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夜伽の国の月光姫  作者: 青野海鳥
【第1部】夜伽の国の月光姫

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第43話:ミラノの悩み

 ヘリファルテ王国の大通りで開かれる市場は、ここ数ヶ月、建国以来最高と言ってよい賑わいを見せていた。白森で手に入る良質な魔力の素材は、現状ここでしか入手できない。その逸品を手に入れようと、各国から商人達が我先にと押しかける。


 そして、人が集まる場所こそ、大道芸人や吟遊詩人の最も活躍できる場だ。その陽気な者たちに引き寄せられるように、諸国から人々が集結し、ヘリファルテは連日お祭り状態だ。


 他国からヘリファルテにやってきた者達は、この国をこれだけ活性化させる原因となったのが、たった一人の少女であると聞き、みな驚嘆した。


 白磁のような肌、絹糸のような白い髪、真紅の瞳を持つ美しきその少女は、たびたび馬車に乗って出かける姿が目撃されていた。噂によると、彼女は学問に力を注いでおり、時間があればヘリファルテ国立大学へ視察に向かっているらしい。


 その美貌を見た吟遊詩人は、『月光姫セレネは、エルフと人間の仲を取り持つため、天界より遣わされた使者である』などと言い出す者まで出る始末。謎に包まれた出自も相まって、セレネはまるで、現人神(あらひとがみ)のように思われている。


 本物のセレネは、ありったけの煩悩を詰め込んだ俗物に過ぎないが、黙っていればその横顔は思慮深く見えるので、余計に性質(たち)が悪い。


 セレネは三大欲求以外には無頓着で、城と大学の往復しかしていなかったので、国民にどう思われているかは全く気に留めていなかった。まさか自分の座るだけのお仕事が、国全体に祝福を与えたなどとは、微塵も考えていない。


 自分の馬車が通るたびに道が騒がしくなるが、無愛想なセレネは外をちらりと一瞥するだけで、何かうるさいなあ、位にしか感じていなかった。


 ところが、その媚びへつらわない態度が、逆に高潔な印象を与え、セレネの神秘性をより一層高めていたが、悲しいことにセレネは大体おっぱいの事しか考えていないのだ。


 セレネの中身はさておき、今のヘリファルテは、他国から『祝福の国』と呼ばれるほど、理想の地となっていた。


 だが、光が強くなるという事は、影も濃さを増すということだ。浮かれ喜ぶ人々の影も、民を護る屈強な兵士も、堅固な城壁も、日除蟲にとっては足場を提供する存在にしかならない。


 光り輝く青空ばかりを眺める人の影を足掛かりに、邪悪なる蟲は、やすやすとヘリファルテ王宮に侵入した。呪詛吐きの命令に従い、最初の標的であるミラノを探し求め、汚れなき王宮を我が物顔で這い回る。


 しばらくの間、王宮を蹂躙していた日除蟲の動きが急に止まる。標的を見つけたのだ。ぴかぴかに磨かれた大理石の隙間に溶け込み、日除蟲はミラノのいる部屋に音もなく侵入した。


 そこは謁見の間だった。玉座に腰掛けるシュバーンとアイビスの前で、ミラノは片膝を突いて(ひざまず)いていた。シュバーンの表情は険しく、睨むような視線をミラノに向ける。


「ミラノよ、お前は一体いつまでこの国に留まっているつもりなのだ?」


 怒気を孕んだシュバーンの問いに、ミラノは少し間を置いて答える。


「エルフ達との交流はまだ始まったばかりです。彼らとの交渉役として今しばらくは……」

「エルフと人間の親交は、もはや充分に深まっていると判断している。私の出した課題を、よもや忘れてはおるまいな?」

「と、当然です!」


 ミラノは慌てて返事をするものの、歯切れは悪い。自分でも、エルフとの交渉という理由が言い訳に過ぎないことは理解しているし、父の言っている課題のことも把握している。


 ――それは、大陸を練り歩き、己の見聞を深めよという命である。


 ミラノはそのためにクマハチを連れ、大陸中を旅していた。その途中で偶然セレネと出会い、彼女を暗闇から救い出した。それから様々なことがあり、なし崩し的にヘリファルテに留まっていたが、いい加減それも限界だ。大国を背負う星の元に生まれたミラノは、いつまでも自国でぬくぬくと過ごしてはいられない。


