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夜伽の国の月光姫  作者: 青野海鳥
【第一部】夜伽の国の月光姫
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第19話:呪詛吐き

 今宵は新月。月明かりの無い闇夜を照らすため、ヴァルベール城の門前には篝火(かがりび)が焚かれている。その明かりを頼りに警備任務に就いていた門番は、大きなあくびを一つした。


 数日前、大国ヘリファルテの聖王子ご一行を送り出すという大きなイベントが終わった事もあり、どうしても気が緩んでしまう。暫くは来訪する者も無いし、ヴァルベール城に正面から攻め入ってくる馬鹿など居ないのだから、これは仕方の無い事だった。


 しかしその時、暗闇の中、遠くから近づいてくる一つの影に門番は気がついた。石畳の上をこつこつと音を立てながら、闇の中を蠢くその影に、門番がいささか警戒の意志を強め、声を掛ける。


「何者だ! 謁見の時間はとうに過ぎているぞ。用があるのなら、また明日出直してくるがいい」

「おや、老体に鞭を打ってきたのに、酷い扱いだねぇ」

「こ、これは薬師(くすし)殿! 失礼致しました!」


 しわがれた声を聞いて、門番は慌てて謝罪した。彼が声を荒らげて留めた老婆は、見た目こそ魔女のように怪しいが、王女お抱えの薬屋であった。


 細かい事はよく知らないが、何でも異国よりやってきた一族の末裔なのだそうだ。この老婆の作る薬は、見た目が悪く高額であるものの、効果はてきめんであり、ヴァルベールの貴族達から絶大な信頼を得ていた。


「何故このような時間に参られたのですか? 薬であれば、我々の方から引き取りにいかせるはずですが……」

「なぁに、姫様から『頭が痛い』と数日前から依頼されていた薬がようやく出来上がったんで、急いだ方がいいと思って、こちらから出向いてきたのさ」


 そう言って老婆は鼻息を漏らすようにふ、ふ、ふと笑い、番兵の横を通り過ぎた。老婆はヴァルベールお抱えの医師でもあるので、勝手知ったる我が家の如く城の中へと入っていく。番兵はそれを特に咎めず、カラスを連れた怪しげな老婆の通行を許可した。


「やれやれ、また姫の頭痛か。頭が痛いのはこっちだってのに……」


 老婆の背中が完全に消えてから、番兵はひとり文句を言った。エンテ王女が頭痛を起こすのは、決まって他国の使節団などが送られてきた時だ。あの傍若無人な王女なりに、他国には礼儀を気にしているせいなのか、心労が原因で頭痛が起こるのではと臣下の皆は考えていた。


 それ以上に心労が溜まっている部下のことなどお構いなしの王女に舌打ちをしつつ、番兵は元の位置へと戻っていった。



「これはこれはエンテ様、お加減はいかがですかな?」

「見ればわかるでしょ。最悪だわ」


 エンテの部屋に『診察』という名目で通された老婆は、不機嫌そうに椅子に座るエンテの顔を見て、からかうような笑みを浮かべた。


『ピカピカ、キンピカ、トッテイイカ?』

「落ち着きなコクマル。これから姫の診察をしなきゃならないからねぇ」


 コクマルと呼ばれたカラスが、光り物に身を包んだエンテを見て興奮していたのを老婆が(たしな)める。エンテはもう何度もこうして老婆を迎え入れていたが、汚らしい老婆とカラスを清らかな自室に招き入れるのはやはり慣れない。


「呪詛吐き。そのカアカアうるさいカラス、連れてくるのやめてくれない?」

「いえいえ、これは仕事の上で大事なパートナーですゆえ、話を聞かせた方が何かと都合がよいのですよ」


 老婆――呪詛吐きと呼ばれた彼女は、エンテの提案を飄々(ひょうひょう)と跳ね除けた。彼女の名は呪詛吐き。本当の名は誰も知らない。分かっている事は、遥か昔に異国よりやってきた一族の末裔という事と、彼女の魔力が「人を呪い、死に至らしめる」という性質を持っている事だけだ。


