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夜伽の国の月光姫  作者: 青野海鳥
【第一部】夜伽の国の月光姫
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第42話:日除蟲

「セレネがアークイラの王女ですって!?」


 例によって『診察』という名目で、エンテの元を訪れた呪詛吐(じゅそつ)きの報告を聞き、深夜にも拘らず、部屋中に響く声でエンテが叫んだ。


「私も驚きましたよ。只者ではないと思ってはおりましたが、まさか王族の血を引いているとはねぇ。これは本当にミラノ王子の正妻となる可能性も……」

「おぞましいこと言うんじゃないのっ!!」


 エンテは再び怒鳴り、備え付けられたテーブルを平手で思い切り叩く。その衝撃で花瓶が転げ落ち、絨毯に水をぶちまけるが、エンテはそれを気に留めないほど頭に血が昇っている。


「おお、怖い怖い」

『オオ、コワイコワイ』


 呪詛吐きと、彼女の肩に止まっていたコクマルが、これっぽっちも怖がっていない口調で嘲笑するが、エンテはそれを咎める余裕が無いほど狼狽していた。


「まずい……まずいわ……!」


 綺麗に整えた髪が乱れるのも拘らず、エンテは髪を掻きむしる。ここ数ヶ月、定期的にコクマルを飛ばしてセレネの監視を命じていたが、日に日に名を上げていくあの小娘の実績を聞くたび、エンテの(はらわた)は煮えくり返った。だが、今回は凶報などというレベルではない。エンテにとって、致命的な一撃となる通知だった。


「まさか、あの娘が王族だったなんて……」


 一身にミラノの寵愛を受けるセレネを憎憎しく思いながらも、これまでのエンテには余裕があった。確かに、エルフとの交渉を成功させたのは、人類史に残る功績なのは認めよう。しかし、身分の高い人間が体裁を気にする事に変わりはない。


 現ヘリファルテ国王、シュバーンも従者のアイビスと結ばれたが、その道のりは極めて困難であったという。シュバーンが極めて有能であったのと、アイビスがヘリファルテ出身者であり、幼い頃からシュバーンの元で下働きをしてきたことを理由に、何とか婚姻まで辿り着いたのだ。


 セレネは特異な才能はあれど、アークイラという辺境の国からやってきた、身分の低い小娘だ。ミラノとセレネの間にそういった感情があったとしても、身分の差が開きすぎている。とはいえ、将来間違いなく恋路の邪魔になるセレネは、若いうちに摘んでおいたほうが良いだろうという考えだった。


 しかし、セレネが王族となれば話は別だ。小国とはいえ王族の血を引いているなら、資格としてはアイビスよりも上質だ。今のセレネの功績を考えれば、周囲の理解は十分に得られるであろう。事実、国全体でそういった雰囲気になりつつあるとの噂もある。


「呪詛吐き! あんたの禁術ってのはまだ完成しないの!? もう何ヶ月も経ったでしょ!」

「9割方完成しておりますよ。次の新月の夜に発動させれば、術式は完成でございます」

「新月って……」


 エンテが窓から身を乗り出し夜空を眺めると、輝きを放つ満月がよく見えた。あの忌々しい小娘は、最近は『月光姫』などと呼ばれ調子に乗っているらしい。それを思うと、光り輝くセレネが、遥か高みから自分を見下しているように思えて、エンテは苛立ちながらカーテンを閉めた。


「9割完成してるなら、ほとんど完成と同じでしょ。今すぐその禁術とやらを発動させなさい!」

「いや、しかしですな、万全を期すなら新月になるまで待ったほうが……」

「そんなに待ってられるわけないでしょ! 明日にでも、王子がセレネと婚約者になってもおかしくない状況なのよ!?」

「……分かりました。では、発動させましょう」


 ため息を一つ吐き、呪詛吐きはエンテの要求を飲むことにした。いい加減、この小うるさいお嬢様のご機嫌取りにうんざりしていたし、今の状態でも十分に威力は発揮できる。


 呪詛吐きは、ローブの懐に手を突っ込み、厳重に紐で縛られた小箱を取り出した。箱の大きさは手の平に乗る程度の大きさで、中で何かが蠢くような音が聞こえる。呪詛吐きがテーブルの上にその箱を置き、封印を解く。


