第69話:母娘水入らず
アルエがアイロネの部屋を訪ねた翌日の夕方、同じ部屋で、珍しい組み合わせで食事をする二名がいた。一人は女王アイロネ。そしてもう一人は、月光姫、またの名を問題児セレネである。
アイロネの自室には給仕係すらいない。それほど広くないテーブルの上に、王族の食事としては簡素な物が並んでいる。貴族の料理というより、家族で和気あいあいと食べる庶民的な食事である。
「…………」
「…………」
アイロネは無言で食事を口にし、セレネもまた同じように言葉を発しない。
その様子を、テーブルの下からバトラーがそっと見守っている。
(マリー王女の提案が上手く行けばよいのだが)
バトラーは、日中にマリーが言い出した事を思い返す。
それは、まだ昼前のことだ。アイロネは別の公務があり、帰国したついでにアルエもそれを手伝う形となった。ミラノ達はその間、アイロネとセレネの仲をどうしたものかと議論していた。
その間、当のセレネは体調不良(仮病)で眠っていた。最近、昼に活動する事が多かったが、基本的にセレネは陽が出ている間はあまり活発に動かない。動物園で寝てばかりいる、やる気のないカピバラみたいな生活をしている。
「私にいい考えがあるわ!」
さて、セレネが周りの目論見などまるで気にせず寝ている間、マリーが突然そんな事を言い出した。
「僕の経験だと、いい考えがあると言い張る意見は、大体いい考えでは無いのだが」
「何よ。まだ何にも言ってないじゃない」
マリーが頬を膨らませるが、ミラノはいぶかしげな表情を見せる。マリーも以前よりはだいぶしっかりしたが、まだまだ子供である。特に、今は非常にデリケートな問題に取り組んでいる。マリーには、セレネの精神安定という以上の働きはあまり期待していない。
「いい考えとは、何でしょうか?」
ミラノとマリーの会話に、ヒノエがそっと割り込んだ。感情を読むのに敏感なヒノエは、能力を使わずとも、このままだと喧嘩になりかねないと判断したらしかった。
「よくぞ聞いてくれたわ。それはね、アイロネ女王とセレネで一緒にごはんを食べるのよ」
「ご、ごはん?」
自信満々に胸を張るマリーに対し、ミラノはずっこけそうになった。ごはんを食べるだけで親子の不和が解決するなら、この世に一家離散という言葉は存在しないだろう。
「だって、セレネってお母さんとまともにご飯を食べたことってないでしょ? 私たちだって家族が揃ったら全員でご飯を食べるじゃない? そういう場所でしか話せない事だってあると思うのよ」
確かに、マリーの言うとおり、ヘリファルテ一家は可能な限り一家団らんを大事にしている。父であり、現国王シュバーンの『家族を大事に出来ぬ者に、民を幸せに出来るはずが無い』という方針にのっとっている。
王族ではあるが、基本的には庶民と食事のスタイルは変わらない。それをやろうということらしい。
「だからといってそんな安直には……」
「いや、案外いい方法かもしれんでござるな」
「クマハチ!?」
同席していたクマハチがマリーに賛同するようなセリフを言ったので、ミラノは思わず大声を出す。
「同じ釜の飯を食った仲という言葉もあるではござらんか。もちろん、トントン拍子にはいかんであろうが、少なくとも部外者があれこれ策を講じるより、セレネ殿とアイロネ殿で腹を割って話す機会があったほうがよかろう」
「しかし、アイロネ女王がセレネに取った態度を考えると……」
「女王がセレネ殿に危害を加えかねないと?」
「否定は出来ないだろう」
どちらかというとミラノはそれが心配だった。もちろんそんな可能性はゼロに等しいが、ゼロでは無い。食事の際にはナイフだって使うのだ。その刃物が料理ではなく、セレネに向かう可能性だってある。
「はっは、王子はよほどセレネ殿が大事と見える。まあ、生涯のパートナーの身を案じるなら当然と言えば当然だが」
「茶化すな」
クマハチは笑うが、ミラノは仏頂面だ。
「もちろん、即座に駆け付けられるよう、拙者が近くに待機するでござるよ。ミラノ王子の護衛役である以上、王子の安寧を守るのが拙者の役目でござるからな」
「といっても、セレネとアイロネ女王だけで同室というのは……」
ミラノがなおも反論しようとした時、不意にきぃ、という鳴き声が聞こえた。
鳴き声のした方を振り向くと、ちょうど窓枠の所に、一匹の赤いリボンを結んだ白黒のネズミが佇んでいた。
