第31話:竜の巫女
「うわ、マジで居やがった……こんな近くで見たのは俺も初めてだ」
白い茂みに溶け込むような白装束に扮したギィが、声を殺してそう呟く。ギィの後ろにはザナ、そのさらに後ろには、数名のエルフの戦士に囲まれたセレネが居た。セレネは拘束されたままのバトラーと共に、真っ白い布で顔以外をすっぽりと覆われ、てるてる坊主のようになっていた。どうやら、この布には人間の気配を消す効果があるらしい。
報告通り、セレネを捕獲した場所に居た竜は、森の中でも木々が少ない、白い下草の生えた場所を歩き回っていたり、腹ばいに寝そべったり、どうやら暇を持て余しているようだった。
「よし、手筈どおりチビを差し出して反応を見るとするか」
「ちょっと待って! あんた、本当にこんな小さな子を犠牲にするの?」
ギィの指示に対し、ザナが食って掛かる。
「今更何言ってんだ。人間のチビがどうなろうが、俺達には関係ねぇだろ」
「嘘。あんた嘘吐くとすぐ顔に出るから分かるのよ」
「……うっせーな」
悪態をつきながら、ギィはばつが悪そうに答えた。人間が自分達の領域に許可無く入ってくることは気に入らないが、女子供を危険に晒すのはやはり抵抗がある。セレネは中身がおっさんなので微妙なラインだが、幸か不幸かギィ達には、セレネはいたいけな少女にしか見えない。
「何にせよ、このチビと竜が関係してるのは間違いねぇんだ。俺達がのこのこ出て行くのは危険すぎる。何も無ければそれでよし、死んじまったらそれまで、そうだろ?」
「うん」
ギィの乱暴な理屈に相槌を打ったのは、ザナではなく後ろにいたセレネ本人だった。セレネからすれば、約束どおり竜が迎えに来ただけなのだから恐れることはないのだが、ギィは、外見からは想像もつかないセレネの落ち着き払った態度に驚いた。竜を前にしては、熟練のエルフの戦士ですら震え上がる。
「布、はずして」
「なあ、本当に行くのか? 俺が行けって言っといてあれなんだが、相手は超ヤバい奴だぞ?」
「へいき」
「……分かったよ」
そうしてギィは、ザナに命じてセレネを包んでいた布をはがす。魔力の扱いに長けたエルフ達は、白森に紛れて気配を殺すことが出来るが、人間の少女ではそうはいかない。もう逃げ隠れは出来ないのだ。だが、自分を守る最後の道具を取られたというのに、セレネはにこやかに笑っていた。
「ばいばーい」
困惑するギィとザナに対し、セレネは元気に手を振って茂みの外へ出て行った。その様子に怯えも恐れも一切見えない。まるで自分の迎えが来たような振る舞いだ。
セレネが茂みの奥から姿を現すと、竜は巨体を揺らしながらセレネの元へと駆け寄ってくる。
「遅い! 貴様ら、この我を待たせるとは何事だ! 一体どこに行っていた!」
赤竜が火を吹きそうな勢いで怒鳴ったので、慌ててバトラーが目の前に飛び出す。
『お待ち下され赤竜様! これには深い事情がありまして』
『む? 鼠……確かバトラーとか言ったな。事情とは何だ?』
『実は、これこれこういうことが起こりまして……』
『なるほど、それそれそういうことが起こったのか』
バトラーは、先日エルフに捕まってから今に至る経緯をかいつまんで話した。その様子を、茂みに隠れたままのエルフたちが、信じられない物を見るように凝視していた。
「あんな飼い犬みたいに大人しい竜なんて見たことねぇ……」
「嘘……? あの子、竜を従えてる!?」
ギィとザナは狐につままれたような表情で、目の前の光景に、ただただ驚嘆するばかりだった。あの偉大なる生物――絶対強者である竜が、ほんの小さな女の子の前で鎮座し、頷くような素振りを見せているのだ。それは、彼らの常識ではありえないことだった。
セレネではなくバトラーが喋っているのだが、バトラーの声が聞こえず、後ろから見ているギィたちからしてみれば、セレネが竜を従えてるようにしか見えない。
『つまり、お前達はエルフに襲われ連れ去られた。そう言いたいのだな?』
『その通りでございます』
バトラーが何度か説明して、ようやく赤竜は状況を飲みこめたようだ。セレネも大概だが、赤竜はセレネ以上に頭が悪いのだ。情報を整理した竜は目を閉じ、深呼吸をする。
「グオオオオオオオオオオオオオーーーッ!!!」
竜は天を仰ぎ、凄まじい咆哮を放つ。びりびりと空気が振動し、それと同時に赤竜は巨大な尾を樹木に叩きつけた。樹齢数百年は過ぎているであろう巨木が、まるでマッチ棒のようにへし折れる。
