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夜伽の国の月光姫  作者: 青野海鳥
【第一部】夜伽の国の月光姫
24/109

第23話:狂想曲(後編)

「アークイラから到着したばかりで、お忙しいところ申し訳ない」

「いえ、お気になさらず。ミラノ王子に気を遣っていただけるなんて恐縮です」


 ヘリファルテ国立大学、広大な敷地と数多の優秀な頭脳を抱える大陸一の大学は、食堂、購買、図書館――その他ありとあらゆる施設が充実している。その気になれば、学生時代を学園の敷地内から一歩も出ずに生活していけるほどだ。


 その中に存在するカフェの一角で、ミラノとアルエは面会をしていた。緑の芝生の上に真っ白なベンチが設置された開放感溢れる憩いの場は、他の学生達も食事や休憩によく使う。


 本来なら一国の王子であるミラノがいるべき場所ではないのだが、ミラノがアルエの自室に出向いてしまうと、各国の貴族が集まるこの場では、お互いの関係を噂される危険性がある。そのため、あえて公共の場所で相談する事になった。セレネの存在を学生たちは知らないし、あくまで知人の好みを聞き出すだけという名目ならば問題ない。


「学長が言っていましたが、アルエ姫は編入テストで随分と優秀な成績を収めたそうですね。推薦した僕としても鼻が高いです」

「ミラノ王子には本当に感謝しております。強引な取引であるはずなのに、こんなに素晴らしい環境を与えていただけるなんて。だから、私も王子のお心遣いに答えなければと必死なだけです」


 アルエは少し照れながらそう答えたが、ミラノはアルエが己の能力を誇示せず、また、大国の王子相手だからと言って、必要以上にへりくだらない事に好感を持った。


「ミラノ様、今日はどういったご用件でございますか? 私に出来る事であれば、喜んで協力させていただきますが」


 アルエが促すと、ミラノは少し言葉に詰まった。その態度を見たアルエは少し表情を曇らせる。


「あの……もしかして、セレネが何か? 王子やヘリファルテにご迷惑をお掛けしているとか……」

「いえ! それは違います。セレネは迷惑を掛けるどころか、我が国に多大な貢献をしていると言ってよいでしょう。彼女が来てからというもの、兵士の士気も上がり、我々の結束はより深まっています。それに優秀なアルエ姫をこの国に迎え入れられた事も、非常に意義のある投資であると考えています」

「ミラノ王子に、そのようにお褒めいたけるとは光栄の極みです。アークイラを代表してお礼を申し上げます」


 アルエはぱっちりとした双眸(そうぼう)をさらに大きく開き驚いていたが、すぐに表情を緩めて笑顔でミラノに頭を下げた。ミラノはアルエの顔を上げさせると、少し気恥ずかしげに口を開く。


「今日ここに来させていただいたのは、個人的なことです」

「個人的、ですか?」

「実は、どうもセレネに嫌われてしまったようで……」

「ええっ!? どういうことですか!?」


 アルエは、彼女にしては珍しく大声を出し、座っていた椅子から立ち上がる。周りにいた学生達が視線を集中させたのを見て、アルエは頬を赤らめながら座りなおした。


「あの子ったら……ミラノ王子にこんなに良くしていただいてるのに、何が不満なのかしら」

「いえ、彼女に嫌われる原因を作ってしまったのは私です。先日、他国へ訪問したのですが……」


 そうしてミラノは、セレネがヘリファルテに迎え入れられ、今に至るまでの流れをかいつまんでアルエに話した。アルエはただ黙って話を聞いていたが、驚き半分呆れ半分といった表情であった。


「本当に、セレネは私を驚かせることばかりするのね。あの子、一度も料理なんかしたこと無いのに」

「あの子は言語は不自由ではありますが、知力は並の8歳児ではない、目を(みは)るものがあると妹の教育係も言っていました。これからが実に楽しみです」


 ミラノがさりげなく妹を褒めているのを聞き、アルエは顔をほころばせた。不遇な人生を歩んできた妹が、慣れない異国の地でたった一人頑張っていた事実に、自らも身が引き締まる思いになった。実際にはあんまり頑張っていないというか、間違った方向に頑張っていたのだが。


