第77話:謎の少年
ヘリファルテ国立大学へはあっさりと到着することが出来た。セレネはアルエ王女に会うため、しょっちゅう出入りしていたので、ほぼセレネ専用のタクシーと化した馬車が用意されているのだ。
ただ、今回はアルエのいる寮の近くではなく、図書館の近くで降ろしてもらった。セレネに図書館とかいう知性の場所は似つかわしくないのだが、それを疑問に思う者はあいにく存在しなかった。
「イメージ、ちがう」
禁書庫というからには、図書館の地下に隠し部屋でもあるのかと思っていたが、かなりオープンにされていた。図書館から少し離れた場所に『この先は禁書庫』という立札まで立っている。
ただ、その作りは併設されている図書館と比べて明らかに違っていた。窓一つない堅牢な石造りの建物で、入り口は一つのみ。大きさはかなりこじんまりとしていて、図書館の方が体育館だとしたら、こちらは倉庫くらいの大きさしかない。
『シュバーン王の時代にかなりの情報を開示しましたからな。大っぴらに出来ない資料が少ないのでしょう』
バトラーが軽く解説するが、セレネはそういった政治的背景にまるで興味がないので適当に頷き、整備された道を歩いて禁書庫に入った。中は魔法の力で照らされており、思っていたよりずっと明るかった。
禁書庫という割には本は一冊も無く、受付のカウンターに一人の男性が座って本を読んでいる姿が見えた。後はただの何もない石造りの部屋でしかない。
「セレネ様!? こんな場所に来られるとは珍しい」
セレネに気付くと、すぐに受付らしき壮年の男性が対応してくれた。セレネとバトラー以外には誰もいなかったが、受付の男性はサボっている雰囲気はまるで感じない。それもそのはず。禁書庫の管理人は王国直属の人間である。心身ともに優れたごく一部の者しかなれない。
「ほん、みたい」
「他ならぬセレネ姫の頼みであれば、喜んで」
受付はにこやかにそう言うと、そのまま壁の奥まで歩いて行った。そして手のひらを壁に当て、何か小声で呟く。次の瞬間、壁の中心がほんのりと輝き、幾何学的な紋章が浮かび上がる。
「わぁ!?」
『アークイラの封印の扉のようなものですな。もっとも、強度は比べ物にならないでしょうが』
バトラーが言った通り、これはセレネが閉じ込められていた魔法陣と同じ技術だ。大国ヘリファルテが重要機密を守るために用意したものなので、強度はあれと比較にならない。クマハチであっても傷一つ付ける事は出来ないだろう。
しばらく待機していると、不意に石壁の一部が自動ドアのようにスライドした。
「これで封印は解かれました。どうぞごゆるりと。お帰りの際はまた封印を戻しますので」
「せんきゅー」
セレネは雑なお礼を言い、恭しく頭を下げる受付に対し手を振り、すぐに書庫の中に入った。
「あんがい、シンプル」
セレネが真っ先に述べたのは小学生並の感想だった。RPGのラストダンジョンみたいなのを勝手に想像していたのだが、単に狭苦しく、古臭い本が並べられているだけだったからだ。
侵入防止のため窓は一つも無かったが、扉を開くと同時に中の魔術ランプが起動する方式になっているらしく、書庫内はむしろ外より明るいくらいだ。ちゃんと資料を読むテーブルや椅子も用意されているので、おどろおどろしい雰囲気は全くない。
『私も入ったのは初めてですが。なるほど、これはよく考えられているシステムですな』
「え?」
セレネが首を傾げると、バトラーは簡単に禁書庫の感想を語り出す。
『シュバーン王があえて国立大学の目立つ場所に禁書庫を配置したのは、恐らく国の清浄さをアピールするためでしょう。やましいことなど何もない、という姿勢を見せたのですな。さらに、ここは常に人目に晒されておりますので、周りの学生や教師が自然と監視代わりになります。いやはや、王は聡明でおられる』
「ほーん」
バトラーはシュバーン王の高潔さに胸を打たれていたが、セレネとしてはどうでもいい話だった。
『政治的な物よりも、ここにあるのはほとんどが解明されていない魔術の資料でしょう。得体の知れない魔術が正体不明のまま流出してしまえば、よからぬ者が悪用してしまうかもしれませんしね』
それはそうなのだが、たった今、よからぬ者が悪用をしようとしている。
『まずは呪詛吐きの資料を探さねばなりませんな。私も入ったことはありませんが、製本される時間が無かったでしょうし、恐らくレポートのような形で纏められているでしょう』
禁書、と言われるが、必ずしも本の形になっているわけではない。製本は技術もお金も必要だし、呪詛吐き事件に関しては日が浅いので、あくまで紙束程度になっているとバトラーは予測した。
「あれは?」
バトラーの言葉に対し、セレネは目ざとく製本されていない紙束を見つけた。本棚の上の方に山積みされている手紙のようなものだった。バトラーはセレネの指示に従い、素早くそこへ飛び乗り、内容にざっと目を通す。
「どうよ?」
『いえ、これは、その……別の書簡でございますな。国家に関する重要なものではありますが、呪詛吐きとは関係がありません』
バトラーにしては珍しく言い淀んだが、セレネは特に気にせず、とことこと別の本棚の方を物色しに行った。
