第35話:邂逅
エルフ達との最後の夜を過ごしたセレネとバトラーは、翌日、ギィとザナ率いるセレネ送迎隊と共に、いよいよ出立することとなった。集落の入り口には、竜の巫女――セレネの姿を一目見ようと、老若男女を問わずエルフ達が集合し、静謐な空気を好むエルフ族には珍しく、お祭り騒ぎとなっていた。
「よし、そろそろ行くとするか」
「やだぁ」
この期に及んでセレネは駄々をこねた。今更残りたいと言ったところでどうにもならないのは理解しているが、この極楽浄土から去るのは嫌だった。とはいえ、一度帰らねば愛しのアルエを連れ来られないのだから、苦渋の選択だった。
「お前が俺達エルフを気に入ってくれたことは嬉しいが、竜にお前を帰せって言われてるからな。ま、縁があればまた会えるさ」
ギィは不満げなセレネを宥めるように、絹糸のような白い髪を乱暴に撫でた。竜の巫女とはいえ、セレネの外見は幼い少女に過ぎない。異種族である自分達を受け入れ、帰りたくない、と歳相応に駄々をこねる様は微笑ましいものだ。実際には年甲斐も無く愚痴っていただけなのだが。
ギィには「いずれ人間と交流をする」という、漠然とした構想しかなかったので、セレネを送り届けた後の事はあまり考えていない。とにかく今は、彼女を無事に人間の元に返すことが先決だ。
「縁、つくる」
だがセレネからすれば、『縁があればまた会える』では駄目なのだ。縁が無ければ作ればいいじゃない。己の欲望に一直線のセレネは、ヘリファルテに帰ったら速攻でここに戻ってくるつもり満々である。
「……そうか、ま、今後もよろしく頼むぜ? 竜の巫女様」
セレネが熱の篭ったセリフを吐いたので、ギィも真顔になる。運任せでは駄目だ。道は自分で作るもの、そう言いたいのだろう。族長になって以来、ギィは大分保守的になっていたが、その殻を破るときが近づいているのかもしれない。この少女の振る舞いは、ギィにそんな考えをよぎらせた。
「お待たせー! 準備できたよー!」
そうこうしているうちに、人垣を割ってザナが現れた。ザナの後ろには、他に三人のエルフの若者達が追従していた。三人とも、エルフ達の中では腕利きと称される者たちだ。
ザナを含め、皆が真っ白な外套にすっぽりと身を包んでいた。これは雨風や強い日差しを凌ぐだけではなく、純白の森において保護色を兼ねているらしい。だが、その出で立ちより、セレネはザナたちが跨っている生き物に目を奪われていた。
『なにやら珍妙な生物に乗っておりますな』
「とかげ?」
バトラーもセレネと同感らしく、セレネの肩の上から興味深げに目を向けた。セレネとバトラーの視線に気付いたザナが、その生物の上からセレネを見下ろしながら笑いかける。
「スキンクを見るのは初めてかしら? ま、白森にしかいない生き物だしね」
ザナはスキンクと呼ばれた、馬並みに巨大なトカゲの首筋を撫でた。全身が真っ白な鱗で覆われており、口元には馬のような手綱や鞍が付けられ、旅の途中で必要な物資を詰めた袋をぶら下げていた。
「見た目はちょっといかついけど、草食でとっても大人しいのよ。尻尾も可愛らしいでしょ?」
セレネがその巨大トカゲのしっぽを見ると、確かに風変わりな形をしていた。根元から先端にかけて徐々に細くなる普通の尻尾とは形が違い、スキンクの尾は、サツマイモのように丸っこく膨らんでいるのだ。
その尾に近づき、セレネは手を伸ばした。尻尾はぷりぷりとして弾力があり、何となく猫の肉球に近い触感だった。
「ぷにぷに」
「そこに栄養や水分を溜め込んでおけるんだ。一ヶ月くらいなら飲まず食わずでも平気なんだぜ。冬場は冬眠しちまうのが玉に瑕だがな」