「既にヴァルベールへの訪問は済ませたではないか。他の国々に向かうのに、そう抵抗はないだろう」

「……父上の仰るとおりです」


 シュバーンが言うように、エンテの存在により先延ばしにしていたヴァルベール訪問は、セレネのお陰で実に簡単に終了した。


 その他の国に関しても、これまたセレネの威光が利いてくる。今までは各国に到着するたび、貴族たちが自分の娘を是非貰ってくれと差し出してきたが、月光姫セレネの輝くばかりの功績の前では、そこいらの貴族の地位など霞んでしまう。


 自分にはセレネという伴侶がいると言い張れば、以前より遥かに簡単にあしらえるだろう。つまり、ミラノが最初に求めた、余計な気苦労の無い諸国漫遊の旅が出来る状況になったのだ。だというのに、ミラノの表情は晴れない。その内心を見透かしたように、シュバーンは嘆息した。


「お前が旅に出たがらない理由を当ててやろう。セレネのことだな」

「……その通りです」


 ずばり言い当てられ、ミラノは素直に肯定した。ミラノが旅を再開するということ、それはすなわち、セレネをヘリファルテに置いていくということだ。幼い少女を連れて旅をすれば、それだけ危険も増えるし、旅の進行速度も遅くなる。


「セレネは私達が責任持って預かろう。よもや、セレネを連れて諸国を旅したい、などと言うのではあるまいな?」

「それは……」

「あら、いいじゃない」


 ミラノが答えあぐねていると、シュバーンの横に座っていたアイビスが割って入る。シュバーンはアイビスのほうに顔を向けると、眉間に皺を寄せた。


「何を馬鹿な事を! 旅行ではないのだぞ! あんな幼子を連れて旅をするなど、正気の沙汰ではない!」

「あら、あなただって私を連れて大陸中を旅したじゃない。あれは楽しかったわぁ」

「い、いや、あ、あれはだな! お前は既に十四で、私は二十四だった。ミラノはまだ十八だ。セレネを守るには若すぎる」

「前にセレネちゃんを連れてきた時、ミラノを一人の男として扱うって言ってたじゃない。一国の王がころころ意見を変えるなんて、感心しないわね」

「そ、それは……うぬぬ」


 獅子王と呼ばれるシュバーンも、愛妻相手では分が悪い。たじろぐシュバーンを無視し、アイビスはミラノに向き直る。


「人の一生は儚いわ。どれだけお金や力を持った人でも、ある日、階段から足を滑らせて死んでしまうことだってあるのよ。なら、なるべく後悔しない生き方をしたほうが楽しいじゃない」

「お前は楽観的過ぎるのだ」

「あなたが悲観的過ぎるのよ」


 ミラノを差し置き、アイビスとシュバーンがけん制しあう。ミラノがどうしたものかと見守っていると、シュバーンは咳払いをして、ミラノに判決を言い渡した。


「……確かに、私はお前を一人の男として扱うと言ったが、責任を取れとも言ったはずだ。ここで我々が口論していても仕方あるまい。ミラノ、お前が考え、あの子が一番幸せになれる道へ導いてやれ」

「そうねぇ……私達だけで決めるのも駄目よね。セレネちゃんの意思を尊重してあげないと」

「心得ております」


 そこで話はひとまず終了となり、ミラノは二人に会釈して、謁見の間を退出した。部屋を出てすぐ横の壁に寄りかかり、クマハチが待機していた。ミラノがシュバーンに呼び出しをされた時点で、クマハチはある程度、話の内容の予測が付いていたらしい。


「状況はだいたい把握しているでござる。旅立ちの件でござるな?」

「相変わらず察しがいいな。その通りだ」


 そうして、ミラノは最も信頼できる供であり、無二の友でもあるクマハチに、父母との会話をすべて伝えた。要約すると、セレネを残して旅に出るか、セレネを連れて旅に出るかの二択を選ばなければならないということだ。


 クマハチはミラノの話を聞き終わると、顎髭(あごひげ)に手を当て、しばらく考え込む。その様子に普段のおどけた様子は一切感じられず、表情は真剣そのものだ。


「拙者としては、国王の意見に賛成でござる。幼子を連れて国外を歩くのは、あまり褒められたことではござらん。無論、諸国を見せることはセレネ殿にも良い経験になるであろうが、不安要素も同じくらい多いでござる」

「……やはり、そうだろうな」

「しかし、王妃の意見もまた一理ある。(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕べには白骨(はっこつ)となるという言葉もあるように、今日生きられても、明日も平穏に生きられるとは限らんのでござるからな」