「セレネの飼いネズミ……確かバトラーと言ったな」
ミラノがそう言うと、バトラーは返事をするように小さく鳴いた。まるで本当に会話をしているようだ。バトラーは素早く窓枠から飛び降り、目にも留まらぬ速さでクマハチの肩の上に飛び乗った。
「ほほう、どうやらバトラー殿は、セレネ殿の護衛を買って出るようでござるな」
クマハチが頭を向けてバトラーに笑いかけると、バトラーは頷いた。
「とまあ、このようにセレネ殿にはボディガードが付いてくれるようでござる。余計な心配は無用でござるよ」
「ネズミに護衛を頼むのか」
「バトラー殿がいなければ、呪詛吐き騒動の際に機敏な対応が取れなかったではござらんか」
確かに、数年前に呪詛吐きが放った呪いの際に、いち早く気付いてクマハチに伝えてくれたのはこのネズミだ。主に似たのか、相当に賢いネズミである事は間違いない。
確かに相当に賢いネズミである事は間違いないが、主に似ているという点は間違っている。
「バトラー、君にセレネの護衛を頼めるか?」
ミラノがそう言うと、バトラーは『任せておけ』とばかりに、器用に二本足で立ち上がり、前足で胸を叩く動作をした。まるで人間のようで、思わず周りのメンバーは笑いだした。
「分かった。ネズミの護衛はさておき、確かに公式の場ではなく、母と娘という立場で話し合いをさせることはいいかもしれない」
「ね! ね! いい考えでしょ! 兄さまったら、なかなか決断しないんだから」
もちろんネズミの護衛はあてにしていないが、アイロネとて一国の女王だ。月光姫として名高いセレネを、その場の感情に任せて害する事はないだろう。そう考え、ミラノはセレネとアイロネの二人きりで夕餉の時間を過ごさせることに同意し、現在に至る。
『とはいえ、お二方は距離を測りかねている様子……上手く行けばよいのだが』
バトラーはアイロネに見つからないよう、テーブルの死角からそっと護衛任務を遂行している最中だ。ミラノもクマハチも冗談半分であるが、現状、もっとも頼りになるのは執事バトラーだ。
仮にアイロネが激昂してナイフを振るおうと立ち上がった次の瞬間、バトラーは超高速でアイロネの足に体当たりして転ばせるだろう。放たれた矢を空中で折れるバトラーにとって、そのくらい造作もない。
だが、そんな事態はバトラーも望んでいない。あくまでこれはセレネとアイロネの仲を縮めるための晩餐なのだ。バトラーの出番が無いのが一番いい。
「……こうしてあなたと食事をするのは初めてね」
「うん」
バトラーの回想が終わるのとほぼ同時に、アイロネの方が先に口を開いた。セレネは、何の捻りも無い返事を返す。だって実際に初めてだし、だからといって何か感じるものがあるわけでもない。
セレネにとって、アイロネは間違いなく母であるが、生まれた時からあまり好かれていなかったし、セレネとしても血のつながった他人という認識だ。
別に嫌いでもないが好きでもないという、一番扱いに困る感情を持っていた。
「あなたをヘリファルテに送り込んだ時は、まさか聖王子がアークイラの王女に恋をするなんて思わなかったわ」
「ふさわしくない!」
「そうでもないわよ。とても似合っていると思うけど」
「にあわない!」
当然、二人の話している『アークイラの王女』は別々だ。アイロネは、ミラノがセレネに恋をしたと言っているのだが、セレネはアルエの事だと思っているので、とにかく話が噛み合わない。
「……なぜ、そこまで卑下するの? 確かに昔はそうだったけど、今は充分釣り合いが取れているはずよ」
アイロネは不思議だった。アークイラの第二王女とヘリファルテ第一王子では身分の差がありすぎるが、今のセレネは大陸中に名を広めた月光姫だ。誰から見ても、年の差以外、これ以上ないお似合い夫婦である。
セレネはというと、アルエとミラノをくっ付けさせまいと必死なのだが。どうもアイロネの反応を見る限り、ミラノの野郎とアルエはお似合いだと言っているように聞こえる。非常にまずい。
「わたし、ねえさま、まもる。だから、おうじ、きらい」
「……アルエを守る?」
セレネの言葉はたどたどしく、ぶつ切りなので文脈を読みとる必要がある。アイロネは頭をフル回転させ、聡明(笑)な月光姫の思考を想像する。
――そして、一つの結論に至った。
(この子、アルエの事を……いえ、それだけじゃない。多分、私の事も気にしているんだわ!)
