【番外編】インフェルノ・クリスマス
アイロネ女王とひと悶着ありつつも、なんやかんやで奇跡的に和解の道を歩んだセレネは、ヘリファルテへと帰国した。
それから早一ヶ月、帰国後どうなったかというと、まるで成長していなかった!
「クリスマス、やる」
ある日、セレネは突然そんな事を思いついた。当たり前だがセレネの住んでいる異世界にはキリスト教が存在しない。当然クリスマスも無いのだが、そんな事は知った事ではない。
逆に考えるんだ。クリスマスが無いならいつでもクリスマスにしちゃえると考えるのがセレネ流だった。
「ねえさま、プレゼント、よろこぶ」
クリスマスがやりたいというより、王子に巻き込まれて田舎に引っ張って行かれたりで、ここ最近のセレネは不治の持病――乳房欠乏症が再発しつつあった。
ここらで燃料を補給しなければならない。だが、アルエの所に出向くのに手土産が無いのも寂しい。ここは手作りプレゼントで好感度アップを狙うべきである。つまり、クリスマスというのは完全な口実だった。
「よし! クッキー、つくる!」
セレネはそう言って、寝転がっていた自室のベッドから降りる。本当はイチゴのショートケーキとかを作りたいのだが、そんなもんセレネが作れるわけがない。
おっさん時代、暇で暇でどうしようもなかった時、興味本位でクッキー……正確にはクッキーに似た食べられる物質ならばセレネも作った事があった。多少見てくれが悪くても愛情が大事なのだと、セレネは都合よく解釈した。
『姫、どこかへお出かけですか? 私もお供いたしますぞ』
「んーん、バトラー、やすんでて」
セレネは首を振り、ベッド脇でくつろいでいた鼠の執事バトラーにそう答えた。それでもバトラーはついて来たがったが、城の中の厨房を借りるだけだし、そもそも厨房に鼠が居るという状況があまりよくない。
『分かりました。では、私はここで待機しております。くれぐれも火の扱いには注意して下さいませ』
「うぃ」
セレネは頷くと、そのまま城の厨房へ殴りこみ、料理人達に厨房とクッキーの材料を貸してほしいと頼み込んだ。
月光姫セレネの頼みとあらば断れない。時刻は昼過ぎ。既に夕食の下ごしらえは終わっているし、厨房も比較的暇な時間帯だった。
「ふんふん、ふふーん」
セレネはチビなので踏み台を使いながら調理をする事になる。まずは生地を作らねばならないが、これに関しては前世の知識で何とかなる。
とはいえ、もともといい加減なセレネの上に、あくまで目分量なので綺麗には出来ないが、それでもまあクッキーの生地に出来なくもない微妙なラインの物が出来あがった。
クッキーもどき生地を作った後、粉まみれになりながらセレネは腕を組む。上質の純白のドレスを着ていようが、セレネにとってはジャージ扱いである。まるで気にしていなかった。
このまま丸型で焼いては芸が無い。アルエに可愛いクッキーをプレゼントして喜んで貰いたい。だとしたら、何か可愛い形で焼き上げるべきだろう。
「ぞうさん!」
そこでセレネは動物クッキー……象さん型にする事にした。今のセレネには存在しないが、かつてのセレネは象さんを所持していた。今も心の中で象さんはかなりパオンパオン鳴いている。
そのクッキーをアルエに渡すのは、セレネなりの男性アピールだった。地味にセクハラである。
「ぞ、ぞうさんを……ぞうさん。ぷふーっ!」
象さんクッキーをたくさん作る。つまり象さんを増産するという訳だ。セレネはクソつまんない親父ギャグで一人噴き出していた。
そうと決まれば話は早い。早速象さんクッキーを作る事にしよう。だが、ここで重大な問題が発生した。
「かたがねえ!」
セレネは両手で頭を抱えつつ叫ぶ。冷静に考えたらクッキー型が無いやんけ。昔のセレネは手で丸めて食えるサイズにするか、クッキー型でスポンスポン繰り抜いて形を作る雑なやり方だった。
今は象さんを増産しなければならない。だが、セレネは正確な象の形なんか覚えていなかった。
「いや、やる!」
それでもセレネは諦めなかった。型が無ければ手で作ればいいのだ。セレネは意識を集中させ、思い浮かべた象さんを手作業で作る。全集中・クッキーの型・インドぞう。
「これで……あ、ずれた! うう! ちがうっ!」
本来なら象さん型クッキーをいっぱい作る予定だったのだが、パーツのバランスが悪くてその都度生地を足していった結果、一枚の巨大な謎クッキーになってしまった。ある意味で巨象であり、虚像でもあった。
「いいやもう! やいちまえ!」
これは象なんだ。誰がなんと言おうと象だ。セレネは自分に妥協し、クソデカ謎クッキーを焼き窯にぶち込んだ。幸い料理人達が下ごしらえしてくれたお陰で、窯は充分温まっている。後はクッキーが焼きあがるのを待つだけだ。
「ふー……つかれた」
大して作業もしてないくせに、セレネは汗を拭うように額を撫でた。普段からろくに動かないので、ちょっとしたことでも何か成し遂げた気になれるのはある意味幸せであった。
「あとは、まつだけ」
