【番外編】王都の闇(前編)
行商人、旅人、大道芸人、多種多様な人間が行き交うヘリファルテ王都の天下の大通りも、日暮れと共に活気は静まり、宵闇と共に眠りに就く。だが、それと入れ替わるようにして、昼間とはまた違った喧騒を見せる場所がある。
それは王都の片隅に位置する歓楽街だ。賭博場や酒場、娼館と言った、人の本能を刺激する娯楽が用意された場所であり、ヘリファルテの夜の顔の一つである。大通りを歩いているのとは違う人間達で、昼とは一味違う活気に満ち溢れている。
その雑踏の中を、一人の青年が歩いていた。全身をすっぽりと覆う外套を身に着けているため、細かい体格は分からない。フードの隙間から僅かに見える、赤い瞳に白い肌は珍しいと言えば珍しいが、人ごみの中ではさして目立つものでもない。
だが彼は間違いなく、今この区画で一番珍しい存在である。何故なら、彼は人間ではないのだから。
「あーもう、何だよここ。ごちゃごちゃしてんなぁ」
外套で身を包んだ人でない者――エルフの族長ギィは、舌打ちをしながら、人の海を泳ぐように歓楽街の通りを一人で歩いていた。
「セレネの奴、こんな所で俺に何をさせようってんだ」
ギィはぶつぶつ文句を言いながら、数時間前にセレネから託された依頼を思い出していた。
「ギィ、ギィ」
「あん?」
今日も人間との会議を終えたギィは、王宮内に用意された、来賓用の寝室へ戻る途中だった。その時、不意に何者かが自分の名前を呼んだのだ。辺りを見回すと、廊下の影から少しだけ顔を出したセレネが、ちょいちょいと手招きしているのが見えた。
「何だよ? 俺に何か用か?」
「うん」
ギィがセレネの元に歩み寄ると、セレネはギィの手を引き、そのまま彼女の自室へと案内した。セレネは辺りの様子を窺い、誰も居ない事を確認してからドアを閉める。
「ギィ、お願い、ある」
「お願い? お前は人間だろ? だったら俺じゃなくてミラノに頼んだ方が……」
「しーっ!」
セレネは人差し指を口元に立て、大声を出すなとアピールする。その仕草にギィは眉を潜める。
「あいつ、だめ」
「ミラノに頼めなくて、俺にしか出来ない事なのか?」
「いぐざくとりぃ!」
「いぐざ……何だ?」
一国の王子をあいつ呼ばわりするのもどうかと思うが、そんなことはまるで無視し、自分の意図を汲み取ってもらえたセレネは表情を輝かせた。会議で着ていた巫女服のまま、セレネはよたよたとクローゼットの近くに歩いていき、引き出しから四つ折にされた紙片を取り出し、ギィに渡す。
「なんだこりゃ? 地図か?」
「それ、ヘリファルテ、ちず」
セレネの取り出した紙には、ヘリファルテ王都の大雑把な見取り図が描かれていた。以前バトラーから聞いた情報をメモした物だが、セレネらしく全体的に字が汚い。
「(この辺はまだ子供だな)」
いくらセレネが竜の巫女と言えど、やはり歳相応の幼さもあるのだなと、ギィは何だか微笑ましくなる。子供っぽい訳ではなく、純粋に絵が下手で、字が汚いだけなのだが。
「で、この地図を俺に渡して、何をお望みだ?」
「ここ、ここが! じゅうよう!」
「ここ? 何にも描いてねぇぞ?」
セレネお手製の地図には「しょーぎょーちく」とか「おみせや」とか、ミミズがのたくったような字で書いてあるのだが、セレネが指差した部分は空欄になっていて、何も描かれていない。
「ここ、しらべて」
「は? 俺が?」
「そう」
セレネの表情は真剣そのもので、冗談を言っている雰囲気ではない。ギィは頭に浮かんだ疑問を口にする。
「何で人間に頼らねぇんだ? 今のお前は権力者なんだから、色々使える奴がいるだろ」
「だめ。ギィ、てきにん」
「俺が適任ねぇ……何だかよく分からんが、それじゃあザナと一緒に……」
「ザナは、だめ!」
