第36話:決闘
目の前に立ちはだかる、真っ白な棒切れを構えたエルフの青年を見て、ミラノは怪訝な表情を浮かべた。セレネを守るように割り込んできた理由も分からないし、何より、ぼこぼこの鉄の鍋を被った珍妙な出で立ちであったからだ。
「おい、聞いてんのかボッケンシャー。痛い目見たくなかったら、とっとと消え失せろ」
「ボッケンシャー? ああ、冒険者か。そうではなく僕は……」
冒険者ではなく王子である、と言いかけて、ミラノは口をつぐんだ。自分が大国ヘリファルテの王子であるという事を主張したとしても、森に住むエルフ達には何の効力も無いだろう。
今の自分は王子ミラノ=ヘリファルテとして訪問しているのではなく、セレネを探しに来た一人の青年でしかない。危険を冒す者――そういう意味では冒険者と言えなくもなかった。
「いや、何でもない。エルフ殿、勝手に君たちの領地に入った非礼は詫びるが、僕は危害を加えに来た訳ではない」
「さあ、どうだかな。ボッケンシャーは自分が危なくなったら、平気で嘘を並べる連中だからな」
「本当だ。僕達はその子、セレネを探しに来た。それだけだ」
「セレネを?」
ギィが後ろを振り返るが、当のセレネは王子登場のショックから立ち直れず、何やらぶつぶつ呟いていた。どう見ても目の前の金髪の人間を歓迎している雰囲気ではない。
「(やっぱり、セレネは人間の世界でも有名なのか?)」
この冒険者の言葉を信じるなら、セレネを手に入れるためにわざわざ白森に侵入してきたということになる。そして、エルフの資源が目当てではないとも言っている。つまり、エルフの資源を無視してでも手に入れたい存在ということだ。
「子供一人にずいぶん拘るな。そんなにこいつが大切か?」
「ああ、僕にとって、とても大切で、かけがえのない存在だ」
「……なるほどな」
ミラノの返答で、ギィの中にあった疑問が確証へと変わった。
セレネは竜を使役する能力を持っている。そんな力を持っている人間に希少価値が無いわけがない。白森の資源を無視し、冒険者が欲するのも無理はない。
ギィは視線でミラノをけん制するが、相手は怯む様子はない。彼は何度も冒険者を撃退してきていたので、刃を交えずとも、雰囲気で大体の能力を把握することができた。この金髪の冒険者は、見た目こそ優男だが、醸し出す雰囲気は今までの雑魚とは格が違う。
「(大方、冒険者の大将が出向いてきたってとこか)」
今までのコソ泥連中と違い、人間達がセレネという至宝をエルフから取り戻すため、凄腕の刺客を送り込んできたに違いない。ギィはそう判断を下した。
セレネと触れ合った事で、人間も悪党ばかりではない、という考えがギィの中に生まれていた。しかし、それは『人間』という大きな区分であって、『冒険者』というものがエルフにとって憎むべき存在である事に変わりはない。
ヴァルベールから白森に忍び込んできた冒険者は、皆、礼儀を知らない荒くれ者ばかりであった。そのせいで冒険者=悪人という公式がエルフ達の中に根付いている。そんな冒険者の大将に、か弱い少女を渡したらどうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。絶対にセレネを渡すわけにはいかない。
「こいつは俺達にとっても大事でな、はいそうですか、と返すわけにはいかねぇ。とっとと帰れ。俺らが丁重に扱ってやるから心配すんな」
「丁重に扱う……か」
ギィがミラノを薄汚い冒険者と判断した一方、奇妙な鉄の鍋を被り、木の枝を振り回す粗野な口調のエルフは、王族育ちのミラノからしてみれば、ただの野盗にしか見えなかった。
そんな輩が、年端もいかない美しい少女をどのように扱うかなど、火を見るよりも明らかだ。「丁重に扱う」という言葉も皮肉にしか聞こえない。絶対にセレネをエルフから奪還しなくてはならない。
「その子は人間で、僕は彼女の保護者だ。我々が責任を持って預かりたいのだが」
「駄目だ。ボッケンシャーは信用できねぇ」
「では、どうすれば信用してもらえる」
「そうだな……こうすれば、だなっ!」