『ふう……危ない危ない』
セレネに正確な情報を教えなかったことで、バトラーは多少後ろめたい気持ちになったが、ほっと胸を撫でおろす。
『これは、シュバーン王がアイビス王妃に送った恋文の束ですからな……』
軽く目を通しただけだが、シュバーンからアイビスに対する熱烈な想いが読み取れた。それが大量に禁書庫に保管されていたのだ。禁書指定をするのは王族に決定権があるので、シュバーン王が他の何を措いてでもこれを封印したかったのだろう。
王の気持ちを汲んだバトラーは、セレネに教える訳にはいかなかった。手紙をなるべく見えない奥の方に押し込むと、バトラーは呪詛吐きの資料を探すため、別の本棚へと駆け出して行った。
「ぬぅぅ……わからん!」
一方でセレネは、椅子に座りながらテーブルに広げた古臭い本を眺めていた。読んでいたのではない。眺めているといった方が正しい。なにせ、セレネはほぼ字が読めないのだから。
別に呪詛吐きじゃなくても、ここにあるのはほとんどが得体の知れない魔術書だという話だ。だとすれば、何か強力な武器になるのではと思い、手の届く位置にあった古臭い本を適当に持ってきたのだ。
「まんが、ほしい……」
漫画で分かる呪いの本とかあればいいのにとセレネは愚痴をこぼす。あってたまるかそんなもの。
ここにある資料は、ヘリファルテ王国で最高の知能を持った者たちが解析を続けている物ばかりである。セレネがこれを解読するより、幼稚園児がハーバード大学の問題を解く方がまだ可能性が高いだろう。
それでも無駄にガッツだけあるセレネは、貴重な資料を乱雑にテーブルの上に開いては並べ、次へと移っていく。テーブルの上はもはや魔法陣みたいになっていた。
「くそがぁ! ん?」
数十冊の本をテーブルの上に並べ、もう帰ろうかなと思った時、セレネの目に一冊の変わった本が飛び込んできた。何冊か纏めて持ってきていたのだが、その本だけはやたら新しかった。
ぱらぱらと本をめくると、それは絵本のようだった。文字が極端に少なく、ほぼすべてのページに挿絵が描かれている。
「これや!」
セレネは思わず叫んだ。なんかよく分からんが、ここにあるという事は貴重な魔導書なのだろう。しかも絵ばかりで文字が少ない。まさにセレネが望んだものだった。
『姫、呪詛吐きの資料が見つかりました……ひ、姫!?』
呪詛吐きに関するレポートを背負ってきたバトラーが、彼にしては珍しく大声を上げた。セレネは疑問に思ったが、その理由はすぐに分かった。
「わたし、ひかってる!?」
セレネが自分の両手を見ると、蛍の光のような淡い光に包まれていた。手だけではない。全身が光り輝いているのだ。それに呼応するかのように、先ほど軽く開いた絵本が宙に浮かび、勝手にページがめくれていく。
「ポルターガイスト!?」
『姫! 何か分かりませんが魔術が発動しております! 今参ります!』
バトラーは資料を投げ出し、弾丸のようにセレネに飛びついた。次の瞬間、光がセレネたちの全身を完全に包み込んだ。
◆ ◆ ◆
セレネは突然、空中に投げ出されるような感触に襲われた。気のせいではない、本当に空中に居たのだ。一秒前まで書庫内にいたのに、セレネの目に映るのはどこかの森の中のようだった。
「ぬおおおーーーーっ!?」
そして、急速に浮力を失ったセレネの身体は落下した。セレネは汚い悲鳴を上げながら、真下にあった湖のような場所に着水した。
「あば! あばばばばば!!」
地面に叩きつけられなかったのはいいが、セレネは泳げない。しかも純白のドレスを身に纏っているせいで急速に水を吸い、セレネは鉄の人魚姫になって沈んでいく。
「つかまって!」
セレネがみっともなくもがいていると、不意に何者かに手を掴まれた。半狂乱状態のセレネは、迷わずそれにしがみつく。
「し、しぬー!」
「わ!? ちょ、ちょっと抱きつかないで! ここ普通に足着くから!」
セレネは、手を伸ばしてくれた何者かの身体にぎゅっと抱きつくが、抱きつかれた方は動きづらそうにセレネをなだめる。まるで子泣きジジイだ。それでも親切な人間は、苦労しながらセレネを陸地へ移動させる。
「がはっ! げほっ! おえっ!」
セレネは肩で荒い息をしながら、両手を付いて草むらに水を吐いていた。品性の欠片も無い姿だが、本気で死ぬと思っていたのだから仕方ない。
「びっくりした。いきなり空から降ってくるんだもん。君、大丈夫?」
一方で、助けてくれた方は、びしょ濡れになっているものの、ほとんど息を切らしていなかった。セレネの背をさすり介助までしてくれていた。
「あ、ありが……えっ」
セレネは礼を言おうと振り向き、そして驚愕した。そこにいたのは、金髪碧眼の見目麗しい子供だった。中性的な顔立ちで、美少年にも美少女にも見えた。
「マリー?」
「マリー? 誰それ? それより君って……あ、違う。人に何か尋ねる時は自分から名乗れって父さんに言われてるんだった」
そう言って、その身なりのいい子供は立ち上がり、水に塗れた髪を絞って軽く整えた。
「僕はミラノ。ミラノ=ヘリファルテ。一応この国の王子様なんだよ。歳は君と同じくらいだと思うけどね」
苦笑しながらプラチナブロンドの美少年――ミラノはセレネに対し挨拶をした。