【番外編】王都の闇(後編) 1
質の悪いベッドにアイシャと並んで座りながら、ギィはじっと待っていた。しばらく時間が経つと、ギィが本当に危害を加える気が無いと理解したアイシャは、今に至るまでの状況をぽつりぽつりと語り出した。
両親を亡くし、王都に親族も居なかったアイシャは、姉と共にこの孤児院へと引き取られた。アイシャ達がこの場所に来てからそれほど日は経っておらず、最初の数日間は、何の変哲もない普通の孤児院だと思っていたらしい。事実、ここを管理している人間たちは、最初はとても優しくしてくれたらしい。
だが、それは孤児が正当に扱われているか確認する役人が駐在していた数日間だけで、その後はろくに食事も与えられず、奴隷のようにこき使われる日々が待っていた。
「それに、三日前からお姉ちゃんが帰ってこないの」
「どこか別の場所に連れて行かれたとか、そういう訳じゃねえんだな?」
「よくわかんないけど、二階の奥に連れていかれてから、ずっと出てきてないの」
「魔力の間、とかいう奴か?」
「うん。あそこは院長先生しか開けられないし、多分中に居るんだと思うけど」
「なるほどな……」
ギィの眉間に皺が寄る。あまり考えたくは無いが、この孤児院は、非合法でいかがわしい事に子供を使う施設らしい。となると、アイシャの姉もそれに巻きこまれている可能性が高い。
「お兄ちゃん、ええと……」
「ギィだ」
「じゃあ、ギィお兄ちゃん。あなたは聖王子様のお友達なんでしょ?」
「まあな、それがどうした?」
「私、王子様は嫌い」
「あん?」
両手で膝を抱えながら、アイシャがぽつりと呟いた。
「だって、私たちがつらい目にあってるのに、王子様は見向きもしてくれないもん。王子様がかっこよくて強くても、私たちが居る事なんて気付いてないもん」
「……人間ってのも大変だな」
「え?」
フードをかぶったままのギィの横顔を、アイシャが不思議そうに眺める。
ギィも族長という立場ゆえ、上に立つ者の苦労は分かる。だが、エルフは集落単位で独立して暮らす傾向があり、ヘリファルテほど纏まった数が住む事は無い。自分では到底これほどの国を治める事はできないだろう。そう考えると、ミラノやシュバーン、それにセレネに対し、畏敬の念が湧いてくる。
「ま、現状だと、確かに聖王子はお前を助けてくれないかもしれねぇが、月光姫はそうでもないみたいだぜ」
「げっこうひめ? 誰それ?」
アイシャの問いには答えず、ギィはベッドから立ち上がる。アイシャと話し、状況を把握したギィはこう思う。多忙を極め、細かい部分に目が行き届かないミラノやシュバーンに代わり、アイシャのような力無き物の叫びをセレネは気に留めていたのだと。ならば、自分のすべきことは一つだ。
「ちょっと待ってろ。お前の姉貴に会わせてやる」
「ギィお兄ちゃん、ほんとに助けてくれるの?」
「ああ、どうも俺はそのために来たみたいなんでな」
「その、月光姫って人から頼まれたの?」
「ま、そんなところだ」
アイシャの瞳に希望の光が宿ったのを見てとり、ギィは薄く笑って答えた。ギィはアイシャに部屋に残るように言い聞かせ、廊下に出ると、入口にいた太った男の所へと戻る。
「あれ? 旦那、もう終わっちまったんですかい?」
男は好色な笑みを浮かべるが、ギィはそれを無視してドアの方に顔を向ける。
「おい、あの扉の所にいる変なやつは誰だ?」
「へっ?」
ギィが向いている方向に、男は首を向ける。そうして無防備に晒された男の首筋に、ギィは手刀を叩きこむ。男はうめき声すら上げず、そのまま昏倒した。
「騒がれると面倒なんでな。ちょっと寝てろ」
気絶した男の衣服の裾を破り、それを使ってギィは男の手足を縛る。廊下を渡っている間、聴覚を研ぎ澄ませていたので、一階には他に邪魔になりそうな存在は居ないことは把握している。
――いや、一つだけある。ギィはその邪魔になりそうな存在の、小さな足音にため息を吐いた。
「ギィお兄ちゃん、強いんだね!」
「バカ、部屋で待ってろって言っただろ」
ギィは舌打ちし、ぱたぱたと足音を立てて近寄ってくるアイシャの方に顔を向けた。ある程度予測していたが、やはり大人しく待っていられなかったらしい。
「私も行く! だってお姉ちゃん心配だもん!」
「分かった。ただし、俺から離れるんじゃねぇぞ」
「う、うん」
