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夜伽の国の月光姫  作者: 青野海鳥
【第一部】夜伽の国の月光姫
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第27話:剣と盾

 セレネの前に舞い降りた赤竜は、近くで見ると本当に巨大だった。ゾウとは比べ物にならないほどの巨躯(きょく)は、真紅の盾のような光沢のある巨大な鱗でびっしりと覆われている。石柱のような太い四肢とコウモリのような皮膜の翼、太く長い尾、二本の黒い角からは、絶対的な強者の威厳が満ち溢れていた。


「ぬわーーーーーーーっ!」


 そして赤竜は、尻餅をついていたセレネを即座に掴んだ。小柄なセレネの身体は、竜の手という檻にすっぽりと囚われた。


狼藉者(ろうぜきもの)め! セレネ殿を離せっ!」


 セレネが捕まるや否や、クマハチは圧倒的な竜の威圧にも怯まず、鞘に刀を納め、凄まじい勢いで迎撃を試みる。彼の最も得意とするのは、居合いと呼ばれる抜刀術だ。その斬撃は強力無比。魔術で強化された鉄を切り裂くほどの威力を誇る。


『ふっ!』

「ぐわっ!?」


 しかし、その自慢の抜刀術が威力を発揮する事は無かった。竜に触れる直前、クマハチの身体は宙を舞い、後方へと吹き飛ばされた。クマハチは草むらを転がりつつ勢いを殺し、片膝をついて何とか立ち上がろうとする。


『頑丈だな。並の人間なら気絶しているはずだが』


 竜は意外といった感じで呟いた。竜のした事は至極単純、自分の持っている魔力をそのまま放出しただけだ。人間で言えば息を吹きかけた程度だが、元々が尋常ではない魔力の波動は、人間にとっては凄まじい衝撃波となる。


「クマハチ! 大丈夫か!」

「な、なんのこれしき! それよりセレネ殿が!」

「分かっている!」


 後方から駆けつけたミラノと従者たちがクマハチを助け起こそうとするが、彼は自力で立ち上がった。その間、他の従者達は、護身用の短剣、金槌、中にはフライパンなどを持ち、竜に立ち向かっていく。


「やめろ! 無茶をするな!」


 ミラノは部下達の無謀を止めようと叫ぶ。彼らは戦闘要員ではない、自衛が出来る程度の戦闘能力しか持っていないのだ。にもかかわらず、ミラノに対する忠誠心、そして、ミラノの寵愛するセレネを護るため、恐怖を押し殺し立ち向かう。


『邪魔だ』


 当然、そんな物が竜に通じるはずがない。竜が面倒くさそうに長い尾を振るうと、従者達はその一振りで全員打ち倒され、そのまま意識を失った。


「ひえぇー!」


 セレネはというと、竜の掌のなかで震えていた。故郷に帰りたいとは言ったが、さすがにこんな事態は想定外だ。


「くっ……! セレネ! 今助けてやるぞ!」


 ミラノは使命感で恐怖心をねじ伏せると、必死で思考を巡らせる。この圧倒的不利な状態で、どうすればセレネを救うことが出来る。従者はみな打ち倒され、今戦えるのは自分とクマハチだけだ。


「(僕の剣では奴に歯が立たない!)」


 ミラノは歯噛みする。敏捷性で非力をカバーする剣術を得意とする彼では、竜の頑強な鱗に傷一つ付けられないだろう。魔力による強化を試みても、身体のみで武器までは強化されない。自分の持つ細身の剣では折れてしまう。


 ならばクマハチの刀による居合いならどうだ。しかし、彼には魔力に対する抵抗力が無い。先ほども切りかかろうとしたとき、竜の波動で吹き飛ばされてしまった。いくら重い一撃を放てたとしても、当てられなければ意味がない。



 ――ならば、取るべき手段は一つしかない。



「クマハチ! 僕が盾になる! お前は剣になれ!」

「盾? 剣? ……承知したでござる!」


 クマハチが阿吽(あうん)の呼吸でミラノの意図を理解すると、ミラノは腰に下げていた愛用の細身の剣を抜き、真っ直ぐに竜に突撃する。


『またか。何度やっても無駄だ』


 竜は鼻から蒸気を噴出させた。どうやら竜のため息らしい。真正面から突っ込むだけ。しかも今度のは、先ほどの人間よりもずいぶん華奢に見える。


『ふっ!』


 竜は先ほど同様に、正面に向けて軽い魔力の波動を放つ。後は金髪の人間が吹き飛んで、さっきの人間と同じ結末――ではない!


