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夜伽の国の月光姫  作者: 青野海鳥
【第3部】セレネ、帰郷する

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第67話:出会いの場所

「何をそんなに祈っている? それともそれは何かの歌かな? 麗しき月の精霊よ……だったかな?」


 セレネが用足し後に池で手を洗っていたら、ミラノが照れ臭そうにいきなりそんな台詞を言い出した。

 いきなり何を言ってるんだこいつは、とセレネは思った。


 アークイラの王宮の奥にある楽園は、ミラノにとって運命の歯車が回り始めた大事な場所であり、セレネにとっては車輪が回り過ぎた暴走機関車みたいに運命が突っ走りだした場所である。


 なお、セレネはミラノとの初対面の台詞はすっかり忘れていた。


 セレネがミラノと初めて出会った時、イケメンいう理由だけで条件反射的に拒絶して猛ダッシュで逃げたし、そもそもセレネの記憶力は並の人間より悪い。


「ここは変わらないな。いや、むしろ生命の息吹がより強くなったように思えるな。人によって手入れされたものとは違う。ありのままの美しさがある」

「なんのよう?」


 月明かりと蛍が辺りを照らす幻想的な空気の中、ミラノは詩的な感想を述べたが、セレネは思いっきりスルーした。いったい何をしにきたんだこいつは。プライベートな空間にまで入りこまないでほしい。

 なお、ここはあくまで王国の私有地であって、セレネのプライベートな空間ではない。


 セレネはミラノに対し背を向け、池のほとりで体育座りで丸くなる。

 何をしにきたのか分からないが、走って逃げるのも疲れるのでやりすごす方向にしたらしい。


「……隣に座ってもいいかな?」

「……いいけど」


 ちっとも良くない。セレネとしてはアルエをはじめとする美少女だったら、隣どころかリクライニングシートのように胸に顔を埋めてくつろぐのだが、野郎はノーサンキューだ。


 とはいえ、この男はさわやかな外見とは裏腹に、野獣のような性質を隠し持っている。美女のくせに野獣に近いのはセレネのほうなのだが、セレネはミラノに偏見を持っている。

 下手に機嫌を損なって自分に害が及ぶならまだしも、アルエにその矛先が向かうのはまずい。


 というわけで、セレネは自らを人間の盾とする事を決意した。軟弱な盾である。


 ともかく、一応は池のほとりで美男美女が隣り合って座るという、表面上は美しい光景が整った。


 セレネは相変わらず体育座りで膝に顔を埋めて丸まっている。ダンゴムシみたいな防御方法だが、残念ながらセレネはもちもち肌なので防御力は皆無である。


 ミラノはというと、うずくまるセレネの様子を見て心を痛める。

 母親に拒絶の言葉を投げかけられ、落ち込まないはずがない。もしかしたら、泣き顔を見られたくないからそうしているのかもしれないと思い、あえてセレネに顔を上げろとは言わなかった。


 夜風が木々を優しく揺らし、虫達や夜鳥(やちょう)が思い思いに音楽を奏でる。その穏やかな空気の中、セレネとミラノはずっと隣り合って黙って座りこんでいる。


「やはり僕はまだ未熟だ……また君に迷惑をかけてしまったな」


 しばらくすると、ミラノは懺悔(ざんげ)するような口調でそう呟いた。


 ミラノはセレネの幸せを考え今回の件に挑んだのだが、ある程度予想はしていたとはいえ、あそこまで拒絶されるとは思わなかった。月光姫の名を手にしても、アイロネ女王にとっては一人の娘でしかなかったというわけだ。


 もう少し配慮をしてやれば、セレネの心を傷つけずにすんだかもしれない。そう考えると、ミラノの気は晴れない。だが、それを表情には出さず、顔を伏せたままのセレネに優しく笑いかけた。


「おうじ、みじゅく、ちがう」


 セレネは顔を伏せたまま、そう答えた。


 こいつはいったい何がそこまで不満なんだ。際限ない欲望を持ってるの? スーパーサ○ヤ人みたいにどこまでも強くならないと気が済まないの? そのうちそのプラチナブロンドの髪が青くなったりするの?


 などと、既にチート級のスペックがあるのに、まだ未熟だと言い張る王子に対して憤怒を感じていた。月光姫セレネは相変わらず空気も行間も読めず、コミュニケーション能力が無かった。