セレネが強い語調で否定したので、ギィは少しだけ驚き、問いただす。
「じゃあ、一体どうすりゃいいんだ?」
「ギィ、一人、行って」
「俺一人だけで?」
「一生の、お願いっ!」
セレネは両手を合わせ、ギィに懇願する。聡明なセレネがここまでして頼むということは、何か重要な意味があるのだろう。そう考えたギィは少し逡巡し、口を開く。
「ま、竜の巫女サマの依頼じゃ仕方ねぇな」
「ははーっ!」
「な、何だよ?」
ギィが了承した途端、セレネは絨毯の上に丸くなり、額を擦り付ける奇妙な動作を取った。日本で言えば土下座なのだが、異世界では奇行でしかない。この奇妙な動作が原因で異端児扱いされた事もあるのだが、セレネはその辺をあまり深く考えていなかった。
余談だが、セレネは「一生のお願い」を年に数回は発動させるので、あまり真に受けてはいけない。
――というわけで、ギィはエルフの特徴の長い耳を隠すため外套を身に纏い、夜の街へと繰り出したのだ。そうして地図を頼りに辿り着いてみると、退廃的な雰囲気の通りのお出ましだ。さすがのギィもこれには困惑したが、セレネに頼まれた以上、やらざるを得ない。
「調べ物なら、ザナが居てくれると助かるんだがなぁ」
人に酔ったギィは、適当な建物の壁に寄りかかり、ため息を一つ吐いた。森の動物の生態調査ならお手の物だが、人の街と白森ではまるで勝手が違う。ザナの方が魔力の扱いが上手いし、目も耳もいい。調査という目的なら、ザナが居てくれた方が助かるのだ。
「ま、でも、セレネがザナを来させたがらなかった理由が、少し分かってきたぜ」
人間の文化は殆ど分からないギィだが、当てもなく街をうろうろしている間に、この区画がどういった目的で機能しているのか、何となく把握していた。どうも男女の逢引きのような物を見かけることが多く、ギィも何度か女性に声を掛けられた。
男である自分ですら声を掛けられるのだ。人間とエルフの美醜は割と近いので、こんな所にザナを連れていたら目立って仕方ない。セレネは、なるべくひっそりと調査をして欲しいらしい。そういう意味では自分一人だけのほうが動きやすい。
「しっかし、何をどうすりゃいいんだよ……」
ギィは外套の上から頭をがりがりと掻く。出かける前にセレネから受けた指示を要約すると、「いいからこの地区に行って体験してこい。迷わず行けよ。行けばわかるさ」というような物だった。具体的に何をどう調べろとは全く言われず、滅茶苦茶アバウトだった。
「こんな人間の繁殖地みたいな場所で、何を探せってのかねぇ」
「あら、お兄さんもそれ目的じゃないの?」
「あん? 誰だお前?」
慣れない空気の中でぼーっとしていたら、不意に横から声を掛けられた。ギィは即座に身構えるが、話しかけてきたのはまだ若い女性で、敵意は無いらしい。長い髪を適当に整えただけで、露出度の高い服を見に纏っている。鋭敏な嗅覚を持つギィには香水が少し鼻に付くが、それは顔に出さなかった。
「あら、お兄さん、いい男。あたし、今晩暇なんだけど、一緒にどう?」
「俺は暇じゃねぇ」
「その割に、さっきからずーっと同じ場所にいるじゃない。何? 誰かお目当ての人でもお探し?」
「そういう訳じゃねぇけど……」
「ねえ、なら少し一緒にお話でもしない? この先でご飯でも食べましょ」
「……ま、いいぜ」
少し迷ったが、ギィは彼女の提案に乗ることにした。正直、白森とは勝手が違いすぎて、何にどこから手をつけていいのかまるで分からない。この女性の提案を取っ掛かりにするのは、それほど悪い手ではないだろう。
そうしてギィは女性に案内され、すぐ近くの酒場に入った。この区画ではよくある造りの店で、それなりに繁盛しているらしく、狭い店内では響くように皆が酒盛りをしたり、女を引っ掛けたりしている。皆それぞれに騒いでいるせいで、ギィと彼女が隅の方のテーブルに腰掛けても、特に誰も気に留めていないようだ。
