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夜伽の国の月光姫  作者: 青野海鳥
【番外編】※第一部の幕間がメインです
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【番外編】マッサージ

 ヘリファルテ王宮の自室で昼過ぎに目を覚ましたセレネは、目を擦りながら首を回す。

 ここ最近、セレネはエルフとの会合に強制参加させられているので、それなりに疲労が溜まっていた。

 ただ座っているだけの簡単なお仕事なのだが、セレネにとっては労働は呪いのようなもので、その場の空気を吸っているだけで体力を消耗していく。


 決まった時間に起き、決まった時間に正装をしなければならないのも苦手だった。

 特にあの衣装は重苦しく肩が凝る。


「ん? かたこり?」


 肩凝り、という単語が頭に浮かぶと同時に、セレネはある話を思い出した。

 女性の肩凝りの原因の一つに、胸の重さがあるという与太話である。

 前世の業務内容などの記憶は縄文土器レベルの過去の遺物と化しているのに、そういう記憶だけは、今でも脳内で燦然(さんぜん)と輝いているのだ。


「いやし、ひつよう」


 今の自分は疲れ果てている。そんな荒んだ生活には癒しが必要だ。そして、癒しと言えば女性の胸である。セレネのベストオブおっぱいは当然アルエなのだが、大学に居るのでなかなか会いに行く事が出来ない。となると、最寄のおっぱいは、やはりアイビスだろう。


「よし、しゅつげきだ」


 思いつくや否や、セレネは早速アイビスの胸を揉むため、服を着替えて部屋を後にする。とはいえ、いきなり部屋に押しかけて「胸を揉ませてください」と言っても、首を傾げられるだろう。でも大丈夫、セレネはこういう時だけ悪知恵が働くので、廊下を進みつつ即座に計画を練り上げる。


 以下、セレネが考えた計画である。


『あら? どうしたのセレネちゃん?』

『こわいゆめ、みた』

『あらあら、じゃあ、私が抱っこしてあげるから、一緒にお昼寝しましょうね』

『ママーッ!!』


 以上。雑だった。


「ママ……」


 セレネは足を止め、思わずそう呟いた。何がママだ。

 そもそも、おっさん時代の年齢と今の年齢を足せば、セレネの方がアイビスより歳上である。


 それ以前に、セレネの母親は絶賛存命中である。恋焦がれるママは本来そっちのはずなのだが、セレネの母親はあまり好みのタイプではなかったし、生まれたばかりの頃に散々吸い尽くし、大分飽きていたので興味は無い。


 掃き清められた大理石の廊下を歩き、セレネはアイビスの寝室に辿り着いた。今のセレネはヘリファルテでも重要人物であり、王宮内をほぼ自由に歩き回る事が出来る。それをいい事に、今から欲望に塗れた計画を実行しようという訳だ。


「おうひさま、おうひさま」

「あら? その声はセレネちゃんかしら?」


 セレネがドアを軽くノックすると、柔らかな声が返ってくる。アイビスが予定通り部屋に居たことに、セレネは胸を撫で下ろす。後は、先ほど考えた流れで一緒のベッドに寝かせてもらい、胸に顔を埋めて眠ればミッション完了である。


「おお、セレネか。お前が尋ねてくるとは珍しいな」

「えっ」


 ところが、開かれた扉の前に立っていたのはアイビスではなく、(いわお)のような巨躯を持つ、獅子王シュバーンであった。セレネは面食らい、固まった。


「今ね、ちょうどお茶をしていた所だったのよ」


 ドアを開けたシュバーンの後ろには、アイビスがのんびりと椅子に座っているのが見えた。

 王族の部屋にしては調度品は少なく、けれど上品な黒檀の丸テーブルが部屋の中心に置かれ、その上には、お菓子とティーポット一式が置かれている。

 セレネは夫婦の営み中かと勘ぐったのだが、どうやら本当にお茶をしていただけらしい。


「お、おうさま、な、なんで?」

「ははは、国王とてたまには休息を取るさ。それとも、えらい王様は、常にしかめ面をして玉座にいるとでも思っていたか?」


 シュバーンが厳つい顔を緩め軽口を叩くが、セレネはそれどころではない。このままでは計画が台無しだ。てっきりアイビス一人だと思っていたのに、さすがに国王が見ている前で、人妻とベッドに入るわけにはいかない。


「それで、私達に何か用か? 大学への出資の話か?」

「え、ええと、その、あの、ま、マッサージ……」

「マッサージ?」


 不可解なセレネの言葉に、シュバーンは眉を潜める。

 セレネは必死だった。このまますごすご引き下がるのは嫌だったし、最近おっぱい成分が体から抜けている。このままでは持病の乳房欠乏症が悪化してしまう。


 計画変更だ。マッサージと称し肩を揉み、そこからどさくさに紛れ、うなじに抱きつき、手を滑らせたふりをして乳を揉む。蛹から蝶へと変態するように、第一次おっぱい計画を変態させねばならない。変態は変態でも、別の変態である。


