第34話:新しい風
ギィはセレネとザナを近くの切り株に座らせると、実に楽しそうに神木の講義を始めた。
「神木は俺達にとって、最も貴重な素材の一つなんだぜ」
ギィは真っ白な木の棒――神木をまるで刀のように一振りした。それに呼応するように、木の枝が青い光に包まれ、残光が軌跡を作る。
「どうだ? すげぇだろ!」
「なにが?」
セレネの回答にギィは腰砕けになった。これが大剣だったりしたらもう少し見た目のインパクトがあったのだが、セレネからしてみれば、巨大な光る棒切れを振り回しているようにしか見えないのだから仕方ない。
「そ、そうだよな。お前人間だしな……よし! じゃあ、こいつがどれくらいすげぇか見せてやるよ」
ギィは気を取り直し、手近に生えていた木の前に立った。他の巨木に比べれば細い部類に入るが、それでも大人が一抱えするくらいの太さはあった。
「行くぜっ!」
ギィの呼びかけに応じるように、神木の枝がより強い輝きを放つ。青白い光が枝を包み込むように纏わり付き、輝く剣の形に変形する。
「びーむさーべる!?」
「何だそりゃ? ま、見てな」
ギィは鼻歌まじりに、光の刃を持った神木をバトンのように一回転させ、それから両手で握りなおす。
「うおおおおおっ!!」
裂帛の気合を篭め、ギィが横薙ぎに神木を振り抜く。次の瞬間、先ほどの太い幹がすっぱりと切り裂かれた。木はめりめりと悲鳴を上げ、大きな音を立てながら倒れた。
「ま、こんなもんか」
『おお、これは凄い!』
「すげー!」
セレネは思わず拍手をしていた。バトラーも神木の威力に驚嘆する。いかな豪腕を持とうと、こんな木を一撃で切り倒すなど、誰もが出来る業ではない。
「にんげんわざ、ちがう!」
「いや、そりゃ俺はエルフだし……」
人間業ではないと言いたかったのだろうが、ギィはそもそも人間ではないので、その賛辞はいかがな物だろうか。とはいえ、一応褒められていることは伝わったようで、ギィは歯をむき出しに笑った。
「それ棒、剣、ちがう、なんで、切れた?」
「馬鹿だな、俺達にとって神木は剣だぞ」
「馬鹿はあんたよ。それじゃ説明になってないでしょ」
セレネの隣に腰掛けていたザナが、呆れたように呟いた。
「セレネ様、馬鹿な族長の補足をするわ。白森の木々はみんな魔力を持ってるけど、その中でも特に強く、永い時間を掛けて育った木からだけ取れる枝、それが神木よ」
「はぁ」
ザナの気を利かせた解説にも、セレネは特に関心を持たなかった。別にエルフが棒を使おうが剣を使おうが、セレネには全く関係ない。
「神木はそれ自体が強力な魔力を内包しているから、持ち主が魔力の操作を出来れば強力な武器になるの。さっきギィがやったみたいにね」
「ま、俺は細かい制御は苦手なんだけどな。そういうのはザナのほうが得意だろ」
「まぁね」
ザナは得意げに胸を張る。単純な魔力の保持量と戦闘センスに関してギィは天才といっていい逸材だったが、細かい魔力の制御はザナのほうに分があった。
『それで合点が行きましたぞ。私を拘束したあの珍妙な矢、あれは魔力で硬化させた植物の蔦を放ったのですな』
バトラーは己の身で体験したあの瞬間を思い出す。あれは多分、木の矢ではなく、先ほどの神木とやらの蔓だろう。矢として射るときには魔力で硬化させ、遠隔で魔力を解除することで、ただの蔦に戻る、そして再び硬化させたのだろう。
「人間は確か鉄の剣を使うんだよな。あんなもの俺達には必要ねぇ。俺にはこいつがあるからな」
そう言い終わると、ギィは手にした神木の魔力を解除する。蒼き燐光は消え、再びただの白い木の枝に戻った。ギィ曰く、この状態でも並の鉄より強度はあるらしい。
『なるほど。これでエルフ達の生活の疑問点がようやく解消されましたぞ』
「どゆこと?」
『彼らの集落を見回りましたが、使われている物は殆どが木製でした。耐水、耐火性に優れる強靭な木材が使えるのであれば、鉄器を使う必要も無いのでしょう』
「そう」
新たな知識を得たことに、バトラーは知的な満足感を得ていたが、セレネはバトラーの解説を適当に流した。セレネは肉体的な快楽を求めることが中心で、知的好奇心を満たすことにあまり興味が無いのだ。そんなことより、今はギィと親睦を深め、自分の未来を造る事の方が大事だ。