「お兄さん、外套は取らないの?」
「ちょっと訳ありでな」
「ふぅん、ま、いいけど」
そうして彼女が店員を呼び、適当な料理と酒を注文する。ギィはその料理や、店の内装一つ一つが珍しいらしく、しきりに視線をきょろきょろさせていた。
「ねぇ、お兄さん、酒場が珍しいみたいだけど、この街の人間じゃないの?」
「ああ、この辺の『人間』ではねぇな」
「へぇ、じゃあどこから来たの?」
その言葉にギィはどう答えたものかと迷う。基本的にエルフの集落は明確な線引きが無く、白森全体がエルフ一族の土地なのだ。だから、具体的に「○○の街」のように答えられない。
「どこからって……そうだな、森だ」
「森ってあんた……随分といい加減ね。あ、わかった! 上京してきたばっかりのおのぼりさんでしょ!」
「ま、そんなところだ」
彼女は、ギィの人慣れしていない雰囲気から、ド田舎からやってきた流れ者だと判断したようだ。ギィは流れ者でもないし、そもそも人間ではないのだが。
そんなやり取りをしているうちに、肉を主体とした料理と安酒が運ばれてくる。彼女は真っ先に酒に手を伸ばし、一人でぐびぐびと煽っていく。ギィは殆ど料理には手をつけず、水だけをちびちびと飲んでいた。彼女は特に気にしてないようで、一人で捲くし立てるように喋り続ける。
「都会は怖いところよぉ。田舎者がこんな所で一人で歩いてたら、すぐにぼったくりの店で、有り金全部巻き上げられちゃうわよ? ねえ、どう? あたしが優しくエスコートしてあげよっか? お安くしておくわよぉ」
「だから俺は暇じゃねぇっての! ……ったく、人間ってのは訳分かんねぇ」
「変なの。お兄さんだって人間じゃない」
彼女はほろ酔い気分でけらけら笑うが、ギィは無言でコップの水を飲み干した。ギィからしてみれば、この空間そのものが異質に感じられて仕方が無い。
エルフ族は家族の絆を重んじる。生涯決まった相手と寄り添うのが当たり前であり、こういった一夜限りの情事という概念自体、ギィにはいまいち受け付けがたい。
「あらぁ、こんな美人が誘ってあげてるのに、つれないお兄さんね。それとも、普通じゃ言えない変な性癖があったりとか? 男色とか、小児趣味とか? それだったらここじゃ無理ねぇ。この通りは健全な遊び場だからね」
「俺を何だと思ってんだ……いや、ちょっと待った。その言い草だと、ここ以外にそういう場所があんのか?」
「ふふ、知りたい?」
「ああ」
「じゃあ、ご飯奢ってくれたら特別に教えてあげてもいいわよ。この区画に住んでる人間しか知らない裏ルートをね」
「裏ルート? ここは国王が管理してる場所なんだろ? 裏も表もあるかよ」
「馬鹿ねぇ。お偉いさんの目を欺く方法なんて、大都会ならいくつもあるのよ」
彼女は声を潜め、ギィに顔を近づける。ギィも耳を傾ける。
「この辺の歓楽街の店は、王様から営業許可を得てるんだけど、そうじゃない非合法の場所もあるのよ。表向きは孤児院ってことになってるけどね」
「なあ」
「ん? 何よ?」
「コジーンって、何だ?」
「そこから!?」
どれだけ田舎者なんだと、彼女は思わずテーブルに突っ伏しそうになったが、無知な美形に教師面をする行為はなかなか優越感に浸れるらしく、彼女はその孤児院の成り立ちをべらべらと喋っていく。
ギィもその会話の中で、孤児院という施設が、身寄りの無い子供を預かり、育てる施設である事を理解した。
エルフ族は白森全体で一つの家族のようなもので、怪我や病気などで親が亡くなった場合、子供は近くの集落で預かり、森のエルフ達全員で面倒を見る。だからギィからすれば、孤児院という施設自体が妙な物に感じられたが、エルフと人間では生活密度がまるで違うため、そういうものもあるのかもしれないと思い直す。