「昔は良い時代でしたなぁ。疫病、飢饉、戦争……世の中は怨嗟の感情で満ち溢れておりました。しかし、平穏の世となった今、薬師などというくだらない副業をせねばならんのです。私に仕事を与えてくれる王女様には、真に感謝しておりますぞい」


 大して感謝もしていないような口調で呪詛吐きが言ったが、エンテはそれを無視し、興味を引かれた部分を問う。


「おべっかはどうでもいいの。ところで、そのコクマル……とか言ったわね。ケダモノなんかより人間をパートナーにした方がいいんじゃない?」

「これはただの獣ではございませぬ。『魔獣』と呼ばれる、魔力を持った獣にございます。知力も体力も並の獣とはケタ違いな上に、ある程度人語も理解する事が出来るのでございます」

「私には、ただガアガア鳴いてるようにしか聞こえないわ」

「魔獣は契約を結んだ主とのみ会話出来ますのでな。他の人間では理解できませぬ」

「何よ、たった一人としか会話出来ないんじゃ、全然役立たずじゃない」

「いやいや、意外と使ってみると便利な物ですぞ。例えば……」

『バーカ、バーカ』

「今何て言ったの、そのカラス」

「姫は真に美しく、偉大で聡明であると申しております」


 呪詛吐きがそう言うと、エンテはまんざらでも無いように笑った。


「あら、確かに賢いカラスね。気に入ったわ」

「然様でございましょう」


 呪詛吐きは噴出すのを堪え、何とかそう答えた。そう、このように目の前でどんな事を話そうが、魔獣と主人の間でしか通じないのだから、どこでも堂々と情報を交換することが出来るのだ。


「ちょっと興味あるわね。どうやって獣を魔獣にするのかしら?」

「寝食を共にし、魔力を分け与えてやれば良いのです。しかし、あまりやり過ぎると、知恵と力を与えすぎてしまう上に、自分の魔力が目減りしてしまいますのでな。せいぜい三ヶ月程度にしておくのが無難でしょうな」

「たかがケダモノに自分の魔力を与えないと駄目なんて嫌よ。まして同居なんてまっぴらだわ」

「そうですか。ま、無理にとはいいませぬ」


 そこまで話すと、エンテは髪をかき上げ、椅子から立ち上がり呪詛吐きに迫る。


「あんたの動物調教の講座を聞くために呼んだんじゃないの。依頼していた物は出来てるかしら?」

「へぇへぇ、そりゃもうばっちりでございます。姫の頭痛に効く『特効薬』を用意させていただきました」


 呪詛吐きは卑屈っぽく、へこへことお辞儀をすると、エンテは急に笑顔を見せる。この王女はちょっと下手に出て、餌を見せるとすぐ機嫌を直すので、呪詛吐きとしては非常に扱いやすい顧客であった。金払いのいい馬鹿は適当にあしらうに限る。


「しかしまあ、幼子を殺せとは、何とむごいことでございましょう。あまり人を呪い過ぎると、その呪いは自分に返りますぞ?」

「うるさいわね。大体、むごいとか言いながら、あんた嬉しそうじゃない」

「おや、バレてしまいましたかな。ヒッヒ」


 呪詛吐きは目を爛々と輝かせており、全身には老婆とは思えない不気味な活力が漲っていた。耳まで裂けそうなほどに口を歪め、笑みを浮かべる。


「この呪詛吐きの本業は呪殺でございますが、エンテ様はお優しいお方ですからな、今まではせいぜい相手を衰弱させる程度でしたので、久々の殺しは、やはり気合が入るというものです」


 今までエンテが呪詛吐きに依頼していたのは、自分に言い寄ってきた他国の貴族達を衰弱させる程度の物だった。エンテからしてみれば、あの姫に関わると体調を崩すという噂が流れればそれでよかったのだ。


 彼女の目にはミラノしか映っていない。そして、彼とは幼少期から付き合いがあるのだから、ミラノに不審がられなければ後はどうでもよかったし、やはり人を殺すというのには幾分抵抗があったのだ。


