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夜伽の国の月光姫  作者: 青野海鳥
【第1部】夜伽の国の月光姫

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第22話:狂想曲(前編)

 メイドを使いに出してからというもの、ミラノはやきもきしながら王宮の入り口をうろうろしていた。傍らには妹のマリーまでもが佇んでいる。庭師達は、普段あまり見ない落ち着きのない王子を怪訝(けげん)に思いながらも、黙々と己の作業をこなしていた。


「兄さまったら、少し落ち着いたら?」

「いや、これでも十分落ち着いているつもりなんだが……」


 その言葉に、マリーは呆れたように首を振った。今の兄に何を言っても無駄だろう。そうこうしているうちに、メイドを乗せた馬車が遠くから帰還してくるのが見えた。馬車の到着を待たず、ミラノはそちらのほうに駆けていく。メイドの方もそれに気が付いたのか、慌てて馬車から降りた。


「問題は無かったか?」

「はい。学園長様はかなり驚いていましたけど、今から訪問されても問題ないとのことです」

「助かった。感謝する」


 ミラノが労いの言葉をかけると、メイドは恭しく一礼をして自分の仕事に戻っていった。ミラノはそのままメイドと交代するように馬車へと乗りこむが、それを見たマリーが、仰天しながらミラノの乗った馬車へと走り寄った。


「ちょっと兄さま、本当に今すぐいくの!?」

「ああ、一刻も早くアルエ殿に、セレネの機嫌を治す特効薬を教えてもらわねばならんからな」


 マリーと話している時間も惜しいのか、ミラノは御者を促し、そのまま馬車に乗って大学へ向かっていった。セレネの機嫌を治す特効薬は、まさしくそのアルエ本人なのだが、セレネがアルエに対して持っているのは、家族としての親愛の情だと判断していたミラノは、彼女が姉に恋慕している異常者だとはさすがに思わなかった。


 マリーは思わず苦笑する。あんなに落ち着きのない兄を見たのは初めてだった。完璧超人だと思っていた兄も、ああいった行動をするという事実に、マリーは失望するどころか親近感を持った、ああ、兄もやはり一人の若者なのだなあ、と。


「兄さまったら、よっぽど焦ってるのねぇ……」


 兄を乗せた馬車が完全に視界から消えるまで見送ると、役目を終えたマリーは自室へと戻ろうとした。しかし、不意にマリーの足が止まる。口元に手を当て、うつむきながら何事かを考えるようにぶつぶつと小声で一人ごちる。


「プレゼントならびっくりさせた方が効果がありそうだけど、セレネ、妙に勘がいい所があるからなぁ……」


 セレネの勘がいいのではなく、諜報活動に優れた執事を持っているからなのだが、そんな事を知らないマリーは、兄がセレネの好きな物を探っていることに感付かないか懸念した。


「仕方ない。ここは兄さまのために、このマリーベルが一肌脱ぎますか!」


 口調は投げやりだが、それでもどこか楽しげにスキップしながら、マリーは王宮へと戻っていった。




  ◆◇◆◇◆




『姫、そろそろ王子のことを許してやってはどうですかな? 彼も随分反省しているようです』

「やだ」


 セレネは毛布から顔だけを出し、目の前のバトラーの諫言を流す。反省だけなら猿でも出来るのだし、王子が苦しんでいるのなら、それはそれで愉快だった。


「王子、きらい」

『姫、あまりわがままばかり言ってはいけませんぞ。姫のために、王子はわざわざ国立大学まで向かわれたようです。何でも、アルエ姫に面会をするのだとか』


 バトラーはセレネのために、一日数回は城内に異変がないか見回りをしている。大抵は彼一人で済むが、場合によっては城の鼠たちを使うこともある。そして、つい先ほど仕入れた情報によると、ミラノが単身、ヘリファルテ国立大学へ向かったとのことらしい。


「ふーん…………ぇ?」


 別に王子が大学に行こうが豚の餌になろうが知ったことではないので、セレネはバトラーの言葉を華麗にスルーしようとした。だが、バトラーの報告の中には、聞き捨てならない単語が入っていた。


「姉さま、きてるの!?」

『そのようですな。姫が王子を避けていたので、伝えている暇が無かったのでしょう』

「しまったぁ!!」


 セレネは毛布を跳ね除け飛び起きた。なんたる不覚! セレネは思考回路をフル回転させ、足りない脳細胞でミラノの行動を推理し、またたく間に結論を出した。


 今までは自分(セレネ)が鋭い視線で王子を監視していたので、奴もおいそれと行動できなかったのではないか。しかし、ここ数日、その監視をさぼっていた。それを好機と判断したあの性王子は、早速アルエに食指を伸ばしたのではないだろうか。