アイロネも含め、セレネとミラノは相思相愛という認識だ。当然、セレネとて愛しいミラノ王子と一刻も早く結ばれたいだろう。
しかし、セレネは安直に飛び付かない。ミラノとセレネが結ばれれば、大陸中の祝福を受けるだろう。だがそれは、月光姫セレネと聖王子ミラノである。
残ったアルエと祖国アークイラはどうなるのか。もちろん、アークイラは同盟国となり、月光姫の姉であるアルエも価値が出てくる。だが、それは政治的な意味でだ。
アルエは恐らく上流貴族に嫁ぐ形になるだろうが、そこに愛があるかは分からない。アイロネもまた、小国をかろうじて束ねるのが精いっぱいだと自覚している。
ヘリファルテと同盟国になれば、他国との複雑な関係を結ぶ事になるだろう。その際、アイロネを始めとするアークイラに悪影響が出ないとも限らない。
だからこそ、セレネはミラノとの婚約を拒絶し続けているのだろう。ミラノ王子がその気でも、セレネは、姉であるアルエが先に嫁ぎ、国を安定させてからと身を引いているのだろう。
(だとしたら、この子は、自分を犠牲にして家族や故郷を守ろうというの!?)
もちろん、そんな事があるはずがない。
アイロネは実の娘であるセレネに対し、あまりいい感情を持っていない。生理的になんとなく気に入らないというのが一番の理由なのだが、その嫌悪感は、少しずつ別の感情に変わりはじめる。
「私があなたを嫌っているのは、生理的なものではなく、畏怖からかもしれないわね」
「は?」
セレネは用意されたシチューをモリモリ食っていたが、アイロネがぽつりと呟いたので、思わず振り向いた。アイロネはその愛くるしい顔をじっと見る。
神の祝福を受けたような愛らしい少女。だが、その中には得体のしれない何かが巣食っている。そう考えていた。けれど、それはアイロネが理解出来ないだけで、とても尊いものなのかもしれない。
さながら、神の思し召しが神託を受けた人間以外に理解出来ないように。
「……今日は、あなたとお話が出来てよかったと初めて思いました。これで私も安心です」
「うん? うん」
アイロネはしばし無言になった後、そう呟いた。セレネはというと、なんかよく分からんが満足したらしいし、まあええわ、くらいの感覚だった。
「……そろそろお開きにしましょうか」
アイロネはそう言って、食事を終わらせた。セレネもちょうど食べ終わっていたので、そこで二人きりの夕食会は終わりとなった。
「あ! セレネ! どうだった!? お母さんと仲良くできた?」
「ふつう」
「んー、まあ、普通にごはん食べられたなら一歩前進かしら?」
言い出しっぺのマリーも気になっていたらしく、無事に戻ってきたセレネに抱きつきながら、安堵の溜め息を吐いた。セレネとしては、普通に飯を食って帰ってきただけなので、何でそんな心配されてるのか分からない。でも、マリーに抱きつかれたので全部オーケーという事にした。
単純なセレネはそれでオーケー終了という事になったが、セレネの服の中に潜り込んだバトラーは、人間のように腕組みしながら思考を巡らす。
『……アイロネ女王の口ぶり、どうにも気になる。後で少し探りを入れてみるか』