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夜伽の国の月光姫  作者: 青野海鳥
【第一部】夜伽の国の月光姫
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第1話:掃き溜めの姫

 夕暮れの西日の射す中、一人の女性が歩いていた。

 豪奢な真紅のドレスに身を包み、金糸のような長い髪には小鳥をあしらった髪飾りを着けている。

 その身につけた衣装は勿論の事、背筋を伸ばし堂々と歩くその姿。

 歩き方一つを見ても、彼女が高貴な身分である事は誰の目にも明らかであろう。


 だが彼女、アルエ=アークイラ、アークイラ王国第一王女は、その姿とは対極にあるような場所を目指していた。

 それは王宮の片隅の森の中にある、小汚い石造りの建物だ。

 建物の入り口に立っていた年老いた庭師は、アルエが近づいて来るのに気がつくと、慌てて駆け寄り臣下の礼を取った。


「これはこれはアルエ様。一体どうなされたのですか?」

「ちょっと時間が出来たから、パーティーの準備から抜け出してきたの」


 アルエは悪戯をした子供のように、可愛らしい桃色の舌を出して答えた。

 彼女は第一王女という立場でありながら、召使いに対して尊大な態度を取らない。


 さらに、アルエを子供のころから知っている庭師に対しては、なおさら砕けた態度を取る。庭師のほうもアルエの年相応の少女らしさに、その皺だらけの顔をさらに歪めて微笑み、(たしな)めるように軽口を叩く。


「いけませんなぁ。今宵は大国の王子を迎える大事な催しがあるのですぞ。王女である貴方様がそのような事をされては」

「あんな堅苦しい行事、本当なら出たくないわ。それに本来参加すべき王女なら、もう一人居るでしょう」

「うむむ……」


 アルエが少し強い語調でそう言うと、庭師は困ったようにもごもごと口を動かした。これは本来、決して口外してはならない事。現在のアークイラ王国の正当な血族は、国を治める女王、そして一人娘のアルエしか居ない。表向きはそういう事になっているからだ。

 

「ごめんなさいね。貴方を責めるつもりは無いの。ただ、あの子をこんな場所に押し込めておいて、私一人が華やかな場所に出ていると考えると、ね」

「アルエ様は、お優しいお方ですな」

「優しくなんかないわ。仮に優しくても、それだけじゃ駄目よ。私はあの子を慰めてやる事しか出来ないもの」


 自嘲するように美しい顔を俯かせ、アルエは呟く。

  

「もう陽が落ちます。セレネ様も、もうお目覚めになっている頃でしょう」

「お母様には……」

「ええ、勿論内緒にしておきますとも。我々に出来る事はその程度ですからな」

「ありがとう」


 アルエが礼を言うと、老人は真摯な態度で踵を返し、建物の入り口の鍵を開ける。

 錆び付いた鉄のドアがきしむ音と共に、かび臭い空気が鼻に付いた。

 いつ来ても慣れない不快な臭いに、アルエは一瞬顔をしかめたが、そのまま薄暗い石造りの廊下を抜け、二階へと続く階段を登る。


 この建物は、既に価値の無くなった骨董品や壊れた物、使用人の掃除用具などを入れておく倉庫だ。部屋の数はそれなりに多いが、大したものは置いていないため、清掃や管理はそれほどされていない。


 そんな王宮の掃き溜めのような場所。

 しかしその最奥には、明らかに他とは違う一つの扉があった。

 

 腐りかけた木製の扉と違い、頑丈に作られた鉄の扉には、幾何学的な紋様が描き込まれていた。アルエはその模様に手を伸ばす。すると模様は淡い燐光を放ち、ガチャリと音を立てて鍵が開く。


 盗賊などの侵入を防ぐため、国家に関わる重大な秘密を守るために使われる魔術。そしてそれは、王家の血を引く人間のみしか解除できない特殊な封印であった。鍵が開いたことを確認しても、アルエはすぐにドアを開けず、鉄の扉を軽くノックする。


「セレネ、セレネ、起きてるかしら?」

「おきてる」


 アルエが優しくドア越しに声を掛けると、中から天使が歌うような返事が返ってくる。その愛らしい声に頬を緩めながら、アルエはゆっくりとドアを開く。


 ドアの先は、小さな、本当に小さな部屋――と言うより、牢獄と言った方が正しい四角い空間だった。

 簡素なベッドに最低限の生活用品、明り取りのための小窓が一つだけ。

 その部屋の真ん中に、粗末な衣服に身を包んだ少女がちょこんと立っていた。


 寝起きだろうか、眠そうに目を擦り、柔らかな白髪には少し寝癖が付いている。アルエは苦笑すると、頭を撫でながら、手ぐしでその寝癖を直す。

 