「白き森のエルフ共! 近くに居るのは分かっているぞ! こそこそと隠れず出て来い! さもなくば、お前達の樹海を火の海へと変えてやるぞ!」
竜はエルフたちに分かるよう、セレネ達に対するのとは違う発声で叫ぶ。憤懣やるかたないようで、鼻からは火山の如く蒸気が噴出している。
「ね、ねぇ! なんかあの竜、めっちゃ怒ってんだけど!?」
「よく分かんねぇけど、どうやら俺達は竜の逆鱗に触れちまったみたいだな」
自分達が手を出した人間は、どうやら触れてはいけない存在だったらしい。ギィは舌打ちをしながら、どうしたものかと考える。どうしたもこうしたも、竜に出てこいと言われた以上、出て行かないわけにもいかない。竜の言葉は、エルフたちにとって神託に近い物なのだから。
「俺が行く。ザナ、お前たちはここに居ろ。俺に何かあったら……その時はみんなを頼む」
「……え、で、でも!」
「頼んだぜ」
ザナが引き止める間も無く、ギィは茂みから飛び出した。圧倒的な力の差に威圧感を覚えつつも、表面上は族長らしく堂々と振舞い、セレネの横側、赤竜の前に片膝をつき、服従の姿勢を見せた。
「赤竜様、俺がこの周辺のエルフ族の長、ギィと申します。お呼びになられましたか?」
「貴様がエルフの長か、今代のエルフの長は随分と若く。そして、随分と愚かだ」
「若いというのおっしゃる通りですが、愚か、とはどういうことでしょう?」
「我の大事な供物を貴様らが殺そうとしたと聞いたのでな。愚か以外の何者でもないだろう」
「大事な供物……やはり、この人間の少女のことでしょうか?」
「そうだ。我はこの娘を100年の間、見守るつもりでいるのでな」
「ひゃ、100年!? それは本当なのですか!?」
「その通り。我の輝かしい未来のため、この娘を守護すると決めたのだ」
竜は仰々しくそう言って、セレネに顔を向ける。ギィは強張った表情で、確認するようにセレネに視線を向けると、セレネは肯定するように頷いた。
「(人間を100年って……一生庇護するって言ってるようなもんじゃねぇか!?)」
ギィは赤竜の前で顔を俯かせながら、背中に冷や汗が流れるのを感じていた。竜に生涯守られるなどということは、エルフたちにとってもありえない。いわんや人間をだ。
しかも、竜の未来のためにセレネが必要だと言う。一体この少女は何者なのだ。正体は分からないが、やはり自分達が手を出したこの少女は、途方も無い存在であることだけは間違いない。
セレネはただのセレネであり、どこにでもいる美幼女の皮を被った中年男性なのだが。そのことに突っ込みを入れられる存在は誰一人居なかった。
「さて、我のためにも、セレネに危害を加えたエルフ達には仕置きをする必要があるな」
「赤竜様! 我らエルフ族は赤竜様を崇めています! その仕打ちはあまりにも……!」
「黙れ! 我の所有物を害そうとした罪、その身を以って償うがいい!」
ギィが慌てて顔を上げる。竜の力を少しでも振りかざされれば、エルフ一族に甚大な被害が出る。エルフにとって神罰の代行者とでもいうべき竜、そしてその竜が寵愛する、竜の巫女とでもいうべき少女に対し、知らないとはいえ不敬を働いてしまった。
だがギィとてエルフの長。みすみす滅びを受け入れるわけにはいかない。一体どうすればこの窮地を脱出できる。ギィは額を地面に擦りつけ、ひたすらに謝罪しようとするが、
「やめて」
唐突にそんな声が響く。それは、エルフたちに危害を加えられたセレネ本人の言葉であった。赤竜はセレネの考えが理解出来ず、怪訝そうに尋ねる。
「エルフ共はお前とバトラーを殺そうとしたのだぞ? それを許すというのか?」
「エルフ、わるくない、わるい人、他の人」
ここでセレネがいう『わるい人』とは、当然かの性王子ミラノである。そもそも、奴が百合の花園などという甘言で自分を誑かしたから、こんなややこしい状況になったのだ。諸悪の根源はあの王子だ。どうせなら奴を真っ先に始末して欲しい。エルフはむしろ被害者だ。
セレネの頭の程度ではそのくらいしか考えていない。しかし、セレネの発言はギィにとって、これ以上の助け舟となった。
「赤竜様、セレネ……様の言うとおり、俺達は意味なく彼女を傷つけようとしたわけではありません。ここ最近、人間たちが俺達の領域に侵入し、我々に必要な物資を掠め取っていくんです」
「ふむ、つまり、その『悪い人』とセレネを間違えたというわけか」
「もともと我々は、二週間後にはセレネ様を送り返すつもりでした。赤竜様の遣いと分かっていれば、暴力的な手段は選びませんでした。むしろ客人として招き入れたことでしょう」