「結局、お前はどっちの味方なんだ」

「王子の味方でござるよ」


 その言葉に目を丸くするミラノの肩を、クマハチは笑いながら軽く叩く。


「拙者は王子の出した結論に従うでござるよ。拙者の役目は、王子の安寧(あんねい)を守る事でござるからな。では、拙者これにて」


 言いたい事は言ったとばかりに、クマハチは(きびす)を返し、その場を後にした。去っていくクマハチの背にミラノは勇気付けられたが、未だ心は揺れ動いている。


「セレネの幸せ、か……」


 自分は一体どうすればいいのだろう。ミラノは思い悩む。そんなミラノが見せた心の揺らぎを、日除蟲は決して見逃さない。廊下に備え付けられた調度品の影からミラノの影に滑り込み、そのまま体内へと侵入する。


「うっ!?」


 ミラノは不意に眩暈(めまい)に襲われ、壁に片手をつく。急に背筋が凍りつくような感触を覚えたが、額に手の平を当てても熱はなく、軽く全身を見回すが、どこにも異常は無い。眩暈も一瞬で去った。


「少し疲れているのかもな……」


 セレネと出会って数ヶ月は経つが、これまでの人生で最も密度の濃い期間であったことは間違いない。他国との交渉、マリーとの確執、竜との対決、白森の探索……苦しいことの連続で、疲労が溜まっているのかもしれない。だが、振り返れば、セレネは自分たちに数え切れないほど多くの物を与えてくれた。


 ――そのセレネと、別れの時が近づいていると考えると、ミラノの胸は苦しくなる。


 今は気持ちの問題だが、その胸の苦しみが、近いうち物理的なものになりつつあることに、ミラノは気付いていない。体内に侵入した日除蟲は、彼の心臓へと絡みついていた。まだ生まれて間もない怪物は、ヘリファルテまでの移動にかなりの力を使っていた。しばしミラノの体内に留まり、闇の力が最も強くなる新月の夜まで休眠状態となる。


 ミラノは、己の体内に恐るべき魔物が潜んでいることには全く気付かず、今後の事で頭がいっぱいだった。とにかく、この状況をセレネに伝えなくてはならない。重い脚を引きずるように、ミラノはセレネの部屋へと足を伸ばした。


「……というわけで、僕はまた諸国を旅しなければならない」

「王子、旅? わたしは?」


 近いうちに旅を再開することを伝えると、セレネは目を丸くして驚いた。そして、自分はどうすればよいのかというセレネの問いに、ミラノは言葉を搾り出すように答える。


「……セレネには悪いが、ここで留守番をして貰おうと思っている」

「いつ、帰る?」

「僕か? 数ヶ月に一度は戻ってこられると思うが、確約は出来ない」


 事実を告げる自分の声が、驚くほど沈んでいる事に、ミラノは自分でも吃驚(きっきょう)した。自分にとって、セレネと会えなくなるという事が、これほどつらいとは思わなかった。


「がんばって!」

「……え?」


 だが、さらに驚くべきことに、セレネは今まで見たことが無いほど輝かしい笑顔を自分に向けた。別に追いすがってくれるとは思わなかったが、この反応は少々想定外で、ミラノは少したじろいだ。


「セレネから特に何も要望が無いのであれば、話はそれで終わりなのだが……」

「ばいばい!」


 セレネは、それはそれはもう極上の笑顔で、ミラノに手をひらひらと振ると、速攻でドアを閉めた。廊下に一人取り残されたミラノだけが、ぽつんと立ち尽くす。


「これでいいのだが、なんだろう、この気持ちは……」


 ミラノは何とも空虚な気持ちになり、思わずそう呟いていた。確かに、セレネが自分から残るというのであれば、連れて行くより遥かに動きやすくなるのだが、ここまであっさり物事が進んでしまうとは思わなかった。正直ちょっと……いや、かなり落ち込んでいた。


「はは……僕は。こんなにもセレネに依存していたのか」


 貴族の女性を数え切れないほど袖にしてきたミラノであるが、女性に袖にされて落ち込んだことは一度も無い。もしかしたら、これが失恋という奴なのだろうか。まさか、相手はまだ八歳の子供だ。ミラノはそう考え、自嘲した。


「おっと、マリーにも、僕が旅に出ることを伝えないといけないな」


 ミラノはマリーの部屋に向かう途中、何度も後ろを振り返った。ひょっとしたら、自分も旅に連れて行ってくれと、今からでもセレネが追いすがってくるのでは、と。自分でも女々しいと思ったが、そうせずにはいられなかった。