ギィは喋りながら、いきなり神木を横薙ぎに一振りした。その勢いは凄まじく、がきん、という硬質な音が森の中に響く。
「くっ!」
ギィの強烈な打撃がミラノの体にめり込む直前、ミラノは一瞬早く、腰に差していた剣を鞘から抜き、不意打ちを受け止めた。ギィは一瞬目を見開き、相手の腕前に思わず口笛を吹いた。確実に仕留めた、それほどの一撃を回避されたギィは、即座に後ろに跳び、距離を取る。
「ヒュウ! やるじゃん!」
「先ほどの投擲といい、いきなり攻撃を仕掛けるとは、エルフというのは随分と野蛮なのだな」
正々堂々、騎士道を重んじるミラノからすれば、ギィの戦闘スタイルは噴飯物だ。ミラノは思わずギィの邪道を責めた。
「攻撃はいきなり仕掛けるもんだろうが」
しかし、当のギィは全く悪びれず、からかうように答えた。
「お前みたいな戦い方、知ってるぞ。キシドーとか言う奴だろ? 我こそはナントカカントカのナニナニであり……とか、戦う前にわざわざ名乗るとか、バッカじゃねぇの?」
「何だと!」
「生き物は、みんな死ねば土に還る。死んだら終わり。負けたら終わりだ。なのに、何でいちいち勝率を下げる真似をしたがるのか、俺にはさっぱり理解出来ねぇな」
ミラノは眉間に皺を寄せた。騎士道という概念を幼いころから重んじていたミラノからしてみれば、だまし討ちを平気で仕掛けてくるギィの精神は受け入れがたい。
とはいえ、ここは人間ではなくエルフ達の世界である。人間の常識は通用しないのかもしれない。ミラノはそれ以上ギィの振る舞いを追求せず、端的に用件だけを伝えることにした。
「ここで哲学を語り合うつもりはない。もう一度言う、セレネを我々に引き渡してくれないか?」
「嫌だと言ったら?」
「……争いは好まないが、この剣にかけてセレネを取り戻すのみだ」
「いいねぇ。その方が分かりやすい」
ミラノの宣戦布告に対し、ギィは表面では余裕を装っていたが、内心では焦りを感じていた。この人間は只者ではない――その直感が正しかったことに、今は舌打ちしたい気分だった。今までと同程度の冒険者なら、先ほどの不意打ち一発で戦闘不能にできたはずだ。
普通に正面から戦闘になったとしても、鈍の武器なら、神木の一振りで簡単にへし折れたはずだ。ミラノ本人は当然として、彼が所持している大振りの鉄の剣、どちらも油断ならない。
「(こいつ、真剣でいかないとやべぇな……)」
ミラノは表情には出さなかったが、内心では焦りを感じていた。このエルフは並の使い手ではない――その直感が正しかったことに、今は舌打ちしたい気分だった。振る舞いこそ野卑であるが、先ほどの一撃の鋭さからして、今まで自分が相手にしてきた者の中でも、実力は飛びぬけている。
それにあの白い枝、ミラノは全く見たことが無い代物だった。ただの蛮族の武器と高をくくっていたが、父から借り受けた大剣でなければ、やすやすと打ち砕かれていただろう。
「(このエルフの青年、油断ならぬ相手だ!)」
ミラノとギィは真正面に睨みあう。交渉は決裂した。ならば、決闘においてこの場を切り抜ける。エルフと人間、種族も信条も違えども、お互い武を磨いてきた青年たちに共通する感覚だった。
「はじめに言っとくが、お仲間は助けにこねぇぞ? 今頃、俺の仲間達が、お前の部下を全員叩きのめしているだろうからな」
「僕の選んだ精鋭達は、そう簡単にやられる者達ではない。お前の方こそ、今のうちに投降したほうが身のためだ。なるべく怪我はさせたくない」
「随分と自信があるじゃねぇか。後で後悔するぜ?」
「そのセリフ、そのままお前に返そう」
ギィとミラノは、お互いに相手を言葉で威嚇するが、それで尻込むような魂をこの二人は持ち合わせていない。何より、二人の青年には引けない理由があった。
「(セレネ、待っていろ。野蛮なエルフから今助けてやる!)」
「(セレネ、待ってな。クソボッケンシャーを叩きのめしてやる!)」
そう、彼らはセレネを守らなければならない。そのために彼らはここまで歩んできたのだから。お互いの想いを胸に、人間の王子とエルフの族長、二人の男達の戦いの幕は切って落とされた!
