第76話:禁書庫
比較的短めの章になる予定ですが、最後までお付き合いいただければ幸いです。
聖王子ミラノが正式に婚約を認めてもらうため、セレネの故郷アークイラへ向かい、母であり女王アイロネと様々な確執を起こした。だが、最終的にはセレネを除いた全員が、少しずつ前を向いて歩き出す事を決意し、ヘリファルテ王国に帰還してから約三か月が経過した。
その間、ヘリファルテ王国では、月光姫セレネと聖王子ミラノの婚姻は間近という噂が流れ、まだ決まってもいないのに街全体がお祝いムードに湧きたった。国民は皆、我が事のように喜びあい、ヘリファルテ王国は後の歴史書で『この頃がヘリファルテ王国最盛期であった』と称されることになる。
だが、そんなお祝いムードの中、約一名そうでない者がいた。
「ぬぐおぉおぉぉぉぉああああああ!!!!」
それこそが祝福の最中にいる、我らがおっさん姫セレネ=アークイラであった。セレネは自室のベッドの上で頭を掻きむしりながら悶絶し、ごろごろと転がっていた。そんな醜態を晒していても小動物の威嚇程度にしか見えないのが若干腹立たしい。
「あああああ!! ……あいたっ!?」
何も考えず転がっていたせいでベッドから落下した。セレネはお尻をさすりながらベッドによじ登り、大人二人寝ても余る大きさの、ふかふかのベッドにちょこんと座りこんだ。
「ちきしょうめ!」
そして、その見た目だけは愛くるしい外見からは想像も出来ない暴言を吐き、ベッドをぽすんと殴りつけた。痛くないように柔らかい部分を殴るところがせこい。
ここまでで何が言いたいかというと、つまりは平常通り。天下泰平世は事も無しという事だ。平和である。
だが、うららかな日差しに照らされる白亜の宮殿の一室で、セレネの心の中だけが台風16号が直撃したみたいな感じになっていた。それもそのはず、『アークイラの姫君とミラノ王子が婚姻間近』というのは、セレネにとって余命三か月宣告を受けたようなものなのだ。
ここでいう『アークイラの姫君』とは、セレネの姉のアルエだと思い込んでいる。つまり、最愛の姉が正式に取られるまで、もうわずかな時間しかないのだ。
「ぐぬぬ……やばい!」
セレネはベッドの上に大の字に寝転がりながら、心を落ち着けるため深呼吸した。これまでセレネはミラノ王子に数多くの戦い(と本人は思い込んでいる)を挑み、ことごとく敗北してきた。
アイロネの件とて、親から正式に断ってもらおうと思ったのに、なんかよく分からんが、自分がくたばっているうちに勝手に話が進んでいたのだ。もはや正攻法でミラノを撃退するのは不可能に近い。
「わたし、あきらめない!」
セレネは半身を起こし、ぐっと小さな手を握る。アルエを守り自分のものにするためなら、セレネはどんな苦難にも耐える気だった。そのやる気をもう少し別方向に向けた方がいいと思う。
「うーむ……さくをねる」
セレネはそのまま腕組みし、無い知恵を絞ることにした。セレネにしては珍しく内省的な態度である。
「もう……いいとし、だし」
セレネは反省した。大反省した。反省だけならサルでも出来るのだが、とりあえず進歩した点は褒めてやりたい。セレネは現在10歳だが、あと少しで11歳になる。前世のおっさん部分を足せばアラフィフに到達してしまう年齢となるのだ。
今までセレネは、基本的に行き当たりばったりで妨害工作をしてきた。それが効かないとなれば軌道修正をせざるを得ない。つまり、もっと狡猾であり、賢い、すなわちクレバーな作戦を練るべきではないか。
「せや!」
その時、セレネのつるつるの脳みそに電流が走った。不意に思い出したのだ、この国を滅ぼしかけたとんでもない化け物の噂を。なんでもその化け物は、呪詛吐きとかいう悪い魔法使いが生み出したもので、たまたま誰かが退治したが、放っておけば国そのものが滅んでいたと聞いたことがあったのだ。
「たいへんだな……」
セレネはそれを聞いた時、街にクマが出たくらいにしか考えていなかった。セレネは想像力が貧困な上に、欲望にしか目が向かないので話半分で聞いていたのだ。自分がその怪物に襲われた当事者で、さらにミラノを結果的に救ったなどとは夢にも思わなかった。
当然、セレネは国そのものを滅ぼす気など毛頭ない。要はミラノがアルエから手を引いてくれればいいのだ。高カロリーの飯を食わせまくるセレネ式暗殺術や、神木によるミラノ暗殺計画も失敗した以上、その怪物の力をなんかこう…いい感じに使うのはどうだろうか。これは賢い!