そう言って、セレネは近くにあった椅子に腰掛けた。後は焼きあがりを待ち、美味しいクッキーをアルエに持っていくだけだ。焼きあがるまでしばらく時間が掛かるし、焼き窯からちょうどいい感じに暖かい空気が流れてくる。
せっかくなので、セレネは椅子に座ったまま仮眠を取ることにした。五分だけ寝よう。そう心に決めながら。
「セレネ様、セレネ様」
「うるさいなぁ」
何者かに揺り起こされ、セレネはうっとうしそうに目を擦りながら目を覚ます。セレネを揺り起こしたのは、料理番のうちの一人だった。
「なに?」
「もうそろそろ日が暮れますので、厨房を使わせていただきたいのですが」
「えっ」
そう言われ、セレネは辺りを見回す。料理番の言うとおり、外から穏やかな紅い日差しが差し込み、そろそろ日が落ちる事を表していた。それはつまり……。
「ぬわーーーーーっ!!」
「せ、セレネ様!?」
セレネは椅子から飛び降り、焼き窯の取っ手に手を伸ばす。
「あっっっっつ!」
「セレネ様! 素手で触っては火傷しますよ!」
火を入れっぱなしの焼き窯の取っ手は非常に熱い。まして柔らかな子供の手で触れられるものではない。一瞬で手を離し、改めて鍋つかみを使用して取っ手を引っ張る。
「ぞ、ぞうさーん!」
幸い焼き窯内の火は消えていたが、自称象さんクッキーは、業火に焼かれ、かつて自称象さんクッキーだった消し炭と化していた。
「これはその……すみません。様子を見に来た方がよかったですね」
料理番は申し訳無さそうに謝ったが、悪いのはセレネである。セレネ自身もそれは分かっているので、がっくりとうなだれた。
「ウッウッ……プレゼント……」
なんという事だ。アルエ乳交換券が燃え尽きてしまった。セレネは半泣きになっていたが、かといって悪いのは自分なので、誰を責める事も出来なかった。
「これ、もらってく」
「え? いや、さすがに食べられないのでは」
「いいから」
そう言ってセレネは、未練たらしくクッキーの素材で出来た炭を袋にかき集めた。砂糖やバターのような嗜好品が貴重なのはセレネにも分かっている。捨てるのがもったいなかったのだ。
そうしてセレネは料理人達に礼を言った後、炭入りの袋を片手に厨房を出た。貰ったものの捨てるしかないが、そのままゴミとして出すのは抵抗があった。
「そうだ!」
そこでセレネは素晴らしいアイディアを思いついた。セレネはぽんと手を叩き、廊下をダッシュする。いちおうお姫様なんだからもうちょっと自重して欲しい。
セレネは息を切らせて長い廊下を走り、ある部屋へ辿りついた。そして、おもむろにドアをノックする。
「どうしたんだ? セレネの方から訪ねてくるなんて珍しいじゃないか」
ドアが開かれると、中から現れたのはミラノだった。大国の王子の部屋なんだからもうちょっと遠慮して欲しいのだが、そんな気遣いなど皆無なセレネは、ミラノに袋を突きつける。
「クッキー、やいた! おうじ、あげる」
「クッキー? 僕にかい?」
「うん、まあ。ちょっと、しっぱい」
ちょっと失敗どころでは無いのだが、セレネはそのままミラノの手に袋をねじ込み、逃げるようにしてその場を去った。要するに、セレネはゴミを王子に押し付けたのだ。
「セレネが僕にか……ふふ」
一方、ミラノは突然現れ、自分のためにわざわざクッキーを焼いて、息を弾ませ持って来てくれたセレネの背中を微笑ましく見送った。
「そう言えば、母上も若いころは父上によく焼き菓子を作ったと言っていたな。父上もこんな気持ちだったのだろうか」
ミラノはひとりごちると、そのまま自室へ戻った。
袋を紐解くと中が真っ黒な炭だったのでミラノは笑ったが、彼は今、他国との交渉の書類の整理中で頭を抱えていたところだったので、ちょうどいい清涼剤になってくれた。
「さすがに食べられないが、しばらくは置いておくとするか」
セレネの作成した、これ以上燃えられない炭化したゴミを、ミラノは大事そうに机の上に置いた。事務仕事をしている時、その袋を見ると、ミラノはセレネの姿を思い浮かべ心が安らいだ。
アロマキャンドルの対極のようなゴミなのに、ミラノにとっては随分と癒し効果をもたらしているようだ。
「そういえば、灰かぶり姫という異国の話があったな……」
仕事中、ミラノはふとそんな事を思い出した。家族から手ひどく扱われていた美しい心を持った少女が、王子に見初められて一躍プリンセスになるという話だ。
「僕は、あの子の王子になれるだろうか」
ミラノはふとそんな事を思った。セレネという少女は理想の姫に近付きつつある。だが、それに比類する存在に自分はなれるだろうか。いつもその不安がよぎる。
「弱音を吐いていても仕方ないな。この気持ちに答えるためにも頑張るしかないな」
ミラノはセレネの作ってくれた炭クッキーの袋に、セレネに語りかけるようにして話しかけた。繰り返すが、それはセレネの煩悩の燃えカスなのだが、そんな事を知らないミラノは、まるでお守りのようにそれをしばらく置いていたという。