「へぇ」
愛馬――もとい愛トカゲを自慢げに語るギィの言葉を聞きつつ、セレネはそのトカゲをまじまじと見つめる。どうやらこのトカゲは、エルフ達にとって『馬』にあたる生物らしい。木の根や落ち葉、それに遮蔽物の多い森の中で、彼らの移動力は目を瞠る物があるらしい。
多少の岩ならよじ登れる頑丈な鉤爪を持ち、外敵に襲われても、エルフを乗せたまま樹上に退避することだって可能なのだとか。
「無駄話はこの辺にして、そろそろ行くとするか」
ザナが連れてきたエルフ達の後ろには、もう一匹のスキンクがいた。体の一番大きなその個体は、どうやら族長であるギィ専用らしい。ギィは身軽にスキンクの背中に飛び乗ると、改めて全員に向き直った。
「では、これから竜の巫女を人間界に送り届ける」
ギィは今までの砕けた口調を止め、同行するエルフ達に今後の予定を説明した。本当ならもっと大人数でセレネを護衛すべきなのだが、スキンクは貴重な生物であり、他のエルフ達も使うので、全てを駆り出すわけにはいかない。
徒歩で進むと移動速度は大幅に落ちるし、他の野獣に襲われる危険性も跳ね上がる。もともとは資材集めのついでにセレネを放り出す予定だったが、今では完全に逆転し、セレネを人間の元へ無事送り届け、余裕があれば帰りがけに資材を回収するという計画に変更されていたため、戦闘力の高い少人数を選んだ結果、このメンバーとなったらしい。
「ま、あたしは戦闘って苦手なんだけどね」
ザナは戦闘に関してはいまいちだが、エルフ達の中でも特に視覚と聴覚に優れ、魔力の扱いにはずば抜けて秀でていた。その力を使い、周囲にいる外敵を探知する能力にも長けている。
「じゃあ出発するが、陣形は崩すなよ。今回は人間の子供を連れているということを忘れるな」
「あんたこそ、一人で勝手に暴走するんじゃないわよ」
「そのためにお前を連れてきてるんだろうが。ちゃんと探知頼むぜ?」
「分かってるわよ」
エルフの集落から出ると、ギィの指示により、スキンクに乗った五人組で陣形を組み進んでいくことになった。上から見るとちょうど十字型となり、先頭を歩くのはギィ、そして残りの三人は中心部のセレネとザナを護るように取り囲む。
ザナが中心にいれば、全方位にすぐに指示を出せるからだ。幸い、女性であるザナと子供のセレネは軽いので、スキンクに二人乗りでも問題は無い。
「ふへへ」
そんな自分のために敷かれた戦略的な配置など気にも留めず、セレネはザナに抱きかかえられてラッキー程度にしか考えていなかった。だが、護衛役のギィ達は、セレネをいかに人間の元に届けるか頭を悩ませていた。
「で、どうやってセレネ様を人間のところに返すのよ?」
「そこなんだよなぁ……」
「あんた、この期に及んでなんにも考えてなかったの!?」
「んなこと言われたってよ。俺だって人間の世界なんか知らないんだから仕方ねぇだろ」
「仕方ない、じゃ済まないでしょ!」
「ま、とりあえず白森に出るギリギリまで進んで、そこで竜が通るのを待つつもりだ。俺達の役割はセレネを安全に送り届けることだからな。白森から出た事のない俺らがその先の護衛まですると、逆に危険ってことを竜に伝える」
「それで納得するかしらねぇ……」
ザナは半信半疑だ。一応筋は通っているが、竜がその条件を飲むとは限らない。勿論、それはギィも理解している。
「駄目な場合は、やっぱり俺達で人間の世界に出向くしかねぇな」
「それって、白森を出るって事?」
「ま、そうなるな」
「簡単に言ってくれるわね……」