「私も、セレネに負けないようにしないとなりませんね。それはそうと、セレネの好きな物を知りたいとのことですが、あの子が大好きな物は……」


 そうしてアルエが囁いた言葉に、ミラノは食い入るように聞き入っていた。


「なるほど、よく分かりました。さすがアルエ姫、セレネに関しては右に出るものはいませんね」

「お役に立てたのなら幸いです。もう少し落ち着いたら、私もセレネに会いたいのですが」

「その件なのですが、まだ、セレネにはアルエ姫が到着したことは伝えていません」


 ミラノは申し訳無さそうにそう答えた。アルエが留学してまだ一週間も経っておらず、荷解きすらまだ終わっていない。そんな状態でアルエが来たとセレネに教えてしまうと、姉を慕っているセレネは会いたがるだろう。


 だが、まずはアルエの生活環境を整えなければならない。ミラノはそう考えていたので、アルエがもう少し落ち着いてから、セレネを連れて会いにこようと思っていた。姉であるアルエは我慢できても、子供であるセレネには生殺し状態になってしまうからだ。


「そうですね。アークイラの姫は私一人ですから……」


 そう言ったアルエの表情は、少し(かげ)っていた。アークイラに居た時とは天地ほどの扱いがあるとはいえ、セレネは未だ王族という身分を明かせない。その点に関しては、ミラノも心苦しい思いだった。他の学生に聞かれないよう、ミラノは囁くようにアルエに小声で話しかける。


「セレネとアルエ姫が会う場合は、あくまでお忍びという形になるでしょう。ですが、いつか彼女の本来の身分を公表できるよう。私も尽力する事を約束します」

「ミラノ王子の寛大な慈悲に、心から感謝申し上げます。そして、いつかセレネが光り輝く道を歩いていけるように、微力ながら私も努力致します」


 そう言って、ミラノとアルエはお互いに微笑みながら握手をした。セレネに関しては、非公式とはいえ国家間の契約であり、非常にデリケートな存在だ。なので、おいそれと国民に晒す訳にはいかないが、ミラノもアルエも、あの才能ある少女を日陰者にしておくつもりは毛頭無い。


「しかし、今日は妙に閑散としているな。前に来た時はもっと賑やかだった気がするのだが」

「そう言われてみれば……皆どこにいったのかしら?」


 お互いの話がひと段落着き、改めて辺りを見回した二人は怪訝な顔をした。時間的にはまだ昼過ぎであるのにも拘らず、今日はカフェに居る学生の数がかなり少ない。普段なら昼食を摂ったり、午後の授業までの休憩時間を過ごす学生達が集まっているはずなのに。


 そうして人の流れを窺っていると、何やら皆が中庭のある正門のほうに足を向けているらしい。近くを通った女子学生の一人をミラノが呼び止めると、彼女は恐縮しながらも立ち止まった。


「ええと、何でも中庭のほうで騒ぎになっているみたいです」

「騒ぎ? 学生同士の喧嘩か何かか?」

「いえ、そうじゃないみたいです。何でも、小さな女の子が二人で騒いでいるらしいですよ。金髪の娘と、全身真っ白な女の子らしいですけど」


 その言葉を聞いて、ミラノとアルエが目線を合わせる。


「金髪の娘と……」

「真っ白な女の子……」


 ミラノとアルエは、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、二人で頷きあいながら、物凄い勢いで中庭の方へと走り去っていった。後に残された女子学生は、何が何だか分からず、きょとんとした表情で二人の背中を見送った。




  ◆◇◆◇◆




「さあ、もう逃げられないわよ! 大人しく観念なさい!」

「い、いやだ!」


 整然と敷き詰められた石畳、そしてその周りに、色とりどりの植物が植えられた美しい中庭の噴水前で、純白の少女と真紅のドレスを纏った金髪の少女――セレネとマリーがけん制しあっていた。その二人を取り囲むように学生達が集まり、辺りはまるで大道芸を見るような人だかりが出来ていた。


 少女達と野次馬の間では、門番たちと、二人の馬車の御者達が困惑した表情で佇んでいた。これがただの少女同士の喧嘩なら、門番が猫の子の如く襟首を掴んで敷地外に放り出し、軽いお説教でお終いである。


 しかし、今目の前で騒ぎを繰り広げているのは、天下のヘリファルテの王女マリーベルだ。

 そして、そのマリーベルと対等に向き合っている少女も、正体は分からないが只者ではないのだろう。

 というか、なぜこんな状況になっているのか、門番にはさっぱり理解できなかった。


 のどかな昼下がり、うららかな日差しの下でのんびりと構えていた門番の目の前に、突然凄まじい勢いで二台の馬車が突っ込んできた。あまりの速度に止める暇すらなかったのだ。


