【番外編】王都の闇(中編)
「多分ここだよな。人間の建物ってのは分かりづれぇんだよクソが」
全身を覆う外套の下、ギィは一人毒づく。先ほど酒場で聞いた孤児院に向かったのはいいが、辿り着くまでに随分手間取ってしまった。白森育ちのギィからしてみれば、平屋と王宮くらいの違いがないと、人間の建物はどれも似たような造りに見える。夜ならばなおさらだ。
そうして苦労して見つけた孤児院は、多少年季は入っているものの、外見だけなら何の変哲も無い、二階建ての木造の建物だった。歓楽街からは大分離れており、先ほどの喧騒は全く聞こえない。
ギィは、まず最初に入り口らしき木製のドアの位置を確認すると、それが見える位置の物陰に身を隠す。
「さて、どう調べたもんか」
口の中だけでそう呟き、ギィは考えを巡らせる。野獣の巣穴に入る際は、細心の注意を払わねばならない。人間の社会でも、そのあたりは多分同じだろうとギィは予測を付けていた。
実際には、ギィが国賓のエルフであることを明かし、ミラノの名前を出すだけで大抵の場所は顔パスなのだが、ギィは自分の立場を良く理解していないのだから仕方が無い。
どうやって虎穴に入るか策を練っていると、不意に入り口のドアが開いた。ギィは身を引き、息を殺して様子を窺う。ギィはかなり夜目が利くので、出てきた人影の正体をいち早く察知する。
「あれ? ガキじゃねぇか。何でこんな時間に?」
どんな奴が出てくるのかと身構えていたが、建物から出てきたのはまだ幼い子供のようだった。抱きかかえるように大きな箱を持っていて、明らかに体格と釣りあっていない。あの持ち方では、前など見えないだろう。
「きゃ!」
案の定、入り口の段差を踏み外し、悲鳴と共に子供が転び、中身をぶちまけた。子供はすぐに立ち上がると、足を引きずり、這いつくばって散らばった物をかき集めていく。その様子は、まるで何かに追いたてられているように見える。
「うぅ……痛いよぉ」
「手伝うか?」
「ひゃっ!?」
見かねたギィが後ろから声を掛けると、その子供は飛び上がるほど驚き、両手で身を守るように頭を抱えた。
「ご、ごめんなさい! ぶたないで!」
「おい、俺は別に怪しいもんじゃ……いや、怪しいか。とにかく、お前に危害を加えるつもりはねぇ。安心しろ」
冷静に考えたら、今の自分は目元以外を隠す外套で身を包んでいるのだから、怪しいにも程がある。ギィは嘆息し、口元の布をずらして顔を全て見せた。無論、尖った耳は隠したままで。
目の前の子供は、まだ年端もいかない少女だった。年頃はセレネと同じか少し下。薄汚れた粗末な服装で、もともとは金髪なのだろうが、随分と薄汚れ、縮れて絡まっている。
少女はギィをまだ警戒しているものの、しゃがみ込んで顔を見せたことから、敵意が無い事は伝わったらしく、恐る恐る口を開く。
「お兄ちゃん、だれ?」
「誰でもいいだろ。それより、こいつを集めればいいのか?」
「え、あ、うん」
そうして、少女とギィは、道に散乱した荷物をかき集めていく。よく見ると荷物ではなく、紙くずや雑巾など、恐らくは掃除で出たゴミの山であるが、箱一杯に詰めるとかなりの重さになる。散らばったゴミの殆どをギィが拾い集め、箱に詰めなおすと、ギィは再び少女に声を掛ける。
「お前、こんな時間に、何でこんな事してんだ」
「先生に、ゴミ捨ててこいって言われたから」
「そういうことじゃねぇ。何で真夜中に、お前みたいなチビが一人で外を歩いてんだ。ゴミなんか朝捨てりゃいいだろうが」
ギィからしてみれば、もう完全に意味不明だ。夜の森を子供一人で歩かせるなど、エルフなら絶対にしない。そんなことを命じる大人がいれば、集落中でタコ殴りにするし、族長であるギィもその輪に入り込むだろう。
「今日はえらい人が来てるから、今のうちに綺麗にしないと駄目って言われたの。それに、手が空いてる私しかいないの。お姉ちゃんは、その……お仕事だから」
「姉貴がいんのか。で、仕事って何だよ?」
「その、あの、お部屋でえらい人の相手だって。細かいことはわかんない」
「……いや、大体分かった」
ギィの中で予想していた懸念材料がどんどん形を帯びていく。しかも悪い形でだ。とはいえ、まだ断片的な情報に過ぎない。さらに情報を得る必要がある。