 しかし、廊下の角を曲がり、セレネの部屋が見えなくなるまで、彼女は決して出てこなかった。



「うぅ……く、くくく……」

『姫、よくぞ我慢しました。姫の優しき心遣い、このバトラー、誰よりも理解しておりますぞ』


 自室のベッドで、セレネは枕に顔を埋め、打ち震えていた。その様子をバトラーは悲しげに見守っていた。


 最愛のミラノ王子との別れだというのに、セレネはにっこり笑って送り出したのだ。何と奥ゆかしい事だろう。まだ幼いというのに、いや、幼くも聡明な主だからこそ、体力の無い自分が、ミラノ王子の足手まといになると理解しているのだろう。


 自分を救ってくれた救世主と離れ離れになるのに、つらくないわけが無い。その証拠に、ドアを閉めるや否や、セレネはベッドに駆け寄り、突っ伏したままずっと声を殺して泣いているではないか。


 そんな主に声を掛けるほど、バトラーは野暮ではない。誰だって泣きたい時はあるものだ。今はただ、そっとしておこう。バトラーはそう考え、自分の籠の中に戻っていった。


「(やったぜ!)」


 当然、セレネは泣いてなどいなかった。唐突に降って湧いた吉報に、爆笑したい気分だった。しかし、どこで従者が聞き耳を立てていて、それがミラノの耳に入るか分からないので、枕に突っ伏し、必死に漏れ出す笑い声を押し殺していただけだった。


 あの王子をどう倒そうか思い悩んでいたが、思わぬ機会がやってきたものだ。王子のいる時間が減れば減るほど、それだけ監視の目を逃れ、作戦を立てる時間と行動範囲が増える。


 毒入り弁当は毎日せっせと作って食わせているのだが、効果が現れないどころか、むしろ何だか出会った頃より逞しくなってきた気さえする。いい加減、計画を練り直す必要性があったのだ。 


 赤竜(ササクレ)も、一度様子を見に来て以来、さっぱり姿を現さない。だが、数ヶ月に一度帰って来る程度なら、王子が居ない間、もう一度くらい来る可能性は十分にある。今度こそアルエを連れ、エルフの里へと移住することだって出来るかもしれない。


 早く王子が旅に出ないかな、とセレネは期待に胸を躍らせていた。




  ◆◇◆◇◆




「それ、本当なの!?」

「ああ、セレネが笑って送り出してくれた。だから近いうちに僕は一人で旅に……」

「ばかーーーーっ!!」


 マリーに一部始終を話すと、マリーは唐突にウサギのぬいぐるみを掴み、思い切りミラノの顔面に投げつけた。それだけでは済まず、クッションを掴むと、それでミラノをばんばん叩く。痛くはないが、いきなりの妹の攻撃にミラノは目を白黒させる。


「な、何だいきなり!?」

「何だいきなり、じゃないわよっ! 何でそんなにニブいのよっ!」


 訳がわからず混乱するミラノだったが、マリーの目尻に涙が浮かんでいることに気付き、ミラノはさらに驚いた。マリーは涙声になりながら、クッションを投げ捨て、両手でミラノをぽかぽか叩く。


「兄さまの馬鹿! いっつもそう! 遠くの女の子を何人も相手にしてるのに、近くの大事なことは全然気付かないんだから! 馬鹿、馬鹿、大馬鹿よ!」

「さっきから馬鹿、馬鹿って、一体何だというんだ」

「セレネの事に決まってるでしょ! なんでそんなにあっさり見捨てちゃうのよ!」

「見捨ててなどいない! あの子が自分からここに残ると言ったんだ!」

「それが馬鹿だって言ってるの! あの子一人で残りたいわけないじゃない!」


 マリーが泣きながら怒鳴ったその一言で、ミラノは縫いとめられたように固まった。


「どうして……どうして気付いてあげられないのよっ! あの子、お母さんに捨てられて、ずーっと一人ぼっちだったのよ? お姉さんは学校でなかなか会えないし、助けてくれた兄さまが旅立ったら、あの子、また一人ぼっちになっちゃうのよ!?」

「今のあの子は一人ではない、父上や母上、それにお前もいるだろう」

「私達じゃダメなの! セレネにとって、兄さまは地獄から助けてくれた特別な人なのよ!? なんでそれが分からないの!」

「だ、だが、それはお前の推測だろう。現にあの子は笑っていたぞ? 特に変わった様子は無かったが……」

「兄さまが余計な心配しないように笑ったに決まってるでしょ! 本当にセレネはいつもと同じだったの?」

「……そう言われてみれば」


 ミラノはあの場面を思い返す。セレネはもともと口数が少なく、自分と一緒にいる時は特に無口になる。だというのに、旅に出ると伝えた途端、異常なほどに喜んでいた。そう、異常なほどに。あの時は気が回らなかったが、普段のセレネの行動から考えると、あのはしゃぎ方は確かに不自然だ。