「ひっ!?」


 蓋が開き、這い出してきた得体の知れない生き物に、エンテは小さく悲鳴を上げた。最初は蜘蛛かと思ったが、よく見ると微妙に違う。全身が真っ白で、足には細かい体毛がびっしりと生えており、異常に膨れた頭部には、巨大な顎を持っている。蜘蛛とサソリを混ぜたような、なんとも不気味な生物だ。


「これが我が一族の禁術、日除蟲(ひよけむし)にございます」

「ヒヨケムシ……?」


 テーブルの上を這い回る不気味な生き物を、エンテは鳥肌を立て、気持ち悪そうに見つめる。それとは真逆で、呪詛吐きは目をぎらぎらと輝かせながら、自慢の道具を見せ付ける職人のような表情だ。


「この気持ち悪いのをセレネの枕元に投げ込むの? 前のムカデより小さくて弱そうじゃない」

「いえいえ、これはこうして使うのですよ……っと!」


 エンテが止める暇も無く、呪詛吐きが懐から短刀を取り出し、切り札であるはずの蟲を突き殺した。ぶちゅ、という嫌な音と共に体液が漏れ出し、エンテお気に入りのテーブルを汚す。蟲は少しの間、足をぴくぴくと痙攣させていたが、やがて動かなくなった。


「ちょっと! 何やってんのよ!?」

「さあ、ここからが儀式の幕開けでございますよ!」


 依頼の品を潰されたのと、自分のテーブルを汚された怒りで、エンテは呪詛吐きに掴みかかろうとするが、呪詛吐きはすっかり興奮しきっていて、両手を大きく広げて言葉を放つ。


「え……?」


 エンテが面食らっていると、蟲の死骸に異変が起こる。漏れ出した体液が徐々にどす黒くなり、重油(じゅうゆ)のような粘液となる。そして何と、その粘液が意思を持っているかのように、ゆっくりと動き出した。


「な、何よこれ!? 蟲の汁が動いて……?」

「ひひ、まだまだ途中でございますぞ」


 あまりのおぞましさにエンテは数歩後ろに引いたが、呪詛吐きは喜々とした表情で、テーブルの上をナメクジのように這いまわる黒い液体を眺めていた。その液体は瞬く間に蒸発し、5センチほどの黒い染みだけが残った。その小さな黒い染みは、まるで生きているかのように、テーブルの上をおぼつかなげに滑り始めた。


「脱皮が完了しましたな。さあ、これで準備はほぼ完了ですぞ」

「その黒い影が……禁術?」

「その通りでございます! 見ての通り、この蟲は影そのものでございます。標的の影に潜み、そこから体内に潜入し、生命力を食らい尽くすのです。この蟲にとり憑かれた物は、寝ているうちに冷たくなっている、というわけです。しかも、それだけではございませんぞ」


 そう言って、呪詛吐きは再び短刀を握りなおし、日除蟲に振り下ろす。刃を突き立てられた影は、一瞬形を変えただけで、すぐに元の形に戻り、再びテーブルの上をのろのろと這い回る。


「ご覧の通り、日除蟲には物理的な攻撃は効きませぬ。純粋な魔力をぶつけねば傷一つ付けられませんし、体内への侵入を防ぐことも不可能でございます」


 蠱毒(こどく)がムカデに魔力を染みこませ、呪いの力を放出していく方式であるのに対し、日除蟲は攻撃能力を持つ魔力の塊だ。誰にも見つからず、傷つけられず、証拠も一切残らない。エンテはその凶悪さに顔をひきつらせたが、すぐに邪悪な笑みへと変わる。


「素晴らしいわ! 確かにこれならセレネを殺せるわ!」

「本来なら、闇がもっとも濃くなる新月の夜に脱皮させるのが一番強力なのです。ま、今の時代にこやつに気付き、対処できる人間はおらんでしょう。あとはこの蟲に触媒を入れて完成でございます」

「触媒?」


 エンテは不思議そうに首を傾げる。呪詛吐きから要求された金額を渡したとき、同時にセレネの髪の残りは渡してある。そして、それはもう使用済みのはずだ。


「触媒というより生贄でございます。生まれたばかりの日除蟲に、人の魂の味を教えてやる必要があるのです。魔力を持ち、若く生命力に溢れた人間が最適ですな。人間は美味いと感じさせる必要がありますゆえ」