「ねえ、お兄ちゃん」
「……何だ」
「今の事、黙ってて、くれる?」
「何でだよ?」
「私が変な事話したって言ったら、先生にぶたれるから……」
それを聞いたギィは目を吊り上げる。剣呑な雰囲気を醸し出すギィに少女は思わず怯えるが、それに構わずギィは、そのまま少女の上から手を伸ばし――。
「ひっ!」
少女は身を縮こまらせ、両手で頭を防ぐ。妙にその動作が速いあたり、日常的にこういった事が行われているのだろう。だが、予想していたのとはまるで違う感触が、少女の頭に広がる。
「ふぇ?」
ギィは頭に手を伸ばすと、乱暴に頭を撫でた。指の上を滑るようなセレネの白髪と違い、この少女の髪は、野良犬のようにごわごわと指に絡まる。不思議そうにギィを見上げる少女の前にしゃがみ込み、ギィは再び少女に目線を合わせる。
「お前、ミラノって奴を知ってるか?」
「うん。王子様でしょ。この国で知らない人なんかいないよ」
「そうか。だったら話は早いな。俺はそいつの友人だ」
「えっ!?」
これはさすがに驚いたらしく、少女は目を丸くする。
「ほんとに? じゃあ、証拠見せて」
「証拠って言われてもなあ……あ、こいつでいいか?」
そう言うと、ギィは外套の下から小袋を取り出した。小さな袋の割に、中には凄まじい大金が入っているが、重要なのは袋そのものだ。
「あっ! それ、王子様が付けてる模様だ」
「やっぱりこれで合ってたか。どうだ。信頼したか?」
「うん。それ、王様達しか使っちゃいけない奴だよね」
少女はようやく得体の知れない若者――ギィに対する警戒を解いたようで、ほっとした表情になった。ギィが白森から人間の国に向かうとき、クマハチの着物の後ろと、迎えの馬車に同じ模様が描いてあったのを思い出したのだ。
「俺の名前はギィ。チビ、お前の名前は」
「アイシャ」
「アイシャか。このコジーンの事を知りてぇんだが、ちょっと教えてくれねぇか?」
「だ、駄目だよ。喋ったら怒られるよ! お兄ちゃん。王子様の知り合いの人なんでしょ? そういう人が来たら、絶対うちのことは喋っちゃ駄目って言われてるから……」
ギィは眉間に皺を寄せる。もうこの時点で、内部がろくでもないことはほぼ確定だ。もしもこの孤児院がアイシャを守ってくれるものならば、もっと誇らしげに話すだろう。
かといって、アイシャをこれ以上問い詰める気にはなれなかった。傷ついた動物の子供を追い詰めるのは、ギィにとって最も忌むべきことなのだから。
「分かった。お前にはもう聞かねぇ。とりあえず、ゴミ掃除しとくか」
「あ、それ……」
「気にすんな。こいつを捨てればいいんだろ」
ギィは、先ほど纏めたゴミ箱を軽々と持ち上げた。アイシャ一人で運べる量でない事もあり、彼女は大人しくギィに従う。そのままアイシャの指定したゴミ捨て場に中身を投げ捨てると、空になったゴミ箱を小脇に抱えつつ、ギィはアイシャを孤児院の前まで送る。
「ギィお兄ちゃん、どうもありがとう」
「じゃあ、お礼代わりに少し協力してくれ。何、悪い話じゃねぇ」
「え?」
言うが早いか、ギィは空いている方の手でアイシャの腕を掴み、そのまま建物の中に入っていく。中は殆ど真っ暗で。所々に置かれたランプがぼんやりと辺りを照らし、どこに物があるかが最低限分かる程度の明かりしかない。
「おい、遅ぇぞ! いつまで掛かってんだ!」
廊下の奥から、苛立った声と共に足音が聞こえてくる。アイシャはそれだけでびくりと震え、思わずギィの後ろに隠れた。ギィは全く怯む様子も無く、その声の主に目を向ける。
奥から現れたのは、小太りの中年だった。粗末な服をだらしなく着込んだこの男が、どうやらアイシャの言う「先生」らしい。
「おい、ここはコジーンで間違いないんだよな?」
「何だあんた? 子供を引き取りたいのかい? だったら悪いけど、うちで預かってる子供はまだ半人前ばっかりでな。まだ人様に出せる作法を身に付けてないんでな。他を当たってくれねぇか」
ギィを孤児を引き取りに来た人間と勘違いしたのか、先ほど怒鳴っていたのより多少落ち着いた口調で答えた。その変わり身にギィは苛立つが、目元以外は覆い隠しているため、相手からは表情は分からない。