 実際のところ、憧れのミラノの背中を目線で追っている純情な乙女としてしか見えておらず、セレネの周りの人間は微笑ましく思っていたのだが、セレネとしては鬼軍曹の如くミラノを凝視していたつもりだった。


 そのままセレネは推理という名の妄想をどんどん膨らませていく。大体にして、姉が来たと自分に告げていないのはおかしいではないか。その理由は簡単だ。人質(セレネ)に情報を渡すことで、余計な障害が増えるのを恐れたからだ。


 心優しいアルエのことだ『あなたの妹が精神的に参っている。彼女のために知恵を貸してくれないか』などと言われてしまえば、表面上は紳士を繕っているあの王子とほいほい面会してしまうだろう。姉の純粋さにつけ込む卑劣さに、セレネは怒りのあまり目の前が真っ赤になった。


「いそがなきゃ!」


 セレネはベッドから転がり落ちるように飛び出し、いつもの如く一番手前にあったアークイラ製の白いドレスを見に纏う。慌てて着込んだので襟元のリボンがよれよれになっているが、そんな事を気にしている場合ではない。


『姫、どこへ向かうのですか? 私も一緒に……』

「まってて!」

『へ? はぁ、まあ姫がそう仰られるのであれば、待機しておりますが……』


 バトラーの話などまるで聞かず、セレネは待っててと叫んだ。「親愛なるアルエ姉様、今、貴方の騎士であるセレネが助けに参ります! 待っていてください!」という意味だったのだが、いかんせん短すぎる上に主語がなかった。なのでバトラーは、自分に対しての待機命令と取った。主の命令であれば、バトラーは従わざるを得ない。


「ちっきしょう! なめやがって!」


 セレネはドアを乱暴に閉じて叫ぶと、凄まじい勢いで――といっても、運動不足の八歳児なので鈍足なのだが、本人としては疾風の如く廊下を駆けているつもりだった。廊下に置いてある調度品を手入れしていたメイド達は、慌てた様子でぱたぱた走っていく少女を、不思議に思いつつも見送った。


 そのままセレネは一直線に王宮の出口を目指す。あそこには馬車が数台ある。セレネも王宮の敷地内だけだが、王子に殺人弁当を運ぶため、修練場への移動でもう何度も利用している。王子に会いたいと顔なじみの御者に強く頼み込めば、アルエのいる大学まで連れていってもらえるだろう。


「待ちなさい!」


 しかし、セレネが長い廊下を駆け抜け、外に飛び出そうとした矢先、何者かがセレネの行く手を阻むように立ちはだかった。太陽の光を背にするように仁王立ちしているので、シルエットしか分からない。


「なにやつ!」

「やっぱり来たわね。ここで待っていてよかったわ」


 セレネの前に現れたのはマリーであった。彼女が何故ここにいるのか分からないが、今は相手をしている暇は無い。セレネはぜえぜえと肩で息をしながら、マリーを無視して横を通り過ぎようとしたが、マリーはそれを遮るようにセレネの前に回りこんだ。


「マリー、どいて」

「どこに行くつもりなの?」

「さ、さんぽ」

「目が泳いでるわよ」

「わたし、およげない、目も、およげない」


 セレネは、愛想笑いを浮かべ、彼女の頭で考えたにしては上等な軽口で誤魔化そうとしたが、そんなバレバレの演技に引っかかるマリーではない。


「セレネ、兄さまを探してるんでしょ? 悪いけど、今は城にいないわよ」

「だいがく?」

「ち、違うわよ!」

「マリー、目、およいでる」


 マリーもあまり嘘が得意ではないのですぐに顔に出る。そして、その表情を見逃すセレネではなかった。セレネは自分の利益に関することなら、目ざとく察知する事が出来る(こす)い性質を持っていた。


 マリーは想像以上のセレネの勘の鋭さに驚きながらも、なんとか冷静な振りをした。ここでセレネを通すわけにはいかないのだ。兄とセレネの仲を繋ぐキューピッドとして、セレネをここで足止めせねばならない。


「兄さまは忙しいから邪魔しちゃダメよ。一緒に遊びましょ? その方が絶対楽しいわよ」

「……いそがしい、なにが?」

「それは……ええと、その、私もよく知らないんだけど、とにかく忙しいのよ。だから、邪魔しちゃダメなの。うん、そうよ」


 マリーはしどろもどろにそう答えたが、かえってセレネの不信感を煽ることになった。妹に言えないような理由で、しかも予防線として自分を食い止めさせようとしているなんてもはや黒確定である。少なくとも、セレネにはそうとしか考えられなかった。