「嫌なら来なくていいぜ。臆病者じゃ護衛にならねぇからな」
「行くわよ!」
ザナはしまった、と口に手を当てたがもう遅い。売り言葉に買い言葉で、まんまとギィの口車に乗る形になった。
「あたし、白森から出たこと生まれてから一度も無いんだけど」
「俺もねぇよ。ま、俺達が平地に出てもいきなり死んだりしないだろ」
「本当に行き当たりばったりね……何もないことを祈っとくわ」
「おう、期待しないで祈っとけ」
……という会話をしながらも、ギィ率いるエルフ隊は、大きな問題も無く、白き森の中を進んでいった。彼らからすればもう何度も通ったルートだし、ザナの索敵能力も相まって、彼らは二日ほどで道程の七割ほどを進むことに成功した。このまま順調に行けば、明日にでも白森を抜けることが出来るだろう。
「少し休憩するか」
予定より順調に進んでいたギィ達は、まだ日は高いが、早めの休息を取ることにした。丁度、この付近には小さな泉が湧いており、彼らはいつもそこで小休止をするのだ。
「よいしょっ、と」
スキンクの背からひらりとザナが飛び降り、セレネを抱きかかえて地面に下ろす。スキンクは意外と乗り心地がよく、セレネは背中に感じるザナの柔らかい肉体も相まって、もう少し乗っていたかったのだが、休憩となれば仕方がない。
「じゃ、あたし達は野営の準備をするから、セレネ様は少し待ってて。あんまり遠くに行っちゃ駄目よ」
「うん」
ザナがそう言ったのを合図に、ギィを含めたエルフ達は、スキンクに詰んでいたテントを張り始めた。セレネが手伝おうとしても出来る事などたかが知れているし、エルフ達もセレネに作業をさせることなど、恐れ多くて出来ない。
最初はエルフ達の作業を頬杖をついて眺めていたが、いい加減、暇を持て余したセレネは、こっそりとエルフ達から離れ、茂みの中へと分け入った。
『姫、あまりエルフ達から離れては危険ですぞ?』
「種、さがす」
『種、でございますか?』
バトラーの問いに、セレネはたどたどしく説明した。最近はすっかりやっていなかったが、セレネはアークイラにいた頃、訳の分からない植物を栽培する事に勤しんでいた。せっかく白森という珍しい場所に来ているのだから、魔法のドングリでも落ちていないかと思いついたのだ。
白森は人間が殆ど入れない領域。貴重な植物の種がごろごろあるに違いない。今のうちにかき集めておいて、エルフの里に戻ったら栽培して遊ぼう。そう考えていた。
『確かに、彼らには世話になりっぱなしでしたからな。薬や食料となる素材を集め、少しでも恩返しを、というわけでございますな』
「だいたいあってる」
『畏まりました。では、このバトラーもお手伝いいたしましょう。何かありましたら、先日ギィ殿から頂いた笛をお吹きください。私の聴覚なら、多少離れていても聞き取れますのでな』
「ありがと」
受けた恩は少しでも返したい。セレネの健気な心に胸を打たれたバトラーは、早速何か役立ちそうな種や植物を探すため駆け出していった。セレネを一人で放置するのは危険だが、すぐ近くにはエルフたちもいるし、自分が駆けつけられる距離であれば問題はないだろう。バトラーはそう判断した。
無論、セレネに恩返しなどという殊勝な心構えはなく、単に自分の趣味だったのだが、とにかく暇だったのだ。セレネは地面の白い落ち葉をなげやりに蹴っ飛ばしながら、エルフ達の領土をせっせと荒らし、資源を漁り出す。
「はー、帰りたくない」
落ち葉を蹴り蹴り、セレネは一人愚痴を零す。アルエは勿論だが、マリーやアイビスは居るものの、あの王子の元へ戻るのは嫌でたまらない。もしヘリファルテに帰ったら、なるべく早く赤竜に会う努力をしよう。
