かっているさ」
ミラノは苦笑すると、今後はより一層、恵まれない者たちのために街を取り締まるとギィに約束した。ギィもそれに頷き、来賓兼寝室へ足を向ける。何せ徹夜明けだ、いい加減眠くて仕方が無い。
「あさがえり」
その時、不意に壁際から、にやにやと笑みを浮かべる白い少女の姿が見えた。おっさん時代だったら完全な不審者だが、今は純粋な笑顔に見えるのが腹立たしい。そう、今夜の件の依頼人セレネである。
「あれ? セレネじゃねぇか。随分と早起きだな」
「ふっふっふ」
偉そうに胸を張るセレネだが、別に早起きではなく、一晩中起きていただけだった。ギィが帰ってくるのをひたすら待ち、報告を聞いてから昼過ぎまで寝ればいいやという、怠惰な考えによる行動であり、褒められる要素が一つも無い。
「で、どうよ?」
「どうよって、昨日の件か?」
「うん」
「そりゃあ、すっきりしたぜ」
「おっ? ゆうべ、おたのしみ?」
「ま、ある意味貴重な経験は出来たな」
「おおっ! はやく、はやく! ほうこく!」
「分かった分かった」
余程国民の動向が気になるのだろう、そう思ったギィは、とりあえずセレネの部屋に移動し、事の顛末をセレネに話した。話を聞く前は目を輝かせていたセレネだったが、ギィが話を進めるにつれ、どんどん表情が曇っていく。
「じゃあ、エロス、なし?」
「ああ、そういう感じじゃなかったな」
まだ幼いセレネに対し、性的な事を話題に出すのは躊躇われたが、執拗にセレネがその辺りを聞いてくるので、結局話さざるを得なかった。意外と耳年増なのかもしれない。ギィはそんな事を考えていた。
「なんてこった」
「そうだな、確かに邪悪な感じはしたが、化け物は俺がぶっ潰しといたから安心しろ」
「うぅ……」
正体不明の怪物を潰したというのに、セレネの表情はやはり晴れない。確かに、あの黒い怪物の正体は気になるし、何か嫌な予感がするのは確かだ。だが、ここは人間の世界であり、エルフのギィがあまり踏み込める領域ではない。
「ま、当面は大丈夫だろう。あんまり気に病むなよ。じゃあ、俺はいい加減眠いから帰るぜ」
セレネを残し、部屋を去ろうとしたギィだが、もうひとつ伝えなければならない大事なことを思い出す。
「あ、そうだ。ミラノの野郎が、これからは歓楽街を取り締まるって言ってたぜ」
「なにっ!?」
セレネは思わずベッドの上で立ち上がるが、役目を終えたギィはそのまま部屋を後にした。
一人残されたセレネは、がっくりと項垂れた。幼女の体である自分は歓楽街に出向く事が出来ない。それならばとギィを派遣し、歓楽街の街並みや、具体的な行為を聞き、せめてもの慰めにしようとしたのだ。
だが、蓋を開けてみればギィはそういった行為は一切せず、何だかよくわからない悪党をぶちのめした武勇伝を語っただけだった。別にそんな話は聞きたくない。しかも、その事がミラノに伝わってしまったらしく、歓楽街を規制される可能性まで出てきた。
「うわぁぁっ! ちきしょおおぉぉぉ!」
セレネはベッドの上で、アホみたいにごろごろ転がり身悶えした。自由に動けない幼女の体がこれほどもどかしいと思った事は無い。そんなセレネの下種な感情とは関係なく、空には清らかな朝日が昇り始めていた。ヘリファルテの王都の闇は、セレネの野望と共に黎明の輝きに掻き消えていく。
なお、ギィによって半殺しにされた老人は、ヘリファルテ王都で裁判に掛けられたものの、「我らの崇高な行動は、貴様ら愚民には分かるまい」などと喚くだけで、結局は頭のおかしい老人という扱いで、投獄されただけに留まった。
もしも老人の材料集めが完成していれば、日除蟲はより強固な物となり、後の惨劇を免れる事は出来なかったかもしれない。セレネは無意識のうちに呪詛吐きの計画に先手を打っていた事になるのだが、無論、セレネにそんな先見の明があるわけが無いのだった。