 彼女の名はセレネ=アークイラ。

 決して表沙汰にされない、この国の第二王女である。


 「ねえさま、きょう、忙しい。だいじょうぶ?」


 単語を繋げるような、たどたどしい発音でそう答えながら、セレネと呼ばれた少女が姉の元へと近づき、真紅の瞳で姉をじっと見上げた。


 気遣うようなその瞳を見ていると、アルエはいつも心安らぐ。

 彼女を王女としてではなく、純粋に女性として接してくれる者はセレネだけだ。

 そして、そんな心優しい妹が、このような場所に押し込められている事実に憤慨するのだ。


 セレネは外見からして異質な存在であった。

 アルエも母も金髪碧眼であるのに対し、セレネは全身にほくろ一つ無く、髪からつま先に至るまで、全身が透けるような白色だった。


 絹糸のような純白の髪を肩の辺りで綺麗に揃え、肌は真珠のように滑らか。

 神の愛を一身に受けたような類稀な美貌には、ルビーをはめ込んだような双眸が輝いている。まだ八歳、花の蕾であるにもかかわらず、どれだけの大輪の花となるのか誰も予想できない。


 セレネの異質さが外見上だけのものであったなら、不気味ではなく、天使が降臨したと噂されていたであろう。では、何故彼女は秘匿されてしまったのか。

 その原因は、セレネの言動にあった。


 セレネは、行動が妙に大人びているのだ。

 生まれてから夜泣きもせず、母親に甘えるような素振りも無い。

 生まれたその瞬間から、常に何かを(うかが)うような視線を世界に向けていた。


 誰に教えられた訳でもないのに、自分で服を畳んだり、食器を片付けたり、部屋を綺麗に掃除したり、大人を困らせるような事は全くしない。おおよそ子供らしさという物が皆無だった。


 その割に、言葉は殆ど喋る事ができない。

 殆どの子は三歳にもなれば、ある程度喋れるようになるのに対し、セレネは未だに未開の国の人間が、かろうじてコミュニケーションを取れる程度の片言の会話しかできない。


 その言動のちぐはぐさは、異常、奇怪、不気味として取られても仕方の無い事だった。結果、実の母である女王は、セレネを娘というより、得体の知れない化け物のように扱い、存在を抹消する事にした。


 だが、女王とて人の子、たとえ異形の怪物だとしても、自らの腹を痛めて産んだ娘を殺すことまではできなかった。血の繋がった親子、そして王家の血を引いていると言うか細い糸が、セレネにとっては命綱であったのだ。

 

 そうして女王はセレネが五歳になった時、王宮の隅の暗い檻へ押し込め、封印と言う名の蓋をした。この狭苦しい空間がセレネにとっての世界の全てであり、唯一生存を許される場所となったのだ。そのことを思うたび、アルエは身を引き裂かれるような思いに駆られる。


「ねえ、セレネ。お姉ちゃんがパーティーに出る理由、知ってる?」

「うん。王子さま、お迎えする。わたしのために」


 アルエがセレネにも聞き取りやすいようにゆっくりと話しかけると、セレネは間髪を容れずに答えた。

 セレネは言葉が上手く喋れないので、彼女を知るものには、知能に問題があるのではという烙印を押されているが、それは表面でしか付き合わないからだと、アルエは理解していた。

 自分(アルエ)がセレネの年齢の頃は、こんなに迅速に意味を察する事などできなかったのだから。


「パーティー、出たいわよね……ごめんなさい。今の私の権限では貴方をここから出してあげられないの」


 唇をかみ締めながら、アルエはセレネの両肩に手を置き、申し訳なさそうに謝罪した。その手にそっと小さな手を重ね、セレネは首を横に振る。気にしないでいい、というアピールだ。


「出たくない。私、ここ、気にいってる」

「セレネ……」


 その言葉を聞いて、アルエはさらに胸を締め付けられる。

 確かに、城で行われるパーティーは堅苦しいものであるが、女の子なら誰もが憧れる華やかなものだ。


 まだ幼いとは言え、セレネとて女の子だ、出たくないはずがないだろう。

 けれどセレネは己の立場を理解し、アルエを気遣って敢えて出たくないと言っている。否、言ってくれている。


「よく聞いてちょうだい、セレネ」


 アルエの表情に真剣さが増す。

 先ほどよりも両手に力を籠めながら、言葉を選んで口を開く。


「今夜、私達の国へ来られる王子は、婚礼の相手を探して大陸中を旅しているの。大きな国の王子様よ。私がその王子様の相手に選ばれれば、その庇護を得られる事になるわ。つまり、私は今日の目玉商品なの。分かる?」