 こうしている間にも姉の貞操の危機が迫っているのだ。何が何でもマリーを乗り越えなければならない。障害があればあるほど恋は燃え上がるというではないか。セレネは今、間違った方向に全力で燃えていた。


「うおー!」


 唐突に、セレネは何も考えず、マリーの横を突っ切るために全力で突進した。作戦も何も無かった。それもそのはず、セレネが戦略シミュレーションゲームで最も得意とする戦術は「圧倒的な力で敵を粉砕し、相手がそれ以上の戦力を用意してきたら、こちらの戦力をさらに増強して粉砕する」という物である。つまり、ごり押しであった。


「ちょっ……待ちなさい!」

「うぅー!」


 しかし、世の中ごり押しと根性論だけではどうにもならない。マリーはセレネの奇行に一瞬慌てたが、すぐにセレネを後ろから羽交い絞めにした。セレネは腕を振り回して抵抗するが。華奢なセレネの力では引き剥がすことなど出来ない。


 マリーは聖王子ミラノの妹であり、英才教育を受けた才女である。日頃ごろごろ過ごしているセレネとは、鳥で例えるなら、ワシとアヒルくらい身体能力の差があるのだ。


「許可がないと学校は行っちゃダメなの! さあ、大人しく私と遊ぶのよ!」


 それでもセレネは、しばらくの間じたばたと抵抗していたが、やがて諦めたのか大人しくなった。セレネが脱走しない事を確認しつつ、マリーはセレネの拘束を解いた。


「わかった、あきらめた……」

「うん、それでいいのよ」


 多少うなだれながらもセレネは大人しく従うそぶりを見せたので、マリーは内心で安堵のため息を吐いた。後はセレネに付き合い、兄がアルエ姫からセレネの好みの物を聞き出してくれば作戦成功である。


「じゃあ、あそぶ」

「何する? かくれんぼ? お絵かき?」


 マリーが笑顔でそう尋ねると、セレネは顔を上げ、聞いた事のない遊びを提案する。


「あっち、むいて、ホイ。やりたい」

「アッチム……何それ?」


 セレネはたどたどしくゲームのルールを説明した。セレネが指差すと同時に顔を動かし、セレネの指の向きと合っていれば勝ち、違っていたら負けという実にシンプルなルールだ。恐らくセレネが考えたのだろうが、やったことのない遊びにマリーは興味を惹かれたので、付き合うこととなった。


「あっち……むいて……ホイっ!」


 セレネは真上を指した。ミラノ程ではないが、マリーとて偉大なるヘリファルテの血を引き、姫として常に文武両道を目指しているのだ。のろまなセレネの指の動きなど簡単に捉えられる。マリーはやすやすとセレネの指と同じ、上方に顔を向けることに成功した。


「私の勝ちね!」

「マリー、そのまま」

「え?」


 正面に立つセレネに向き直ろうとしたマリーの頭を、セレネが両手で掴んで上向きのまま固定する。


「わたし、いいよ、言うまで、そのまま」

「変な遊びね……まあいいけど」


 そうしてマリーは天井を向いたままの姿勢で固まっていた。自分はお姉さんなのだし、ここはセレネの機嫌を配慮してやろう。マリーはそう考え、大人しく従った。しかし、いつまでも首を上に向けているのはつらい。いい加減疲れてきたマリーは、上を向いたままセレネに尋ねる。


「ねえ、いつまでこうしてればいいの? 首が疲れるのよ……って、ああっ!?」


 さすがに疲れたマリーが頭を正面に向けると、目の前にいたはずのセレネは煙のように消えていた。慌てて辺りを見回して確認すると、遥か彼方、馬車に乗り込むセレネの姿が見えた。


 セレネに急かされたのか、馬車はかなりの早足で去っていく。セレネはマリーに上を向かせている間に、足音を殺して外に抜け出していたのだ。セレネは10歳の少女相手に、容赦なく反則勝ちを選んだのだ。


「こんのぉ! 騙したわね!」


 セレネに一杯食わされたマリーは激怒し、猛然と別の馬車に飛び乗る。


「あの馬車を追ってちょうだい! 急いで!」


 御者は何が起こったのか分からないが、興奮するマリーの剣幕に押され、セレネの乗った馬車を全力で追う。こうして、セレネとマリーの、カーチェイスならぬ馬車チェイスが始まった。

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