「くればー!」
頭の悪そうな賢い戦術を立てたセレネは、内心で狂喜乱舞した。セレネは1パーセントの知性+99パーセント見切り発車でミラノに呪いを掛けることを決意した。
以前も体に悪そうな薬などを隣国に行った際に物色したのだが、うまく行かなかった。だが、例の怪物とやらは実在しているのだ。ならば、これを利用するのが現状ベストではないだろうか。セレネの中では完全にそういう事になった。
当然一人でやるわけにもいかないが、セレネには強力な執事が側にいる。今は城や周辺の安否確認のために出回っているが、三十分ほどすると、その執事はセレネの元に戻ってきた。
『お待たせいたしました。姫、王国は相変わらず朗らかな雰囲気に包まれておりますな』
セレネの前に駆け寄り、小さな頭をちょこんと下げたのは、セレネの生命活動の9割以上を担っている鼠の執事バトラーだ。
「バトラー、のろい、しってる?」
『呪い、でございますか?』
「じゅそつきの」
『呪詛吐き!?』
セレネがベッドの上から身を乗り出しながら尋ねると、バトラーは驚いて大きく鳴いた。バトラーからしてみれば、呪詛吐きとその呪いは、最愛のミラノ王子からセレネを引き離した忌まわしい記憶である。だからバトラーは意図的にそういった話題を避けていた。
だが、突如セレネの口から呪詛付きという単語を発せられた。これは一体どういうことなのか。
『姫、確かにそういった知識を私は持っています。ですが、無理に今知らずとも……』
「しりたいの! どうしても!」
『姫……』
バトラーは渋ったが、セレネはさらに前のめりになり、ベッドから落ちそうになりながらバトラーに食らいつく。ルビーのような赤い瞳の奥には、決して揺るがない覚悟の光があった。
(確かにあのような悲劇を繰り返さないために知識は持っておくべきだが、それはもう少し大人になってからでも……いや、そのような器で収まる方では無いか)
バトラーは、呪詛吐きと、その呪いについてセレネが知りたがるのは、過去から目を背けないためだと考えた。確かに嫌な記憶に蓋をしたままでは、その弱さにつけ込まれる危険性もある。呪詛吐きが使った呪いの日除蟲は、そういった負の感情を食らって育つ怪物だった。
セレネがミラノと結ばれ、幸福の絶頂時にどん底に叩き落す卑劣な輩が出てきてもおかしくはない。ならば、早いうちに対処法を自ら学んでおこう、そう考えているのだと。
まあセレネにそんな高尚な考えなどなく、単に使えそうな武器がそれしかないので必死なだけなのだが。
『分かりました。ではお教えしましょう』
「ほんと!?」
『ですが、私個人ではあくまで他の者より多少詳しい程度でございます。本当に呪詛吐きについて知るなら、禁書庫へ向かう必要があります』
「きんしょこ?」
聞き慣れない単語にセレネは首を傾げた。バトラーは落ち着いた口調でセレネに説明をする。
『ヘリファルテ国立大学に併設されている図書館に、ごく一部の者しか閲覧できない資料が管理されている場所があるのです。本来なら極めて厳重な管理をされている場所なのですが、姫の権限なら顔パスで入れます』
様々な勘違いが重なり合い、セレネはなりたくもないのに聖王子ミラノの未来の花嫁であり、弱冠10歳にして天才的な知性と人格を持つ月光姫様という扱いなのである。世の中とは理不尽だ。
「よし、いくぞ!」
『今からでございますか?』
「おもいたつ、きちじつ」
思い立ったが吉日。セレネにしては難しい言い回しでバトラーを促した。ヒャッハー! 今日のセレネはクレバーだずぇ!
『分かりました。まだ日も高いですからな。巡回用の馬車もすぐに出せるでしょう』
そう言って、バトラーはセレネの肩に飛び乗った。セレネはベッドから降りると、ろくに身なりも整えないまま行動に移ることにした。このアクティブさだけは見習いたいかもしれない。
幸い、ヘリファルテ国立大学は視察という名目でアルエに会いに行きまくっているので、愛用の馬車がある。これはまさに天が味方しているに違いない。
セレネは勝手にそう思い込み、ウキウキで馬車へと向かっていった。だが、セレネはまだ気づいていなかった。自分が行動を起こすたびに、大体とんでもない方向に物事が向かっていくことに。