 その条件を聞いたエンテは、眉間に皺を寄せた。魔力を持っている人間自体が少ないのに、さらに条件を付けられるとなると、今すぐ探すのは難しい。


「そういう事は早く言いなさいよ! そんな人間、なかなか見つからないじゃない!」

「いえいえ、もう当てはついておりますぞ」

「本当!? やるじゃない!」


 エンテは表情を輝かせたが、ある違和感に気が付いた。今まで顔を伏せながら説明していた呪詛吐きが、自分を真正面に見つめている。それはまるで、獲物を見つけ、舌なめずりする蛇のようだ。


 エンテの脳裏に嫌な考えが浮かぶ。魔力を持つ若い人間……それはつまり――。


「ちょっと、あんた! ま、まさか!?」

「食え」


 呪詛吐きは(わら)い、枯れ枝のような人差し指をエンテに向けた。その瞬間、影がまるで黒いベッドシーツを広げたかのようにぶわっと広がり、エンテを闇の衣で包み込む。


「誰か! たすけ……!」


 エンテの叫びは最後まで発せられることなく、黒い塊に飲み込まれてしまった。それから十秒もしないうちに、日除蟲はエンテから離れた。外傷は無いが、その瞳は虚ろで、日除蟲が離れると、糸の切れた操り人形のように床の上に倒れた。


 ぴくりとも動かず、目を見開いたまま倒れたエンテの腹を踏みつけ、呪詛吐きはエンテの顔に唾を吐きかけた。


「ふん、だから言ったじゃないか。あまり人を呪い過ぎると自分に返るとね。さあコクマル、この眠り姫をベッドに運ぶんだよ」

『エッ? オレカヨ!?』


 呪詛吐きに命じられたコクマルは、しぶしぶ肩から降りると、エンテの髪を無遠慮にくわえ、ベッドの上に引きずり上げた。それから呪詛吐きが乱れた髪を整え、開いたままの目を閉じさせる。これで外見上は眠ったように見える。


「さて、この馬鹿娘の魂は、日除蟲の動力源として活用させてもらおうかねぇ」


 呪詛吐きはひひっと笑い、最初の犠牲となったエンテを覗き込んだ。エンテは息こそしているものの、決して目覚める事は無い。生命の核そのものを抜き取ったのだ。日除蟲が倒され、魂が解放されない限り、彼女はそう長くないうちに眠りながら衰弱死するだろう。


 もちろん呪詛吐きには関係の無い事だ。日除蟲を作るための莫大な予算も、魂すらもしゃぶりつくした。もうこの娘に何の利用価値も無い。


「さて、そろそろ儀式も完成かね」


 呪詛吐きが後ろを振り向くと、不規則に形を変えていた日除蟲が、徐々に大きくなっていくのが見て取れた。それから数分が経つと、真っ黒な女性の形となり、地面を滑るようにして、呪詛吐きに近寄ってきた。主の命令を待っているのだ。


「よしよし、成功したようだね。さあ、かわいいかわいい私の怪物、今から呪い殺す相手を伝えるよ」


 呪詛吐きの言葉に対し、日除蟲は頷くような動作で応える。その様子を満足げに見つめた後、呪詛吐きは呪い殺す対象の名を告げる。


「ヘリファルテ王国第一王子、ミラノ=ヘリファルテ!」


 標的の名を伝えると、日除蟲は再び平面の影となり、闇の中を泳ぐように、窓の僅かな隙間から出ていった。日除蟲は、影に溶け込み移動する能力を持つ。影から影を伝い、ヘリファルテへと誰にも見つからずに忍び込むだろう。


「くひゃひゃひゃ! ヘリファルテの小童(こわっぱ)め、目に物を見せてくれるわ!」


 日除蟲の出て行った方向を見つめながら、呪詛吐きは哄笑する。呪詛吐きが小童と称したのはミラノではない。彼の父、シュバーンだ。


 ヘリファルテは昔から巨大な国だったが、急激に力を付けたのはシュバーンが即位してからだ。それまでは、各国は覇権を取ろうとし、(いさか)いが絶えなかった。そんな中、呪詛吐き一族の呪いの力は大いに求められ、彼女らの一族は闇の世界で栄華を誇っていた。


 だというのに、若き王シュバーンが驚異的な速度でヘリファルテの力を強めたため、他の国々は抵抗するより服従を選び、大陸に平和の時代が来てしまった。それと同時に、呪詛吐きの一族は凋落(ちょうらく)し、ちりぢりになり、今では薬師(くすし)や占い師といった愚にもつかない仮の姿で、隠者の如き生活を強いられている。