 一方で、呪詛吐きは不満だった。彼女は一級の呪術使いであるにもかかわらず、この生ぬるい王女の依頼では、優れた腕を存分に振舞うことが出来なかった。それで少なくない金が入るのだから楽と言えば楽だが、やりがいの無い仕事は楽しいものではない。


 そんな中、人目を忍んで直接出向いてきたエンテ王女が「殺して欲しい娘がいる」と言ってきたときには、正直耳を疑ったものだ。


「そうそう、ターゲットの娘……確かセレネとか言いましたかな? あの娘と偶然店で会いましてな」

「セレネと?」

「何でも、大事な人に薬を買ってやりたいとか申しておりましたな。まだあんなに幼いというのに、実に健気な子ではありませんか」

「大事な人……ね。本当に忌々しい小娘だわ!」


 エンテは苛立たしげに親指の爪を噛む。やはりあの小娘、ミラノに対し特別な感情を抱いているのだ。ヘリファルテへの帰路、あの小娘がミラノと肩を並べて馬車に揺られ、ロマンチックに星でも眺めているかと思うと虫唾が走る。


 余談であるが、セレネは食事でおなかが一杯になると、馬車の隅っこでミノムシのように寝袋に包まって爆睡していたし、昼間は馬車の中で一人、ただひたすらごろごろとしていたのだが、それはエンテのあずかり知らぬところである。


「呪詛吐き! さっさとあの小娘を殺して頂戴! 今すぐよ!」

「はいはい。今お出ししますよ」

『ギャハハ! ヒステリー、ヒステリー!』


 怒鳴るエンテをコクマルが嘲笑うが、エンテはそれを理解できない。呪詛吐きも小娘の癇癪(かんしゃく)を軽く流し、懐をまさぐり、透明な小瓶を取り出した。ビンの中には何か黒く細長い物が蠢いていて、今まで何度も呪詛吐きに呪いを頼んだエンテでも、一度も見たことの無い代物であった。


「ひっ……? な、何よそれ!?」

「これは、蠱毒(こどく)と呼ばれる呪法で生成した物でございます。エンテ様の『頭痛』を解消するにはうってつけの代物でございますぞ」


 呪詛吐きは面白がってエンテの顔の前にビンを突き出すと、エンテは悲鳴を上げて壁に張り付くように逃げ出した。それもそのはずである、小瓶に入っていたのは、大人の手の平に乗るほどの黒々とした巨大なムカデだったからだ。


「い、いつもの石ころじゃないのね……」

「ああ、呪殺石(じゅさつせき)でございますな。人を衰弱させる程度であれば、適当な石ころに呪いの力を篭めればよいのですが、なにせ殺すとなると、強力な呪いの力が必要になりますのでな」

「その不気味な虫と、呪いに何の関係があるのよ?」

「大有りでございます。蟲毒は、まず大量の虫を集め、その一匹一匹に魔力を分け与えるのです。それから触媒――セレネの髪と共に壷に密閉しておくのです。すると、蟲共はお互いを食い殺し、最後に残った一匹には強力な呪いの力が宿るのです。いわば呪いの重ねがけですな。当然、威力も段違いでございます」


 呪詛吐きは得意げに説明するが、聞けば聞くほどおぞましい精製法にエンテの肌が粟立つ。


「そ、それで、その気持ち悪いのをどうすればいいの?」

「あとはいつも通りでございます」

「いつも通りって……今までの石みたいに、呪いたい奴の近くに置けばいいってこと?」

「さすが聡明なエンテ様、理解が早くて助かりますな」


 エンテは青い顔をしつつも、何とかいつものぺースを取り戻す。今までのやり方では、呪詛吐きに呪殺石を用意して貰い、それをこっそりと馬車や荷袋に放り込んでおくという方法だった。後は帰国途中に徐々に呪いの力が発動し、対象者の生命を蝕んでいく。