 強盗かと思い門番は慌てて長槍を構えたが、どちらも小型の馬車で、幌の横面には、大鷲をあしらった王族専用の馬車の証明があったので、門番は即座に槍を引っ込めた。


 その直後、二台の馬車から突然、少女がほぼ同時に飛び出し、逃げる白い少女を赤いドレスの少女が追いかけていったのだ。門番も慌てて追いかけたが、理由も分からないまま王女の行動に口を挟むわけにもいかず、現在に至るのだった。


「いいから帰るの! 勝手に学校に来たら怒られるわよ!」

「かまわん!」

「構うわよ!」


 セレネがマリーの横を駆け抜けようとするが、すかさずマリーが彼女の前に立ちふさがる。二人は腰を低く落とし、お互いの出方を窺っている。まるでサッカーのフォワードとディフェンスのせめぎ合いである。


 セレネは焦っていた。相手は10歳の金髪ロリだ。さすがに全力で倒すのには抵抗がある。しかし、自分は8歳のロリであり、体力的には圧倒的に劣っているのも事実だ。セレネは深呼吸を一つして、マリーに小さな人差し指をびしりと突きつける。


「マリー、たおす!」


 セレネは覚悟を決めた。中ボスであるマリーを倒さねば、ラスボスであるミラノを倒し、囚われのアルエ姫を助けることは出来ないのだ。一応自分も姫である事は、セレネはすっかり忘れていた。


「大きく出たわね! いいわ、ヘリファルテ第一王女、マリーベル=ヘリファルテ、逃げも隠れもしないわよ!」


 マリーはマリーで、セレネのよく分からない熱気に引きずられるように真っ向勝負を受けた。今までこれほどまでに自分をライバル視してくる存在がなかったマリーにとって、セレネは妹分であり、友人であり、同時に好敵手であったのだ。


 セレネの中身はマリーの数倍の人生経験があるはずなのだが、セレネは子供相手に全力を出せる逸材であった。端的にいうと、大人げが無かった。


「うおぉーっ!」


 セレネは足に渾身の力を篭め、セレネの繰り出せる唯一にして最強の必殺技『セレネタックル』――要するに単なる体当たりで強行突破を試みる。セレネは全力だった。10歳の少女相手に、それはもう全力だった。


「甘いっ!」


 セレネの何にも考えない突進を、マリーは闘牛士の如く半身を捻り回避。そのままセレネの背後を取ろうと手を伸ばすが、セレネにも人として最低限の学習能力はある。


 城の入り口で背後を取られた経験を活かし、セレネは胸元のリボンを解いて服を緩ませた。セレネの背中を掴もうとしたマリーは、洋服の後ろ部分だけを掴む形になり、完全にセレネの身体をつかむことが出来なかった。


 さらに驚くことに、何とセレネは、そのまま服を脱ぎ捨てようともがき出した、まるで猫に襲われたトカゲが尻尾を切って逃げだそうとするような必死さに、さすがのマリーも面食らった。


「ちょっと! そんなはしたない格好しちゃダメでしょ!? こ、こら! 本当に服が脱げちゃうでしょ!」

「うおーっ!」


 セレネは前に進むため全力だった。ここで諦めてしまえば、最愛の姉の乳房が性王子に揉まれてしまう。そう考えた瞬間、セレネの理性が吹き飛んだ。セレネは持てる全ての力を使い、地面を蹴り、逆に後ろに跳んだ。セレネの服を必死で引っ張っていたマリーは、勢い余って地面に叩きつけられ、セレネの下敷きになった。


「ぐぇ!」


 いくらセレネが小柄で華奢とはいえ、地面とセレネのサンドイッチで、マリーはカエルが潰れるような声を出し、たまらずセレネの服から手を離す。その隙に、セレネはマリーの拘束から脱出し、不恰好に石畳の上をごろごろ転がりながら距離を取る。


「もーーーっ!! 本っっ気で怒ったわよ!」


 豪奢な真紅のドレスと、整えられた金髪をぐしゃぐしゃにされたマリーは、かつてないほどに興奮していた。マリーは驚くべき速度で立ち上がると、まるで肉食獣が飛び掛るように、セレネの腰元目掛けてタックルをぶちかます。先ほどまでは手加減をしていたが、マリーのほうももう容赦はない。お互いが全力だった。