「えらいひと、かたこりひどい、わたし、分かった」

「そうねぇ、最近はセレネちゃんも引っ張りだこだものね。気が利くわね」

「えへへ」


 よし、いい流れだ。内心でガッツポーズを取りつつセレネは微笑んだ。本当はアイビスの温もりに包まれて一眠りできれば最高なのだが、急な計画変更としては上出来だろう。


「そうか。セレネがマッサージをしてくれるのか。それは楽しみだ」

「えっ!?」


 だが、弾んだ声で答えたのは、アイビスではなくシュバーンだ。


「最近は国政に加え、エルフ達との交渉も増えたのでな。肩が凝っていたのだ。どれ、セレネに一つ揉んでもらうとするか」

「えっ……あっ!?」


 そこでセレネは重大なミスに気がついた。セレネは「マッサージをする」とだけ発言した。アイビスをマッサージしたいと伝えるべきだったのに、「えらいひと」と言ってしまった。結果、シュバーンに誤射してしまったというわけだ。


「おうさま、大きい。わたし、ちから無い、むり」


 それでもセレネは軌道修正を試みる。あんな岩の塊のような男を揉むなど苦行でしかないし、間違いなく疲れる。というか、とにかくやりたくない。


「気持ちだけでも嬉しいのよ。マリーはあんまりそういう事をやってくれないから」

「で、でも……」


 アイビスは笑いながらセレネの頭を撫でて促す。前かがみになると、大きな乳房が重力に引っ張られ、反則級の大きさになるのだが、眼福と言える余裕が無いほどセレネは追い詰められていた。


「確かに、セレネの指圧では効きそうもないな。よし、では踏んでもらうおうか」

「おうさま、ふまれたいの!?」


 セレネは吃驚(きっきょう)した。まさか、この威厳ある国王に、そういう性癖があるのだろうか。確かにアイビスは女王であり、女王様やお姫様に踏まれて喜ぶ人間というのは存在するが、まさかシュバーンまでそういった人種なのだろうか。


「セレネは力が無いだろう。私が横になるから、背中を踏んだほうが楽だろう」

「よかった……」


 セレネは安堵した。いや、安堵している場合ではない。これでは結局、当初の目的が果たせない。救いを求めるように、セレネはアイビスに、上目遣いでアイコンタクトを試みる。

 しかし、アイビスは慈愛の眼差しをセレネに向けると、そのまま椅子に座りなおしてしまった。やはり言葉に出さなければ意志は伝わらないのである。


「どっこいしょっ、と。さあ、思う存分やってくれ」

「え、でも……おうさま、ふめない」


 アイビスのベッドにうつ伏せになったシュバーンを見て、セレネは一歩後ろに引いた。何が悲しくて、体力を使ってまで、屈強な壮年のマッサージをしなければならないのだろう。


 どうすればこの窮地を逃れられるのか、セレネが必死に頭を回転させていると、不意に肩に温かな感触が広がる。セレネが振り向くと、先ほどまで座っていたアイビスが、セレネの肩に手を置いていた。


「セレネちゃん、王様だからって遠慮しなくていいのよ。私達、もう家族みたいなものでしょう?」

「ええっ」


 てっきり救いの手が差し伸べられたと思っていたのに、アイビスの発言はセレネを奈落へ突き落とす。アイビスは、居候のセレネが、国王を足蹴にすることを躊躇していると思い、助け舟を出したつもりらしい。だが、セレネにとってその気遣いは助け舟ではなく泥舟だった。もはや沈むしかない。


「ううっ、わ、わかり、ました……」


 ここまで言われてしまっては逃げようが無い。セレネは覚悟を決め、ベッドの上によじ登り、シュバーンの背中を恐る恐る踏んづけた。クマハチより強面の男を踏むのは嫌だし恐ろしいのだが、シュバーンは実に機嫌よさそうだった。


「おお、いい感じだぞ。だがセレネは本当に軽いな。沢山食べて、早く大きくなるんだぞ」

「……あい」


 セレネは曖昧に返事をすると、やけくそ気味にシュバーンの背中を踏みつけていく。もう壮年と言っていい歳なのに、シュバーンの全身は筋肉ではち切れんばかりで、まるでタイヤでも踏んでいるような感触だ。


 こうなったら一刻も早く終わらせるしかない。セレネは無我の境地でシュバーンの背中を一心不乱に踏み続けた。ふみふみ。


「うん。大分楽になったぞ。やはり、可愛らしいお姫様の真心が篭っているからかな」

「ふふ、あなたったら随分と機嫌がいいわね。セレネちゃん、ありがとう」

「……うん」


 そうして数十分シュバーンを踏み続けた報酬として、セレネはテーブルの上のクッキーを小袋に詰めてもらい、そのまま部屋を退出した。


「あ、あしが……」


 普段運動不足のくせに、青竹踏みのような健康的な動きをさせられたせいで、セレネの足はぱんぱんになっていた。そして、その報酬として手に入ったのは、一袋のクッキーである。割に合わなすぎる。おっぱい計画は惨パイだった。


 セレネは、右手にクッキーの入った小袋を抱え、左手で壁に手を付いて身体を支え、そして、心と身体に多大な徒労感を抱え、ほうほうの体で自室へと帰還したのだった。

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