「で、そのコジーンってのが、裏ルートとどう関係があるんだよ。聞いた限りじゃ、孤児を育てるいい場所じゃねぇか」
「だ・か・ら、その辺がミソってワケ」
「いや、訳分かんねぇよ」
女はギィに謎掛けをするように笑うが、ギィは眉間に皺を寄せる。ギィには人間界のルールがいまいち分からないのだから、想像するのは難しい。
「あのね、歓楽街で働けるのは大人だけなの。でも、さっき話した小児趣味の人達を満たすために、高い金を取ってる場所があんのよ。それが、例の孤児院ってわけ」
「はぁ!? コジーンってのはガキを守る施設じゃねぇのかよ!?」
「そりゃ殆どの孤児院はそうよ。でもね、そうじゃない所もあるの。表向きは孤児院として申請して、裏稼業で斡旋したりとかね。あ、これ内緒にしてね。結構やばい話だからさ」
「……なるほどな」
そこまで聞いて、ギィは急に立ち上がると、その場を後にしようとする。
「ちょ、ちょっと待って! どこ行くのよ!?」
「そのコジーンとやらに行く用事が出来た」
「あ、あのさ、あくまで噂だからね? あたしも細かいこと知らないし」
「構わねぇ。情報あんがとな」
そう言い残し、ギィは足早に店を出ようとする。急に態度を豹変させたギィに、彼女はきょとんとしていたが、慌てて大事な用件を思い出す。
「ちょっと待ったぁ! ちゃんと食事代出してよね!」
「あ、悪ぃ。これで足りるか?」
ギィは外套の下をまさぐり、一枚の大きな金貨を取り出すと、彼女の手にねじ込む。
「ぶっ!?」
「何だよ? それじゃ足りないのか?」
「い、いや、十分だけど」
「なら問題ないな。じゃ、俺は失礼するぜ」
「あ、うん、いってらっしゃい。あは、あはは……」
急に卑屈になった彼女を見て、ギィは首を傾げたが。食事代としては足りるようなので、そのまま手を振り店を出て行った。
後に残された女も、まだ半分も食べていない食事の会計を済ませると、逃げるように店を出る。そのまま小走りに物陰に身を潜め、受け取った金貨を懐から取り出し、まじまじと見つめる。
「これ、王族が使う奴だわ……」
ギィが差し出した金貨は、大鷲の刻印が刻まれた大金貨だった。ヘリファルテの硬貨の中でも最も価値が高く、一枚で彼女の給料数か月分に匹敵する。それを事も無げに差し出すということは――。
「貴族の密偵かしら。やば、色々喋っちゃったよ」
彼女からすれば、見るからに田舎者丸出しのいい感じの男がいたので、からかうつもりで声を掛けただけだ。あわよくば今夜の客として取れればいいな、程度のつもりだった。
しかし、あの世間知らずの振る舞いが、歓楽街の裏情報を引き出すための演技だとしたら、相当な曲者である。
「ってことは、これは口止め料って事かしら」
彼女は金貨を、少し震える手で懐へ戻した。食事代として出すには馬鹿馬鹿しいほどの金額だ。ということは、これは「俺が聞きまわっているという情報を他言するな」という口止めの意味があるのだろう。
「は、早く帰ろっと!」
自分とは直接関係が無いが、これ以上係わり合いになると、何だかまずい事になりそうな気がする。背筋に冷たい汗を流し、彼女は自分の身に災難が降りかからないことを祈った。自分の名前を出さなかったし、相手の名前も聞かなかったのが不幸中の幸いだ。大人しくしていれば、多分大丈夫だろう。
だが、彼女は一つ思い違いをしていた。ギィが金貨を出したのは、別に口止め目的でも何でもない。単純に貨幣価値がいまいち分からなかったので、手持ちで一番大きな物を差し出しただけだった。
そんな事とは露知らず、凄腕の王家の猟犬が現れたことに恐れをなし、彼女は身を隠すように、夜の雑踏へと消えていった。