「しんぼく、欲しい」
「あん? お前も神木が欲しいのか?」
そんなことより親睦深めようぜ、そう言ったつもりだったのだが、ギィもザナもそうは取らなかった。
「うーん……でもなぁ、人間程度の魔力で神木を持ったって、多分使いこなせねぇぞ」
「ちょっとくらいいいじゃない。お守りくらいにはなるわよ」
「仕方ねぇな、ちょっとだけだぞ」
そう言ってギィは懐から何かを取り出し、セレネに手渡した。それは、セレネの小さな手から少しはみ出す程度の、小柄な純白の縦笛だった。
「俺が使ってる合図用の笛だ。こいつは予備があるし、神木から作られてる代物だ。お前にやるよ」
「あ、ども」
ギィが差し出した神木の笛を、セレネは受け取った。タダで貰えるものはとりあえず貰っておくのがセレネの流儀だった。
「せっかくだし少し試してみたらどうかしら? セレネにも魔力があるんだから、もしかしたら使えるかもしれないわよ?」
「うぃっす」
セレネは白い縦笛を握り、精神を集中する。
「ラーメン、ソーメン、コペンハーゲン……」
最近はもうすっかり止めていたが、セレネは以前唱えていた独自のインチキ詠唱を開始する。
様々な出来事があったせいで、セレネの少ない脳細胞の片隅に追いやられていたが、魔法のある世界に生まれてきたのだから、魔法的なことをしたいという希望があったことを、セレネは今更思い出した。
いくら精神を集中しても魔力が使えないので半ば諦めていたのだが、今はエルフの神木とやらを手にしている。もしかしたら、今ならギィのように、自分もかっこいい魔法の刃が放てるかもしれない。
「でない……」
だが現実は非情だった。セレネが手にした神木の笛はうんともすんとも言わず、ただの白い笛として存在しているだけだ。
「まあ仕方ないわね。エルフと人間じゃ魔力の保持量が違うから……」
「ウ、ウオオーッ!」
ザナの忠告を遮り、セレネは激怒した。この笛野郎、人に期待を持たせておいて突き落とすような真似しやがって。縦笛相手に激昂したセレネは、必死になって白い笛をしごく。
『姫、何もそんなにムキにならずとも……』
「ううううっ!」
興奮しているセレネに対しやんわりと忠告するも、セレネはひたすらに神木の笛を握っていた。棒なんだから、必死にしごいたら何か出るんじゃないか、そんな馬鹿な考えにセレネは脳内を全て支配されていた。
「でたぁ!」
全身全霊を注いだ結果、遂にセレネは魔力の放出に成功した! 縦笛の先端部分から、まるでロウソクの火のような、蒼い刃がちょっぴり出た。
「……しょっぱい」
何か、しょぼい。セレネは率直な感想を述べた。ギィが一メートルはある棒を発光させ、大木を一撃で真っ二つにした魔力の刃とはえらい差だった。これではビームサーベルではなく、ビームペーパーナイフだ。
「ま、まあ、その、なんだ……得手不得手ってモンがあるからな」
「そ、そうよ。それに神木はそれ自体に邪悪な魔力を払う力があるわ。だから、無理に武器にしなくてもいいと思うわよ」
『姫は武器などという野蛮な物を持つ必要はありませぬぞ。このバトラーが姫の懐刀として常におりますのでな』
「うぅ……」
半泣きになったセレネを慰めるように皆が言葉を紡いだが、セレネにはその優しさが辛かった。
「うわぁん! ギィのバカ! しね!」
セレネは泣きながらその場を走り去って行った。別にギィのせいでは無いのだが、完全な八つ当たりと嫉妬のセリフを吐き捨てながら。
「あ、待ってセレネ様! ギィ! あんたが得意げに木なんか切り倒すから!」
「はぁ!? お前がセレネに神木をやれって言ったんだろうが!」
ギィとザナはお互いに責任の擦り付け合いを始め、その騒ぎを聞きつけた他のエルフ達が集まり、辺りは人だかりとなった。そうした混沌とした状況の中、結局、肝心の親睦を深めることに関しては言及できず、この場はお開きとなった。
その数時間後、頭を冷やしたセレネは罵声を吐いた事をギィに詫び、長い時間を掛け、何とか「エルフと親睦を深めたい」と伝える事に成功した。ギィとザナはお互い顔を見合わせ、何やらひそひそ言い合っていたが「考えておく」とだけ返された。