「私から大事な物を奪った小僧め。今度は、お前から私が奪い返してやる!」


 疫病、飢饉、戦争……呪詛吐きにとって愛すべき暗闇を奪った憎きシュバーン王。その王が最も自慢としている一人息子を奪ってやる。いや、それだけで済ませるはずがない。


 ミラノ王子を踏み台とし、その死に嘆き悲しむアイビス王妃やマリーベル王女も、弱った心の隙を突かれ、蟲に食い殺されるだろう。そうしてシュバーン王は一人取り残されるが、それで地獄は終わらない。


 日除蟲が禁術とされているのは、一度発動してしまうと、呪詛吐きにも制御が出来ないためだ。怒り、憎しみ、妬みといった、負の感情を持った人間を日除蟲は好んで襲う。しかも、単にその人間の魂を喰らい殺すだけではなく、体力や魔力を取り込み、巨大な怪物へと成長する。


 一族の記録の中には、数百年前に一度発動させ、大陸は混乱の極みにあったが、偶然竜が現れ、沈静化させられたことがあると記されていた。逆に言えば、竜でもない限り、成長しきった日除蟲を止める術はない。


 なまじ精神力が強いが故に、日除蟲はシュバーンを喰うのは後回しにするはずだ。かといって、シュバーン王一人残されてどうこう出来る相手ではない。己の築いてきた愛すべき家族、国民達、ヘリファルテという国が崩壊していく様を、最後まで見続けることになる。


 そうして大国ヘリファルテが崩壊すれば、国家間のバランスは大きく崩れる。ヴァルベールを始めとする、今まで静観していた国々が、ここぞとばかりに己の領土拡大を試みるだろう。無論、日除蟲の被害はヘリファルテだけに留まらない。大陸全土を巻き込み、恐るべき時代へと逆戻りするのだ。


「そしてもう一度、我ら呪われし一族の輝かしい時代が来るのさ」

『セレネ、ドウスンダ?』

「ああ、あのお嬢ちゃんかい。ほうっておいても勝手に死ぬさ。間抜け王女様との約束もちゃんと守ってやったさ。私は優しいからねぇ」


 呪詛吐きは眠り続けるエンテに、意地悪く笑いかけた。この小娘からは『セレネを殺せ』という依頼を受けただけだ。エンテを生贄にするなとも言われていないし、大陸を絶望と恐怖で満たすなとも言われていない。


 確かにセレネという小娘は、大陸に二人と居ない傑物(けつぶつ)なのだろう。だが、肉体的に見れば魔力も平均以下であり、剣も振れぬ幼子に過ぎない。雪崩に巻き込まれるように、ヘリファルテ崩壊に巻き込まれて死んでいくだろう。


 全ての準備は整った。呪詛吐きはテーブルの上の小箱を再び懐にしまうと、何食わぬ顔でヴァルベール城を後にした。城の外に出るまでの間、自然と緩む頬を引き締めるのに、なかなか骨が折れた。


 明日の朝になれば、意識を失ったエンテは従者に見つかるだろうし、呪詛吐きにも当然質問されるだろう。その際は、昨日の夜会ったときは元気だったと言い張ればよいだけだ。


 呪詛吐きは普段からエンテの薬師として信頼されているので、それ以上は言及されないだろう。仮にエンテの全身を解剖したとしても、証拠は何も出てこない。病気などという生易しいものではないのだから。


「いやぁ、今日はいい日だ。愉快だねぇ……こんなに愉快なのは何十年ぶりだろうねぇ。イッヒッヒ!」


 呪詛吐きが空を見上げると、先ほどまで輝いていた満月が、僅かに欠けているのが見えた。あれが徐々に半月となり、三日月となり、そして新月の夜が来るだろう。


 闇が最も濃くなった時、日除蟲はミラノに襲い掛かる。そこからは、坂道を転げ落ちるようにヘリファルテに恐怖と混乱が撒き散らされるのだ。そうしてあの素晴らしき日々、呪われし楽園への扉が開かれるのだ。


 その時を楽しみに待とう。呪詛吐きは口元を抑え、年甲斐も無く小躍りしながら、コクマルと共に闇の中へと消えていった。

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