「いくぞ人間! 死んでも知らねぇぞ!」
「来い! エルフの戦士!」
神木と大剣、両者の激しい打ち合いが繰り広げられる。ギィの天性の才能から放たれる野獣のような攻撃を、ミラノは長年培ってきた剣術で巧みにそれを受け流す。清らかな泉の前、白き森を背景に戦うその様は、命を賭けているにも拘らず、絵画になりそうな風景であった。
そんな美しくも緊張感溢れる空気の中、セレネは少し離れた場所で、ぼけっと突っ立っていた。何だかよく分からないうちに、ミラノとギィで殺し合いが始まってしまった。一体何をやってるんだあいつらは、とセレネは他人事のように構えていた。
『何やら面倒なことになっておりますな……』
「あ、バトラー」
騒ぎを聞きつけたバトラーが、白い落ち葉を掻き分けてセレネの元に駆け寄ってきた。セレネがしゃがんで手の平を差し出すと、バトラーはセレネの肩の上に登り、ミラノとギィの方を見た
それほど離れた距離ではなかったので、バトラーは優れた聴覚で、二人の会話をある程度聞き取っていた。なので、何故このような流れになったか大体把握していたが、入り込む余地もないまま、血気盛んな若者達の戦いが始まってしまったのだ。
『うむむ、一体どうしたものか……』
「いのろう」
『祈る、でございますか?』
「うん」
そう言うと、セレネは目を閉じ、両手を組んで祈るような姿勢を取った。自分の騎士たちに最良の結果が出るように、と。非力なセレネにはそれしか出来ないのだ。両者の無事を祈る健気なセレネの横顔を、バトラーはじっと見つめ、口を開く。
『確かに、両者は姫のために戦っておりますゆえ。ここは様子を見るしかないでしょう』
セレネと違い、高い戦闘力を持つバトラーは二人の達人に割って入ることも出来るのだが、どちらに加担するか悩んだ末、彼は中立の立場を取ることにした。
ミラノもギィもお互いにセレネを守るために戦っており、全力で応戦している。下手にバトラーが加勢してしまうと、拮抗が崩れた一瞬の隙を突き、どちらかが致命傷を受ける危険性がある。
セレネの言うとおり、ここは天に祈るしかない。どちらが勝つにせよ決着のときは来るのだ、そして、その時点で興奮した二人が収まらず、互いの命を取ろうとする事態が発生した場合に限り参戦する。バトラーはそう判断を下した。
『とりあえず、私は中立の立場で待機しております。必要とあればいつでも飛び出しますので、ご安心くだされ』
「バトラー、ちゅーりつ……」
鼠だけにチュー立。セレネはくだらないおやじギャグを思いつき、一人で勝手ににやついていたが、ミラノとギィは絶賛殺し合い中であり、バトラーはいつでも飛び出せるよう、セレネの肩で臨戦体勢を取っていたため、誰一人としてセレネの馬鹿な発言に気付く余裕が無かった。
渾身のギャグをスルーされたセレネは、ちょっぴり傷ついた。
ミラノとギィ、どちらもセレネにとって大事な存在であり、失うわけにはいかない。自分の責任を果たすためバトラーは極度の緊張状態にあったが、ギャグを無視されたセレネは、ふて腐れながら祈りを捧げる作業に戻る。
――ギィに負けて王子が死にますように、と。
自分が消えれば、アルエの枷が外れることになる。それを恐れたあの王子は、部下を引き連れ、危険を冒して白森にまで乗り込み、自分という重石を回収しにきたのだろう。大天使アルエを逃さないためだろうが、なんという執念。恐ろしい男である。
むしろ異常な執着心を持っているのはセレネであり、恐ろしい男はセレネ本人なのだが、当人はその辺にまるで気付いていなかった。危険である。
「がんばれ、がんばれ」
セレネは思いつく限りの邪神や悪魔に対し、必死に祈りを捧げていた。ギィが勝てば、白森に乱入してきた王子を逆に抹殺することが出来る。ただでさえ未開の森の上に、魔力がなければ入ることが出来ないこの場所は、王子をこっそり始末するには絶好の場所だった。
王子は白き森で謎の失踪を遂げ、自分とアルエはエルフ達の里でひっそりと心穏やかに暮らす。ギィが勝つことにより、閉ざされかけた眩い未来が自分に開かれるのだ。頑張れギィ、負けるなギィ、お前がやらねば誰が殺る。
「はあああああっ!」
「うおおおおおっ!」
お互いの意地と誇りをかけて戦う二人の若武者を、幼くも美しき姫が無事を祈る。少なくとも、外見上はそのような光景が繰り広げられていた。