「セレネがいなくなった二年間、僕は自分なりに成長したと思っていた。実際、前よりもできる事は増えた。けれど、人の心というものは難しいものだな」


 ミラノは独白のように語り続ける。セレネは黙って聞いている。

 なんでもいいから早く終わって帰ってくれないかなと思っていた。


「でも、僕はまだ諦めるつもりはないよ。これは僕自身の戦いでもある。もう一度アイロネ女王に交渉を頼むつもりだ」

「がんばる、やめて」

「え?」


 そこでセレネは初めて顔を上げた。泣き顔ではなく、まっすぐな紅い瞳でミラノを見つめる。そりゃあ元から泣いてなかったんだから、泣き顔になるはずがない。


「おうじ、もう、じゅうぶん。わたし、かえりたい」

「セレネ……」


 お前はもう充分頑張ったよ。もういいから帰ろうぜ。

 一刻も早くこの国を引き上げ、さっさと姉の婚姻をぶち壊したいセレネとしては、もう充分だろと伝えたつもりだった。


 だが、ミラノはそう取らなかった。


 セレネはきっと泣いていた。泣いてまでいないまでも、それに近い状態であるはずだ。

 にもかかわらず、この少女は責めるどころか、『もう充分に頑張っている。だからこれでいい』と逆に労いの言葉をかけてくれる。なんと心優しく健気なのか。


「……ありがとう。追ってきた僕の方が励まされてしまったな」

「はげまし、ちがう」

「わかった。そういう事にしておこう」

「わかったなら、いい」


 迷惑行為であるという主張が伝わったと思ったセレネははにかむ。ミラノもその表情を見て、少しだけ心が安らぐ。この健気な少女のために、やはり自分は頑張らねばならない。ミラノは決意をより一層固める。

 

「そろそろ帰ろう。急に森に入ったから、きっとアルエ姫も心配している」

「うん」


 セレネはミラノの言葉に珍しく素直に従った。ミラノの言葉ではなく、アルエが心配しているという部分が引っかかっただけなのだが。


 ミラノがセレネに手を差し伸べるが、セレネはそれを無視し、一人でさっさと森を抜けだす方向へ歩きだす。ミラノは苦笑し、セレネに付き従う騎士のように、少し後ろを付いていった。


「とりあえず一件落着みたいですね」

「よかったぁ……」


 セレネ達が去っていく背を見ながら、マリーとヒノエはほっと安堵の溜め息を吐いた。


 結局、セレネの事が心配だった二人は、待ち切れず森の中に忍びこみ、影から二人の様子を(うかが)っていた。子供達の護衛役であるクマハチも、強制的に引き込まれていた。


「ここまで案内してくれてありがとうね」


 マリーは、自分達の足元にいる、胸元に赤いリボンを結んだネズミ――バトラーに礼を言った。

 森の中に入った直後、この賢いネズミが現れ、マリー達をここまで導いてくれたのだ。


 バトラーは『気にするな』というように、きぃ、と鳴き、それから茂みの中に駆けこんでいった。おそらく飼い主であるセレネのもとに向かったのだろう。


「やっぱり、セレネ様はミラノ王子と相思相愛なんですね……」

「いいなぁ。セレネには大切な人がいて」


 ミラノとセレネが去った後、ヒノエとマリーはそんな事を言い出した。確かに、幻想的な美しい世界で、二人で並んでお互いを気遣う……ように見えただけなのだが、とにかく、そういった光景はまさに理想の男女の関係だ。


 マリーやヒノエもそろそろお年頃である。やはり、美男美女の美しい恋愛模様には憧れがあるらしかった。


「セレネ様もお心を痛めているようでしたけど、寄り添ってくれる殿方がいるというのは憧れますね」

「ヒノエだってカゲトラがいるし、いないの私だけじゃない!」

「わ、私とカゲトラ様はそういう関係じゃありません! カゲトラ様はあくまで保護者であって……私みたいなのとは不釣り合いですし……」

「そんな事無いと思うけどなぁ。だって、ただの保護者だったら大金出して異国に留学させたりしないわよ」

「そ、そうでしょうか?」

「そうに決まってるでしょ。あーあ、私にも素敵な人ができないかなぁ」

「これこれ、二人とも今はそれどころではないでござるよ。勝手に来客が森の中で消えたら、アークイラの者達も困るでござる。早く戻らねば」


 マリーとヒノエの会話があらぬ方向に向かっていくので、クマハチは困ったように頭を掻きながら、仕方なく横やりを入れた。そこで会話は打ち切りとなり、クマハチに先導され、マリーとヒノエは連れだって森から出る。


 マリー達が森から出た直後、セレネがアルエの胸に飛び込んで抱きつき、それを横で見守るミラノの姿が見えた。


「セレネ様にとって、アルエ様が母親代わりなのですね」

「そうなんだけど、やっぱりお姉さんはお姉さんだからね」


 セレネにとってアルエは母親と姉を超越した存在なのだが、それを知らないマリー達は、セレネのアルエに対する執着を、母の愛の代替品くらいに考えている。


「私達ももう少し考えてみましょ。ちゃんとセレネがアイロネ女王と仲良くなれるように」

「は、はい! 私も頑張って協力します!」


 マリー達も大使として選ばれた自覚があり、そして、今回の目的はセレネとアイロネ女王の和解である。先ほどの会見はマリー達にとってもつらいものだった。


 このまま終わらせてなるものか。何としてでもセレネと母親の仲を紡いでみせる。

 クマハチも無言で頷く。


 この場にいるセレネ以外の全員は、先ほどの失敗を糧に、アークイラに逗留し、もう一度挑戦する事を決意した。一方、セレネだけが早く帰る気満々だった。

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