「はあああああああっ!!」


 ミラノの全身が燐光を放つ。己の持つ魔力を解き放ち肉体を強化する。自らの身体に魔力を纏わせ、体当たりをするように自ら波動にぶつかっていく。体が軋みを上げるが、彼はひるまず、勢いのまま剣を振るう。ばきん、と硬質な音を立て剣がへし折れる。だが、彼の剣も無駄死にではない。魔力の波動を相殺し、真っ二つに切り裂いたのだ。


『何だと!?』


 竜は巨大な目を見開いて驚愕した。いくら手を抜いていたとはいえ、人間が自分の魔力に抵抗できるとは思っていなかった。だが、竜が本当に驚くのはこれからだ。


「キエエエエエエエエエッッ!!」


 突如、ミラノの後方から怪鳥の雄叫びのような奇声が上がる。クマハチだ! ミラノの陰に隠れるように追走していた彼は、魔力の波動が無くなり、がら空きとなった竜のふところに疾風の如く飛び込んだ。完全に意表を突かれた竜は、クマハチの動きについてこれない。


「覚悟ぉっ!」


 クマハチの渾身の抜刀術――アークイラの魔力の封印を切り裂き、鉄をも切り裂く強烈な一撃が竜を捉えた。狙いはただ一点、セレネを掴んでいる右前足の指。そこを切れば、囚われの姫を救出することが出来る――はずだった。


『ぐっ!? 馬鹿なっ!』

「馬鹿なっ!?」


 竜とクマハチ、お互いが同時に喫驚(きっきょう)する。竜は己の鱗がわずかに削られた事を、そしてクマハチは、自慢の愛刀による全身全霊の一撃で、竜の鱗をわずかにしか削れなかった事を。


『面倒だな。お遊びはこのくらいにしておこう』


 体力を使い果たしたクマハチは隙だらけだったが、竜は反撃を試みなかった。ミラノやクマハチからすれば命がけの特攻だが、竜からしてみれば、ほんの戯れに過ぎない。


 アリを観察して遊んでいたら、その中の二匹に噛まれた。その程度の感覚である。あまりムキになるのも馬鹿馬鹿しいと思い、竜は大地を蹴り、空高く舞い上がった。


「セレネーーーーーーッ!!」


 ミラノは叫ぶ。しかし、セレネがその声に応える前に、竜は一気に高度を上げ、人間では辿り着けない高みへと昇っていった。そして、下界の人間達に見せ付けるように、その場でゆるりと旋回すると、悠々と空の彼方、北の方角へ飛び去っていった。方角からすると、白森のほうを目指しているのだろう。


「王子! 早く追いかけねば!」


 汗を拭う余裕もなく、息を切らしたクマハチがミラノに駆け寄る。ミラノが辺りを窺うと、先ほど竜の尾で払われた者たちも、痛む部分を押さえながらも立ち上がった。幸い重傷者はいないようだ。今から馬で追いかければ、ゆっくりと飛んでいる竜に追走できる可能性はゼロではない。


「くっ……!」


 ミラノの脳裏に二つの考えが去来(きょらい)する。


 本能が叫ぶ。行け。今ここで追いかけねば、セレネを完全に失ってしまうぞ。

 理性が叫ぶ。やめろ。今ここで無理に突撃すれば、全員無駄死にしてしまうぞ。


 ――ミラノは後者を選択した。


「…………一度、ヘリファルテに引き上げる」

「しかし王子! 今追いかけねば、竜を完全に見失ってしまうでござる!」

「分かっている! だが、お前も含め、私以外は魔力を持たぬ者ばかりだ。そのまま白森に入ることはできない。部下達に死ねと言うようなものだ」

「ぐ……し、しかし、王子はそれでよいのでござるか?」

「黙れっ!」


 ミラノは血が出るほどに唇をかみ締め、クマハチの意見をねじ伏せた。魔力はそれを持つ人間には恩恵を与えるが、持たぬものには毒となる。魔力で充満した白森に突入することは、硫酸の海に裸で飛び込めと言うことに等しい。


 それに、今回はあくまで観光目的でここまで来たため、戦闘の準備は殆どしていない。自分は王子として、民の事を第一に考えねばならない。ミラノはそう判断を下した。


「セレネ、無事でいてくれ……」


 何か言いたげなクマハチを見ず、ミラノは部下たちに帰還命令を出した。セレネの無事を願うミラノの声は、まるで祈るような口調だった。



  ◆◇◆◇◆



「こ、こえー……」


 セレネは巨大な竜の掌に収まりながら、全身を震わせていた。

 落ちたら間違いなくあの世行きの高度を、巨大なトカゲに掴まれながら飛んでいるのだ。怖くないわけがない。その震えを自分に対する恐怖と思ったのか、竜は穏やかな口調で話しかける。


『そう怯えるな。お前を取って食おうという訳ではない。故郷に送り返してやる。それだけだ』

「ど、どうも……」


 セレネはひきつりながらも何とか愛想笑いをした。ゲームでなら大型の竜が出てきたら「ヒャッハー! 大物だぁー!」といった感じで喜々として襲い掛かるのだが、現実で恐竜のような化け物に掴まれていては生きた心地がしない。