 ひとしきり感情を爆発させたマリーは、肩で荒い息をしながらミラノを睨む。普段ならマリーの眼光程度で怯むミラノではないが、今日は一歩引いてしまうほどの勢いがあった。マリーにとっても、セレネは大事な妹分なのだ。


「とにかく、もう一度考え直してみて。それで、セレネの気持ちをきちんと考えてあげて」

「……わかった」

「それに、兄さまはそれでいいの? もうセレネと長い間会えなくなっちゃうのよ?」

「それは……いや、少し考えてみる」

「そうしてちょうだい」

「マリー、すまなかった。そして、感謝する」


 ミラノはマリーに向かい、深々と頭を下げた。今まで子供だとばかり思っていたマリーに対し、心底から尊敬の念を籠めて頭を下げたのは初めてかもしれない。そのままミラノは無言で自室に篭り、今後の道を模索し始めた。セレネを連れて行くべきか否かを。


 夜まで考え抜いた結果、ミラノは、やはりセレネを置いていくことに決めた。マリーの言っていることも理解出来る。セレネが自分を押し殺しているという説も信憑性がある。だが、セレネを連れ歩くというのは、やはり色々と問題が多い。


 セレネは夜型だからこの時間ならまだ起きているだろう。そう考え、ミラノはセレネの部屋の前に立ち、部屋の扉をノックする。昼間より詳細に、セレネに結論を伝えるためだ。


「はーい!」


 ノックした直後、セレネはすぐにドアを開けた。いつもなら、かなり時間が経ってから、ゆっくりとした動作でドアを開くというのに、昼間同様、異様なほどに機嫌がよく、動作も機敏だ。


「(やはり、様子がおかしいな)」


 セレネは終始にこにこと笑っていて、いつもの澄ました表情ではない。少なくとも、自分が知っているセレネは、こんなに笑顔を振りまく少女ではない。


「セレネ……」

「なーに?」


 セレネの笑顔を、ミラノはまじまじと覗き込む。セレネは子供らしくなく、それが原因で母親から遠ざけられていた。しかし、歳相応に笑うセレネは、神に愛されていると形容されるほどに美しい顔立ちをしている。その無垢な姫を見捨てて、自分は一人旅立とうとしている。その事実を今から伝えねばならない。


「やはり一緒に付いてきてくれないか」

「…………は?」


 ミラノは、気が付けば言うべき言葉とは全く逆のことを口にしていた。自分でも、喋ってからその意味に気付き、はっとした。それはつまり、彼にとって、それこそが嘘偽りの無い気持ちということだ。


 一度言葉にしてしまえば、後は(せき)を切ったように感情の流れは止まらない。一国の王子である前に、彼は一人の青年なのだ。


 呆けたセレネに構わず、ミラノは己の感情をありのままにぶちまけた。自分にはセレネが必要であること。出来ることなら、ずっと傍に居て欲しいということを、包み隠さず伝えた。


「父上も、母上を旅に誘ったときは、こんな感じだったのかもしれないな」


 照れ隠しのようにミラノが笑い、締めくくる。


「で、でも、わたし、足、おそい、じゃま!」


 セレネは必死に、自分がいかに足手まといで、連れて行くと後悔するぞ、だからやめようぜと主張するが、それがミラノにはいじらしく見え、より一層、彼の決意を強固なものとする。


「速く歩む者が優れているとは限らない。ゆっくりと、少しずつ歩んでいけばいい。だから、僕と一緒に歩んで欲しい」


 自分でも相当恥ずかしかったのか、伝えるべき事を伝えると、ミラノは赤くなった頬を隠すように、慌てて去っていった。なにが何だか分からないまま、セレネはただ呆然と、開けっ放しのドアの前で立ち尽くす。


『姫! おめでとうございます! やはり神は正しき者の味方なのですな!』


 バトラーは籠から飛び出し、セレネの元へと駆け寄った。まるで自分の事のように喜び、セレネに祝福の言葉を掛ける。王子にとって、セレネを連れて行くのは間違いなく大きな負担となるだろう。だというのに、王子はセレネを優先したのだ。それがバトラーにとって非常に誇らしかった。


「…………アカン」


 放心状態のセレネは、それだけ呟くのが精一杯だった。何故か関西弁だった。


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