緊張した面持ちでアイシャは答える。もしも噂に聞いたような事が行われている場合、アイシャを連れていくのは良い事ではないが、かといってそのまま放置し、後で勝手な行動をされるよりはましだろう。
そう判断し、ギィはアイシャを守るように先に立ち、建物の中央にある古びた階段を昇る。ギィは音を立てないよう忍び足で進んだが、アイシャがぎしぎし音を立てるので、途中で馬鹿らしくなり普通に階段を昇り切った。
二階は思ったよりも小奇麗だった。建物自体は年季が入っているが、それなりに掃除は行き届いているらしい。しかし、それはあくまで裏で行われている行為を隠すために過ぎない。掃除をしているのも、ほとんどはアイシャ達のような子供だろう。先ほど、身の丈に合わない巨大なゴミ箱を捨てさせられていたアイシャの姿がギィの脳裏に浮かぶ。
「意外と綺麗にしてるんだな」
「うん。たまに役人さんが見に来るから、綺麗にしておけって。しないと怒られるから……」
「けっ、見た目だけ綺麗にしても、奥の嫌な匂いは隠せてねぇけどな」
「え? 何にも臭わないよ?」
「(やっぱ人間には分からねぇのか。腐った卵みたいな魔力の臭いが)」
人間とは比較にならない魔力を持つギィは、二階の奥の方から腐臭を放つ何かが蠢いている事に気づいていた。そこで一旦思考を切り、ギィはアイシャに向き直る。
「しかし、下のデブ以外の大人は誰もいねぇみたいだな」
「夜は院長先生と、交代の人以外は帰っちゃうから」
「あれ? 今日はお前以外は買われたとかあのデブがほざいてたじゃねえか。何で二階に誰もいないんだ?」
「あんなの嘘だよ。たまに変な人が来るのは見た事あるけど、入口でお金を出したのはギィお兄ちゃん以外見たこと無いもん」
「(何だ? 噂で聞いた話と大分違うな)」
ギィが聞いた噂は、非合法の歓楽施設として機能しているという物だった。しかし、アイシャの口ぶりからすると、どうもそういう雰囲気ではない。かといって、決していい物では無さそうだ。
二階の廊下の側面には、何個か部屋があり、どれも古ぼけた木製のドアが施錠されている。ギィは手近なドアに手を伸ばすが、当然どれも開かない。アイシャいわく、二階にも子供が居るらしいが、夜の掃除当番以外、決して出る事は許されないらしい。
「逃走防止って訳か」
「夜に開けっ放しにしておくと、悪い人が来るからだって」
「何が悪い人が来る、だ。悪人はてめぇらだろ」
見え透いた嘘にいら立ちながらも、ギィはひとまず扉を無視して奥に進む。それなりに大きい建物だが、一階と二階で造りは変わらない。けれど、二階の奥に、一つだけ他とは違う扉があった。
「ここが魔法の間か」
ギィの目の前には、他の部屋の扉とは一線を画す鉄製の扉があった。表面には幾何学的な模様が塗られており、ギィ達を威嚇するように淡く明滅している。魔力の籠められた扉であることは素人でも見て取れる。
「ここ、院長先生の管理部屋なんだって。大切な書類が置いてあるから、役人さんもなかなか入れないんだよ」
「インチョーとか言う奴の魔力に反応して開く仕組みになってんのか」
「うん。だから、出てくるのを待たないと駄目なんだけど、どうするの?」
「こうする」
言うが早いか、ギィは模様に手の平を当て、自分の魔力を流し込む。ぱん、と何かが弾けるような音と同時に、一瞬そこだけ昼間になったと思うほどの閃光が走り、すぐに暗闇に戻る。
「え、え!? な、何したの?」
「ぶっ壊した」
アイシャが恐る恐るギィの背中から扉を見ると、鉄の扉の表面には、黒く焦げたような跡があるだけだ。これでもう、魔力の扉はただの鉄の扉にランクダウンだ。
「本っ当、人間ってのは魔力の使い方がゴミだな」
アイシャがぽかんと口を開けているが、ギィは何でもない風にドアノブに手をかける。エルフのギィからしてみれば、魔力封鎖の模様など、壁の落書きにすぎない。これがザナなら、模様があった事すら分からないくらい綺麗に消してしまえただろう。
「……やっぱり噂と違うな」
ギィが扉を少しだけ開き、中の様子を窺うと、やはり街の噂とは大分違う光景が広がっていた。不純な行為の露呈を防ぐためだと階下の中年は言っていたが、そんな平和的な目的の部屋ではないらしい。
「……なに、これ?」
「少なくとも、団らんを楽しむ部屋じゃねえな」