 狩ろうなんていってすみませんでした。セレネは反省した。ものすごく反省した。しかし、反省したところで現実は変わらないのだった。


『姫! ご無事ですか!?』

「バトラー、きてたの!?」


 セレネは信頼できる執事の存在を確認し、安堵のあまり大声を出していた。バトラーは竜の表皮を器用に伝い、駆け下りてきた。


『申し訳ありません。私の力では、どうすることも出来ませんでした』


 ごつい指の隙間から小さな身体を潜り込ませ、セレネの肩の所に飛び乗ると、バトラーは悔しそうにうなだれた。竜相手に戦っていたのはミラノとクマハチだけではない、セレネの忠臣であるバトラーも参戦していたのだ。


 ミラノ達が戦っている間、バトラーは背後から回りこみ、竜の背に飛び乗り必死に牙を立てていたが、いくら彼が魔獣とはいえ、竜と鼠では力比べにすらならない。


『何だ、その鼠は? お前が飼っているのか? 喋れるとは驚きだな』


 風を切って飛んでいた竜がセレネの叫びでバトラーに気がつくと、珍しい物をみたように囁いた。竜は今、セレネの魔力に波長を合わせて会話しているので、彼女と同じ魔力を持つバトラーの声も拾えるのだ。


『偉大なる赤竜様。私はセレネ姫の側近、執事のバトラーでございます。以降お見知りおきを。こうして世界の支配者と直接会話させていただけるとは、光栄の極みでございます』


 竜に捕まってしまった以上、何とかして脱出の機会を窺うしかない。そう考えたバトラーは、竜の機嫌を損ねぬよう、恭しく竜に会釈した。ちっぽけな鼠の敬意がまんざらでもないのか、竜は巨大な口元をゆがめて笑う。


『我を褒め称えるとは、なかなか見所がある。しかし、お前は鼠ではないか。羊ではないだろう』

『くだらない冗談を失礼いたしました。場を和ませるのもしつ……下々の者の役割でございます』


 執事だよ、とあやうく訂正しかけたが、慌ててバトラーは口をつぐんだ。下手に機嫌を損ねて地面に叩きつけられでもしたらたまらない。


 それからしばらくの間、セレネもバトラーも竜の掌の中で身を縮こまらせていたが、竜は、北へ、北へと飛翔を続けていく。平地が少なくなり、眼下はどんどんと樹海が広がっていく。故郷に送り届けてくれるという話だったのに全く逆方向に進んでいることに、さすがのセレネも不安になり、思わず口を開いた。


「りゅう、ここ、違う」

『違う? ああ、お前の集落はもう少し先ということか。安心しろ、もうすぐ白森に到着する。そこからなら、お前にも土地勘はあるだろう』

「集落、しろもり?」

『ほら、見えてきたぞ』


 竜が巨大な頭をしゃくると、その方向に真っ白な大樹海が見えた。

 これまで見てきた大森林は普通の緑色だったが、それが徐々に白く染まり、まるで森全体に雪でも降ったように見えた。しかし、それが雪ではなく、木々そのものが真っ白に染まっているという事に、セレネもバトラーもすぐに気が付いた。


 以前、クマハチに白森という存在がある事は聞いていたが、まさか本当に「白い森」だとはセレネも考えていなかった。


『エルフの幼子よ。人間の大人たちに囲まれ、随分と恐ろしかっただろう。迷子になったところを攫われたのか?』

「へ……?」


 何をわけの分からないことを言ってんだコイツ。セレネはそう思い、目をぱちぱちと瞬かせたが、竜は構わず言葉を紡いでいく。


『本来なら、我はエルフや人間に手を出すことはないのだがな。お前が数日前、我に助けを求めていたのは気付いていた。そして今日、ちょうど白森の近くを通ったのでな、帰り道のついでだ。我のほんの気まぐれだ。感謝する必要はない』

「わたし、エルフ、ちがうよ?」

『何を言う。我がお前たちを知らぬとでも思うのか? その白き髪と肌、赤き瞳、エルフそのものではないか』

「ちがうってば」

『あ、あの赤竜様……大変恐縮ではありますが、セレネ姫の仰っている事は本当にございます』


 セレネとバトラーの異議申し立てにより、赤竜は空中で静止した。

 少しの沈黙の後、竜はセレネ達に問いかける。


『……本当なのか?』

「……うん」


 一人と二匹の間に、何とも言えない微妙な空気が流れていく。

 竜は、セレネを掴んでいた右前足を頭の前に持ってくると、セレネの頭より巨大な黒い瞳で、まじまじと覗き込む。


『んん……? んんん……?』


 竜は眉をひそめ、近眼の人が必死に物を見定めるように、セレネをためつすがめつ観察する。そして次の瞬間、目を大きく見開いた。


『あああっ! み、耳がないぞっ!?』


 竜は空中で身をのけぞらせ、信じられない物を見たように驚いた。

 竜の知っているエルフは、白い髪、白い肌、それと赤い瞳を持っている。だがその他に、長い耳を持っていたはずだ。しかし、目の前の娘にはそれがないのだ。


『き、貴様! 我を(たばか)ったな!』


 竜は、別に逆鱗に触れられた訳でもないのに、勝手に激昂した。

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