神木の笛はそのまま記念品として貰っておいてよいとの事だが、是非また来てくださいという返答を貰えなかったのがセレネは不満だった。そうして思い悩んだ結果、セレネは脳内で今後の計画を立てた。その内容は以下の通りだ。
①とりあえずヘリファルテに戻り、なんとかして赤竜を呼ぶ
②次に、自分自身がアルエに指示し、竜に攫われたフリをして二人でエルフの集落に運んでもらう。赤竜に説明する理由はなんとかしてひねり出す。
③その後、なんとかしてエルフの集落に居座る。
以上である。肝心要の「なんとかして」の部分はまるで考えていなかった。セレネが事前に思いつく計画はいつもこの「なんとかして」が大部分を占めているのだが、幸運にも今まで何とかそれで生きてこれたので、本人はあまり気にしていなかった。
ちなみにこういった思考を、世間一般では「運まかせ」とか「行き当たりばったり」などと表現するのだが、セレネとしては計画のつもりであった。
『エルフ達と人間の関係を考えると、向こうの返答も仕方なしという所ですな。物事がとんとん拍子に進むことは少ないものです』
エルフから曖昧な返事を貰ったことに不服だったセレネに対し、バトラーはそう言って宥めたが、セレネは一刻も早くエルフの集落に戻りたかったので、とにかく既成事実を作ってごり押し作戦を強行するつもりだった。
それから数日は特筆すべきことも無く、相変わらずセレネは贅沢の限りを尽くしていたが、ついにエルフの集落で過ごす最後の夜となってしまった。
エルフ達はセレネの帰還を祈り、盛大なパーティーを開いた。新鮮な果物を中心とした夕餉が用意され、大きな焚き火を中心に、エルフの少女たちが部族に伝わる伝統の舞を披露した。バトラーは滅多に見られない異文化の舞踊を興味深く観察していたが、セレネはエルフの娘の乳が揺れる部分しか見ていなかった。
食い入るようにエルフの少女達の舞を見るセレネの様子を窺い、ギィは胸を撫で下ろした。エルフ流の歓待が人間に受け入れられるか族長であるギィは不安で仕方が無かったが、この少女にそんな心配は杞憂であったらしい。
「セレネ、お前、本当にまたここへ来たいのか?」
「うん、ねえさまと」
「ふーん……」
無関心を装いつつ、ギィはあぐらをかいてエルフの少女の舞を見ていたが、彼の頭の中は隣に座る人間の少女で埋め尽くされていた。
「(こいつ、本気で俺達と交流を結ぶつもりか?)」
再び乳揺れダンスに夢中になったセレネの横顔を、ギィは詮索するような表情で見つめる。
「……竜は、それが目的でこいつをここに連れてきたのか?」
「えっ?」
「いや、なんでもねぇ」
エルフは竜を崇拝している。竜がどう思っているか分からないが、少なくともその事実は向こうも知っているだろう。勿論、エルフ側が勝手に竜を神の代理と崇めているだけで、竜がそれに対してエルフに何かしてくれるわけではないし、エルフもそれに見返りを求めてなどいない。
「(だが、もし竜が俺達に利益をもたらそうと考えていたら?)」
ギィは口元に手を当てながら思考を巡らせる。もしも自分達の祈りに対し情が移り、竜が何かしてやろうと考え付いた、そう考えるのはどうだろう。
エルフの族長のギィが望む物、それは「新しい風」だ。エルフの社会は実力社会。それ故に強大な力を持つギィが若くして族長に就いたのだが、それまでの保守的な族長と違い、若きエルフのギィは、白森の外の世界に興味があった。
白森は勿論広大ではあるが、その外にはエルフの見た事のない、素晴らしい世界が広がっているのではないか、彼は常にそう考えていた。例えば――人間の世界だ。
ギィは頭に被っていたぼこぼこの鉄の鍋――王冠を取り外し、しげしげと眺める。以前撃退した人間の冒険者が落としていったこの物体を見たとき、ギィはとても驚いた。
人間達にとっては、使い古したおんぼろの鉄鍋に過ぎないが、殆どを木材に頼っているエルフ達にとって、製鉄技術は必要が無いため発展せず、殆ど目にしたことがなかったからだ。
「人間、か……」
ギィはセレネに気付かれぬよう、ぽつりと呟いた。もしかして、あの赤竜は自分の望みを叶えようと、セレネをエルフの元へ遣わしたのではないだろうか。