「引き取りじゃねぇ。このチビを一晩買いたい」
「へっ?」
「だから、このチビを一晩買いたいって言ってんだよ」
「え、買う? 私を?」
男もアイシャも一瞬呆けたような顔をしたが、男はすぐににやりと顔を歪めた。「引き取りたい」ではなく「買いたい」というのは、この場所における暗号のようなものなのだ。これは、先ほど酒場で女が漏らした情報だった。
「いや、でもなぁ。さすがにチビ過ぎるんじゃねえかな。生憎、今夜はお偉いさんが質のいい奴を取っててな」
「うるせえな。カネを払えばいいんだろ」
これ以上、醜悪な男の言葉を聞きたくないとばかりに、ギィは大鷲の模様を見せないようにして、懐の袋を逆さまにした。大小様々な金貨が、ばらばらと地面に散らばる。その光景に、男はおろか、アイシャも目を丸くする。男は仰天しつつも、一枚の大きな金貨を拾い、口をあんぐりと開く。
「これ、王家の金貨じゃねぇか!? 何でこんなもんを大量に!?」
「何でもいいだろ。今は手持ちがそれしかねぇ。足りるか?」
足りるも何も、ギィがぶちまけた金額は異常だ。子供一人を一晩買うどころか、下手をすると家一軒買える位の額はある。男は目の前に転がった金貨を、エサを貪る豚のように必死で拾い集める。
「あんた、どっかのお偉いさんですかい? ははあ、だから全身覆い隠してるって訳ですか」
「……そんなところだ」
男が厭らしく、急に卑屈っぽい態度を取り出したので、それが逆にギィの神経を逆撫でするが、表面上は冷静を装っていた。
「じゃあ早速こいつを使わせてもらう。部屋はあるんだろ?」
「ありますぜ。ただ、魔法の間が一杯なんで、一階の奥でいいですかね?」
「魔法の間? なんだそりゃ?」
「二階に魔力の扉があるんですよ。ほら、高い金貰ってるのに、行為中に隙を見て逃げられちゃ萎えるじゃないですか。ま、逃亡防止の檻みたいなもんですけど、そのチビなら逃げられっこないし、あっしも入り口で待機してますんで」
そんな話をしつつ、両手で金を抱えた男が先導し、ギィとアイシャを一階の最奥にある一室へと案内した。あまり日当たりが良くないらしく、かび臭いにギィが顔を顰める。
それじゃ楽しんでくださいや、と言い残し。男は去っていった。足音が遠ざかるのを確認し、ギィが湿ったベッドに腰掛ける。
「お、お兄ちゃん、これから何するの?」
これから何をされるのかよく理解していないが、金で連れて行かれた子供達が、いつも泣いて帰って来るのをアイシャは何度も見ていた。だから、ついに自分の番が来たのだと、アイシャは身を震わせた。
「そんなにびびんな。悪い話じゃねぇって言っただろ」
「……え?」
「お前が喋らねぇから、あのデブ親父にカマを掛けたんだが、意外とあっさり行ったな」
アイシャを問い詰めるのも心苦しかったし、かといって内部の大人に直接問いただしても、適当にはぐらかされるだけだろう。そう考え、ギィは「アイシャを買う」と話を持ちかけたのだ。
――ここでギィは、セレネが自分を派遣した理由がようやく理解できた。この少女はセレネと同じくらいだ。そして、セレネは小さな頃から、ずっと不遇な暮らしを強いられてきた。虐げられる同年代の者達を救いたい、そう考えているのだろう、と。
さらに、ザナを連れてこなかった理由も分かる。同姓の子供がこのような扱いを受けていると知れば、ザナはいきなり殴りかかっていたかもしれない。そう考えると、確かに自分一人で動くのが最適解だ。
「さて、じゃあ改めて教えて貰うか。あのデブは入り口に行っちまったし、俺とお前以外、ここには誰もいない。だから、詳しいことを話してみろ」
「お兄ちゃんが、助けてくれるの?」
「ああ、さっきも言っただろ。俺はこの国の王子、聖王子ミラノの友人だってな。だから心配すんな」
「聖王子……」
この国の権力者のお墨付きであることを示すため、ギィは聖王子ミラノの名を出した。本当はセレネの依頼なのだが、月光姫というのは、あくまでエルフ達がそう呼んでいるだけで、人間達の呼称ではない。それに、セレネがどのくらいの権限を持っているかギィには分からない。だからミラノの依頼という風を装った。
しかし、聖王子の名を聞いても、アイシャの表情は曇るだけで、喜びの表情は浮かんでいなかった。