赤竜とて一度くらい、セレネが無事人間の元に帰れたか様子を見にくるだろう。その時になんとかして竜をそそのかし、ヘリファルテ大学を襲撃する。そしてアルエと共にもう一度、人間の手の届かぬ聖域――エルフの楽園へと舞い戻るのだ。
「がんばろう」
セレネは気合を入れなおし、小さく拳を握る。ヘリファルテに帰るといってもほんの僅かな時間だけだ。そう、ポジティブシンキングが大事だ。「数日後にまたあの王子に会わなくてはならない」ではなく「王子に会うまであと数日間はある」と考えよう。
「……セレネ!?」
「えっ?」
不意に後ろから声を掛けられたセレネは振り返り、そのまま気絶しそうになった。何故なら、セレネの目の前に、件の王子が立っていたからだ。普段の彼では身に着けない厚手の旅人用の服に身を包み、大分薄汚れていたが、彫刻のような整った甘いマスクは間違いなくミラノその人だ。
「よかった、まぼろしか……」
「喋った……! セレネ! 幻ではなく、お前は本当にセレネなのだな!」
いかん、王子のことが嫌いすぎて幻覚まで見だしたか、とセレネは首を振ったが、無情にも目の前のミラノは消えず、むしろ喋り出したことにより、否が応にもこれが現実であることを突きつけられた。
ミラノも、セレネを求めるあまり幻覚を見たのかと思っていたようだが、セレネとは逆に、歓喜に打ち震えていた。今目の前に居るのは、間違いなく本物のセレネなのだと。
そう言えば、初めてセレネを見つけたときもそうだった。幻想的な景色に溶け込むような純白の少女を見たとき、ミラノは自分が夢を見ていると思ったものだ。
「王子ナンデ!?」
安堵の表情を浮かべるミラノとは対象的に、セレネは完全に気が動転し、声まで裏返って叫んでいた。一体何故こいつがここにいるんだ。おかしいだろ。影も形も無いのに唐突に現れるとかお前は忍者か。何だこれは、一体どうすればいいのだ。
「驚くのも無理はない。僕がこの場にいるのは不思議だろう」
金魚のように口をぱくぱくさせるセレネを宥めるように、ミラノは笑みを浮かべて優しく囁いた。そして、ここに至るまでの道のりを、ゆっくりと語り始めた。
普通の森を抜けることすら難しいのに、真っ白な森は余計に感覚を狂わせ、予想より遥かに苦戦したこと。凶暴な獣などに出くわす事は無かったが、いかにも強そうな白く巨大なトカゲの群れに出くわし、肝を冷やしたこと。
「この近くに泉を見つけてな。今日はこの場で休憩をしようという事になった。それで、薪になりそうな物を探しにきたのだが……ああ、まさかお前がいるとは……」
ミラノがセレネに触れようと手を伸ばした次の瞬間、茂みから何かが投擲された。ミラノの顔を的確に狙ったそれを、ミラノは間一髪、首を捻って回避した。頬を少し掠ったようで、うっすらと血が流れた。対象を外した投擲物は、そのまま真っ直ぐに白い樹木へと突き刺さる。
「くっ!? 何だこれは!? 何かの枝か!?」
ミラノが後ろを振り向くと、エルフの青年――族長ギィが立っていた。見た目こそ小柄であるが、このエルフがかなりの使い手であることを、ミラノは一瞬で見抜いた。
「君は、エルフ族か?」
「そいつに近づくんじゃねぇ! 薄汚いボッケンシャーめ」
ミラノの問いを無視し、ギィは猿のように身軽に跳躍し、手近な樹木の上に飛び乗った。そこを足場に、一足飛びでミラノの頭上を悠々と飛び越えると、セレネとミラノの間に割って入るように、神木を構え、立ちはだかった。