 二人は絡まりあい、もみくちゃになりながら、地面をごろごろ転がる。お互いに高価なドレスを着ていることなどお構い無しで、まるで野良猫の縄張り争いのように苛烈な争いになっている。


「二人とも、やめろ!」

「兄さま!?」


 その時、人ごみの中から、王族の殴り合いに唯一割り込める存在――ミラノの声が響いた。その声に驚いたマリーだったが、セレネはそれ以上に驚いていた。なぜなら、ミラノの後ろには、恋焦がれていたアルエの姿があったからだ。


「ねえさまっ!」

「セレネ、どうしてここに!?」


 アルエは驚愕してセレネに尋ねたが、その言葉はセレネの耳に入っていない。久しぶりに見た姉は、相変わらず美しく、可憐で、少しも変わっていない。セレネは立ち上がり、最愛の姉に向かって猛然と駆け寄る――つもりだった。


「ひぇっ!?」


 マリーと取っ組み合いをしていたことをすっかり忘れていたセレネは、自分のドレスの裾がマリーに掴まれていたこともすっかり忘れていた。その状態で急に立ち上がり、走り出したものだから、セレネは思いっきり前につんのめって転び、顔面を強打して動かなくなった。




  ◆◇◆◇◆




「兄さまが出かける前に、セレネに説明しないからいけないのよ!」

「僕は、お前にセレネを止めろと頼んでいない」

「ミラノ様、マリーベル様、お、落ち着いて下さい」


 二人の兄妹に落ち着けといっているアルエ本人も落ち着いてはいなかった。何せ、あれだけ大勢の人間の前にセレネの姿が晒されてしまったのだ。しかも、アルエを見て「ねえさま」とまで叫ぶおまけ付きで。


 頭を強打したセレネを見て、ミラノが反射的に近寄って抱きかかえてしまったのも軽率だった。セレネをすぐに休ませ、今後のことを相談できる場所ということで、最初避けていた寮内にあるアルエの部屋に結局来る羽目になった。幸い、セレネ自身は単に気絶しているだけのようだったので、ミラノ達三人はほっと胸を撫で下ろす。


 こうなってしまうと、セレネとアルエの関係を隠しておくわけにもいかず、マリーには、なし崩し的にセレネとアルエが血を分けた姉妹であることを話さざるを得なかった。


 図らずも、セレネを民衆の表舞台に出すというミラノとアルエの願いが叶ってしまったわけだが、これを願いが叶ったと言うべきかは正直かなり微妙だった。というか、色々とまずい。


「すまない……今回は完全に僕のミスだ。少し行動が短絡的過ぎたようだ」

「もし他の学生にセレネとの関係を聞かれたら、姉妹のように仲が良かったと言っておきます。幸い、アークイラからヘリファルテに留学しているのは私しかいませんし、誤魔化せると思います」

「アルエ姫、僕の軽率な行動のせいで、余計な負担を掛けて申し訳ない」

「いえ、こちらこそ。セレネがこんなに能動的に動くなんて思いもしませんでした……きっと私と王子が会っている事に嫉妬したのね」


 アルエは苦笑する。自分とミラノは男女の関係ではないのだが、セレネはきっと気が気では無かったのだろう。その予想は、ある意味で正解だった。ただし、対象はミラノではなくアルエなのだが。アルエは、セレネが親愛の情を向けてくれていることを嬉しく思っていたが、まさか中身がおっさんで、なおかつ自分に男女の愛を求めているとは、さすがに想像出来なかった。


「まったく、ひどい目にあったわ! もう、髪がぐしゃぐしゃ。お洋服もボロボロ」

「すまん。さっきは言いすぎた。お前なりに気を遣ってくれたことには感謝する」

「ま、許してあげるわ」


 マリーは乱闘でぼさぼさになった髪を手櫛で治しつつも、まんざらでもない様子だった。

 兄からこうして感謝されるのは久しぶりだったし、同い年くらいの友達と心の底から泥だらけになって遊ぶことなど初めてだったからだ。まるで男の子と遊んでいるような気分だった。


「で、私がこれだけ頑張ったんだから、兄さまもきちんと仕事してたんでしょうね?」

「ああ、お前が時間を稼いでくれているうちに、アルエ姫からセレネが好きなものを聞き出すことが出来た」

「それでセレネの好きなものって、何?」


 マリーも興味があるようで、身を乗り出すようにミラノの顔を見上げる。

 ミラノが口を開く前に、寝息を立てるセレネの手を握っていたアルエが口を開いた。


「それはね、百合よ」


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