 セレネは何も言わず、ただ頷く。

 八歳の子供には難しい話であったが、このくらいの駆け引きは理解出来る知恵があることをアルエはこれまでの付き合いで知っていたので、そのまま言葉を紡いでいく。


「今は女王陛下――お母様があなたをここに閉じ込めていて、私はそれに反対できる力は無い。けれど、私が王子様の奥さんになって頼み込めば、貴方をここから出す事だって出来るかもしれない。そのために頑張るからね」


 そう言って、アルエはセレネに希望を与えようとした。

 だが肝心のセレネは眉間に皺を寄せるだけで、あまり嬉しそうではない。


「やめて」

「え!? ど、どうして? 牢屋から出られるかもしれないのよ?」

「出たくない。それに、アルエねえさま、商品、ちがう」


 その言葉は、アルエにとって衝撃的だった。

 誰もが自分を王女としてしか見てくれず、自分を売り渡す事で大国とのパイプを繋ごうとしている中、これほど悲惨な環境にいる妹は、それでも純粋に自分を心配してくれているのだ。

 思わず涙がこぼれそうになったが、アルエはそれを何とか堪えた。

 そんな彼女に対し、さらに衝撃的な言葉がセレネの口から放たれる。


「わたし、アルエねえさまと結婚する。だから、王子さまと結婚、ダメ、ぜったい」

「えっ?」


 あまりにも予想外なセレネの発言に、アルエはしばし呆けた後、ぷっと吹き出した。


「あのね、私達は姉妹でしかも女の子同士でしょ? 女の子と女の子は愛し合えないのよ?」

「できる。ゆり好きだから」

「百合? セレネは本当に百合の花が好きなのね」

「ゆりの花ちがう、ゆり、好き」


 アルエは首を傾げる。

 セレネはたまに不可解な台詞を言うのだが、百合が好きだと言う言葉に何の意味があるのだろう。理解できないでいたが、とりあえず自分を好いているという事は確かなようなので、それで良しとした。


 哀れな境遇の妹が、優遇されている自分を恨まず、それどころか身を案じてくれている。そう考えると、アルエは妹のために頑張らねばという気力がますます沸いてくるのだ。


「待っててねセレネ。今は苦しいかもしれないけど、必ず貴方を輝く光の元へ連れ出してあげる。そうすれば、もう一人ぼっちでこんな場所に居なくてもいいのよ」

「わたし、ひとりぼっちじゃないよ?」


 何でもなさそうにそう言う妹を、アルエはただぎゅっと抱きしめた。

 セレネは心優しく賢い子だ。恋をしたこともない自分が、まだ結婚を望んでいない事を知っているのだろう。

 だから、王子に身売りなぞしなくても良い、自分を犠牲にしなくて良いと言ってくれているのだろう。


 アルエはそんな妹の優しさに、なおさら燃え上がる。仮に自分が望まなくても、セレネのためならこの身など惜しくは無い、そう考えるのだった。


「よーし! お姉ちゃん頑張っちゃうからね! 王子様をメロメロにして、セレネを絶対に解放してみせるわっ!」


 アルエは素のままの姿をセレネに見せ、一人意気込む。

 そうして色仕掛け、やったことないなぁとぶつぶつ呟きながら、セレネの額にキスをして部屋を後にした。


 アルエが出ると再びドアの模様が輝き、封印の鍵がガチャリと音を立てて閉まる。後に残されたのは、完全に陽が落ち、闇に閉ざされた部屋の中、額に手を当てにやついているセレネだけ――ではない。


『一人ぼっちとは心外でございますな。セレネ様には、有能な執事が付いておられると言うのに』


 唐突に、よく通るバリトンの声がセレネの頭に木霊する。

 彼女は特に驚きもせず、声のしたほうへと視線を向ける。

 するとベッドの下から、彼女の手の平ほどの小さな影が素早く飛び出し、セレネの前に現れた。


「いつも、ありがとう、バトラー」

『何を仰られます! このバトラー、姫様の恩に報いられるなら、命すら投げ出しますぞ』

「命いらない。バトラー、いつものあれ、やりたい」

『楽園へ向かわれるのですね。畏まりました』


 バトラーと呼ばれた影は、恭しくセレネに向かって一礼をする。

 その仕草に対し、セレネは淡い微笑を浮かべる。

 彼女以外は誰も知らないが、このやり取りは、もう何度も行われていたことだった。


 月光と静寂のみが支配する、閉ざされた部屋の、いつもと変わらないはずの一夜。

 だが、この時既に、後に平和の使者――月光姫(げっこうひめ)と呼ばれるセレネ=アークイラの物語は、ゆっくりと紡がれ始めていたのだった。

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