魔力の間と呼ばれた部屋の内部は、建物の半分くらいをぶち抜いた一つの大きな部屋となっていて、そこには、子供達が首輪を嵌められ、犬のように無造作に転がされていた。どの子供もあまり栄養状態は良くないらしく、皆、怯えたように闖入者であるギィを見つめている。
「あ、アイシャ!?」
「お姉ちゃん!?」
後ろから様子を窺っていたアイシャに気付いたのか、一人の少女が大きな声を上げた。どうやら、彼女がアイシャの姉であるらしい。
「こらこら、夜中にあまり叫んではいけませんよ……おや、これは珍しいお客さんだ」
アイシャの姉の叫び声に反応したのか、部屋の奥まった場所から、一つの黒い影が現れた。小さな窓からはあまり月光が差し込まず、殆ど光源の無い暗闇ではあるが、白森の生活に慣れ、夜目の利くギィにはその男の姿をはっきりと認識出来る。
「思ったよりまともじゃねえか。拍子抜けしたぜ」
「夜中に乱入してきたと思えば、随分と乱暴な方ですね。私からすれば、あなたの方がよほど異常者ですよ」
ゆったりとした歩調で部屋の中心に現れたのは、穏やかな表情を浮かべた老人であった。結構な年齢だろうが、背筋もぴんと伸びているし、仕立ての良いスーツを着ているのを見れば、少なくとも外見上は紳士そのものである。だが、この部屋では、それがかえって異常に見える。
「お前が黒幕か。ガキ共にいかがわしい事させて、カネとかいう物を集めてたんだろ?」
ギィが問い詰めるが、老人は肩をすくめて笑うだけ。それがギィの神経を逆なでする。
「金? 私がそんなチンケな物を求めているとお思いですか」
「ああ? てめえ、何言ってやがる?」
「これは私の仕える方のご命令でしてね、子供達をこうしておくと、負の感情が貯まりやすいのですよ」
得体の知れないフードを被った男が居るにも拘わらず、老人は悠然とした態度を崩さない。そこから察するに――。
「余程の馬鹿か、強者の余裕ってやつか」
「全く、あなたは本当に失礼な人だ。いきなり人の部屋に土足で入り込み、馬鹿呼ばわりをされるとは心外ですな。どうやって忍び込んだか分かりませんが、月並みですが、失礼の対価はあなたの命で払ってもらいましょうか」
「忍び込んだ? 俺はちゃんとドアから入らせてもらったぜ? んなことより、お前の態度ではっきり分かった。ここは腐った沼だ。浄化が必要だってこともな」
「浄化! 浄化ですか! ははは! これは面白い事を言う人だ。私は人の世の浄化のために、こうして呪われし材料を集めているというのに」
「……何言ってんだお前?」
「我々の目的はあなたには理解できないでしょうし、説明する必要も無いでしょう。まあ、折角ですし、あなたのお名前くらいはお伺いしておきましょうか。警備を強化しないとなりませんからね」
「名前? 俺が誰だか知りたいなら、もっといい方法があるぜ」
そう言うと、ギィはおもむろにフードを外した。赤い瞳に白い肌、そして、長い耳が外気に触れる。これには老人も多少驚いたらしく、少しだけ目を見開く。アイシャは言うまでも無い。
「お兄ちゃん、その耳は!?」
「ほお……貴方が最近、街で噂のエルフですか。なるほど、魔力封鎖のドアを破ったというのも頷ける」
初めて見るエルフの存在に、床に転がっていた子供たちすら釘づけになるが、ギィは真正面に敵を睨みつける。
「俺がエルフだろうが何だろうが、どうだっていいだろ。何をやってるんだか知らねぇが、ここにいるガキ共を解放しな。そうすりゃギリギリ死なない程度で済ませてやるよ」
「なるほどなるほど、エルフ殿は義憤に駆られ、ここの子供たちを解放しろと言うのですね。さもなくば私に痛い目を見せる、と。しかし、本当にそれがあなたのためになりますかな?」
「ごちゃごちゃうるせえな! 人間のジジイが俺に勝てると思ってんのか? それとも何だ? 命乞いの時間稼ぎか?」
ギィが犬歯をむき出し詰め寄ろうとするが、老人はそれを手で制する。
「まあまあ、少し落ち着いてください。あなたがただの人間でしたら、私も口封じのためにそれなりの対応をさせて頂きますが、あなたがエルフというのなら話は別です。どうです? 私と取引をしませんか?」
「取引?」
意図の読めない男の提案に、ギィは眉を潜めるが、老人は柔和な笑みを浮かべ、言葉を紡ぐ。
「はい。エルフ族の皆様にも利益のある取引だと思われますよ。あなた方は、人間が嫌いなのでしょう?」
老人は紳士的な態度を崩すことなく、優雅な笑みを浮かべ、ギィに言葉を投げかけた。