ギィの答弁に対し、赤竜は少しの間黙っていたが、やがて重々しく口を開いた。
「そうか、ならばお前達エルフに命ずる。この娘を二週間後、確実に人間の里に送り返すがよい。それで今回の件は不問としよう」
「寛大なお言葉、ありがとうございます!」
ギィは、地面に顔をめり込ませる勢いで頭を下げた。
「話は済んだな。では、我はこれで去るとしよう。日課をこなさねばならんのでな」
「え、ちょ、あ……!」
セレネが「え、ちょっと待って! あんたが送り返してくれるんじゃ……」と言う間も無く、赤竜は翼をはためかせ、ゆっくりと巨体の高度を上げていく。
「我は忙しい。その娘を人間の元へ戻すまで、蚊の食い後一つ残らぬよう丁重に扱うのだぞ」
「はっ! 仰せの通りに!」
ギィは飛び去ろうとする赤竜に対し、跪いたままそう答えた。いつの間にかザナ達もギィの後ろに現れ、全員で赤竜と、その保護対象であるセレネに対し跪いていた。
赤竜からしてみれば、セレネをヘリファルテの王都まで送り届けると、普段のランニング――もといフライングコースから大分迂回することになってしまうので、どさくさに紛れて面倒を押し付けただけだったが、エルフ達は赤竜に名誉挽回のチャンスを与えられたと取ったらしい。
「いっちゃった……」
『行ってしまいましたな……』
そうして、次第に小さくなっていく赤竜を見送ったセレネとバトラーは、これまでの乱雑な扱いと真逆、精巧なガラス細工でも扱うように、再びエルフの集落へと連れ帰られたのだった。
◆◇◆◇◆
「わっはっは! わっはっは!」
そして三日後、セレネは素っ裸でふんぞり返っていた。エルフの集落に再び戻された『竜の巫女』であるセレネとバトラーは、最高級のもてなしを受ける事となった。衣食住は勿論のこと、身を清める禊と称し、集落に湧く天然温泉に頻繁に入っていた。
無論、セレネは猛烈な風呂好きという訳ではない。重要なのは副産物だ。禊に必要と称し、セレネが指名したエルフの美少女達が、セレネの身体のつま先からてっぺんに至るまで数人がかりで洗ってくれるのだ。たまにセレネも洗い返す。まさに桃源郷である。
世界よ、これが百合の花園だ。セレネの頭にそんなフレーズが浮かぶ。セレネは欲望に対しては果敢に挑戦していく、おっさんと乙女のハイブリッド融合モンスターなのだ。伝説のクリーチャーである。
「ごくらく、ごくらく」
精神的にも肉体的にもピカピカになったセレネは、今は一人で湯船に浸かり、手ぬぐいに空気を入れてクラゲを作ったりして遊んでいた。何かもう、このまま帰らなくていいんじゃないかなという気がしている。しかし、王都には囚われのアルエがいるのだ。いつまでもここで暮らすわけにはいかない。
だが、たった二週間でこの生活を終わらせるのは惜しすぎる。一体どうすれば、この酒池肉林のワンダーランドに永住する事ができるのだろう。
その時、セレネの脳裏に電流が走り、天才的な発想が浮かぶ。赤竜に頼み、アルエ姉様を連れてきてもらってはどうだろうか。アルエにも魔力があるから白森でも生活できるし、自分の血を分けた姉と告げれば、赤竜を説得できるのではないか。
「バトラー、たのもう」
セレネは湯船から出ると、髪を拭きながら邪悪な笑みを浮かべた。自分では上手く喋る自信がない。バトラーに赤竜との交渉を頼んでみよう。そして、この白き森で姉と祝言を挙げ、エルフの美少女たちを侍らせながら、この土地に理想郷を築くのだ。
以前、アルエは「私達は姉妹で、女の子同士では結婚は出来ない」と言っていた。しかし、ここはエルフの里であり、人間の倫理など知ったこっちゃない。
「っしゃあ!」
セレネは両手で頬を叩いて気合を入れなおす。今まで、どうやって王子を倒すかという事を考え、夜も眠れず、そのぶん昼寝をしながら頭を悩ませていたが、戦わずして勝利の道が開けてきた。
セレネはエルフたちが用意してくれた、ガウンのようなゆったりとした白い布を羽織り、色鮮やかな花をあしらった艶やかな玉座に座る。フルーツジュースの入ったコップを片手にくゆらせ、今後の輝かしい未来について思いを馳せていた。
さらば王子よ、お前はお前で勝手に幸せになるがいい。そんな強者の余裕を見せ付けるくらい、セレネは愉悦にぐずぐずに浸っていた。
――そうしてセレネがエルフの集落でやりたい放題をしている二日後、ミラノ達一行はヘリファルテへと帰国した。