自分達に極めて近い容姿、白森に耐えられる魔力を持ち、何より、自分達と交流を望むという条件を満たした稀有な人間――それがこの少女ではないのか。
「ま、悪くないかもな」
人間は領土を侵す外敵であり、排除する物。冒険者達を相手取ってきたエルフ達には、人間はそういう野蛮な物という固定観念があった。だが、自分達の集落でエルフ相手に悠然と振舞う少女を見ていると、そんな人間ばかりではないと気付かされた。
セレネを橋渡し役として徐々に人間達と交流をする。それは恐ろしくもあるが、非常に魅力的でもある。新しい世界に踏み出すときは、いつだって恐怖と希望が同居しているのだから。
いずれにせよ、一度この少女を人間達の元へ返さねばならない。そこから先は、きっとこの少女が自分達の事を報告するだろう。セレネに任せておけば大丈夫。ギィにはそんな確信があった。きらきらと目を輝かせながら、自分達の種族が踊るダンスに夢中になっている少女を、ギィは目を細めて見つめる。
竜との約束だけではなく、自分達に新しい世界を見せてくれる小さな可能性――それを何としても守らねば、ギィはそう決意した。
◆◇◆◇◆
「白森に突入する前に、僕から皆に伝えておきたい事がある」
白き森の入り口の前、ミラノはセレネ捜索隊の面々に向かい合った。ミラノを含めて十人にも満たないが、誰もがみな精鋭である。本当はこの五倍は志願者が居たのだが、妻子や家族を持つ者は極力抜いた。
それに、あまり大人数で動くと統制が取れなくなるし、最悪の場合、エルフ達から侵略行為と見なされる危険性がある。そうした諸々の事情を加味し、最小限の人数で白森突入を敢行することになった。
ミラノは、彼のわがままに付き合ってくれた勇士たちに向き直る。セレネ捜索隊の応募は、あくまで城内だけでひっそりと行われた。王の許しを得たとはいえ、あくまでミラノの独断であり、極端な話、セレネを見捨てた方が遥かにメリットが大きい話なのだ。
にもかかわらず、数十名を超える志願者が出たのだから驚きである。セレネは城外では殆ど存在を知られていないが、城内では知らぬものはいない程に有名になっていた。
ほぼ毎日王子に昼食を提供し、まるで恋人のように寄り添っているのだから無理もない。セレネ本人は全く意識していないが、周りからはそうとしか見えていなかった。
「皆も知ってのとおり、ここから先は、我々人間にとって未知の領域だ。ヴァルベールの冒険者たちは積極的に乗り込んでいるようだが、結果は芳しくない」
ミラノは重々しく口を開く。ここから先は完全に人外魔境。どんな生物が棲んでいるのかも、エルフに対しての情報も殆ど無い。
「僕の無謀な計画に付き合ってくれた皆に、心から感謝をしたい。この中には、愛する家族を持ちながら、それでも僕に忠誠を尽くそうとしてくれている者もいる。だが、僕も含めて生きて帰れるという保証は無い」
脅しや恫喝ではなく、ミラノは淡々と事実を伝えていくが、捜索隊の面々の表情は変わらない。
「僕達は冒険者ではない。目的はあくまでセレネの捜索だ。セレネがいる可能性として、最も高いのはエルフの集落だが、我々は恐らく歓迎されないだろう。なるべく戦闘は避けるつもりだが、そういった事もありえることを覚悟しておいてほしい」
ヴァルベールの冒険者達がエルフ達から受けた仕打ちと、エルフ達に対するヴァルベールの冒険者の振る舞いはミラノ達全員が知っていた。彼らが人間全体を敵視している可能性は高い。
「危険な旅となるだろう。身に危険を感じた場合、僕を見捨てても構わない。それだけの事を僕は君たちに強いてしまっている。引き返すなら今のうちだ」
これはミラノにとって最後の意志確認であり、最終通告であった。極論、ミラノは一人ででも白森に突入する気であったが、ここまで付いてきた勇士たちに引き下がる気は毛頭無い。
それを確認し、ミラノは申し訳無さと同時に、頼もしさを感じていた。自分の行く先にセレネがいる可能性は極めて低いが、選りすぐりの精鋭たちとならこの難局も乗り越えられる。今はそう信じよう。
「突入!」
ミラノはともすれば湧きあがる不安を振り払うように、大きな声で号令を掛け、白森へと突入した。