 呪殺石は言うなれば、呪いの力の篭った充電器のようなもので、一週間もすればただの石ころに戻り、証拠は消えてしまう。そのあたりの魔力の微調整は、呪いのプロである呪詛吐きが巧みに操作していた。


「でもセレネはもうとっくに帰っちゃったじゃない! 持って来るのが遅いのよ!」

「なにぶん用意するのに呪殺石より手間が掛かりますのでな。しかしご安心を。そのためのコクマルにございます。こいつに運び屋をやらせますので」

『マジカヨ……』


 コクマルは不満そうにガァと鳴いたが、エンテにはそれが主人に対する忠誠のように見えた。


「で、それは本当に効果があるんでしょうね?」

「この呪詛吐きの作った呪いの道具が、今まで効果が無かった事がおありですかな?」

「……無いわ」


 呪詛吐きは勝ち誇ったように笑うと、コクマルに指示をした。


『ッタク、ダリィナァ……』


 コクマルはぶつくさと文句を言いながら、しぶしぶ小瓶を両足で掴む。呪詛吐きがエンテの了承もなしに勝手に窓を開け放つと、コクマルは闇夜に溶け込むように羽ばたいていった。


「本当にあのカラスに任せて大丈夫なの?」

「そりゃあもう。むしろコクマルほど適任はおりませぬ。カラス一匹が城の庭に紛れ込んだとしても、誰も不審がらないでしょう。どうです? 魔獣とは便利な物でございましょう?」


 呪詛吐きはコクマルの飛び去った空を見上げながら、自慢げに言い放つ。本当に魔獣というのは便利な物だ。特に魔獣にするなら小鳥や鼠、羽虫といった矮小な物が良い。護衛や戦闘など、人間に出来るのだから。


 この大陸では魔獣を作る技術は廃れてしまった。それは何故か? 過去の王族が、虎や狼といった、見てくれの良い巨大な獣ばかりを重視したせいだ。エンテ王女もコクマルがカラスではなく大鷲だったら、もう少し興味を示したかもしれない。無論、それを計算済みで呪詛吐きは話したのだが。


 口で言うのは簡単だが、獣を魔獣にするのは、魔力の消費量も失敗時のリスクも半端ではない。自分より馬鹿で弱い主人に従う者など居ない。いるとしたら、余程その主人に恩義を感じている者だろう。


 制御の難しさや諸々の理由により、大陸では魔獣を使う習慣が徐々になくなり、呪詛吐きの世代になると、もはや完全に忘れ去られた技術となっていた。過去の王族達が間抜けだったお陰で、こうして技術を独占できる事に、呪詛吐きは感謝したものだ。


「あの蟲には、セレネの匂いをたっぷりと覚えこませておりますゆえ、ヘリファルテの王宮あたりに放り込んでおけば、後は勝手に彼女の枕元へと忍び込みます」

「時間は?」

「そうですな、セレネの精神力や魔力の量にもよりますが、髪から出ていた魔力から推察するに、潜り込んでから二、三日ほどで体調を崩し、長くても二週間ほどで衰弱死するでしょうなあ」

「悪くないわね」


 エンテはほくそ笑む。むしろそのくらいの時間差があった方が、自分に対する嫌疑が薄れる。仮に疑問に思われても、こちらの暗殺道具はムカデ一匹。証拠は何も残らない。


 セレネがヴァルベールに居る間、ミラノと会う時間を削ってまで、セレネのために時間を割いたのだ。セレネと親友になったとアピールしておいたのだから、後は頃合を見てセレネの弔問に訪れれば良い。


 恐らく、ミラノ王子は悲嘆に暮れ、精神的な支えを必要とするだろう。いくら彼が頑強な精神の持ち主とは言え、大事な物を失えば必ずやその心に隙が生じる。そこへ自分が颯爽と登場し、悲しみにくれる王子を陰から支えてやるのだ。悪いがセレネには踏み台になって貰おう。


「ふふ、セレネには、感謝しないといけないわね」


 闇夜に飛び去ったカラス、その先にあるセレネの死を見通すように、エンテは実に愉快そうに笑った。





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